河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第1話『サービス終了のお知らせ』

いつもと代わり映えのしない、ほの暗く、うすら寒い眺めだった。
正午に差しかかり、太陽も真上へと昇っているころだというのに。
知井 守ちい まもるはくしゃみを2回したあと、鼻をすすりながら天を見上げる。
頭上の遥か遠くに浮かんだ、上空都市エデルの巨大な塊が今日も太陽を遮っていた。
太陽があるべき位置には、ピラミッドを逆さにしたようなエデルの底がみえるだけだった。
春先の正午ごろ、この第9守衛所の周辺はすべてエデルの影に隠れてしまうのだ。
「春なのにいつも寒いの参りますよね」
知井は追田 藤二おいた とうじに向かって声をかけた。
しかし追田は、ベンチに座り腕をくんでうつむいている。
眠っているのだろうか、それともimaGeを立ち上げて仮想空間へ遊びにでもいってしまったのだろうか。
追田からの返事はなかった。
「お、追田さん? 起きてますか?」
顔面の半分ほどを覆ったミラータイプのゴーグルのせいで追田の表情はよみとれない。
なぜ勤務中にこんな格好が許されるのだろうか。ヴァーチャルな世界のアバター勤務ならまだしも、現実世界の仕事で制服まで用意されているというのに。
「追田さ──」
「うるさいな。聞こえてるよ。いつも通り寒いのにいちいち反応する必要ないじゃないか」
追田は低い声でそういって、胸元のポケットからタバコを取り出し火をつけた。
「制服きてタバコ吸ったらまずいですよ」
「風向きはきにしてるよ」
「煙の問題じゃないですよ。この前も熊野さんにみつかって怒られちゃったじゃないですか」
エデル周辺の屋外では電子タバコでも規制されているというのに。
そもそも電子もリアルも、勤務中に堂々とタバコを吸っていいわけがない。
「あれは、まもるくんがうまく隠さなかったからじゃないか」
思い出させて少し怒らせてしまったのだろうか。追田はもったいぶるように深く煙を吸い込んだあと、タバコを地面へ投げつけた。
「いまどきリアルなタバコなんて吸ってるの、追田さんぐらいですよ」
「こんな軽いの、いくら吸ってもかわんないよ。味しないんだから」
「なら、せめて電子タバコにしたらどうですか?」
知井は電子タバコをズボンのポケットから取りだした。
ついでに、スマートフォンをひと振りして新着メッセージを確認する。
「まもるくん、さっきからなにちらちらみてるの? 借金取り?」
「え? そんなにみてないですよ」
「それで今日、18回目だよ」
数えないでほしい。
「ちょっと、大事な連絡まってるんです」
「誰?」
「いや、そんなに大事な用事じゃないんです」
「誰?」
「いや、そんな、大事なことじゃ」
「誰?」
追田が顔を上げた。
ミラータイプのゴーグルは1枚の金属プレートでできていて、ちょうど目の前に鏡を突きつけられたようだ。反射した自分のおでこには、いつのまにか汗が滲んでいた。
「お、追田さん、ニュース動画とかみてますか?」
「気に入ったのだけはみる。最近はあれだね、“上”のニュースばっかりでつまらんね」
追田は上空に浮かぶエデルの方を、クイックイッと指さした。
「そうですよね! 最近、そればっかり! 来年の上空都市の着工20周年のニュースばっかりですよね! あ、ということはここも忙しくなるんですかね? 参りましたよねー」
「ここには一般の人はこないから関係ないんじゃないかな」
「そ、そうですかね、ほら上空に出入りしてる業者さんたちは別ですよ。式典準備のために上空への用事がふえたりして」
「そもそも上空市民たちの記念なんて、地上には関係ない。そう。関係ないんだよ」
追田は唇の端をつり上げ、知井に人差し指を突きつけながらいった。
「大声をだして話を逸らそうなんて卑怯だな。まもるくん。いま重要なのは、まもるくんが誰からの連絡を待っているかということなんだよ」
うまくごまかしたつもりだったが、80歳を超えても衰えていない追田の記憶力がうらめしくなった。前回の休暇のときに、脳の強化でもしてきたのだだろうか。
「脳内の強化してると思ってるでしょ? 内蔵系のメンテナンスはしてるけど、脳みそは特にいじってないよ」
ごまかせないと知井は感じた。
「ごめなさい。あの、ケータイとスマホのサービスが終了するニュース知ってますか? 1年くらい前のニュースなんですけど……」
