河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第10話『 配当金の行方 − 前編 − 』

耳をつんざくような、けたたましい音だった。
「痛って!」
突然の警告音に軽くめまいをおぼえ、身体を起こして目を開くと視野内のど真ん中に真っ赤な警告メッセージが表示でていた。

『お母様からの生存確認です
 本日の返答が完了していません。
 あなたは 桜 夏男 さんですか?
 YES  NO』

『YES』を選択すると音は止んだ。
あたりが急に静まりかえった。
ベランダに通じる窓のカーテンの隙間から、光が差し込む。しかし部屋全体は薄暗い。
視野右上の時計は『13:05』を示していた。
体勢はVRチェアに座り昨日『ブリンカー』へログインしたときのままだったが、imaGe用の”メガネ”はいつのまにか腹の上に落ち、視野はコンタクトレンズ側に切り替わっていた。
「うわぁ、マジかよ。寝落ちかよ……。……あったまいってぇ」
警告音が鳴り止んでも頭痛は止まず、脳内全体がぼんやりとしている。熱や咳の症状はないから風邪ではなさそうだ。すると飲み過ぎが原因だろうか……。
「もしかして、これ……、“幻酔”げんすい!?」
デジタル酒はいくら“飲ん”でも、VRモードからログアウトすれば酔いは醒める。
しかし、度を超した酩酊状態を長時間つづけていると現実に戻ってからも酔いの感覚を引きずる“幻酔”と呼ばれる症状がでると聞いたことがある。
単なる都市伝説だとおもっていたけど、まさかホントに体験するとは思わなかった。共有シェアのいいネタになると思って、imaGeアイコンの中からシェアツールを呼び出そうとした──
「はぁっ!?」
時計横の『所持金』表示に目がとまった。
imaGeの電子マネー残高が『¥  2,968』になっている。
「えぇ。なに、なんだよ。これ!」
昨日のレースの勝ちは10万円を超えていたはずなのに、残金が3千円弱しか残っていない。
『財布』アイコンを呼出して『全財産』のタブを開き、別のカードへ残高を移していないかを確認する。が、ない。
どこにもない。昨日の勝ち分10万円がごっそり消えている。
深く息を吸って、吐いた。
思い出せ。
どこかに落としたのか?
いや、時代劇や近代劇でみかけるような、酔っ払いでもあるまいし千鳥足で道ばたをうろついて落とすようなことはありえない。
この部屋から『ブリンカー』へアクセスしたのだから、そもそも外に出ているはずがない。
それじゃあ、使ってしまったのだろうか?
いやいや、酔っていてもデリカーやつまみに数万円をつぎ込んだりはしないだろうし、昨日はほぼタンジェントの決済おごりだったはず。
じゃあ、どこに? 配当金はどこにいった?
額に冷たい汗が滲んできて、部屋の温度が下がった気がした。
身体が震える。
「ねえ、エアコン止めて」
imaGeへ音声で告げ冷房を停止させ、VRチェアに座ったまま回転させて窓側へ身体を向ける。
カーテンをひらき窓をあけると、雨はいつのまにか上がっていて湿気を帯びた生ぬるい風が部屋の中に流れ込んできた。
普段なら不快に感じるのだろうけど、冷え切った身体には心地よかった。
風に吹かれながらVRチェアに身体を預け、幻酔でガンガンする頭をなんとか働かせようと試みるが、記憶からはなにも呼び起こせない。
しかたがない。
面倒なのであまり使いたくないけど、昨日の記録を呼び出そう、こういうときは、記憶よりも記録だ。
いつもはimaGe視野のホーム画面から、左側へスワイプさせるアイコンバーを右側へスワイプする。
アイコンが置かれていないことを示す『●』が点々と並ぶだけの空白ブランクページが現れた。
「何番目だっけな……」
おぼろげな記憶を頼りに、下段左から3番目の『●』に焦点を合わせると『●』が反応を示し『TOPIC』のアイコンが立ち上がった。
『TOPIC』は、imaGeの標準機能である『VRモード』のログ確認ツールの中で、現在では最も利用者の多いアプリケーションだ。
自分の視点として“見た”VR内の映像と、その場の音声や感覚データ、感情の保存と追体験さいせいが手軽に行える。
『TOPIC』のコントロールパネルから『詳細な条件』を呼出し、『酩酊状態』の感覚だけを除外してから『時間帯』を昨日のレース後から今朝までの範囲に合わせ、実行ボタンを押した。

