河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第11話『配当金の行方 - 後編 -』

デリカーのスタンプカードが放った光は、部屋全体を白く染めるほど膨れあがりやがて、すっと消えた。
眩んだ目をこらしてみると、スタンプカードを背景に1枚のTシャツがはためいていた。
ひらひらとなびく様子は『ブリンカー』の陽射しのせいか、夏の昼下がり風にふかれる洗濯物を思い出させた。
「こ、れは……」
チクリンが躊躇がちに、壁際へ近づく。
タンジェントはモニターを見つめたままいった。
「どうやらそれ、アバターコスチューム“デリカーTシャツALC9アルクナイン”ってアイテムらしいよー」
「お、おう……。……な、なんだろうな……、この……なんともいえないダサさ……」
チクリンは、Tシャツにゆっくりと手を伸ばした。
「はぁ!? なんだこれ! 手触りの再現ハンパじゃねーぞ。ホントに布に触ってるみてーだわ。ハルキちょっと触ってみろよ」
“立ち上がる”アクションをとって、手招きするチクリンに近づきTシャツへ手を伸ばす。手に生地の感触が伝わってきた。
「え!? なにこれ! あれ?」
思わず自分のアバターの頬に触ってみた。皮膚の感触はいつも通りのっぺりとした平坦な感触なのに、Tシャツの肌触りはなんともいえない滑らかさと細かい布の起伏を感じるリアルな手触りだった。
「だよな! やべーよな! これ! 自分の手がものすごく敏感になったみてーに、リアルだよな! 本物のTシャツに触ってるみてーだわ」
チクリンはTシャツに頬をこすりつける。
「どれどれー? ホントだー。これは気持ちいいねー」
めずらしいことに、タンジェントも席を立って歩いてきた。
「あーほんとだー。さすがデリカーの商品だねー。ものすごく細かい調整してあるんだろーなぁこれ」
頬をすり寄せているチクリンから、Tシャツを奪い取りタンジェントが、裾や首元の縫い目を指でなぞった。
「そっかー、ナノレベルで素材のスキャニングしてるんだ……、感覚のパターンも実体を正確にトレースして並べてるのかー、さっすがだなー」
タンジェントの目は次第に細くなり、まるで親の敵のようにTシャツを睨みだした。パドックで馬をみるとき以上の厳しい目つきだった。
「タンジェント、それよかったら着てみろよ」
「いや……、いいや……」
タンジェントが聞いたことのない低い声でこたえた。
「た、タンジェント?」
「え? あー。アハハ、いや、いいよー、これ着ちゃったら悔しくなっちゃうよーこんなにリアルな感覚再現できちゃう人がいるのわかったからー。それにー、……ちょっと、ダサいかなぁーって」
「そうだよなーこれ、もったいねーよな。手触りからして着心地よさそうなのにさー、ダセえんだよな。よし、ハルキにやるよ」
「ダサい、ダサい、いわれたおした服いらないよ!」
「おまえなら似合うんじゃねーか、そのなんだけ、サムエル? サルエル? パンツなら」
「サルエルパンツね。サルエル」
お気に入りのコスチュームであるサルエルパンツを強調してやった。
「前から思ってたけどよ、ハルキのサルエルパンツと素肌にジャケットってなかなかアレな組み合わせだよな」
「え!? なんで? 往年のダンススタイルだよこれ? なにいってんのチクリン」
「いやいやいやいや、おまえ、それかなり偏ってるからな! 一時代を築いたファッションなのは認めるけど、けっしてスタンダードじゃねーぞ!」
「そ、そんなことないよねぇ! タンジェント」
タンジェントは、モニターを顔の目の前に寄せ目元を隠していた。返事がない。
「え!? た、タンジェントまで……」
