河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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『第6話『絶叫と驚嘆 ― 前編 ― 』

「ばかやろう! だからダメだっていってんだろ!」
「お願いします。銀さん。お願いです」
知井は、仏頂面で腕組みをする銀にすがりつきながら頭を下げた。
「どうしても今日、髪を切りたいんですぅ!」
「だからいってんだろ! 床屋は月曜日、休みって昔から決まってんだよ」
江戸紫に染められた着流し姿の銀に凄まれ、知井は肩を縮めた。
「で、でも、今日は、2063年4月30日は今日しかないんですぅ」
銀の足元に目が行く。鼻緒まで粋にしつらえられた雪駄がみえた。
「だから、なんで今日じゃないとだめなんだよ。明日きやがれ」
より大きくなる銀の声に体がすくんでしまい、顔をあげられない。で、でも、引き下がることはできない。
「だ、だって、今日、電波がスマホの電波が止まるんです。あ、あゆみちゃんから今日返事がこなかったら、もう……。だから、その、じ、自分に渇をいれたいんです。だから、今日はその、仕事も休みをとってきたんです」
「そ、そういえば今日はあれだな、夕方から、あの、パ、パブリックビューイング的なことするって珠美から来てたな」
「ボク、主役だから綺麗にしてこいって……」
「…チッ…めんどくせえ」
銀は舌打ちをしながら吐き捨てるように言い残し店内へ消えた。
怒らせてしまったのだろうか。
あきらめて部屋に戻ろうとすると突然、店頭に置かれた3色のサインポールに光がともり、赤、青、白のラインがクルクル回りだした。
知井が驚いて顔を上げると、サインポール脇の『守衛所地下8階 怒髪天』とかかれた立て看板も白く光っている。
背後でキィと音がしてガラス扉が開き、中から銀が顔を覗かせた。
「特別料金とるからな!」
「あ、あ、ありがとうございますぅ!」
「よし。ビシっと丸坊主にしてやるよ。入りな」
そういいながら銀は、しかめっ面を少しだけゆるめて扉の隙間を少し広げた。
涙が出そうになった。
「おい、知井! 俺の店にしけたツラして入るんじゃねえよ。シャキっとしろ!」
「は、はい」
鼻をすすり上げて涙を押し戻し、一礼して『怒髪天』に入った。

銀さんの店を出て、食堂でご飯を食べるために地下2階でエレベーターをおりた。
頭をなでると、短い髪がさわさわとして心地よかった。
坊主頭の感触を確かめながら食堂に入ると、そこかしこで人が動いていた。
「おい! だれか真ん中にでっかいエアロビ出しとけよ」
いままで食堂でみかけたことのない熊野が、大声で作業の指示をだしている。
戸北が食堂の中央に走る姿がみえた。
みんな熊野の声に反応してあちこち動かされているようだった。
3枚の巨大なエアロビジョンモニターが立ち上がる。
真ん中のスクリーンにはかしこまった書体で『第9守衛所 改善ディスカッション ~レガシー通信機器停止にともなう今後の対策シンポジウム~』と表示されていた。
「おい! 戸北ぁ、imaGeの使用申請ちゃんと“会議”で報告してんだろーなぁ? 上にばれたら俺が怒られんだからな!」
戸北に向かって怒鳴り声を上げる、熊野が怖かったので食堂を出ようとしたが、みつかってしまった。
「おお、知井! 久しぶりだなー」
後ろからの声に思わず背筋を伸ばし、ギュッと目をとじた。
「なんだよ、おまえ坊主にして、気合いでもいれてんのか? でも、もし返信きたらゆるさねえからな」
熊野はボクの肩を叩きながら、ガハハハと笑った。
同時期に守衛所に入ったボクを置き去りにして、スルスルと昇進した熊野。
いまでは月に数回勤務するだけで、ボクより何倍も高いお給料を貰っている。守衛所の近くの街に家を買ったとも聞いた。
不満が顔に出ないように、力一杯笑顔をつくってあいまいに返事をした。
熊野ごしに見えた食堂は、いつものようなのんびりとご飯を食べるような場所じゃない。
積極的に参加したことはないけど、学校の文化祭を思い出した。
いつもは等間隔にならんでいるテーブルが向かい合わせに置かれて、真ん中に浮かぶ3枚のエアロビジョンの前面には、テーブルを集めてステージのようなスペースができている。
「知井、おまえ今日休みとってんだってな? うまいこと準備サボりやがって」
「す、すみません」
「休みだからって今日の夕方は、“会議”だからな! 休みとか、かんけーねーからな。夜勤のヤツらもリモートで参加するんだし」
3連スクリーンのうち右側のスクリーンには『守衛所における今後の課題と意見数』というタイトルと『テスト中』の表示があり、左側スクリーンは『参考資料』と、画面右上に『夜勤組ワイプテスト』とかかれた枠が出ている。
きっと、夜勤で外に立っている人たちにも、中継されるようになっているんだ。
「それまで、お休みしっかりとっておきます」
知井はそう言ってすぐに熊野から離れ、食堂をでた。

