河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
  前に戻る デジタル酒 De Liquer 次を読む

第2話『日曜日の3人』

ログインが完了した。
視界が戻る。
部屋に扉や窓はなく、金箔が貼られた壁で囲まれていた。
床には虎の敷物、天井からはシャンデリア。
龍の蒔絵が施された大きなローテーブルを囲むように、1人掛けと5人掛けのソファがそれぞれ対面に配置されている。
自分のアバターは、1人掛けのソファに座った状態のようだ。
VR環境が伝えてくるソファの質感は、上質な牛革のしっとりとしたもので、現実リアルの自分が座っている安物のVRチェアとは比べものにならない。
貧相な椅子で高級な椅子の感触が再現されるのが不思議に思えた。同時に没入もぐっている時に現実むこうのことを思い出すのは珍しいと感じた。
ソファに身を預けると、まるで底なし沼のように、じわじわと深く奥のほうへ身体を飲み込んでいく。
視線を左上に向ける。

『ログイン名:桜 夏男
 ログイン先:ショルダー・パッド 応接室
 AM 10:01』

桜は自分が、本名でログインできていることと、指定されたチャットルーム、時刻にログインしているのを確認した。
桜は気分が落ち着かないときや、VRにログインして人から呼びかけられたときにウィンドウのログイン名を確認してしまうクセがあった。
体勢はソファに座ってくつろいでいるが、このクセが出たことで桜は、不安を感じていることに気がついた。仮想現実ヴァーチャルとはいえ、出入口の扉も窓もない部屋はやはり落ち着かない。
もしこの部屋へ何も知らず迷い込んでいたら、即座にログアウトしたことだろう。
ルーム内に配置された“調度品”を改めて見渡してみると、散らばったアイテムを形容するタグは、“上等な○○”や“高級な○○”という、豪華を装っている部屋にありがちな、あいまいな形容詞ではなかった。
金箔の壁、虎の敷物、ソファ、すべてのインテリアに具体的なブランド名や職人の名前がポコポコとポップアップ表示される。
相当に金がかかったチャットルームだった。
ひとしきり視線をさまよわせ、正面のソファへ視線を戻したとき、音もなくアバターがログインしてきた。
『AM10:03 棚田たなださんがログインしました』
「お待たせしました。当ディスコの支配人 棚田と申します」
視野内の上中央にimaGeからのメッセージが表示されるのと、目の前の『棚田』が音声で名乗るのは、ほぼ同時だった。
底なし沼のソファに飲み込まれることなく背筋を伸ばし、棚田は少し歯をみせて微笑んだ。
色黒の鋭い目をした彫りの深い顔で、黒いソフトスーツと胸元に極太の金ネックレスを身につけている。
桜は、息をのんだ。
棚田のスーツは、素晴らしかった。
やわらかい素材であるがゆえ、ジェケットの襟元から裾にかけてゆるく、けだるい曲線が生みだされている。
それはまるでガウンやコートのように優雅なドレープを描いていた。
「それでは、さっそく面接をはじめま──」
「ちょ、ちょ、ちょっとだけ待ってください! すみません、その、ジャケット」
「なにか?」
棚田は自分を見回す仕草をした。
「ものすごく、イカしてますね! そのジャケット!」
棚田の表情も口調も瞬時に和らいだ。
「あれぇ? わかりますぅ?」
「もちろんすよ! その肩パットもハンパないっすよね! おら! ここ! 肩パットだぞこのやろう! て感じがもう最高ですよ! パット何枚はいってるんすか?」
「これは、12センチのやつを、12枚かな。うちの従業員みんなこれだからね。特注品だよ、特注品」
「すごくないすかそれ。シルエットが完全に逆三角形ですもんね」
「わかってるなぁ、え…と」
「あ、すみません! 自分、ハルノキっす! 桜って書いてハルノキ。夏に男でハルノキ ナツオです!」
「そうか、ハルノキって読むのか。サクラかと思った。ハルノキくんも、そのサルエルパンツ、ムチャクチャイカしてるねー」
「そうすか!? ありがとうございます! なんなら踊りましょうか? あのステップ、お気に入り登録してるんで、再生できますよ」
「そうかー。今度みせてよ」
「いや、いいっすよ! 今やります」
桜が立ち上がろうとすると棚田が手で制した。
「まあ、面接終わってからにしよう」
「あ、そうっすね。すみません。これ面接でしたね」
棚田は少し笑顔をみせ、いちど咳払いをした。居住まいをただし再び背筋が伸びたようだ。
「それでは、まずは……ハルノキさんの応募の動機聞かせてもらえますか?」
棚田の口調は元に戻っていた。ここからは仕事だぞ。と意思を表示するかのように事務的な話し方だった。桜はつられて背筋が伸びた。
「は、はい! サイトをは、拝見いたしましたところ、とても内装のイカした、いえ、素晴らしいディスコだと感じまして、働いてみたいと思いました」
いいきって視線を棚田へむけると、彼は少し顎を上向きに突き上げた状態で聞いている。
自分と向き合っているが、微妙に目線があっていなかった。
imaGeが視野内に映すデータウィンドウの方に焦点をあわせているのだろう。
「ええ、っと、ハルノキさんは……、2040年生まれで23歳? 若いのに“イカしてる”とかよく知ってるねー、『バブル』に詳しいの?」
「はい! 自分、大学で近代史を専攻してて、80年代から90年代の歴史で卒論もかいてますから!」
「正直、支配人をしてる私もその時代に生きていたわけじゃないですけど。あの時代はいい時代だったんだろうなと、お越しになるお客様をみているといつも感じます」
棚田は友好的な表情を浮かべてくれた。もしかしたら、合格するのではないかという期待を桜は感じた。
「そうですよね! みんなイキイキしてますよね。あの年代のことが好きな人って! なので自分、憧れっす! 働きたいっす!」
「確かに、ハルノキさんなら当店に向いているかもしれませんね──」

