河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第4話『なつかしい言葉』

東の空からさしこむ陽射しが、守衛所の正面入口を照らす。
自動ドアを出た知井は、太陽のまぶしさに目をほそめた。
空は青く気温も湿度もちょうどよい清々しい朝だった。
早起きは得するっていう言葉があるとおり、朝日の中では荒涼としたこの景色も少しだけよくみえる。
あと何時間かすれば、エデルの陰に隠れてしまうのだが。
山間から差し込む太陽をみつめながら、知井は手にしたほうきを腰にあてた。
腰をゆっくりと反らしていく。
関節がギシギシきしみ心地よい痛みを感じる。
「うぐぅん…んん」
ひとしきり腰を伸ばしてまた太陽に向き直り、知井はスマートフォンを取り出した。
「チュンチュチュチュン…チュンチュチュン」
小鳥の鳴き声をまねしつつ、音楽アプリを立ち上げて『環境音89 春 〜小鳥のさえずり〜』を再生した。
耳元に貼り付けたナノスピーカーから、静かに小鳥たちの声が流れだす。
木々もろくに育たない荒野でも、環境音があるだけでまったく気持ちが変わる。
今日は風が緩やかなせいか、いつもより鳥たちの声が楽しそうに聴こえた。
「さあー、そうじー、そうじ」
守衛所周辺の清掃は、朝番の大切な仕事だ。
夜番と深夜番の夜勤組が飲んだコーヒーの空き缶や、夜食の食べカスが散らかっているからだ。特に追田が夜勤だった翌日は、タバコの吸い殻が大量に落ちている。
「追田さん、吸い過ぎだよ、ほんとにもう!」
しかし、小鳥たちの歌うような声が、散らばるゴミたちにイライラするのを和らげてくれる。
「チュンチュチュフンフン、チュチュフンフン、チュンチュン」
鼻歌とさえずりをミックスしたオリジナルハミングを口ずさみながら、守衛所の地上エントランス用の入口から、地下エントランス用エレベーターまでほうきを動かして歩く。
地中からタケノコのように突き出た地下エントランスエレベーターのゲート周辺をまわり、さっきと反対側を掃いて守衛所の入口に戻った。
正面入口に戻ったとき、ちょうど自動ドアが開いた。
「ふわぅぁ、おは、よござまーす」
さっきまで眠っていたことを全力でアピールするようにあくびをしながら戸北が現れた。
もともと地黒なのだろうか、これだけ陽当たりの悪い守衛所に勤務していながら、戸北はいつでも夏休み明けの小学生のような褐色の肌をしている。
いつも眠そうに掃除が終わったころに現れて
ひとつも悪びれる様子がないのが腹ただしい。
「知井さん、大丈夫すか?」
「え、うん、ちょっと今日はゴミが多かったけど、もう終わったよ」
「まさかあゆみちゃんから、返事きたりしてないっすよね?」
かみしめた奥歯が、キシッと音を立てた。
「だって、今日いつもより掃除おわるの早くないすか? だからいいことでもあったんじゃないかとおもって」 
「いつもと同じだよ、それから、き、気安くあゆみちゃんの名前よばないでよ」
追い払うようにいうと、戸北は小さく「ウッシ」とつぶやき自分の持ち場へ歩きだ──
「あ、そうだ、知井さん」
足を止めて急に戸北が振り返った。
「なに?」
「その鳥の音、眠くなるんで止めてもらっていいすか?」
ほうきの柄が少しへこむんじゃないかと思うくらい、右手に力が入った。
知井はスマートフォンを取り出し、腹いせに一瞬音量をあげてからアプリを閉じた。

