河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
  前に戻る スマホを持つ手 次を読む

第5話『2人だけの更衣室』

稲留珠美いなる たまみは、更衣室におかれた3人掛けのソファを独占していた。
肘掛けに背中をあずけ、めいっぱい脚をのばし天井をみつめている。
守衛所の制服である千鳥格子柄のベストが、 珠美のつま先側の肘掛けに投げ出してあった。
ドアの上の時計は20時24分を示している。
「まだかよー、残業かなー」
珠美がソファにもたれたまま、うすくめを閉じかけたとき、勢いよくドアが開いた。
「すみません!! おそくなりましたっ!」
西倉にしくらルミが大量の荷物を抱えて駆け込んできた。
長い黒髪は少し乱れ、口元に張り付いている。
「すみません! なんか、終わりがけに吉原さんたちから、飲みに誘われてしまって」
ルミは肩に白いレザーのトートバッグ、両手にナイロン製、紙製、布製、様々な素材の袋をさげている。
「いいよー、こっちこそごめんねー、急にヘルプ頼んで」
「そんなことないですっ! 珠美さんのお役に立てるのとってもうれしいですっ! 吉原さん達も珠美さんと約束があるっていったら、あきらめてくれましたし!」
「ハハハ、根性無ねーなあいつら。なら最初から誘うなって」
珠美は笑いながら身をおこしソファに座り直した。
「ところでルミちゃんなんか、荷物すごいけど大丈夫?」
「はい! あ! そうなんです。珠美さんお酒とかあったほうがいいかなと思って! ビールいっぱい持ってきました! あ、それからワインも飲もうと思ってもってきたんです、この前お給料がでたときに買ったんですけ──あああ! やだ!」
「ど、どうしたの?」
ルミは手荷物の細長い紙袋を覗いたまま固まった。
「なんか、ワインの瓶、割れてました。えーやだショックですー、すみません! すぐにふきます! あでも代わりのワインはないんです! ショックですー」
「いや、いいいよ! アタシ、ビールのむから! ね、ルミちゃんまず落ち着こう。ね?」
「なんで割れたんだろ、転んだからかなー」
「そ、そうかもしれないね。と、とにかく気持ちだけもらっとくよ」

ルミは落ち着きを取り戻し珠美が座る3人掛けソファ左側の1人掛けソファに腰をおろした。
胸が突き出るほど背筋が伸び、まっすぐに肘が伸びた両手は、ぴたりと閉じた膝頭に押しつけられている。
「そんなに緊張しないでよ」
「い、いえ、よく考えたら、ワタシでお役にたてるんですか?」
「もちろんよ。アタシひとりで投票の集計するのめんどくさくなっちゃってさー」
「知井さんの、お、想い人から返事が来るかどうかの賭けですよね!」
「想い人って、古風なこというねー」
珠美が笑うと、つられてルミも笑いだし、体制を崩した。
「ま、いいよまずは飲もう! はい、かんぱーい」
珠美とルミは缶ビールを軽く付き合わせ、口元に運んだ。
「ふぁぁぁ、うまいぃぃっ。ルミちゃんもビールいけるの?」
「もちろんです!」
「めずらしいねー若いのに」
「仕事のあとはビール! ってよく聞くので!」
「わかってるねぇ、なかなか。そうなのよ、仕事がハードだとうまいのよねーやっぱり。今日なんてさぁー、金曜だってのに、人すくなすぎだったし」
「そういえば今週、珠美さんだけですもんね地下エントランスの受付。お疲れ様でした」
「ほんっとに、熊野のやろうさ、少し考えてシフト組めっての。なんで、ヘルプで受付してるアタシがシフトのメインになってんだよっての! ただでさえ女子すくないんだからさぁこの守衛所」
「そういえば、ワタシたち以外の女子、みなさん長期休暇中ですもんね」
ルミは、ドレッサーの方向に視線を移しながらいった。5席ある無人のドレッサーにはメイク用の照明がともっている。
「それにしても、なんで更衣室なんですか?」
「え? ああ。ここなら監視カメラとかないから。外に漏れないでしょ」
「なるほど! それで更衣室なんですね!」
「いっかいさー、熊野の野郎がここにもカメラつけようとしたんだよ。『うん、これ、規則だから』とかいって」
「さ、最低ですねそれ」
「ありえないでしょー? アタシ、上に確認しますねっていったら、すぐに引っ込めたけど。あいつも根性ないくせにスケベだからね。前の職場でもおんなじようなことしてたらしいし」
「小さい人なんですね熊野さん。体はホントに熊さんみたいなのに」
「ホントだよね。でもそのおかげで、この部屋には絶対、カメラやマイクの類いは設置されないの。だからちょうどいいのよオッズの集計とかするのにさ」
「あ! そうでした! 投票結果のまとめですよね! ワタシ、すっかりくつろいでました!」
ルミはトートバッグから立方体キューブ型の超小型ナノPCをつまみあげて、手のひらに載せた。
「あ、いいよパソコンはアタシの使うから」
珠美はテーブルの上に置かれたノートパソコンを顎でさした。
「これパソコンなんですか? おっきい! 書類くらいの大きさじゃないですか」
「倉庫にころがってたパソコンよ。ルミちゃんのだとネットワークの接続切れないでしょ? これくらい古い型ならオフラインにできるから」
「ほ、ほええ」
ルミは珠美が手元に引き寄せたパソコンを食い入るようにみつめている。
「ネットワークにつないじゃうと、上にばれるかもしれないから。あ、でもその“キューブ”貸して。ペアリングしてモニターにするから」
珠美がノートパソコンのキーを数回叩くと、ルミのキューブの上部からエアロビジョンが投影された。
「なんか明るくて見えにくいな。マネージャー! 照明すこし落としてドレッサー消して」
珠美が声を上げると室内調光器ライティング マネージャーが反応した。
天井全体の光はトーンダウンし、ドレッサーの照明は消灯。
エアロビジョンの映像は鮮明になった。
「よし、はじめよっか、ん?」
ルミが大きな瞳を潤ませながら、珠美をみつめている。
「珠美さん。かっこいいですぅ」