「はぁ? それで、おちたの!? なんで? そこまで意気投合したのに? それはマズいだろう」
面接の顛末を話すと、『黒井チクリン』は指をさしながら笑った。
「ハルキおまえ、それはある意味才能だぜ」
左上を見上げ『ログイン名:桜 夏男→ハルキ ログイン場所:黒井チクリン競馬倶楽部チャットルーム ブリンカー』の表示を確認した。
プライベートなVR環境では『ハルキ』名義でログインしているため、仮想空間こっちでしか面識がないチクリンは自分のことをハルキと呼ぶ。
チクリンは、競馬観戦用チャットルーム『ブリンカー』の所有者で“ブロッコリーを色黒にして髭をはやした”ようなアバターで、革張りソファ上に毎週あぐらをかいた状態で表示さあらわれる。
クルクルに丸まった髪の毛はアフロヘアではなく、天然パーマ。目は一重まぶたで鋭く全体的にいかついアバターデザイン。
いくらでも美形をつくりだせるのに、わざとアバターをクセのある容姿にメイキングすることがある。
オリジナリティで注目をあつめる、いわゆる『オリ目立ち』もしくは『オリモテ』を狙うためだが、チクリンは違う。 驚くべきことに、チクリンのアバターは本体とほぼ同じ顔をしている。
おまけに本名でこの世界にログインし、挙げ句に同じ名前、同じアバターを使ってオンライン上の店も経営している。 『黒井チクリン』の名前を検索すれば、すぐに『チクリニック』という1990年代の繁華街にあふれていた、いかがわしいお店の屋号のような名前のサイトへ行き当たる。
チクリニックはチクリンが経営するセクシャライズアバターの販売サイトで、色気のあるアバター達がずらりと陳列されている。
その中に『ラブドール』と呼ばれる年代物のセクシャルな女性型人形に囲まれて、歯をむき出しにして笑うチクリンの画像もある。
まったく同じなのだ。ラブドールに囲まれるチクリンと、チャットルームに現れるチクリンは。
「なあ、ハルキ。バイトの面接ってそんなに落ちるもんなのか? これで30回目くらいだろう? 面接おちたの」
「今回は受かったんだよ。でも店がさ現実リアル店舗だったんだよ。面接がヴァーチャルだからてっきり仮想空間こっちの仕事だと思ってたのにさ」
「いいじゃねえかよ、リアルの店。ハルキもしかしてリアルの方は相当やばいのか? 働けないような闇でも抱えてるのか?」
「違う。遠かったんだよ。店の場所が」
「どこ?」
「九州」
「ハルキが住んでるところからじゃ、飛行機通勤じゃん、遠すぎだろそれ」
チクリンがソファのうえで笑い転げた。
「うん。ハルキ、それ40万円くらいかかるよ」
突然、“透き通る耳障りのいい声”がした。
もう1人のチャットメンバー『タンジェント』のことを忘れていた。
「なにが40万円なんだよ? タンジェント」
チクリンが問いかける。
「え? ハルキの住んでるところから、毎日飛行機にのったらそれくらいかかるってことだよ」
タンジェントは、ハルキとチクリンが座るソファの対面に配置した“アンティーク調のエグゼクティブデスク”にいつもあさっての方向をむいて座っている。
タンジェントとも毎週あっているが視線があうことはほとんどない。
アバター周辺に浮遊する無数のディスプレイへ常に視線を行き交わせているからだ。
タンジェントは“女性”である。
少なくともアバターは。
ホントの性別は教えはくれない。
黒髪で白い肌、すっと通った鼻筋、極めつけに二重まぶたに大きな薄く茶色がかった瞳。率直にいって桜の好みをそのままデザインしたような容姿をしている。
これが現実ならよほどの美貌だろう。
タンジェントがリアルに忠実なアバターを作っていればいいなぁ。と桜は毎週考えている。
「それ、給料より高いじゃん。ハルキ、その店の給料はいくらなの」
「時給1000円」
「それ、全然、足りねーじゃん」
チクリンはソファから転げ落ちて床のうえで笑っていた。現実の方もVRチェアから転げ落ちているんではないだろうかと少し心配になる。
「笑いすぎだ! チクリン。いいんだよ、次の店も決めてるし」
「次はどこよ?」
「コンビニを狙ってみようと思ってる」
「はあ? コンビニって人雇ってんの?」
「コンビニエンスストアがぜーんぶ機械でうごいてるわけないじゃん。チクリンはデリカシーがないなー。深夜とか、人がいなかったら怖いでしょ?」
