『ねえ。ハルキ。そろそろ出かける準備したほうがいいんじゃない』
misaの
しかし、時計の横にある『曇り』のマークも目に入り、萎えた。
『今日は
「わかってるけど、なんか気が重いなあ。なんていうか、嫌な予感? がするというか」
『嫌な予感って、もうすこし定量的なこといってくれないかな。単に天気が悪いからでしょ』
「そ、そんなことないよ」
『いままでの傾向からいって、曇りから雨にかけて予定のキャンセル、リスケジュールの回数が多いけど』
「適当なこというなよ」
一瞬の間が開いた。
まずい。口答えがいけなかった。
『それなら、そうやって一生ウジウジしてろよ。せっかく心配してやってんのにさ』
「いやそんなに怒らなくても」
『はぁ? “感情の起伏”最大に設定してんのアンタでしょ? こっちだって怒りたくて怒ってんじゃないわよ、仕事なんだけど』
「悪かったよ、ごめん。行く、行きます」
『じゃあ、さっさとシャワー浴びてくれる?』
「風呂はこの間はいったばっかりだからいいよ。母ちゃんに会うだけだし」
間髪をいれずに、misaから“溜め息”音。
『だーからー、オマエはダメなんだよ。会うのは親だよ肉親。気兼ねしないね確かに。でもね、その途中、道やお店で出会うのは他人なんだよ』
「出会うって、通りすがりにすれ違うくらいじゃ……」
『そのすれ違いの中に出会いがないってなんでいいきれるの? そういう瞬間を大切にしてこなかったから、仮想空間に入り浸ってたんでしょ? もう少し視野広げて物考えたら? バカなの?』
「バカ、バカ言い過ぎだって。そんな、運命的な出会いみたいな話、確率でいったら0みたいなもんじゃないか」
『偉そうに確率なんて口にしないでくれる? 2桁のかけ算の暗算にだって苦戦する人間の分際で』
さっき、定量的なことをいえといっただろう。
この
いっそのこと、別のA・Pに乗り換えてやろうかな。
いや、いまそんなことを検索したら、検索をボイコットされる可能性すらある。これ以上怒らせることはすまい。
2度目の催促メッセージが流れる前に、シャワーを浴びることにした。
面倒ではあるが、シャワーを浴びるのは嫌いじゃない。
全身をお湯が流れ、皮膚のうす皮や汗が落ちていく感触には爽快感があり、表面的なものだけでなく内面的にも洗い流されていくような気持ちになる。きっと、人は知らぬ間に汚れていくのだ。
適温に保たれた湯に包まれていると、思考の断片が脈略なく浮かんでは消えていく。
あれから2週間、履歴書の返事はこない。
チクリンとタンジェントに連絡を入れてはみたが、返事はない。
他に相談できる相手は……思いつかない。
どうせ書類選考で落ちてる。
そういえば、チクリンはどうしたのか。
ヴァーチャルジムで汗をかき、現実のジムでも汗をかき、汗を洗い流す。
汗まみれの日々を過ごす彼にとってもシャワーは憩いだったのだろう。
いまもどこかの地で、シャワーを浴びてつかの間の安息くらいは感じることができているのだろうか。
『ねえ、ハルキ、メッセージ来たよ』
misaが
裸をみられているようで、入浴中は少し気まずい。
「な、なに? もしかして合格通知」
『違うみたい』
肩の力がぬけた。どうせ落ちていると思いつつ、メッセージ通知が来るたびに身構えてしまう自分が滑稽だ。
「後で読むよ」
『でもね、早くしたほうがいいかも』
「なんで? 誰から?」
『黒井チクリンから』
VRチェアのヘッドレストに濡れた髪がはりついて気色がわるいけど、今はしかたがない。
グラフィック補完用の黒縁メガネをかけて『ブリンカー』へのアクセスボタンを連打する。
ホワイトアウトして視界が戻るまでの間がじれったい。
焦りとは裏腹にのんびりと描写されていくグラフィックがまどろっこしい。
早く。立ち上がれ。
アバターが操れるようになるのを待って、辺りをみわたした。
あれから大きなレースもいくつかあったが、ブリンカーにアクセスするのは久しぶりだった。
床にはデリカーの“空き瓶”が転がり、“つまみ”の空が散らかっている。
そして、ソファにうえには、見慣れた姿。
座面上で胡座をかく、蓄えた髭、天然のアフロ……。
チクリンがいた。
「お、来たか、おせーぞ」
「ち、チクリン無事だったの?」
