河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第18話『 バブル・パルプ 』

昨夜、投稿された記事が本当の話だとしたら、14時にはここへやってくるはずだ。
バーチャルサウナへ行きバーチャルマッサージを受け、その後1度ログアウトして、リアルのジムへ行き汗を流し、リアルのサウナへいって汗を流し、再びログインして店に。
一体、どれほど汗を流したいのかわからないが、一連のルーティンを終え、もうすぐここにやってくるはずだ。
視野左上のログイン情報を確認する。
imaGeの仮想空間内で屈指のピンクエリアに属するこの一画においても、この店には堂々たる風格があった。
医療的な要素は全くないのにもかかわらず、クリニックを名乗り、ナースのコスチュームを身につけたセクシーなアバターが道を歩くアバター達へ、しなを作ってアピールしている。
店主がログインしていなくても店は営業中だった。安全セキュリティ面に問題はないんだろうか。
もっとも、平日の昼間にセクシャライズアバターをオーダーしに人が押し寄せるとは思えないけど。
路地裏から店をうかがっていると、テロップが流れた。

『 黒井チクリン さんが
  近くにログインしています 』

張り込んでいた店の軒先にアバターが出現する。
この男を友人登録していたことが役に立った。初めて。
「チクリン!」
「お。おおお? ハルキ?」
見慣れたブロッコリーヘアが揺れた。
「とぼけてもムダだよ」
「いや、だってオマエ、そんな黒づくめのコスチューム着てたらわかんねえだろ。いつものジャケットとサルエルパンツはどーしたんだよ?」
「この辺りに、あんな目立つ格好でこれるわけないだろう」
「なにビビってんだよ、どーした。なんか用か?」
「用がなきゃこんないかがわしい区画にログインしないよ。わかってるでしょ。チクリン返して」
「なにを?」
「いやいやいやいや、金だよ金! ブリンカーで持ち逃げした金!」
「はぁ!? 持ち逃げってなんだよ、人聞きわりぃな! ……、まあ、中に入れよとりあえず」

『チクリニック』の中に入るのは初めてだ。
ショーウィンドウのある店先から中に入ると、まるでどこかのラウンジのように、ソファが並んでいる。
薄暗い店内のそこかしこにはセクシーなコスチュームをまとった女性アバターがゆっくり肢体を動かしながらくつろいでいた。ほとんどが半裸以上の格好で、目のやり場に困る。
「なんか妙だよなー。ブリンカー以外でハルキに会うのなんてよー」
チクリンは店の中に脱ぎ散らかされた女性アバター用のコスチュームの断片を片付けながら奥のレジカウンターまで歩いた。
「なんで服が散らばってるの?」
「オレがいない間に客が来たんだろうな。やっぱりよ、いきなり裸を拝むよりも、自分の目の前でだんだん裸になってくほうが高揚感あるよな」
つまり、『ブリンカー』に散らばってるゴミアイコンの類と同じ考え方なのだろう。
「チクリンの性哲学はいいよ、それよりさ」
「金だっけ? とっくにねーよ」
「はぁ? だってアレは」
「そーだよ、オマエの高所恐怖症を治すための金だろ」
「え、だったら」
「だから、とにかくもうねーんだよ。なんだよ会うなり、金、金、うるせーな」
「だって、チクリンが最近ブリンカーに来ないからさ、逃げたんだと思って」
「あ、ああ、忙しくてな、いろいろと」
「タンジェントも急に連絡とれなくなったし」
「アイツも忙しいんじゃねーの? ほら来年、上空都市の式典とかあるだろ? あれ絡みでなんだかんだあるらしいぜ」
「でも、チクリンは関係ないでしょ? 上空都市にセクシャライズアバター持って上ったりしないでしょ?」
「それはわかんねーだろ。で、なんで金が必要なんだよ? どっかのお店のおねーちゃんにでもハマったのか?」
「見つけたんだよ」
「何を」
「履歴書だよ! 履歴書! あったんだよ!」
「そんな大げさに騒ぐことねーだろうよ」
「いやいやいや、実際探してみたらわかるよ。なかったんだよ、まったく。どこにも」
「まあそんなもんかもなー、オレもここ20年近く書いてねーもんなー履歴書」
「そう、そうなんだよ! ホントに絶滅してるみたいで。あちこちのサイト徘徊しまくって、やっとみつけたんだよ。見てよここ」
ブックマークに保存しておいたサイトを呼び出しチクリンの目の前にウィンドウを突き付けた。
「ああ? (株)T.Y.P.C? なんだよこのうさんくせえ会社。え? ここ、履歴書……、ハァ!? 12万? 履歴書1枚?」
「一応、予備でもう1枚ついてるけど、ありえないでしょ」
「予備とか関係ねーわ、詐欺だ詐欺」
「いや、でもここに(正規品)って書いてあるし」
「だれが決めてんだよ、その正規品って。それにしても12万っておまえ、純金でも入ってんのかよ? バブリーな値段だな、おい」
「確かに、バブルの頃なら払う人いるかもね。これだけ品薄な商品なら。もの凄くレアなスニーカーに数十万円の値段ついてたこともあるくらいだから、90年代って」
「いや、それとは別だろ。紙の履歴書にそんな価値ねーわ」
「でも、これを手に入れないと守衛所に応募できない。だから、金返して」
「だーかーらー、もうねーって……、……そうだ! ハルキあのTシャツまだもってるか?」
「え? Tシャツ?」
「デリカーのやつだよ。あれ、売ろうぜ!」
「な、なんで?」
「このあいださ、ブログのネタなくなって、デリカーのことかいたら、すげー数の“いいね”来たんだよ。スタンプ貯めてもデリカーの賞品がでてこねーってヤツってかなりいたみてーだな」
「それで?」
「Tシャツもってるって書いたら、売ってくれってヤツが結構いたんだよ。そいつら相手にオークション開こうぜ。うまいこと煽って値段つり上げたら10万くらいになるんじゃねーか? ハルキがサクラでもやればよ」
「やだよ。そんな詐欺みたいなこと」
はるのきがサクラやって捕まりでもしたら笑えない。
「詐欺とはなんだ! 戦略とよべ戦略と! いいか、駆け引きだ。演出だ! 価値のある商品を手に入れる瞬間、大勢の中から選ばれた1人だけが、栄光を勝ち取る。その課程をオレ達が華々しく提供してや……、ヤベっ!」
突然チクリンが、カウンターの中へ身を隠すようにしゃがみ込んだ。
「ハルキそのままそこにいろ、オレ、ちょっとトイレいってくるわ」
「え? なんで」
チクリンが聞こえないくらいの小さな声をだしたので、つられて声が小さくなった。
「いいから。わかった、履歴書なんとかすっから、オマエの住所教えてくれよ」
「住所って、自宅の?」
「そうだよ! 早くしろよ。腹痛え」
急にお腹を押さえ、小声でまくし立てるチクリンの迫力にまけて住所を教えた。
「よし、わかった! 履歴書なんとかすっから、しばらくそこに居てくれ」
チクリンはそう言い残し、地面を這うように奥の部屋へ移動した。
言われた通りに立っていると、突然店のドアが開き、数名のアバターが入ってきた。
全員が、トレンチコートのようなコスチュームを身につけている。
SPセキュリティ・ポリシーの者ですが。アナタがこちらのお店の経営者ですね?』
『公的良俗に反する商品を扱っていると通報がありましたので、アカウントを凍結させていただきます』
「え、いや、ちが」
『詳細は後ほど伺いますので、同行願います』
「え。や、え、え? チクリン? ねえチク……」
掴まれた腕をふりほどこうとした瞬間に、突然目の前が真っ暗になり無機質なSPの声が聞こえた
『2063年6月24日15時35分、被疑者確保。これより連行します。IDの照会をお願いします』