このところ、あゆみちゃんの名前をきやすく呼ぶのは戸北だけではなくなっている。
珠美の色気につられて『返事がくる』へ賭けた3人以外、ボクに会うと「あゆみちゃんから返事、きてないですよね?」と聞いてくる。
めんどうくさいけど無視するのも悪いから「来てないよ」と答えると、満面の笑みで「そっすか」といわれたり、「よっしゃよっしゃ」と高笑いされたりする。
誰も心配してくれているようにはみえない。
「知井さん?」
黙っていたからか戸北が、様子をうかがうようにこっちをみていた。
「なんだよぉ」
精一杯目を細めて、睨んだ。
「そんなに怒らないでくださいよ。このあいだ酔ったときから知井さん機嫌がわるいって、みんないってますよ」
食堂で追田から渡された湯飲みには、烏龍茶と思ったらウーロンハイが入っていたらしい。
飲み干した後のことはよく覚えていない。
気がついたら自分の部屋だった。
「どうせみんなで、バカにしてるんでしょ」
「そんなことないっすよ。みんな本当は知井さんのこと心配してるんですよ。あゆみちゃんからメール届けばいいなって」
しらじらしいというのは、目の前あるこういう表情のことをいうんだろう。
本当に心配している人は、こういうときに髪の毛の立ち具合を気にしたりしない。
戸北は立たせた前髪を指でねじるようにつまみながら続けた。
「だって、あれっすよ、来ない返事待ちつづけるのってストレスっすよね」
じゃあなんで、この1年間1度も聞かなかったんだ。
ボクは何度も、スマホを振って返信のチェックをしていたはずだし、電波が途切れるというニュースも1年前から世界中に配信されていたのに。
誰もスマホのチェックしていることと、ニュースを結びつけなかったじゃないか。
みんなボクに関心が無かったんだろう。
あのまま終わったほうがよかった。
話が大きくなってみじめな気持ちが膨らんだ。
「でも、俺、ほんとに応援したいんすよ」
「もういいよ。そんな嘘」
うんざりとした気分で戸北をみる。
しかし、さっきまで髪の毛をいじっていた戸北が、急にしおれたように足元をみつめていた。
右手をこめかみに当て、神妙な表情でぽつぽつとはなしはじめた。
「なんていうか、俺も女にあんまりモテないんで、知井さんが大切に返事を待ってる気持がわかるっていうか。他人事じゃない気もするっていうか。俺ひどいっすよね。今回の賭け持ち出したの反省してます。ちょっとやりすぎっていうか、謝りたかったっす。知井さんに」
戸北は小さく、すみませんといって鼻をすすった。よくみれば目尻には涙も滲んでいるようにみえる。
「ど、どうしたの急に。大丈夫だよ。ま、まあ、ほらボク、なんだかんだいっても、もう大人だから。そういう経験いっぱいあるんだよ。そ、そんなに気にしなくていいよ」
「は、はい」
戸北はこめかみを押さえて鼻をすすった。
「と、ところで、知井さんの出身地はどこなんですか?」
「え、え? なんで?」
「いや……、な、なんとなく…、そのぉ…言葉が訛ったきがしたから」
「え、え? そうかな? 訛ったかな」
今のは確かに訛った。意識をしたら語尾のイントネーションが上がってしまった。
自分に興味を持ってくれたことに少し舞い上がってしまったのだろうか。
そういえば実家には何年も戻っていないことを思いだした。
戸北に実家の地名を伝える。
他人に実家の話をするなんて何年ぶりだろう。
久しぶりに口にした地名をきっかけに、なつかしい記憶が蘇った。
顔にでてしまったのか、なつかしいという思いが戸北にも伝わったらしい。
「実家思い出すと、なつかしい気持ちになりますよね。俺、犬飼ってましたよ実家で」
「ほんとに!? ボクも飼ってたよ」
「マジすか? 名前は? 初めて飼った犬の名前はなんていうんすか?」
「ハチっていう名前だったんだ。白くてかわいいかったんだよ」
「ほかに、飼ってた犬とかいますか?」
「そうだなぁ、それっきり飼ってないなぁ」
「知井さん、ご両親はご健在なんですか?」
「う? うん。おかげさまで」
「お母さんの旧姓はなんていうんですか?」
答えると戸北は少しほほえんだ。母親の顔でも思い出しているのだろうか。
なんだかんだいってもこの男も心根はやさしいんだなと、知井は感じた。
「おふくろの味とかあるんですか?」
「あるよ。いちばんはそうだなぁ、ありきたりだけど、肉じゃがかなぁ。最近は工場産のじゃがいもばっかりだけど、そのころはまだ庭の畑で採れたんだよ」
「肉じゃがかー、初めて見た映画は?」
「ん? 映画? あんまりみた記憶がないな」
「リタイアしたら住んでみたいところってあるんですか?」
「まだまだ、この仕事続けたいからわかんないよ。守衛所なら定年もないし。身体がメンテナンスでなんとかなるうちは現役でいたいな。医療の進歩ってすごいよね? あ、まだ戸北くんは若いからわかんないか」
「ところで、知井さん生年月日は?」
「え? 2000年10月25日だよ。なにプレゼントでもくれるの?」
 顔がにやけてしまった。プレゼントなんてもう何年ももらってないから。
「初恋の人の名前はなんですか?」
「それは恥ずかしくて……。まって……なんか聞いたことある質問だな」
「それから初めて乗った車は?」
「まて…、ねえ、まって、待って!」
「あ、あとそうだ好きな色とか」
「待ってよぉぉぉ! ねえ、その質問、ボクのクラウドサーバーの『秘密の質問』でしょ!」
「え、なんすか?」
戸北は目を見開いてボクをみた。
「さっきから聞いてるのさ、パスワード忘れたときの秘密の質問だよね!」
「秘密の質問…って、なんすか?」
「ふざけないでよ!」
戸北の右手をつかむと、手元から小さな機械が落ちてきた。
「さっきから、これ手で押さえてたんでしょ! これ、imaGeとつながってるの? だれかに聞かせてるの?」
知井が機械を耳にあてると、声が聞こえた。
『戸北ー、おまえ話の持って行き方が雑なんだよぉ! もっと丁寧に聞き出せよー、さっきから会話になってねーよ。吉原さん、まだっすか? 戸北演技ヘタすぎてそろそろバレますよ』
『画像とかなら出てくんだけど、あゆみちゃんの連絡先だけやたら厳重なんだよ、川崎、戸北に暗証番号聞きだすようにいってみて』
『おい、戸北! なんとかして、キャッシュカードとかによく使う暗証番号聞いてみて、おーい、戸北ー、戸北ー!』
まだこちらの状況には気づいていないようだった。
知井は機械に向かって怒鳴った。
「吉原さんと、川崎さんですか! ボクのサーバーにハッキングしようとしているの!」
『あ、やべ、バレた。なにやってんだよ戸北』
戸北が機械にすんませんといった。
「謝るのは、ボクにでしょうが!」
戸北に詰め寄ると『もういいいよ、切れ、切れ!』という声を最後に音声は途切れた──

次回 6月 9日掲載
『2人だけの更衣室』へつづく

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