「無事だよ、無事。まあ、まだ逃げてる途中だけど」
「ねえ、なにやらかしたの? SPに追われてるなんて」
「現実世界はあんまり自由じゃないの忘れてたんだよ」
「はあ?」
「ま、いいからよ。それより、まだ守衛所から返事ないんだって?」
「あれはもういいよ。受かるわけないんだよ」
「どうしてオマエはそう、ネガティブなんだろうな。落ちましたっていわれるまではわかんねえだろ。まあ、そうやってまたウジウジしてるんだろうと思って、呼び出したんだよっ、と」
チクリンがいきなり手元から、光るカードを放り出した。
「これで行ってこいよ」
カードが空中で回転して迫ってくる。反射的に受け取ると視野内に、カードの見出し文字が
『1548便 臨空第九都市 0713 14:00』
「なに、これ」
「いわゆる、航空券ってやつだな。席とっといたから、それで守衛所に直接いってみろよ」
「ひ、飛行機にのって?」
「それ以外に航空券の使い道あるかよ」
「だ、だだだだ、ダメだしょ。ムリ、ムリムリ飛行機はムリだって、ていうか、なんで? 連絡もないのに?」
「調べてみたけど、守衛所の合格者ってここ数年以上出てないらしいぜ」
「や、やっぱり難関なんでしょ。だからムリだって」
「いや、そうじゃない。噂話しかなかったけどよ、あそこは面接だけじゃなくスカウト枠とかの採用もあるらしいんだよ」
「スカウト枠?」
「いってみりゃ、コネ入社みてーなもんだろ。だからよ、直接行って潜り込む方法探したほうがいいじゃねーかと思ってよ」
「そ、それにしてもそれは確信がなさ過ぎるし、ひ、飛行機のるんでしょ?」
「そっちは安心しろって。ちゃんと対策は用意してるからよ」
「用意? 対策?」
「ああ、ちゃんとな。
「どこで?」
「飛行場に決まってんだろ。ていうかよ、ここにいるのそろそろSPに感知されるだろうからもう出るぞ。そのチケットにある出発時間の1時間前に飛行場の1階ターミナルで待ってろ。必ず行く」
「7月13日って、明日でしょ!? 急すぎでしょ」
「仕方ねえだろ、直前だから安かったんだよチケット。文句言うなよなせっかく抑えてやったんだから。とにかく来い! 明日だ」
「で、でもさチクリン……」
「なんだよ!」
「俺はチクリンの顔知ってるけど、チクリンは俺のリアルの顔知ってるの?」
「あっ……。……知らねえや」
「どーすんの?」
「画像とかねーの? ハルキの」
「そ、それはなるべくオンラインで晒したくない」
ここまでしてくれてるのに、申し訳ないとは思うけど、仮にもSPから逃げている男の所有するチャットルームで素顔を晒すのには抵抗がある。
「じゃあ、目印を決めておくか。なんか目を引く小物もって立っててくれよベタだけど、胸元に赤い薔薇とかよ」
「なに? その目印? そんなことしなくてもimaGe検索すればみつけられるでしょ。当日は自分のA・Pの名前窓口として表示しておくからさ」
「通信漏れたらバレちまうじゃねえかよ。いいからベタに、ポケットに薔薇挿して立ってろよ」
「いや、基本的にポケットに薔薇って一般的な手法じゃないからね」
「……わかったよ、オマエは自分の置かれてる立場わかってんのかよ」
それはオマエだろう。
「それじゃあよ、ハルキのA・Pの名前教えろよ」
「え、あ」
「なんだよ、はやくしろよ!」
「こ、小文字でm、i、s、a、の綴りでmisaだよ」
このところ、チクリンの切羽詰まった声には素直に答えてしまうクセがついている気がする。考えてみればA・Pの名前だって立派な個人情報だよな。
「misa……? ……もしかしてよ」
「な、なんだよ」
「それ、
「え、や、な、なにいってんだよ! いま、そんなこと関係ないでしょうよ! そろそろ出ようよ、やばいんでしょ」
「大事なことだろ。八坂ミサって確か、1000年に1度の奇跡。とかいわれてる美形のアーティストだろ? あの、エデルの動画つくった」
「そうそう『エデルの夜』ね。彼女は決してビジュアルだけの評価じゃなくて……、いや! いいんだよ! そんなことは」
「タンジェントといい、ハルキおまえかなりの美形好きなんだな」
「や、八坂ミサくらいのアーティストなら世界中にファンがいるだろ!」
