河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第17話『 恋愛過多 』

「わかりました……」
戸北が目を閉じたまま静かに息をはいた。
戸北よ、なんだ。なにがわかった。当たり前だろう。考える必要がどこにある。どれだけ贔屓目にみても、姉妹ではなく、親子だろう。
「まもるさんは、守衛所を辞めるべきだと思います」
「えっ? えっ? なんで? ひどいよぉ!」
戸北は再び黙った。
黙るなら自分がつくった空気を回収してから黙れ。
「ま、まもるさん、だめよーそんな簡単に決めちゃったら」
アンタもこの店に入り浸られたら困るだろうし、アタシだってごめんだ。継父の関係であれ父が知井守? 冗談ではない。
「お! 戸北、いいこというじゃねえか。おい! まもる! じひょう書け! じひょう! ママなんか紙ない? チラシとかでいいからさ」
煽っているのはこの男か。前にもみたことがある。名前はたしか、たけしだったはず。
「男ならよぉービシーっと決めるとこ決めて、オイラんとこに来いって! わりぃーようにしねーからよ。信じてれば間違いねーって」
たけしは、寸借詐欺師の常套句のような言葉を連呼しながら、まもるくんへ紙を差し出した。
「ママもおまえのこと気に入ってんだし、仕事してうめー酒飲みにこようぜ、なっ! なっ! ほら、ここによ、じひょーってかけよ」
「じ、じひょうってどういう字でしたっけ?」
「そんなこともしらねーのかよ。……、ひらがなで書いとけよ!」
まもるがボールペンを握りしめたグローブのような手を動かしはじめた。
「善は急げでございますね。確か、熊野さんがこの街にお住まいであったかと。熊野さんに辞意を表明すれば手続は進められます」
「上司が近くに住んでんのか? それなら話がはぇーな! よし早く書け! このまま持ってくぞ!」
「おい! 戸北ぁ。熊野まで巻き込んだらシャレになんねーだろ」
「いえ。珠美さん。思い立ったが吉日でございます」
戸北が額にむかって指を突き付けながら奇声をあげ、熊野の住所を検索しはじめた。
まもるは、額にうっすら汗をかきつつテーブルに覆い被さるようにして背中をまるめている。
「ま、まってくださいぃ。いまできますぅー」
「おめーらよー、マジでいい加減にし……」
立ち上がりかけたとき、来訪者を告げるカウベルが音をたてた。
「あれぇ? 貸し切り〜? ま、いいよね? 入っちゃっても」
「いや、あの……」
ドアの方からマナの戸惑った声が聞こえた。
「なんか取り込み中? まあいいや」
マナを押しのけるように、店内に入り込み、ボックス席までやってきたのは、常連客の豊川豊だった。
うっとうしく波打つ、荒れ狂ったひじきのような長髪に埋もれた顔面に、深夜も近いというのにサングラスをかけている。
「どうも、どうも、豊川豊とよかわ ゆたかです。上から読んでも下から読んでも豊川豊です」
「なんだよ! アンタ、入ってくんなよ、貸し切りだっつってんだろ」
「あーたけしさんか。だめですよ、ママの独り占めは。そちらの方、まもるさん? なにやってんすか? あ、マナちゃん、いつものー、うん。この店で1番高いお酒。あれぇー、珠美ちゃんじゃないの? 久しぶり? 守衛所はどぉ?」
豊川は、場に出てる会話をかき集め、一気に自分の手元に取り込み最終的にまもるをターゲットと認めたようだ。
「な〜に書いてるんすかー?」
「じひょうです! ボク仕事辞めるんです!」
「ぇ〜マジすかぁ。仕事辞めるんすか、辞表、漢字で書いたほうがいいと思いますよ」
「うるせぇーな! アンタは引っ込んでてくれよ、おい! まもる! さっさと書け! 最後にハンコだハンコ。ねーなら、ボインでいいよボイン、よし行くぞ! おまえ走れよ」
「走るんですか?」
「あたりめーだろ、お前乗せてチャリこげるわけねーだろ! ママ、ちょっと出てくっからよーまっててくれよ。オイ! 戸北、場所わかったか?」
「はい。地図をかきます」
「よっしゃぁぁ! 行くぞまもるー!」
たけしは戸北が書いた地図を取り上げて、走り出した。