『-追体験モードを起動します-
 長時間使用による記憶の混同をさけるため、
 連続してのログインは避け適度な休息を
 とってください』

メッセージがフェードイン、フェードアウトして、目の前がホワイトアウトした。

「オイ、ハルキー! 起きてんのか? アバター自動操縦にして寝てんじゃねえの?」
「ね、ねてないよ」
(絡んできたチクリンに自分が返答していた。声を発していないのに、過去の自分が発声しているこの妙な感覚が苦手でこのアプリをあまり使わない。違和感がくすぐったいので、流れ込んでくる記憶や感情に身を任せることにした)
「チクリン、荒れすぎだよー。今日のメインレースより荒れてるよー」
「なんだよぉ、ぅるへーよタンジェント」
「音声がバグってるよーチクリン。飲み過ぎ、飲み過ぎ」
「へん! 今日の負けぐらいで俺がヘコむとでも思ってんのかよ! こっちはたんまり稼いでんだよ」
「エロアバターってそんなに儲かるの?」
「だーかーらー、ハルキ! セクシャライズアバターな、セクシャライズアバター。最近はなぁ、完成品だけじゃなくて自作する人向けにアバターセクシャルアドバイザーもはじめたんだ。人気あんだぞ。だから競馬に負けても痛くもかゆくもねえんだよ」
「確か、チクリンのアバターって顔はいまいちだけど乳首がいいって評価されてるよね」
チクリンの経営するヴァーチャルショップ『チクリニック』の商品を評価する五角形のレーダーチャートはどれをみても歪んでいる。ルックス評価は『☆1』から『☆2』なのに、バストやボディの評価は『☆5』という評価を外さない。
「乳首じゃない。乳頭といえ」
頭に蝶ネクタイを巻いたまま、チクリンが真顔でこちらをみた。
「いいか。ハルキ、乳首じゃない。乳頭だ。乳頭。乳頭はロマンだ。すべては乳頭で決まるんだ。なあハルキ。アバター創るのになんで専門家が必要かわかるか?」
「わ、わからない」
「大量生産やお仕着せの作成ソフトじゃ応えられないニーズがあるからだ! いいか! ユーザーが100人いる。そしたら100通りのこだわりや情熱がある。そのニーズの先端が乳頭だ! 大きさや形だけじゃない。ほんの僅かな差にこだわる大勢のマイノリティだ! 中には自分の好みをはっきり具現化できていないお客も沢山いる。だからオーダーメイドシステムがどれほど発達しようと、アルゴリズムだけじゃ理想形には至れない。統計じゃないんだよ! その好みに合致する成果物だけが必要なんだ! いいか、乳頭と乳輪の比率には黄金比がある。でも、ただ整っているだけじゃ美しいとはいえない。そこに込められる情熱が大切なんだ。色調、色彩、光度。歴史の中で描かれてきた名画と同じだ。そこに見いだされるカタルシスは理屈じゃない。俺は最終的に乳輪の傾斜角、直径、光沢をきめる光の反射率まで操作してユーザーの期待に応える。セクシャルなアバターの本当の価値は乳頭のクオリティで決まるんだ」
チクリンはデリカーを飲み干し、ゴミ箱へ放りなげ、新たなデリカーを手に取った。
「ち、乳首にそんなにこだわりないよ俺」
「ハルキ。乳頭だ。乳頭を楽しまなくてこの世の中、何を楽しむんだ。いいか俺が創る乳頭はどんな角度から光をあびても、自然かつ淫靡な色香を発揮できる光沢をもってる。いわば乳頭界のブリリアントカットだわかるか? ハルキ?」
「ねーチクリン。それは、ブリリアントカットでいいの?」
タンジェントの声がした。
「え?」
チクリンとほぼ同時に聞き返していた。
「乳頭なのに、そんな硬そうなネーミングでいいのー? 柔らかい物なんじゃないのー?」
「い、いいんだよ! タンジェント! 光の加減の話なんだからよ」
「そっかねー、そういうもんか。それにしても、そんなにこだわりがあるなら、チクリンはチクビンとかに改名すればいいんじゃない?」