『お母様からの生存確認です
 本日の返答が完了していません。
 あなたは 桜 夏男 さんですか?
 YES  NO』

『緊急の生存確認です
 昨日から返答が完了していません。
 あなたは 桜 夏男 さんですか?
 YES  NO』

『最終確認です
 返答が完了していません。
 あなたは 桜 夏男 さんですか?
 YES  NO

 本日、2063年6月26日中に返答がない場合
 緊急の調査依頼が……』


まぶたの上から容赦なく降りかかるけたたましい、警告音をやっとの思いで停止させた。
危なかった。もう少しで捜索願いを出されるところだった。
ログインしたままimaGe操作を禁じられ、SPの取り調べを受けたせいで生存確認に返事ができなかった。
気がつけば丸2日近く、拘留をうけていたことになる。
やっと戻ってきた現実の部屋が殺風景なせいで、SPの取り調べを受けた部屋が鮮明に蘇った。
無能なSPどもめ、よく調査もしてないくせに人を拘留していいわけがない。
それにしても、腹がへった。
上半身を起こすと、VRチェアに預けていた背中には、びっしょりと汗をかいていた。
ロフトベッドの下のスペースに設置したこのVRチェアと、中学から使ってる勉強デスク以外めぼしい家具もないこの部屋がいけないのだろうか、取り調べ室に閉じ込められた恐怖が消えない。
とりあえず台所の冷蔵庫を開け、ミネラルウォータを取り出して一気に半分くらい飲んだ。
突然、玄関ドアがコトリと音がした。
敏感になっていた神経が反応する。
だが、ドアはそれっきりなんの音もたてない。
おそるおそる、近づくと玄関のポストになにかが入っているのがわかった。
取り出してみると、殴り書きしたような字で宛名が書かれた封筒だった。
「な、なに? これ」
この家に郵便が来たのはもしかすると初めてかもしれない。冷静に考えてみると、住所を知っているのは母親と……、チクリンか!
封筒のふちを破って中を覗くと、白い紙の束が折りたたまれて入っている。
開いてみると、1枚は履歴書だった。紙の。
「おお、え?」
封筒に残っている紙は手紙のようだ。

『ハルキ いろいろ悪ぃ
 この履歴書つかってくれ
 あと、適当な封筒にゴム印
 押せ!
 また連絡する』

封筒の中には、消しゴムというのか? 文字が掘られた白いゴムの塊も入っている。
「履……歴書……在中?」
反転した文字が読み取れた。
あの男が彫ったのだろうか。
チクリンはどうしたのか。もしかするとあの後、逮捕されてしまったのではないだろうか。この手紙はギリギリの状況で書かれたのかもしれない。これだけ、細かい作業ができる人間のものとは思えないほど、宛名と同様に手紙の文字はひどく乱れていた。
もういちど履歴書を見直す。
よくみれば……、手書きだった……。
あの男の風貌からは想像できないほど精巧に履歴書の様式がトレースされている。
「ち、チクリン」
逃げる先でこれを書いたのか──
すぐに立ち上がり、デスクのうえへ履歴書を広げた。



次回 9月22日掲載
  『 エキサイト・エグジット 』へつづく

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