「だーかーらー、1回着てみろって! そのTシャツ。サイズもでかめだし、そのパンツに合うかもしれないって」
チクリンが空中ではためくTシャツを突きだしてきた。
「わ、わかったよ」
Tシャツをうけとりアバターの『箪笥チェスト』へ一旦格納してから、改めて『箪笥』を開いてTシャツを呼び出す。
身につけてみると、いままでどんなアバターコスチュームを装備しても感じたことのない滑らかな布の質感を感じた。
「お、似合うじゃねーか! よしそれやるよ」
「いや。チクリンみてないでしょ」
「そんなことねーよみたよ! 似合う似合う。なあ? タンジェント」
タンジェントへもう視線を送るが、絶妙に逸れた目線を保っている。
「調べてみたらー、そのTシャツ、“ループそよ風”エフェクトもついてるみたいだねー」
「そーいえば、ずっとひらひらしてんなそれ。涼しいのか?」
「なんだろう、そういえば全身がスースーするかも」
Tシャツを“着て”から身体の表面にずっと風がふきつけているような感覚が続いている。
「それにしてもよー、あんだけデリカー飲んで、Tシャツ1枚ってケチくさくねーか? やっぱりデリカーにクレームいれてやろーぜ」
「それはムリだよー」
「なんでだよ! タンジェント」
「さっきチクリンが騒いでたから調べてみたけどねー。どうやら本社はエデルの中にあるみたいだよー」
「え? 本社、上空うえにあんの? ふざけんなよー」
「上空都市だとダメなの?」
「あたりめだろ。いいかハルキ。上空うえ地上したでデータのやり取りするのは、とんでもなくめんどくせーんだよ」
「そ、そうなの!?」
「そーだよー、そんなことも知らねえのかよ。データの送受信はチェックが入るから、クレームを書き連ねたメッセージなんて送れるわけねーんだよ。情報制限されまくってるから、エデルに関する話は“噂”が多いんだぜ」
「そんなに面倒なんだ。じゃあ、チクリンが直接上空都市にいって、デリカーに文句いいにいったら?」
「ばーか! それこそめんどくせーわ! 上空にいくエレベータ乗るのに審査があんだぞ」
「審査!?」
「おまえホントになにも知らねぇんだな。エレベーターの搭乗口に守衛所があって、本人の経歴とか素性はもちろん、入都にゅうとの目的とかも根掘り葉掘り聞かれたうえに、荷物とか所持金まで徹底的に調べられんだぞ」
「チクリン、やたら詳しいね」
「おう。まあな。昔、上空に住んでたことあるからな」
「え!? チクリンが!? チクリン、上空市民だったの?」
「おう。これでも元上空市民だからな」
「へー、チクリン、たった1週間でも、住んでたっていうんだねー」
「う、うるせぇなタンジェント。あんなところ1週間で充分だろ。どこにいくにも、なんだっけあの面倒なヤツらがついてくるしよ」
「上空都市守衛官のことー? ちゃんと住民登録している人にはつきまとったりしないよー」
「なんだ、チクリンただの旅行じゃん」
「う、うるせーよ。いちおう仕事でいったんだよ! それよりハルキは上空いったことねーんだろ? それよりはマシだろ!?」
「そ、そりゃそうだけど、チクリンが元上空市民なんて見栄はってたから」
「見栄じゃねーよ。言葉のあやってやつだよ。でもマジで、いっかいは行ってみるべきだぜ、ハルキ。人生経験に。おまえ話きいていると経験少なすぎるぜ」
「い、い、いや、いいよ。興味ない」
「おまえなー、若けぇのに好奇心がねーな。だからあれなんだな、乳頭にも興味ねーとかいっちまうんだろうな」
「ちく…、いや、乳頭は関係ないよ!」
危なくまた乳頭の話をさせるところだった。
「たしかにねーハルキはまじめかもねー」
「た、タンジェントまで、そんな……。だ、だってほらさ、あの、旅行の予定もないし、仕事もしてないから上空都市にいく理由ないでしょ?」