「なんだよその変な名前は」
「チクリニックっていうお店の名前も似たようなものだよねー? ハルキ?」
「タンジェント、もしおまえの本体に出会うことがあったら即座に、物理的な打撃でダメージあたえてやるからな」
突然、チクリンは卑猥な笑い顔を作ってタンジェントに近づきはじめた。
「……それともあれだ、タンジェント、いまここで違うお仕置きしてやろうか。前から気になってたんだけど、おまえ現実リアルでも、そんな美少女みたいな見た目なのか?」
「え、や、やめてよ、チクリン、気持ち悪いよー」
タンジェントが真っ正面からチクリンを睨んでいた。
チクリンは両手を卑猥にニキニキしく動かしながらタンジェントににじり寄る。
チクリンの表情は読み取れなかった。
驚いたことにチャットルーム側の判断でモザイク処理が施されていたからだ。R指定で囲った自由度の高い部屋で、一体どんな顔をしたらモザイクが入るんだろう。
「んん? 確かめてやろうか……タん、ん、んぎゃああああああ」
しかし、タンジェントに迫ったチクリンが突然叫びだした。
チクリンの顔にかかっていたモザイクが消えて表情が戻る。
タンジェントは指先からは電流のような閃光を放出している。
アバターの表情描写をオフにしたような無表情で、今度はタンジェントの心情が読みとれない。
「え、タ、タンジェント」
呼びかけるとタンジェントが表情をとり戻した。
「もっとお仕置きしよーかー、チクリン」
タンジェントがチクリンに両手をかざした。
「や、やめろよタンジェント、冗談! ごめん! ぎゃああああ」
手をかざしたタンジェントの指先から、電流が散った。
「反省してるー? チクリン」
「はい、はいいい!」
チクリンは電流に身をよじらせながら土下座をしていた。
「他人のプライベートを詮索したらだめなんだよー。チクリン」
「怖いわぁ、タンジェント。その執念やっぱり、おん……」
タンジェントが手をかざすとチクリンは即座に口をつぐんだ。
「た、タンジェント。そ、それなに?」
「ん? あーこれはね、いま開発している“感覚アクション”」
「か、感覚アクションってなに?」
「そーいえば、ハルキにワタシの仕事教えたことなかったねー。ワタシね、感覚再現技師やってるんだー」
「か、感覚再現?」
「そーだよー、つまりー、神経が感じ取る感覚を数値化して、仮想空間内の感覚プログラムつくってるんだよー。ちなみに今のは、チクリンみたいな変質者の動きを封じ込める“高圧電流”。ハルキもくらってみる?」
タンジェントはまっすぐにこちらをみて、右手を差し出した。小さな雷のような電流が掌の表面を行き交っていた。
アクションやRPG系の空間ならこういう効果エフェクトはそこら中に転がっているんだろうけど、仮想空間の部類では比較的現実的な、ただのチャットルームでは見かけたことがない。
「冗談だよー。でも、これは見た目ほど威力は強くないよー。光が大げさにみえるだけでさぁー。さすがに人体に影響がでちゃうのは一般ルームで再生できないしー」
「いや! 俺、マジで意識飛びかけたぞ。それ、絶対に違法なコード組み込んでるだろ?」
「チクリンには特別仕様の使ったけど。一般に販売しているのにはそんなアブナイことしないよー」
「なんだよ! 特別仕様って……」
タンジェントが手をかざすとチクリンはピタリと黙る。
「す、すごいねタンジェント。そんな仕事してたんだ。感覚を再現する仕事なんてあるんだね」
「そりゃあるよー。ハルキだってさー、いまデリカーで酔った感じがしてるでしょ? それも同じだよー。酔った状態を再現するプログラムが走って、脳内で“酔い”が再生されるんだから」
「え!? もしかして、デリカーもタンジェントが作ったの?」