「256…、257…、258、259! 全部で259通の投票です!」
ルミは『投票箱』から最後の茶封筒を取り出し、束になった封筒の上に積み重ねながらいった。
「おっなかなかいいねー1口、5千円だから……、しめて129万5千円」
「そ、そんなに!」
「そこから、テラが…30%だから…38万8千5百円…まあ、悪くないね」
「テラってなんですか?」
「あ、テラ銭のこと。アタシの取り分」
ルミは口を半開きにして珠美をみつめた。
「オッズっていうのはね、胴元アタシの取り分をさっぴいて、残りを的中した人数で割った金額よ。戸北はバカだからいつもアタシがオッズの倍率決めてると思ってるんだけど。オッズは投票された総数と当たりの数で決まるの。たとえば、もしも誰か1人が、誰とも被らないシチュエーション予想して的中したら、90万6千500円を独り占めできるから、オッズは181.3倍ってことになるの」
「5千円が9、90万6千500円! 181.3倍!」
「でも、今回は結局『メールが来ない』がほとんどだから、1倍そこそこのオッズにしかならないってことよ。さて、それじゃまずは、封筒の中の投票用紙とお金が入ってるか数えて入力していこうか」
珠美は封筒の束を無造作に取り上げ、封を切り始めた。ルミもハサミを取り出して、切り始める。
「あ、ルミちゃん、いいよそんな丁寧にやんなくて、破っていいよこんな封筒」
「え、そんな」
珠美はどんどん、封筒を引きちぎっていく。
「なんだよ! こいつ、4千円しかはいってねーじゃん、ごまかそうとしてんじゃねーよ。ルミちゃん! メモしといて! 明日取り立てにいくから!」
「は、はい」
ルミは素早くメモ帳を取り出して、ペンで書き込んでいく。
「もー、銀さん。なにこの床屋利用券って。自分の店の無料タダ券じゃん。しかも手書きで」
「それもメモしますか?」
ルミは投票用紙をみるのをとめ、珠美をみた。
「あー、でも銀さんはいっか。世話になってるし。メモしなくていいよ、これはOKにしよう」
「はい。銀さんは…OKと」
「それから、ルミちゃん、句読点とか入れて20文字超えてるのは全部ボツでいからね」
「え、それじゃこの『返事は来ない。代わりに本人がやってくる!!』は…」
ルミは珠美に用紙を見せた。
「あー、最後のビックリマークが2つあるから21文字ね、ボツ!」
「そ、そんな…」
「いいのいいの、ルールまもんないヤツらが悪いんだから。それに、本人が来るって。どうせあたんないから」
「わ、わかりました! 全部ボツにします! 22文字、ボツ。これも、ボツ!」
「だんだんわかってきたね、ルミちゃん」
「はいっ! それにしてもすごく勉強になります。珠美さんはこうしてみなさんに楽しい時間を提供しているんですね」
「そんなにエラそうなことじゃないよぉ。…それに、まもるくんだけは楽しい時間じゃないだろうし」
「た、確かに。ほとんどの人が『返事来ない』って予想してますもんね」
「そりゃそうだよー。10年経っていきなり返事くるわけないでしょ」
「……なんだかワタシ、少し知井さんが可哀想になってきました」
「まあねぇ。アタシこのあいだ食堂で、ひたすらスマホ振ってる姿みちゃったんだよね」
「ワタシもみたことあります」
「あれみると、ちょっと罪悪感わくかもねー」
「ひたすら、振ってましたからねスマホ。……返事来た方がいいのかな……」
「それは困るわー、アタシの身体があぶない」
「あ! そうですよね! ダメだ。来ちゃダメだ! 知井さんには少し我慢してもらいましょう!」
「まもるくんは、いい歳なんだから現実みるべきなのよ。それよりも『返事がくる』に賭けてるスケベどもをどうしてやろうかな。みせしめにとんでもない罰ゲーム用意しないとだわー」
「吉原さんたちですよね。どんな罰ゲームにするんですか?」
「何がいいだろ、ルミちゃんなんかない?」
「そうだなぁ、みんなに募集して1番面白いの選ぶとかどうですか?」
「いいね! それ」
「なんか、土下座写真をimaGe上にばらまくとか…、世界中のディープな掲示板にかきこむとか…あ、それとも…」
「ル、ルミちゃん、なんかやなことあったら、今度相談のるよ……」
「あ、やだ! ワタシなにいってるんでしょうね、やだなぁ」
ルミは赤らんだ頬と口元を封筒で隠し──
「え、やだ! この封筒臭い!」
「え、誰だよーそれ」
ルミは顔を背けながら中身を取り出した。
「んん、なんだろう…読めません」
「どれ、貸してみて」
珠美はルミからメモ用紙を受け取った。
「きったねー字だなー、あー、これは……」
「それ、臭いからボツにしますか? いえ、ボツにしましょう!」
「い、いや、いいよ、一応OK、読めたから」
「珠美さん、汚い字も読めるなんて素敵です」
ルミは陶酔した表情で、キーボードを打ち込む珠美を見つめていた。