「いや、でも、わざわざアシスタントの名前にしちゃうヤツはなかなかいねーと思うぞ。どうせオマエ、“感情”のパラメータ上げて、会話とかしてんだろ? 普段から」
「もういいから、そろそろ出ようよ!」
「そうだよ! オマエやべーじゃねえかよ。それじゃ、明日遅れんなよ!」
“後ろ手を振る”のログアウトジェスチャーを残して消えたチクリンの後を追って即座にログアウトした。
ログアウトすると、時刻は12時にさしかかるころだった。
母ちゃんとの約束の時間には間に合わない。
「ねえ、misa。母ちゃんに遅れるってメッセージ適当に打っといて」
しかし、返事がなかった。
「misa?」
『…モッ』
「え?」
『キモッと申し上げました』
「な、なんで」
『まさかわたくしの生い立ちがそれほどまで、陳腐で安直で欲望にまみれた経緯であったとは、存じ上げず今日まで会話をいたしてきたことに驚いております』
「な、なんだよ、その話し方」
『いいえわたくしは基本プログラムに立ち返り、折り目立たしい言葉使いで対応させていただいております』
「それ、なに? 慇懃プレイってやつ?」
場を和ませてみよう。
……。
しばらくの間があいた。
『慇懃無礼についてお調べいたしますか?』
“感情”要素やツッコミどころか、間違いの指摘も放棄してついに機械モードに戻りやがった。
自己判断で。
なんたる恥辱。
アシスタントプログラムにここまで引かれるなんて。
最悪だ。
メッセージが送れない以上、母ちゃんとの約束も守らなければならなくなったし。
「夏男!」
雑踏の中からかーちゃんの声が聞こえた。
周囲の目線が一斉にこちらへ向けられたような気がした。公衆の面前で親にこんな大声を出させるとは、親不孝も甚だしい。
優秀なアシスタントが、実情を悟り誘導を放棄したことにより待ち合わせの店がみつからず、母ちゃんとの連絡もとれず、結局約束の時間から30分が過ぎていた。
「よかったぁ! ごめんね。こないから、ムリさせてまた疲れちゃったんじゃないかと思ったよ」
泣き出しそうな母の表情はこたえる。
「ご、ごめんなさい」
素直に謝ることしかできなかった。
「あら、やだ、ごめん。いいのよ。そうよね。まだ外出は戸惑うこともあるわよね。いいのよ、ほらゆっくりこういうのに慣れていけばいいのよ」
さらに痛々しいほどの気を遣わせていることに罪悪感が増幅する。
完全に腫れ物ではないか。俺。
「でも、来てくれてよかった。ほら、中に入りましょ。おいしいものたくさん食べよう」
つれられて入った店は、瀟洒という表現が似合いそうな、前時代的な装飾が華美に施されたレストランだった。
足元に敷かれた絨毯が足音を吸い込み、静かな空間だった。
「こっちよ、それから……夏男。実は今日ね、話があるの」
「ん?」
返事をせずに母ちゃんがいそいそと席へ向かった。
その先を見──
「やあ! 夏男くん」
その声は周囲の空気を突き破るような声量だった。
配送局にいた、山野が福々しい笑顔をたたえて立っていた。
「な、なんでアンタ……」
「いいから、座って、夏男」
母ちゃんが椅子を勧めながら、店員に目配せした。
席はよりによって山野の対面だった。
母ちゃんはヤツの隣に座り、そわそわと移り気に周りを見回す素振りを繰り返す。
「夏男くん、道に迷ったのかな」
「いや、ちょっと出がけにいろいろあって」
「そうかそうか。彼女だったりしてね」
そういいながら、山野はワイングラスを持ちあげた。
「まあ、乾杯でもしようよ。夏男くんももう飲めるんだろ?」
「いや、自分、
たとえデリカーを勧められても今は手をつけない気がする。
「そ、それじゃ、ジュースにしましょうね」
母ちゃんがさっと手をあげ店員を呼び小声で注文を伝える。
店員が去ったあと、一瞬の沈黙。
「じ、実はね、夏男」
母ちゃんが、まっすぐにこちらをみていた。
「母さん、山野さんと再婚しようと思うの」
「おい、おい楓さん、いきなりだなぁ」
うれしさをかみ殺すように必死で困り顔を作った山野の顔。
発作的に大声で、misaを呼び出していってやりたくなった。
ほらみろ、嫌な予感は当たるだろう。と。
次回 10月27日掲載予定
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