タンジェントが右上のスクリーンを見ながらつぶやいた。
「なんだよそれ! 深夜なんてそれこそ機械がやればいいだろ」
「だからー、女の子とかは夜、機械だけのお店にいけないでしょ。『深夜スタッフ』ならコンビニだけじゃなくて、いろいろなところに需要あるよーねぇ、ハルキ?」
ハルキは、タンジェントの問いかけに頷いた。
「深夜スタッフっていっても、数はすくないんだろ? だったら競争率高いじゃねーかよ。ハルキ、そうやって、狭いとこばっかり狙うから受かんねーんだよきっと」
「それは、チクリンがいつも万馬券を狙って当たらないのと一緒?」
「うるせぇな! ハルキ。競馬と一緒にするんじゃねえよ」
「一緒だよぉー。今日のチクリンの馬券的中は12レース中、0回。ハズレ100%だよ! 今年の成績でみても──」
「うるせぇな! タンジェント。終わったレースの話はいいんだよ」
「大切だよ。そうやって成績も気にしないで競馬するから負けるんだよ」
「いいんだよもう、あーいいよもう。飲もうぜ飲もう! ヤケ酒だヤケ酒」
チクリンが空中を拳で叩くと、チャットルーム中央に枠が現れ、ガシャンと金属音をたててデジタル酒『デリカー』の瓶アイコンが落ちてきた。
「ハルキとワタシは祝い酒だよ。ねっハルキ」
「だからタンジェント、いちいちうるせえ」
チクリンはデリカーのキャップをひねる。
シュコっと発泡音がした。
喉を鳴らすアクションをしながら、チクリンは一気にデリカーをあおった。
デリカーは『空き瓶』のアイコンへ変化してチクリンの手元に転がった。
つづけざまにチクリンは空中を叩き『ブリンカー』に登録したジェスチャー『デリカーの購入』を連発する。
「ほら飲めよぉ、やるよ」
チクリンがデリカーを投げてきた。
「チクリン酔ってるでしょ?」
「そのために、飲んでるんだよ」
デリカーは、仮想空間内において“酔い”の状態を提供するリカー系プログラムの一種で、imaGeが持っている感覚再現機能を使用して擬似的に酔っている状態をつくりだす。
数多く出回る『酒』の中でもデリカーは、酔いの感覚をリアルに再現しつつ味覚の調整も絶妙で、飲み口がよくてかつ、安価なため仮想世界こっちでは定番の酒となっている。
「で、ハルキ。コンビニはいつ応募すんだよ」
チクリンは2本目のデリカーに口をつけながらといかける。
「そうだ! 忘れてた。さっきエントリーデータつくったんだよ。忘れないうちに応募しとかなきゃ」
エントリーデータを呼び出す。
視野内に『未送信のデータ送信をしますか?』と表示されたので、『送信』を左右の人差し指で同時にポンっとタップした。
「そーしん!っと」
『メッセージを送信しました』
と表示され──
『メッセージを受信しました』
「あれ?」
「どうした?」
瞬時にメッセージが届いた。
開いてみると応募したコンビニから、丁寧な断り文句がならんでいた。
「やばい。コンビニ、もう断られたんだけど。早すぎるよね」
「ハルキ?」
タンジェントが静かにいった。めずらしく視線がまっすぐに合った。
「ダメだよぉここは競馬観戦の目的で登録されてるチャットルームなんだから」
「え、なんで?」
「チャットルームにログインしてるときにメッセージ送ったら、送信元に出ちゃうんだよぉ。『黒井チクリン競馬倶楽部』なんていうわかりやすいところから送ったら、落としてくださいっていってるのと一緒じゃん」
タンジェントが口の端から八重歯をみせた。
「確かになー。日曜のこの時間に競馬観戦のチャットルームから仕事の応募されてもなー。おれも経営者だからわかる。そんなヤツは即座に断るわ」
チクリンはデリカーを飲みながら真顔でいった。目元が少し鋭く変化していた。
「そ、そっか、あー失敗したなー。深夜スタッフ興味あったのになー。まあでも夜苦手だし、辞めとけってことだよね、きっと」
「おまえ緊張感まったくないんだな」
「まあ、競馬も調子いいし。まだ大丈夫だよ働かなくて」
事実、本日も的中率は12レース中、7レース的中でだった。
「いいから飲もう。飲もう。デリカーのスタンプカードもう少しでいっぱいになるんだから」
ハルキはチクリンから渡された、デリカーのキャップをひねった。


『20文字でかけ』へつづく


掲載情報はこちらから
@河内制作所twitterをフォローする