河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第3話『20文字でかけ』

『上空都市エデル』は、浮遊物質『エーデル・フロート』の名前を冠した世界で最も古い浮遊型都市である。
エデルは逆ピラミッド型の形をしており、下部の先端にはドーナツ型の巨大エントランス『セントラルリング』が土星の環のように並行して浮遊している。
地表面積300㎢という、巨大な浮遊物体であるエデルは、2044年に着工が開始され、現在では人口300万人を超える巨大浮遊都市メガエアロへ成長したと噂されているが、情報はあまり公開されていない。
人口増加にともなってエデルに居住する条件は年々厳しくなり、10年ほど前からは一時的な入都にも厳正な審査が行われるようになった。
セントラルリングと地上を結ぶ唯一の連絡経路、エレベーターの搭乗口『上空都市昇降ゲート守衛官詰所』、通称『守衛所』で行われる『上空都市入都に関する審査』がそれだ。
審査は『下級上空都市守衛官資格』を有した人間によって行われる。
世界中で機械や人工知能への移行が進み、無駄な人件費は削減すべきとの声があがる中で上空都市の喉元ともいえる場所には、人工知能の暴走に備え人間が必要と判断されているのだ。
知井が勤務する通称『第9守衛所』は他の守衛所と比べて特に人が多く、約50人ほどの職員が所属している。
セントラルリングを中心にして八方位へ伸びる他のエレベーターとは異なり、エデルの真下に位置する第9守衛所のエレベーターはエデル底部と直結しており、セントラルリングを経由せず直接エデルへ入都できるためである。
しかし、上空都市へのアクセスに優れているが地上では僻地に存在しているため利用者が少なく、第9守衛所の扱いは他の守衛所と比べて劣っている。
地表に出ている建物は小さく、職員の半数以上が暮らす地下の居住スペースも手狭な部屋が多い。
改善を促そうにも、一般の利用者よりも、上と取引のある業者の利用が大多数を占めるため大きな不満があがらず、いっこうに改善される気配はみられない。
上空の生活を謳歌する『上空市民』たちの生活を支えている人間への配慮が足りないと知井はいつも考えていた。
毎日まじめに、上空都市の日陰で年間の半分以上を寒々しい思いをしてすごしているのに、なぜこんな扱いを受けなければならないのか。
不満だ。
でも、今日、今、この場所で知井が感じている不満は、守衛所への不満じゃない。
いま目の前に立つ、この男が原因だ。
なぜこんなことになるのだろうか。
よりによって、この地下食堂で。
疑似窓からの光は太陽光を再現していて、朝晩の景色も楽しめる。
この職場で唯一、癒やしを得られる場所なのに。

