河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第19話『 エキサイト・エグジット 』

「ねえ、misa。こもるって……、どう、書くんだっけ……」
imaGeが反応し、misaのあきれた声がした。
『また……ですか夏男さん? 竹冠に龍です』
「覚えにくいんだよこの字。えっと、……籠もることで培った……経験を生か……頑張る……気持ちです……」
ブリンカーのことは書かないほうがいいのだろうか。いや、一時期でも生活費を稼いでいた場だ。職場と呼ばなければ失礼だろう。
「……職……歴以上……と、よっしゃできた!」
痺れていた。手が。
何年ぶりだろうか、こんなに文字を書いたのは。
大きく背伸びをすると、デスクチェアが軋み、やり遂げた疲労感がこみ上げてくる。窓からの光が机の上の履歴書を照らしていた。
もしかしたらこれはスポットライトを浴びる未来の暗示なのではなかろうか。
「あとはこれ送信すればいいのか。ねえ、これどうやって送ればいいの?」
『紙媒体の送信ですか? 電子書類へ変換いたしますか?』
「いや、それじゃ意味ないから、紙のまま送りたいの」
『紙自体をどのように送信すればよいのでしょうか。ワタシにはわかりません』
「なんだよ、その冷たい言い方は」
しばらく間があきimaGeから、音もなくアラートメッセージが飛び出した。
口調トーンを変更しますか?』
YESを選択す──
『ねえ? バカなの? アンタ。どこの世界に紙を送れるimaGeがあると思ってんの? さっさと配送局レターセンターにでも持ってけよ』
「え、ええ、自分で?」
『アンタ以外に誰がいるの? じゃあアタシが歩いて行こうか? ならimaGeチップ挿せる、移動用のボディケース買ってみなさ──』
アシストボイス機能を強制終了してから、口調を元にもどす。今日は機嫌が悪いようだ。
配送局レターセンターの営業時間は18時までとなっております。本気なのであれば、早めに支度され出発されたほうが懸命です』
理性的に戻ったmisaの声に先ほどまでなかった妙な凄みを感じた。

呼吸を整えよう。
チクリンがくれた履歴書を軽く握った。
玄関のドアノブは、冷たくて硬い。こんなにドアは重かったのか。
金属が手汗で滑る。
「やっぱり、明日にしよう」
しまった。
『キーワードを検知しました。TOPICを再生します』

『よし、わかった! 履歴書なんとかすっから、しばらくそこに居てくれ』
チクリンが腹ばいになって、逃げていく

追い込むために、自分で仕掛けたTOPICなのはわかるが、悔しい。
チクリンの哀しい後ろ姿をみてしまっては、逃げることへの罪悪感が大きすぎる。身体をはって用意してくれた履歴書をムダにすることはできない。逃げてはいけない。
ドアに肩をあて、押し出すように外へ開く。
ドアの隙間から光が漏れてきた。
風が冷たい。もうすぐ夏なのに。
ドアが開ききると、自分が裸足であることに気づいた。
開け放った玄関ドアに身体を挟みこんで、靴をたぐりよせる。閉めてしまったら再び開けるのは難しいかもしれない。
敷居をまたぎこえ、一歩踏み出す。
大げさな音を立て、扉がしまる。
自動施錠オートロックが作動する。
マンションの廊下を一歩すすむたび、氷の上を歩いているようなため息がもれた。幸いなことに人影はない。
足音を潜ませ、エレベーターを降りてエントランスまできた。
自動ドアが開く。
ここからはいよいよ本格的な外の世界。
さらに、一歩を重たく感じる。
ここまで来たら、もう一気に進んでしまったほうがいい。向かうべき場所はわかっている。
意を決し、顔を下げ歩き出す。
足元を見つめていれば、少し落ち着く。
幸いなことに配送局は、近い。
このまま進めば、案外いけるかもしれない。
問題は、窓口をどうやってやり過ごすかだ。
頼む、少しでいい運をくれ。

継ぎ目の数をかぞえるように、歩道のタイルをみつめていると、視野内にメッセージが現れた。
『目的地周辺です。案内を終了します。さあ、夏男さん、顔を上げてください』
顔をあげると配送局のガラスドアをうかがったが、中までは確認できなかった。
時計をみる。ちょうど12時をまわったところだ。
もしかしたら、昼の休憩かもしれない。
いいタイミングなのではないか。
よし。
一気にドアまで駆け寄って、局内へ入った。
目の前の、カウンターに視線を向ける。
見たことのない若い男が座っていた。他のカウンターは『休憩中』の札が出され無人だ。奥の事務机に座っている局員も少ない。
このまま、さっさと済ませてしまおう。
「す、すみません」
声が掠れたけど気にする暇はない。
「あ、あの、手紙送りたいんですが、あ、あと封筒とハンコ押すやつ貸してもらえますか?」
すると、男は困ったような顔をした。
胸元の名札には『田崎』とある。
「ハンコ押すやつ……あ、朱肉ですか? 少々おまちください」
田崎は、手元にある呼び鈴を鳴らした。
即座に、カウンター後方のドアから人が出てきて、「あっ」と、いう顔をして固まった。
「桜さん、朱肉あります……か? は、ハルノキさ」
「ナツオ!?」
田崎の呼びかけに喰い気味に声を上げた、

