河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第20話『 退屈な男 』

「タイミング悪りぃよなー、こんなときによぉ。……そしてなんだよ、コイツはよぉ、舐めてんのかよ」
野太い声に足がすくんでしまった。
執務室の局長席には熊野さんが座っていて、その側には吉原さんが立っていた。
そういえば今日は熊野さんが出勤する日だった。吉原さんは、熊野さんがいるときだけはこうしてお話をしに来ている。
「人事部も動いてねーし。おまけに、これだけポロっと送ってきやがってよ」
「ないっすよねー、履歴書も手書きだし」
2人ともすごく怖い顔で机の上を睨んでいる。
お部屋の入口で立ち止まっていたら、熊野さんがこっちに気づいた。
「おおルミちゃんおはよう。久しぶりだねー」
熊野さんの猫なで声は、正直すこし苦手だ。
「お、おはようございます。お久しぶりです」
「どうしたの? お腹でも痛いのー?」
「あ、あ、熊野さんの声、ちょっとびっくりしちゃって」
何も答えないと、本当にお腹をさすられちゃいそうな気がしたので素直に答えた。
「そっかそっか、ごめんねえ。怒ってないよう。なんか今月は朝から、いろいろあってね」
「あ、西倉さん。おはようございます」
吉原さんは、熊野さんがいるときはワタシのことを、名字にさん付けで呼んでくれる。きっといろいろ気を使ってくれているんだなあ。
「さっき履歴書っていってましたけど」
「ん、そうそう。応募が来たんだよおー」
「新人さんがくるんですかっ⁉︎ それじゃ歓迎会しないと!」
「気が早いなあ。ルミちゃん。残念だけど、この人は不合格」
「え? なぜですか?」
「だってさ、みてよこれ」
机の上にあった履歴書を手渡された。
「うわっ! しっかり書いてありますね。……職歴はお持ちではないみたいですが、まっすぐに学業を修められていますね」
「だろ?」
熊野さんが、お茶をすすりながら上目遣いでワタシを指さす。
「そんな平々凡々に歩いてきたヤツじゃダメだよお。やっぱり、どっかで派手にやらかしてるくらいの人生経験なきゃ務まらないからね」
「そ、そうなんですか……、これ何回も鉛筆で書いた跡がありますね。一生懸命に書いたんですね、なんだか……可哀想です」
「ルミちゃんはいい子だなあ。でも、仕事は仕事だから。俺なんかほら、長いこと人みてるから、すぐわかっちゃうんだよこの紙1枚でうん」
「そーっすよね、本気で受かりたかったら、心付けの1本も入れとけって話ですよ。俺、ちゃんと入れましたよね」
「吉原は、結構ギリギリだったけどな」
「やだなー熊野さん」
2人から笑い声があがったときに部屋のドアが開いた。
「失礼いたします」
と、戸北さん……。
衝撃的だった。
本当にスキンヘッドにしてたんだ。
そういえば……、あの日以来、戸北さんと会うの、はじめてかも……。
「お話中でございましたか。ご無礼お許しください」
「なんだよ、戸北。ルミちゃんがいるときに入ってくるなっていってるだろ」
「申し訳ございません。しかし、どうしてもこちらの書類に押印を頂戴したく」
「おう戸北! そういえば、おまえの履歴書もひどかったな。たしか原稿用紙10枚分くらいの私小説みてーな作文つけてたよなー」
「……ええ。あの頃のわたくしは無知でございました。履歴書とは己の半生を綴るものという祖父の教えを誤解しておりました」
「おめー、そんな話し方しててもホントはバカだもんなー」
「はい。わたくしは愚かで粗野で未熟な人間でございます」
「そうやって小難しい言葉ならべてもごまかせねーからな」
戸北さんは、じっとうつむいて吉原さんの言葉を聞いていた。
「ひ、ひどすぎますよ。朝からそんなひどいこといわなくても……」
「いえ、西倉さん。吉原さんからのお言葉は、落伍者であるわたくしにとって、成長と学びをいただける、大変ありがたい機会なのです」
戸北さんの静かな声に、背中を撫でられた気がした。
「あぁ、いーからいーから、戸北その辺に書類置いとけ。あとでみといてやっから」
「恐れ入ります」
戸北さんはワタシの近くのデスクへそっと書類を置き、ドアのところで振り返り深々と一礼してから出て行った。
気がつけば、ワタシのほうには1度も視線を向けていなかった。

「まだかな……」
モヤモヤしたままの1日だった。
制服を脱いでも、気持ちは切り替わらない。
はやくお風呂にいってメイクを落としたほうがいいんだろうな。
でも、このまま戻るのはムリ。
時計を見上げようとしたら、ドアが勢いよく開いた。
「あ、アレ? ルミちゃん、どーしたの?」
「た、たま……」
「え、なに、泣いてる? どーしたの」
「たま、たま、たまみ……」
「そこ、連呼するのやめてよ。まあこれ飲みながら話きくよ」
珠美さんの手にぶらさがっていたのは、白い紙袋だった。
「お土産だよ。飲もー」
「え? あ! ご実家に帰られていたんですよ……あー! ワインー!」
「こないだの気遣いのお礼……な、なに?」
「うううう、珠美さん、大人で、優しくて、ワタシ、大好きです。ワインも割らないし」
「ハハ、まあその話はいいから、それでーどうしたの?」