「よし! これで全部かな」
珠美は缶ビールのプルタブを起こしながら、ソファへもたれた。
グラフ化された集計結果がエアロビジョンのスクリーンに照射されている。
「どうですか」
ルミは珠美の隣に座りグラフと珠美を交互にみている。
「そうだねーやっぱり、何かしら返事が来ない関連の予想がほとんど……、ん?」
珠美は、眉を寄せた。
「ど、どうかしました?」
「なんか、少しへんだなと思って」
「や、やだワタシ間違ってました?」
「ちがうの。ここ」
珠美はビールを持ったまま、右手の人差し指で棒グラフの谷間になっている部分を指さした。
「この『いたずらメールが届く』っていうの、少なすぎると思わない?」
「そうですか?」
「適当なアドレスから送ればそれであたりになるんだから、アタシの予想ではかなり人数多いと思ってたのに」
「そ、ういえば。ズルしようと思ったら誰でもできますね。いたずらメールを送るって」
「吉原たちなんて、あゆみちゃんのメールアドレスを盗みだそうとしてたくらいだし」
「でも、吉原さんたちは『返事が来る」に賭けてるんですよね?」
「もしかしたら『いたずらメールが来る』のオッズを上げるために、誰か裏で操作をしているのかも」
「お、追田さんですか?」
「いや、追田さん今回あんまりのってこないんだよねー。半分あの人が言い出したのに」
「あ!」
「ん? ルミちゃんなにか気づいた?」
「す、すみません、違うんです。いま、imaGeにメッセージが来て」
「誰から?」
「と、戸北さんから」
「ルミちゃん、あんなやつに連絡先教えないほうがいいよ」
「はい。このあいだどうしても断れなくて……。あれ? 誰? この人」
「どうしたの?」
「知らない女の人の画像がついてるんです」
ルミはエアロビジョンに向かって手のひらを差し出した。
転送された画像がエアロビジョンに映しだされる。
スクリーンに現れたのは、丸く大きな瞳で三つ編みの女性。
「戸北さんのメッセージによると、え? 珠美さん、こ、この人が」
ルミの目が、画像の女性と同じくらい大きくなった。
「この人があゆみさん、だそうです」
「え!」
「ルミちゃんへ 珠美さんの手伝いどう? がんばってるー? なんか力になれればなって思って。画像が手に入ったから送ってみたよ! この人があゆみちゃんらしい!! それじゃがんばって。あ、もしなんか辛いことあったら俺はなしきくからね!」
「なにその、気持ちの悪い文は」
「と、戸北さんのメールです」
「終わってるわーあいつ、弱みにつけ込もうと必死になってる感じが気持ち悪い……でも、なんで戸北がこの画像をもってるんだ」
珠美は集計表とあゆみの画像を見比べながらつぶやいた。
「ちょっと調べてみる必要がありそうね……」

次回 6月16日掲載
『絶叫と驚嘆』へつづく 

掲載情報はこちらから
@河内制作所twitterをフォローする