「理由なんて作っちゃえばいいんだよー、ハルキー!」
タンジェントが今日いちばんの笑顔をみせながら、手元のエアロビジョンスクリーンを裏返す。
「じゃーん! これだよ! ハルキが上空都市守衛官になっちゃえばいいんだよ!」
「えっ!?」
「ちょうど募集してるみたいだよー、下級上空都市守衛官!」
「下級? 上空? え? なに?」
「なあ、タンジェント。上空都市守衛官の求人ってそんなふつーにあんのかよ?」
「そーみたい。第9守衛所で募集がでてたよー」
「第9って、あれだよな? エデルの真下にあるとこだよな?」
「そうそうー。下級っていうのは地上勤務の方なんだけど。ハルキ、これはチャンスだよー。下級上空都市守衛官の実務経験を積んで、上級上空都市守衛官になれたら、上空都市勤務だよー。本当に上空市民になれちゃうよー」
「それいいな! ハルキ! 応募しろよ! おまえ仕事ないんだろ?」
「応募方法は、履歴書を送付のうえ面接による試験を行います。って書いてあるねー、履歴書は紙製のものに限るだって」
「なんだよそれ? 紙製の履歴書ってなんだよ?」
「チクリンも世間知らずじゃないかー、履歴書ってもともは紙に書くものだったんだよー」
「紙に書くって、タンジェント、個人情報を紙に書くのってどうなんだよ、危なくねーのか?」
「たしかにねー、不用心といえば不用心だよね。パスワード設定もできないし、盗られたら丸ごと個人情報盗まれちゃうんだし」
「まあ、とにかく履歴書だな、履歴書! ハルキ、履歴書を書いて応募するぞ!」
チクリンが、ものすごく近くまで顔を寄せてきた。とぶわけが無いけど唾がとんでくるんじゃないかと思うくらい近い。
「ま、まってよ2人とも。まず、上空都市の真下って、それ、かなり重要な場所なんじゃないの? すごい人ばっかりのとこなんでしょ?」
「そりゃそうだろ。重要地区だぞ。エリート集団に決まってんだろ」
「ム、ムリだよ。それに家からも遠いしさ」
「ハルキの家からなら飛行機ですぐだよー。それに、第9守衛所は居住スペースが併設されてる滞在型の勤務らしいから通勤はないみたいだよー」
「ひ、飛行機?」
「やったじゃねーかよ! 住むところも仕事も確保できるならいいじゃねーかよ! 応募してみろ!」
「そーだよ、ハルキー。そしてそのまま上空市民になっちゃえ、なっちゃえ!」
「い、いや。ムリだよ」
「なんでそーなるんだよ、ハルキ」
「い、いや……」
「どうしてー? ハルキ」
「い、いや」
「根性ねーなー」
「だから! ムリなんだって! 飛行機とか、空の上に住むなんて! 高所恐怖症なんだから!」
一瞬『ブリンカー』がシンッ…として、Tシャツがパタパタと身体に触れる音だけが聞こえた。
「は、ハルキ……」
タンジェントとチクリンが声をそろえて名前を呼んで、やがて笑い出した。
「マジかよ! おまえ高所恐怖症なの?」
チクリンがガシガシと肩を叩いてくる。
「飛行機も乗れねーの? なんで?」
「だ、だって、高いところで、もし、なにかトラブルがあったりしたらさ……」
「もしかしてよ、落ちたりするのが心配なのか?」
頷くことしかできなかった。
チクリンは盛大に、ため息をついた。
「情けねえなハルキ。おまえさ、飛行機がどうやって飛んでるかしってるか? 『エーデル・フロート』で飛んでるんだぜ? 浮遊物質だぜ? ほっといてもフワフワ浮かぶような物質使ってる飛行機が落ちるわけねーだろ?」
「そーだよ、ハルキ。少しは科学を信じた方がいいよー」
「そんなこといったってさ、タンジェント怖いものは怖いんだよ」
タンジェントの方を振り向く、と、さきよりも近くに迫ったタンジェントに、