「あ、マナちゃん、お酒やっぱり1番安いのにしてー。うん。高いのはいいや」
たけしが座っていた奥のソファ席へ腰を落ち着けた豊川にマナが仏頂面でグラスを差し出した。
「いやぁ、今日は賑やかだね〜」
「大丈夫かしらねーまもるさん。たけしさんも捕まるようなことしないといいけど」
「たいして心配してねーだろ」
「なによー、珠美ちゃん。そんなにツンツンしなくてもいーじゃない」
「白々しいんだよ。さっきだまってチラシ差し出しただろ」
「珠美ちゃんも隣座る? 親子に挟まれるのいいなぁ〜」
「うるせぇーんだよ! アンタは黙ってそこのババアと飲んでろよ」
「ババアってひどいわー。アナタだってもういい歳じゃないのよ」
「アタシはちゃんとメンテナンスしてるから歳とらねーんだよ!」
「あら、それならアタシだって。最近はメチャクチャ効果のあるサプリあるのよー、老化が止まるどころか巻き戻るんだから」
「ママはそんなことしなくてもキレーだよぉ」
「あら、豊川さん。うれしいわぁ」
「勝手にやってろよ」
まもる、たけしといい、豊川たちは何を好んでこのババアに言い寄るのだろう。
「珠美さん。お母様の年齢から逆算いたしますと、珠美さんのご年齢というのは……」
「戸北。おまえ調子にのるんじゃねーぞ」
「……わかりました」
「それよりオマエ、まもるくんのこと煽ったのばれたらやばいよー。追田さんのおもちゃ取り上げたんだから」
「考えがあってのことでございます。お叱りは覚悟のうえに」
「オマエが追田さんに説明しろよな」
「ねぇ、ねぇ、ママぁなんかさ、いいアイディアないかなぁ」
はす向かいには、さらに距離が近づいた豊川とババアの姿があった。この女の座る距離感の取り方は相手の財力で決まっている。
「やっぱり、これからの季節のプレゼントだったらジャンパーとかかなー」
「なーに? 誰にあげるのー? アタシはいらないわよージャンパーは着ないからー」
「いやぁプロデュースしてる商品のプロモーションで使うノベルティの企画考えなきゃで。Tシャツの次はやっぱりオリジナルジャンパーとかがなんていうかリアルだよね?」
「確かにみたことあるわねー。なによ、またいかがわしいお仕事はじめたんでしょー」
「いまは、杜氏とうじみたいな仕事だよ。どちらかというと職人気質なお仕事」
「またー。ダメよーそんなこといったら杜氏さんに叱られるわよ」
「そーかな。あ、それよりママ。これ、ボクの新しい事務所のカレンダー。挨拶おくれちゃったけどさぁ〜、お店のどっかに貼ってよ」
 どこの社会に初夏も過ぎたころにカレンダーを持参して挨拶する企業があるんだ。
「えーカレンダー? なんでいまさらぁ」
「いやね、うちの会社あんまり実体がないじゃない。それで作ってみたの今年の。少しよごしでもかけて去年からあったことにしといてよ、ごめんねママー」
「やーよ、そんなアリバイ工作みたいなの。お店に貼りたくないわよ」
「トイレでいいからさぁ」
「もぉー仕方ない無いなー」
「ありがとねーありがとねーママ」
「でも、そういうお仕事も大変なのね」
「そーなんだよ。今回なんてセキュリティチェックセンターから呼出くらっちゃたんだよ」
「やっぱりいかがわしいのね」
「そんなことないよ。ボクの開発した商品にさぁ、いちおうスタンプカードがあるんだけど、それを本気で集めてる奴がいてさ。もー、すごいの。普通あきらめるだろってところ超えてきて。それで商品が出ないってのが問題になっちゃって、焦って適当なやつ作ったけどすでに遅くて。キャンペーンの詳細報告しろって呼び出しくらったの。めんどくさいよねぇ」
「因果応報でございますね」
「ん? キミは? 戸北くん? お坊さん?」
「わたくしはそのような高尚な者ではございません。不徳な輩でございます」
「そっか、そっかー。戸北くんはなに飲んでるの?」
「わたくしは、お酒や女性と相性がよくないようなので控えております」
「もったいないなぁ。珠美ちゃんもいるのに。一緒の守衛所なの? たまらないよね、この美人がいたら」
「いえ、わたくしにはとても手に負えぬ方でございます」
「おい戸北、なんでアタシの評価してんだよ。なんだよ手におえねーって。アンタもさっきからくだらねー話してんじゃねーよ」
「珠美ちゃん元気そーだね、いやぁ、ボクの目に狂いはなかったなぁ」
「やめろよ!」
「珠美さんとは、古くからのお知り合いなんですか」
「戸北、いいから黙ってろよ」
「そーだよ、だって珠美ちゃん、ボクの推薦スカウト枠で守衛所に入ったんだもん」
「推薦があるというのは噂でお聞きしていましたが、珠美さんがそうでございましたか」
「もーアタシの話はいいんだよ、戸北おめー、この話誰かにしたら、こんどはナノマジックじゃ済まねえからな」
「はい。しかと心得ました」
戸北は背筋を伸ばし直し、1度だけ後頭部を静かに撫でた。

「よし! 行けまもる!」
「はい!」
熊野という天然の木で作られた立派な表札がみえた。インターホンを押す手が震えて、3回呼び出し音をならしてしまった。
少し間が空いて、インターホンから声がした。
「どちらさん」
低い声だった。
「あ、ああの、まもるです!」
「まもる? ど、どうした」
「熊野さんにお話があります。出てきてください」
熊野は不承不承に、ドアから顔を出した。
「オマエ、どうしたんだよ、こんな時間に」
「あ、あのあの! ボク、守衛所辞めます!」
「はぁ?」
「こ、これ辞表です!」
ボクは、熊野に辞表を握らせて、たけしさんの待っているところへ走り出した。



次回 9月15日掲載
  『 バブル・パルプ 』へつづく

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