食堂が使えないなら他に行くところはない。
部屋に戻ることに決め、地下4階でエレベーターを降りると、1番奥の部屋のドアの前に制服を着た珠美の姿がみえた。
な、なんで男子側の居住区にいるんだろうと思った途端、珠美はいきなりドアを蹴り出した。
「おい! 兵名へな! いるんだろー! 出てこい!」
珠美の足元を見ると、淡い色で統一された女子の制服に全く合わない厚底の黒いブーツを履いていた。
ドアが蹴られるたびに、重たい金属音が響いてくる。
奥の部屋は、兵名 治海へな おさみの部屋だ。
「おらぁ! 兵名! おまえ、掛け金足りてねーんだよ! 出てこい! ヘナチョコ!」
ひとしきり蹴った後、珠美はピタっと蹴るのを止め、ドアの右側に身を伏せた。
か細く、ドアノブが回転する音がした。
細い隙間から、兵名が外を覗く顔があらわ──
珠美がドアノブを掴んでドアをこじ開けた。
ドアノブが抜けるんじゃないかと思うような、速さだった。
勢いで兵名が前のめりになって廊下に飛びでそうになったが、ドアノブにしがみつき必死の形相で再びドアを閉めようとした。
しかし、珠美の分厚いブーツがしっかりとドアの隙間に挟み込まれていた。
ドアがブーツにあたる鈍い音に、兵名が大きく口をあけた。
「お前さー、掛け金足りてねーんだよ! わざとだろ?」
珠美の声が廊下中に響いた。
「い、いや…、か、会場で…わたそうと…」
戦意を完全に失ったような、微かな声。
「うそつけ! おまえ今日、夜勤だろ? シフト全部調べてんだよこっちは! 千円払え!」
「あ、あのいま、無くて…あとでちゃんと持って行きます」
「信用できないねーそれは、誰かに立て替えてもらうか、それとも……」
珠美はそういって、周囲をみわたした。
「お! まもるくーん」
目が合ってしまった。
きっと立て替えを要求されるに決まっている。
「んにゃにゃ、やだよぃお」
ボクは叫びながら自分の部屋の前まで走った。
ドアを開け中に入り、すぐに鍵を掛けてベッドに潜った。
「…すみませんじゃねえ!」
珠美の声は、部屋の中まで聞こえてきた。
もういやだ。
ボクは廊下でのやりとりが聞こえないように、枕で両耳をふさいだ。
枕が擦れシャワシャワと髪の毛が音をたてた。

そのまま、眠ってしまったようだ。
スマホの時計は18:58を示していた。
スマホをふって、返信をチェックする。
ふっても、ふっても、何回ふっても。
タップしても、タップしても、布団の中で光るディスプレイには『Empty!!』の表示。
あと、5時間ほどで、あゆみちゃんとのつながりがなくなる……かもしれない。
このまま、布団の中で返事を待っていようか。
お腹が痛いっていえば、会議休ませてもらえないかな。
アドレス帳から『稲留珠美』のimaGeアドレスを呼び出して、音声通信ボイスしようとしたとき、チャイムが鳴った。
「知井さん、いますか?」
兵名の声だった。
「知井さん、あの、自分、珠美さんに頼まれて……中にいませんか?」
さっきの弱り切った顔を思い出してしまいドアをあけると、兵名がうなだれて立っていた。
「知井さんを食堂に連れてこいって、珠美さんたちが。お願いします」
「う、うん……」
ボクが欠席したら兵名が怒られるんだろう。
これ以上負担を掛けさせるのが気の毒だ。
「わかった。行くよ。ボクが主役だもんね」
知井は靴を履き終えて立ち上がり、兵名と並んで食堂へ向かった。

次回 6月23日掲載
『絶叫と驚嘆 ― 後編 ― 』へつづく


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