珠美さんはワインを飲みながら、黙ってワタシの話を聞いてくれた。
「相変わらず、ちいせーなー、吉原も熊野も」
「ワタシ、やっぱり納得いかないんです」
「でもさ、ルミちゃんがそんな見知らぬやつのこと心配して泣くことないでしょー」
「吉原さん、戸北さんにあんな言い方しなくってもいいと思うんです」
「あ、え、そっち!?」
「え、あ、はい」
「それなら、なおさらでしょー、ルミちゃんなんか戸北の1番の被害者なんだからさー」
「それは……そうなんですが、実はワタシ、あの日以来初めて戸北さんのことみたんですけど」
「けどー?」
「すごく、すごく変わってて……あ、変って意味じゃないですよ! 落ち着いてて、余裕のある雰囲気になったなあって」
「ふーん、まあ、変わったとは思うけど。あんな朴念仁、つまんないと思うよー、最近発言がちょっとやべーし」
「そ、そんなことありません!」
立ち上がったらワインボトルが揺れた。
「あ、ごめんごめん。あれだねー、ルミちゃんがそんなに怒るってことは、もしかしてさ、けっこー本気?」
「えええええええ、な、なにがですか」
「戸北のこと、好きになっちゃったんでしょ?」
「……は、はい……いや、いやいや、違います! まだわかんないです、あ、どーしよ恥ずかしいです!」
一気に酔いが回ってきたような気がする。目元がぼんやりする。
「まあ、わかんないなら確かめてみたら。思い切ってどっかに誘ってみるとかさ」
「ええええ?」
「ほら、もうすぐ七夕でしょ、エデルの星祭りでも観に行っちゃえば?」
「そ、そんなロマンチックなこと、ワタシ恥ずかしくて誘えませんよお」
「でも、待っててもあいつは自分からはこないよー、前ならほっといても寄ってきただろうけど、最近、妙に悟りきったこといってるからね。大丈夫! ルミちゃんが本気だしたらコロッと変わるって」
「そうでしょうか……」
「じゃーさ、アタシ、戸北のスケジュール調べてあげるから」
珠美さんは、左手のピンキーリングをなぞって、ぺろっと唇を舐めた。
「さくっと守衛所のスケジュールサーバを覗いてみよっ、行動あるのみだよ」
空中を行き交う手の動きがとってもスムーズで、まるで泳いでるみたいに優雅だった。
「珠美さん、大好きです!」
そして、戸北さんも、好き! と思って残りのワインを飲んだ──

クマ、できてないよね。
あー、目元少し腫れてるかも。ワイン飲みすぎたかなあ。
鏡をみると、前髪が気になってしまう。
ダメだよぉ、なんかこの髪型はかわいくないかもしれない。
でも、もうすぐ7時だ。お部屋に戻ってる時間はない。どうしよう。
もうすぐ戸北さん来ちゃうよ。
珠美さんが手に入れてくれたシフト表によれば(珠美さん、すごすぎる)、今日の戸北さんは朝から外番のはず!
ということは、この受付の前を通る!
そこで一気に声を掛ける!
……でも、でも、珠美さんは「思い立ったら、即行動」っていってたけど、昨日の今日で気持ちが追いついてくれない。
そうだよ、こういうときは目の前のことに集中しよう。
一生懸命、受付台を綺麗にしよう。
あー、そういえば、ここで、手をギュッとされたっけ。
あー、ワタシなんで、あんなに嫌な顔しちゃたんだろ。恥ずかしい。
いけない!
集中しないと。ワタシがここにいるのが不自然になっちゃう。
まあ、こんな時間にいるの本当は嘘なんだけど、今日くらいいいよね。嘘じゃなくて本当にお掃除してるんだし。
受付台をみつめていると、遠くの方からかすかに足音が聞こえてきた。
そっと目だけで確認すると、と、戸北さんだ。
制服を着て、背筋がシャンとしていてとっても凜々しい。
もうちょっとだ。
足音が近くなった。
もうすぐそこだ。
いまだ。いわなきゃ。
「あ、あの、戸北さんおはようございます!」
声を掛けると、戸北さんはゆっくりと、ワタシをみた。
「おはようございます。西倉さん」
やさしい瞳だった。
思わず逸らした目線の先には衣替えしたばかりの半袖の制服から出ている戸北さんの腕。
意外にたくましい腕をしていて、顔がさらに熱くなる。
「西倉さん。ご体調が優れないのではありませんか」
頭をゆっくりと撫でられたみたいな優しい声。
ゆっくりと顔をあげると、戸北さんはまだワタシをみつめてくれていた。
「頬が赤くなっていらっしゃいます」
澄んだ目だった。あの日のような、ギラギラした目じゃない。
「よろしければ、医務室までご一緒いたしましょうか」
「いい、いいいです! 大丈夫です!」
「そうでしたか、立ち入ったことでございました。申し訳ございません」
深々と頭を下げた戸北さんの後頭部。
こんなにさせてしまったのは、ワタシのせいなのに。
戸北さんは、ずっとこらえているのに。
いわなきゃ。
「ああの!」
足を止めて振り返ってくれた。
「医務室ではなくて、ら、来週、星を観るの、ご、ごご一緒してください!」
「……ぁぁ、そういったことでしたか」
戸北さんは、静かに微笑みながら頷いた。
頷いた?
や、やった!
「西倉さん。せっかくのお誘いですが、わたくしにはその資格がございません。わたくしが西倉さんへしたことを受け止め、その贖罪がすむまで、浮ついたことはできません。つきましては、せっかくのお誘いですがお断りさせてください。申し訳ございません」
そういって、戸北さんはすっと歩き出した。
「え、あ……」
座り込みたくなるくらい恥ずかしいのと、うれしい気持ちがまぜこぜだ。
そんなにちゃんとワタシのことを考えてくれていたんだ。
正面の入口を出て太陽ひかりに照らされる戸北さんの後頭部が眩しかった。



次回 10月 6日掲載
  『 黄昏時のimaGe 』へつづく


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