「まさかー。それ開発してたら、とっくに遊んで暮らしてるよー」
「いや、タンジェントは、競馬の儲けで充分遊んで暮らせてると思うけどな、あ! 違う! これいい意味だからね! た、タンジェント」
チクリンが頭を両手でかばいながら猫なで声をだした。
「まあね、いえてるー。でもデリカーは本当にすごいプログラムだよ。感覚部分の再現をみてもねー。リアルなんだよねー、酔い方が。1本飲んだら、1本分の酔いが積み重なっていく感じとか」
「そうなんだよなぁ、この酒。ホントに酔ってるみてえなんだよなー。気づくと飲んでるんだよな。やばいウィルスでも仕込まれてんじゃねえのかと思うくらいやみつきになるというか」
チクリンがしみじみとデリカーの瓶を眺めてながらいった。
「そういえば、チクリン。スタンプカードものすごいことになってるよ」
壁のスタンプカードは、飛び出したスタンプがカードの枠にもベタベタと張り付き、もはや原形をとどめない状態になっている。
「そーだよ! そういえば! これどーなってんだよ! プレゼント、出てきやしねーし。もう今日だけで何本飲んだよ?」
チクリンの飲酒量は半端ではなかった。
毎週デリカーの量は尋常じゃない量だけど、今日はタンジェントのおごりであることも手伝ってか。さらに摂取量が多い。
「ハルキ、マジでクレーム入れてやろうぜ! デリカーの販売元によ!」
「そういえばさ、デリカーの販売元ってどこなの?」
「そ、そういえば、聞いたことねえな」
チクリンも知らないようだ。
「ねえねえ! 今ね、調べてみたんだけどさー、このスタンプカード、自動でプレゼントは出てこないらしいよー」
「え? タンジェント、マジかよそれ!」
「そうそう。バカだなーチクリンは、説明読んでなかったの?」
「いちいち、バカバカいうんじゃねえよ」
「だって、バカなんだもん。んっと、スタンプを集めた枚数に応じてプレゼント! ってあるね。最高枚数は256枚だって。ちなみに今のスタンプは何枚かな……と」
「え? それ見れるの?」
「あたりまえだよ、バカだなーチクリンは……あっ!」
「どうした?」
「チクリンすごい偶然だよー! 253枚貯まってるよー! スタンプ! あと1人1本ずつ飲めば最高枚数のプレゼントもらえるみたいだよー!」
「マジかよ。なんか都合よすぎねえかそれ。クレーム入れようとしてるのバレてるんじゃねえの?」
「でも、ホントにあと3本だよー」
「まあいっか。よし、じゃあ1人1本飲んじまおうぜ!」
チクリンは3連続で“デリカーの購入”アクションを実行した。
「よし! タンジェント!」
チクリンが投げた瓶をタンジェントがキャッチする。
「ハルキ行くぞ!」
「い、いや、もう飲めないかも」
「はぁ? おまえ空気読めよ、ここが正念場だろ? いいからほら、かんぱーい」
この場に及んでもまだ喉を鳴らしてデリカーを飲めるチクリンが恐ろしかった。
タンジェントも割と平然と飲み干しにかかっている。
なんだか自分が情けなくなってきた。
一気に飲み干そうとデリカーのフタを開けて垂直に持ちあげた。
「お! ハルキやるな」
「ダイジョーブ? ハルキ無理しなくていいよー。飲んであげよーかー?」
タンジェントにかっこわるいところは見せたくない。
なんとか、デリカーを飲み干した。
「おーし、ハルキ。おまえその瓶、ゴミ箱に入れていいぞ」
「い、いいの?」
「ああ、よく頑張ったじゃねーか。最後の1本ぶん投げていいぜ!」
「よーし」
デリカーの瓶をゴミ箱へ投げ捨てた。
一瞬の間があって、スタンプカードはゆっくりと光はじめた──



次回 7月28日掲載
『 配当金の行方 − 後編 − 』へつづく

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