手を握りしめられていた。

そして気がつけば、身体が空のど真ん中に放り出されていて、落下していた。雲を突き抜け、ものすごい風圧で、地上が勢いよく近づいてくる。
突然の出来事に意識が遠のきかける。隣で落下しているチクリンも半狂乱で手をばたつかせている。
「い! え? え? え?」
「大丈夫だよ。ハルキ。ほら、こっちみて」
 いままで聞いたことのない。ゆったりとしたタンジェントの声がする。隣で一緒に落下しながらも、しっかりと握りしめられたタンジェントの手は、しっとりとして柔らかい。
「肩の力を抜いて。呼吸を整えて」
 タンジェントの声に従うと、恐怖が少し和らいだ。
「そうだよ、心拍数が落ち着いたね。やればできるじゃないか」
頷くと、急に空が消えた。
そこはいつもの『ブリンカー』だった。
チクリンは床の上でまだ手足をばたつかせている。タンジェントは驚いたことにまだ手を握てくれたままだった。
「へへへ、ハルキごめんねー、びっくりした?」
「え? タンジェントがやったのいまの」
「そーだよー。スカイダイビング用の落下感覚と空の風景を使ってみたんだよー」
「みたんだよー、じゃねーぞタンジェント!」
「チクリンもごめんよー。ただ、高いところにいったときのハルキの様子をみてみないとさー対策も立てられないじゃないか」
「た、対策って?」
「試してみてわかったよー。ハルキは女の子に手を握られてるときは落ち着いていられるんだねー」
「え? ちがうよ、タンジェントだからだよ、いや! なに、なにいってんだろ」
鼓動がものすごいテンポで心臓をならしている。
(この辺りだ。この辺りから記憶が曖昧だ。今にして思えば、あの“スカイダイビング”で急激に酔いが回ってしまったのだろう)
「なんだよ、ハルキ。女で解決できるのか? それなら俺に任せとけよ。おまえの高所恐怖症なんとかしてやるぞ」
チクリンが、親指で自分を指した。
「ど、どうやるの?」
「それはヒミツだけどよ、間違いねー方法だ! 安心しろ! ただ、ちょっとだけな、金が必要になる」
 チクリンが右手を差し出してきた。
「へ? はに?」
(明らかに、ろれつが回っていない)
「おまえ、今日のメインレースでしこたま儲けたんだろ? あの勝ち分で手を打とう。な? な? 悪い話じゃないだろう?」
「へあぁ? なんへ?」
「考えてもみろよ。高所恐怖症が克服できたらさ、飛行機に乗れる、守衛所にいける。なんなら上空都市にも住める。おまえの人生バラ色だろ? そのための投資だと思えば安いもんだろう。どうせ金持っててもろくな使い方しないんだろ? だから、な? ちょっとさ俺に預けてみろよ」
(そうだった。確かこの後、チクリンが無理矢理……)
チクリンの手が伸びてきて無理矢理、右手を握る。同時に『ブリンカー』に登録されているジェスチャーに“決裁する”というのがあったことを思い出した。
確か『決裁者同士が握手する』だった。
(やはりそうだ。チクリンが強引に決裁して競馬の勝ち分を盗っていったんだ。『酔い』の感覚を除外してみていれば、完全に違法な決裁だとわかるが昨日の自分は酩酊していたから素直に握手してしまったんだ)
「よし! ハルキおまえなかなかの根性だな! しかっりと意思は受け取った! また連絡するから待ってろよ!」
チクリンはまくし立て、額に人差し指と中指を押しつけた。
「それじゃ、俺、今週はここで抜けるわー、来週はちょっと忙しいからレースみれねえかもしれねえ。じゃあ、アデュオース」
そういって、額につけた2本の指を軽く持ちあげ、姿を消した。チクリンの“ログアウト”ジェスチャーが『2本指の軽い敬礼』だったことを思い出したときには遅かった。
(すぐに、チクリンを捕まえてやろ──)
「ハルキー。チクリンのことは少し放っておこう」
(タ、タンジェント……?)
「へぇ! ら、らって……」
「履歴書の方はさー、ワタシも調べてみるから」
「ど、どうしてそこまへ? してくれるの?」
「それはこんど酔ってないときにはなすよー。とにかく、一緒に履歴書を探そうよハルキ」
そういいながら近づいてきたタンジェントに頭を抱え込まれ──

キスされた。

「応援してるよーハルキー」
タンジェントは“小さい敬礼”をしてログアウトしていった。
唇には、タンジェントの唇のやわらかさが、現実のように残ったままだった。



次回 8月 4日掲載
『 抜け殻のimaGeイメージ 』へつづく


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