母ちゃんが……。
最悪だ……。

「あ、アンタ! どうしたの?」
母ちゃんが、駆け寄ってくる。 田崎に顔を見比べられているのがわかる。
「え、桜さん、息子……さん?」
「あ、あ、アンタ、外に、外に出れたの!」
「……あ、う、うん。あのさ、朱肉と封筒ないかな」
「封筒ぉ?」
脈絡もなく張り上げる母の素っ頓狂な声を久しぶりに聞いた気がする。
「い、いいから、あんまり騒ぐなよ。早くだせったら」
現金を扱うカウンター越しにこんなことをいったら、通報されてしまうかもしれない。
「い、いや、母ちゃんさ、封筒を売って欲しいんだよ」
「あの、こちらでいかがですか?」
田崎が白い封筒と四角いスタンプ用のインクを差し出してきた。
「あ、そうです。こ、こういうのです。ありがとうございます」
受け取った封筒をカウンターに置き、ポケットから取り出したゴム印にインクをなじませ、封筒の左下に押しつけた。imaGeで調べた履歴書の封筒はみなこの位置に判があった。
「ねえ、ナツオ。この封筒で何をするの? まさか悪いことでも企んでるの」
母の切羽詰まった眼差しが注がれていた。
「違うって。その、このハンコをさ、ここに押して」
「は、ハンコって、なによ」
「いや、その」
押しつけた、ゴム印を持ちあげる。
「り、履歴……書、在中……あ、アンタこれ」
「うん……。俺……、働くよ」
「あ。あ、あ、あ。あ、アンタぁぁ」
母ちゃんが、泣きながら床に座り込んだ。

「偉いぞ、ナツオくん」
泣き出した母ちゃんと一緒に休憩室に通された。
取り調べ室のように狭い空間で落ち着かない思いをしていると、お茶を持って入ってきた山野という中年にいきなり褒められた。
かえでさん、いつもキミのこと心配していたんだよ。特にここ数日なんて、連絡もつかなかったようだし」
なぜこの男は母ちゃんを名前で呼んでいるんだ。なれなれしい。
「でも、決心したんだね。立派だよ。守衛所に務めるなんて」
「いや、まだ決まったわけじゃないんで、応募するだけですよ」
「そうだったね。でも、大丈夫だよ。ボクもサポートするから。履歴書みせてごらん」
山野は大きくて皺の目立つ手を差し出した。銀縁のメガネを掛けたこの男の表情は、自尊心が強そうで好きになれないと思った。
「それにしても、懐かしいね。紙の履歴書なんて久しぶりにみたよ。いいかい、夏男くん。履歴書は大切だ、その人の半生を文字で表すんだから」
山野はうんちくを垂らしながら、差し出した履歴書を開く。
「ん。……夏男くん。これは下書きじゃないか?」
「え、いや履歴書っす」
「そうだけど、この“両親が離婚 母と暮らし始める”っていうのはなんだろう。夏男くんの経歴なのかな」
「まずいっすか?」
「普通は、……書かないよね」
隣の母ちゃんが泣き止んだ。
「いや、イロイロ調べたら、自分の履歴書ってほら、半生を描くものだっていうから」
「あ、アンタはどうしてそうなの! そういう履歴書じゃないでしょこれは」
「ま、まあまあ、楓さん。それにしても……、うーん。“小学校に一発で合格そのままストレートに卒業”、“中学余裕で卒業”っていうのは……」
「事実ですから」
「小学校も中学校も試験なかったでしょ」
「いや……、この方が格好いいでしょ」
「夏男くん。学校に入学試験があるかないかは人生の大きな問題じゃないと思う。でもね、この書き味は履歴書としては大きな問題があると思うんだ」
「ま、マジすか」
「うん。どうだろう、ここは少しボクに任せてくれないかな。幸い、これ……、鉛筆書きのようだし」
「なんか、字って手で書くと間違えますよね」
「わかった。うん。書き直そう。楓さん、辞書を持ってきてくれないかな」
山野の呼びかけに、母ちゃんは即座に反応し、分厚い辞書を持ってきた。
「山野さん、本当にお願いします。この、この不肖な息子をどうか、どうか合格させてやってください」
「うんうん。任せて任せて、ええっと、小学校を卒業、中学校を卒業……高校、大学、すごいね立派だ全部順調に卒業しているじゃないか」
「え、いや、まあ」
「これなら、小細工なんかしないで胸をはって経歴を書けばいい。それで、この自己PRの“引籠もることで培った経験を生かして頑張る気持ちです”ってのは、そうだな削除しよっか」
「いや、それ、自分のアイデンティティっていうか」
「削除だ。それから、この、ブリン、カー? のくだりも」
山野は勝手にチクリンのゴム印を使い、書きかえを進めていった。
「よし、いいんじゃないかな。夏男くん。どうだいこれならバッチリだ」
手渡された履歴書を確認しようとしたら、見る間も無く母に取り上げられた。
「これは母さんが送っておくわ」
「え、ちょっとまってよまだ見てないよ」
「いいのよ、山野さんが書いてくれたんだから間違いないわ。山野さんありがとうございました。このまま、仕事に戻ります」
「いやいや。楓さん、今日はこのまま上がりなよ。せっかくの親子水入らずでしょ」
「そ、そんな」
「いいから、いいから、夏男くん。しっかりな、頑張るんだぞ」
母ちゃんに頭を無理矢理下げさせられ、休憩室からでた。
「なあ、母ちゃん。封筒に心付けみたいなのいれなくていいのかな」
「なにいてんのよアンタは。そんな賄賂みたいなもの渡しても意味なんかないわよ」
軽く頭を叩かれた。
「今日はお先に失礼させていただきます」
他の職員にも挨拶を強要され、外へでた。
「夏男。あれ、スポットライトみたいね」
しつこく指をさしてる母ちゃんにつられて空を見上げると、雲の隙間から光が差し込んでいた。
「スーツでも買いに行こうか。母さん、奮発するから」
必死の抵抗を試みたが、逃れきれず母ちゃんに手をホールドされた。



次回 9月29日掲載
  『 退屈な男 』へつづく


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