「そうやって、すぐに謝るくらいなら、最初からその話すればいいんだよ」
「ごめんなさい」
追田は顎に左手をあてて「ケータイ 終了」とつぶやき、空中をひとなでして人差し指を2回上下にふった。
追田の『imaGe検索』のジェスチャーが“顎に手を当てる”だと思い出した。
imaGeを使ってる若者は、現実の世界でも独自の身振り手振りをオリジナルのジェスチャーとして登録しているそうだ。
しかし83歳となる追田も、多数のオリジナルジェスチャーを使いこなす。
記事をみつけたのか、追田が声をだした。
「2063年4月30日 携帯電話・スマートフォン通信サービス終了って記事?」
「そうです! あと1ヶ月くらいで使えなくなっちゃうんですよ、このスマートフォン」
端末を示すと、追田はしわがれた褐色の顔を近づけ手元をのぞき込んできた。
「まだ使ってたの? その化石みたいなスマートフォン。なんで?」
「えっと、いや、ほら、引っ越しする時に、住所教えてない人がいたら、転送とかあるじゃないですか。でも転送できない場合って、あのほら引っ越し前までに連絡取れないと、やきもきしませんか?」
「何がいいたいのかよくわからないけど、使う人がいないからサービスは終了するんだよね?」
「ボクは使ってるじゃないですか! た、たぶんその子もなんですよ。だから連絡とれなくなるのまずいなって思って」
追田は再びスマホに顔を近づけてきた。
スマホを握りしめた手が、汗でぬめりはじめた。
「いつから待ってるの? 返事」
「わ、わかんないですよ」
「知井守 既読スルー 何年前」
追田は顎を左手で撫でながら、つぶやく。
「やめてくださいよ! そんな露骨に検索ワード、声にださなくてもいいじゃないですか」
「ないなあ……、まもるくんのおもしろいエピソードはほとんど記録してるんだけど」
「なんですかそれ!」
「あ、これ? もしかして、あの子? ここに入った時にいってた。 28歳の彼女ができたかもしれませんってはしゃいでた時の?」
知井は追田をみて、ゆっくりとうなずいた。
「いまはもう38歳くらいになってます。きっと綺麗になってますよね」
「ねえ、まもるくん」
「は、はい」
「馬鹿なんじゃないの。10年もたって返事が来るわけないでしょ」
「そんな、ひどいですよ! 来ますよ! 約束したんですから。絶対また連絡くれるって」
「まもるくん、いくつ?」
「ろ、63歳です」
「はあ?」
「いや…、でも…」
「来ないよ」
低くかすれた声で追田はいった。
追田が怒ったのかと心配になったが、こういうときは黙っていたほうがいいと判断して知井は沈黙を通すことにした。
それよりも、握りしめたスマホが汗で壊れないかが心配になった。
スマホをポケットへ戻そうとした時、守衛所の入り口にひょろ長い人影がみえた。
助かったとため息をつきそうになった。
「そろそろ、交代みたいですね。戸北が来ましたよ」
「さきに飯いっていいよ」
追田はタバコに火をつけた。
戸北リョウスケは背中をまるめて、のらりくらりとこちらへ向かってくる。早く歩いてくれよ。と知井は足を踏み出したいのをこらえた。
「いたいた。追田さんたち入り口から離れすぎですよー」
近づいてきた戸北は右手をあげながら軽い口調でいった。
「やっと交代か。ここの当番がいちばんつまらないよ」
「知井さん、外番きらいっすよね。自分は結構すきですけど。ぼーっとしててもばれないし」
戸北は守衛所のまわりに広がる殺風景な荒野を眺めながらいった。
知井もつられて眺めてみる。
守衛所の近辺はエデルの影に入り、ほの暗くぼやけた大小の岩山がみえるだけだった。
「こんな風景を眺めていたら気が滅入らないの? 若いのに」
「知井さんこそ、その年代ならどこかでのんびり、ひなたぼっことか似合うんじゃないすか?」
「まだ63だよ! そんなおじいさんみたいな生活しないよ」
「そうですかね」
戸北が左手を差し出した。
知井はクリップボードに挟み込んだ集計表へ『地上エントランス:0名 B9エントランス:3名』と書き込んで手渡した。
「じゃ、じゃあ追田さん、先にお昼にいきますね」
まだタバコを吸っている追田へ向かって声をかけ、知井は足早に守衛所へ向かった。

「日曜日の3人」へつづく



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