「知井さん聞きましたよ! マジすか?」
「な、なに? 急に?」
戸北が、にやけた顔のまま聞いてくる。
「10年以上女の子から返事まってるってほんとですか?」
ご飯の味が、急に無くなった。
「な、なんで知ってるんだよ」
「聞きましたよ追田さんから」
「やめてよ、声がおおきいよ」
「でも本気で待ってるって、さすがに嘘ですよね?」
「だから声がおおきいって」
必死で座るように手で示してみたが、戸北は座ろうとしない。
立ったまま大声で話しているせいで、何人かがこちらを気にしはじめている。
「知井さん、賭けにしましょうよ! 賭け! そんなにおもしろい話、賭けないわけないじゃないすか」
周囲の人たちが近づいてきた。
目に好奇の色が宿っている。
「だから、声がおおきいよお。やめてよ! あ、ごめん」
大きな声が出過ぎて思わず謝ってしまった。
それはそれで、気恥ずかしくなり知井が目線を泳がせると、ちょうど食堂の入り口に追田の姿がみえた。
「あぐぅひ……」
知井の口から、小さく奇妙な声が漏れた。
追田はテーブルのあいだを抜け、まっすぐこちらへ向かってくる。
そして目の前にやってきて、椅子を引いた。
硬質プラスチックがこすれる嫌な音。
「どうする」
椅子に腰を下ろしながら、追田はいった。
「なにが・・・だ・・・、ですか」
語尾をかろうじて敬語に持って行くことができた。
「賭けの配当オッズ
限界だ。
知井は衝動的に、席をたった。
しかし周りにいた人々が、優しい目でうなずきながら、椅子に座るように手で示す。
知井は、再び椅子に座った。
「な、なん、で、ですか、追田さん……」
椅子には座り直したが、だんだんと腹が立ってきて知井は自分の声が震えていることに気がついた。
「まあまあ、知井さん。そんなに怒らないでいきましょうよ。こういうのはみんなで楽しんだ方がいいじゃないすか」
戸北の慰めるような言い方に余計に腹が立った。
「追田さん! な、なんで、あゆみちゃんのこと、戸北に話したんですか!」
「え? あゆみちゃんていうんすか? その子」
戸北のとぼけた声がした。
「え? え? と、戸北くん聞いてないの?」
「いや、自分は返事まってる女の子がいるとしか──」
「まもるくん。自分でバラしちゃ、しょうがないな」
戸北の言葉を遮り追田のいつもと変わらない声がした。
追田をみると、口元をゆがませてお茶をすすっている。
「で、でも! 返事を待ってることは、バラしたんですよね!」
「まもるくんが自分でしゃべったことじゃないか。それに口止めもされてないよ」
「そ、そんなぁ。なんだよ! みんなして、にやにや笑うなよ」
気がつけば周りにいる全員が、あたたかい笑顔に満ちていた。
「知井さん、だめです。追田さんに話したらもうだめです」
戸北につられみんなが声をだして笑いはじめた。
「ね、知井さん。もうみんなにばれちゃったんだから、楽しくした方がいいですよ。だから、賭けしましょう。賭け」
周囲から賛同の声があがる。
「だって、戸北くんはお金欲しいだけでしょ……みんなも、ヒマなだけだよね」
「まもるくん。男らしくないな。ほら、まあこれ飲んで落ち着きなさい」
追田が、湯飲みを差し出してきた。
「い、いやそんな」
「いいから、いいから」
追田が手のひらで湯飲みを押し出してくる。
ミラータイプのシルバーゴーグルで表情は読み取れないけど、追田のみせた非常にめずらしいやさしさだと知井は感じて、素直に湯飲みをうけとった。
「珠美さーん、オッズ決めてくださいよー」
追田の横にいた戸北の声がひびく、食堂の端のほうにいた稲留 珠美いなる たまみが振り返った。
「ん? なぁに?」
珠美は、少しめんどくさそうな表情で長い栗色の髪をかき上げながら近づいてきた。
「返事がくるかどうか賭けるの?」
珠美の問いかけに追田が答えた。
「いや。返事がくるかどうかだけじゃ、つまらない。細かいシチュエーションも予想しよう」
「返事がくるっていう選択肢もありますよね!」
知井が声をだすと食堂が静まった。
戸北がすぐに静寂をやぶる。
「そっか、さすが追田さんだな、来るか来ないかじゃ勝負にならないもんなぁ。珠美さん。これは結構な大仕事ですね。オッズの判定細かくなりそうだし」
「んー、大変そうだけどまあ、いっか。それじゃぁ、しよっか?」
「そうしましょう! 珠美さんしか仕切れませんよ! 宣言お願いします!」
戸北の言葉に気をよくしたのか珠美はうなずきながら、小さく咳払いをしていった。
「では、みんなお待ちかねだね、第198回守衛所ダービーを開催しまーす」 
珠美の声に食堂から歓声があがった。
戸北がうなずきながらいった。
「しょうがないですよ知井さん。恒例行事じゃないすか。知井さんの場合は、高齢行事かもしれませんけどね」
戸北の発言には、誰からの返答もなかった。
食堂にいた人間のほとんどが、珠美の周囲に集まっている。
知井はいたたまれず湯飲みの中身を一気に飲み干した。
「それじゃ、まずはいつも通りオッズから決めよっか」
珠美は前屈みで胸の谷間を強調しながら全員を見渡した。
「今回は、追田さんの提案でシチュエーションまで予想することにします」
「奇跡で、もし返事が来たら?」
「戸北くんそれあると思うの? 計算できないわよわたしは。そんなのないない。馬鹿にしてるの?」
「人生には、“まさか”って坂があるって、じいちゃんがよくいってたから」
「じゃあ、戸北くんは『来る』に賭けたらいいよ。もし来たらあたしのおっぱい揉ませてあげるわ」
珠美と戸北のやりとりをみて、3人が『来る』へ投票を表明した。
「スケベだねみんな。わかった! もし来たらホントにおっぱい揉ませてあげる! その代わり、来るに賭けてハズレたら、めちゃくちゃな罰ゲーム用意するからね」
「いたずらメールが届くっていうのはどうすか?」
「それ、なかなか面白いね。でも、誰でもできちゃうからオッズは低いかな、んー1.1倍くらい?」
「珠美さーん、それテラ銭取り過ぎでしょー」
「なんでよ、これでも大サービスだよ。儲けなんてない」
「メールが届くけど、実はメールが自作自演ってのは?」
「それもー1.1倍。こっちもさ、ボランティアじゃないんだから」
「全然もうからねーなそれじゃ」
「はい、はい。あんまり話すとネタバレしてつまんなくなるから、後は各自まとめて! 予想は20文字以内にすること! 文字制限超えたら失格だよー」
「知井さんはもちろん来るにかけますよね?」
戸北が満面の笑みで問いかけてきた。
「うるさいよ!」
「え? 知井さん?」
「来るっていったらくるんだよぉぉ! あゆみちゃんは、約束やぶる子じゃないんだよ」
「あ、これ酒だ。誰だよー知井さんに酒飲ましたの。戸北だろ」
「ちがうよ、その湯飲みは追田さんが……あれ? 追田さんどこいった?」
「ま、まあ、落ち着いてー、ね。まもるくんは、返事くる方にかけるんでしょ」
珠美が胸元を強調しながら近づいてきた。
「当たり前だよ! 返事くるよ! ぜったい珠美ちゃんのおっぱい揉んでやるから!」

次回 6月 2日掲載
『なつかしい言葉』へつづく

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