河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第25話『 fly me to the soonフライミートゥ ザ スーン -3- 』

なぜこんな大切な朝が雨ではじまったのか。

imaGe視野内上部には、2063年7月13日、金曜日、そして『雨』の文字。
『どうするの? 辞める?』
なにかを察したのか、misaの声色トーンもさがっているようだ。
普段の約束なら、こんな雨の中、現実リアルに出掛けることはしないだろう。
しかしチクリンが危険を冒してセッティングしてくれた計画をムダにすることはできない。
チクリンと雨。
いつぞや“ニシンガキタ”が出馬した土砂降りのレースを思い出す。
この雨はあの日チクリンをバカにした罰なのか。『ブリンカー』が猛烈に懐かしくなった。
このままなにげなく『ブリンカー』へアクセスしたら、なんの変化もなくチクリンやタンジェントが待っているんじゃないか。そんな錯覚さえ覚えてしまう。
そんなわけはない。
今日は金曜日。そもそもレースは開催されていないし、タンジェントは音信不通。チクリンにいたっては逃亡中だ。
「そんなわけにいかないよ」
『少しはマシな表情かおできるようになったみたいだね』
「そ、そんなことまでわかるの?」
『表情筋の変化って結構繊細なんだよ』
「鋭いね」
思わず笑ってしまった。アシスタントプログラム相手に本気で。
「初めて表情のこと突っ込まれたけど」
『そりゃ現実リアルにいるときのアンタの顔には、変化なんてほとんどなかったし』
「そういわれればそうだよね」
『ね、ねえ、ところでさ、いちおう確認だけど、そのスーツは着て出掛けるの?』
身につけているソフトスーツのことをいっているのだろう。確かに目立つ。荷物に入れようかとも思ったけど、やめた。
「やっぱり、節目に着た方が引き締まるとおもうんだよね」
『まあそうだね。ハルキらしいかもね』
misaが本当に笑ったような気がした。

飛行場1階ターミナルフロアは空間が直線的で長く伸びている。
広大な面積なのだろうが週末のせいなのか、人々の往来は激しく出発を待つ乗客がそこかしこに行列をつくり、混雑していた。
遥か頭上に広がるアーチ型の天井付近には、お土産の広告や案内板が見下ろすようにぷかぷかと浮かんでいた。
「こ、ここであってるよね」
『まあね。どの搭乗ゲートなのか、特定しなかったお粗末さが悔やまれるけど』
「も、申し訳ないのですが、あの、チクリンがくるのに備えて、アシスタント名の表示をおねがいいたします」
舌打ちでも返してきそうなテンションでmisaは『わかったよ』と返事をして、A・P名の表示を開始してくれた。
搭乗ゲートへ向かう入口付近にチクリンはやってくるとmisaは推測していた。
確かに、一番手早く荷物をやり取りできるとは思うけど……、左右を見渡して不安になった。
人が多すぎはしないだろうか。
飛行場の中央に位置するこ搭乗ゲートの周りには特に人が密集している。チクリンはここに来られるのだろうか。
そうか、もしかすると変装をしているかもしれない。もしくは、代理の人間をよこすこともありえる。
これだけ人が集まり、かつ一般的な場所よりも警備が行き届いている施設へ素のままで姿を現すのはいくらなんでも避けるんじゃないだろうか。 まして、あの目立つ風貌で──
「お……ルキ!」
目の前の行列の向こうの人混みの、さらに向こうの方から、名前を呼ばれた気がした。
「おーい……ルキ! ハ……」
声が近づいてきている。
いや、この距離で、声が聞こえるって。
どれだけの声量なんだ。
「……ルキ! ハルキー! ハルキー!」
一直線で声が近づいてくるのがわかった。
目で追いかけ、振り返る人の頭の動きで。
「ハルキ! どこだ!」
声と、動く物体が重なった。
見事なアフロヘアを肉眼で確認した。
チクリン。
目立ちすぎだ。
名前を叫ぶな。なんのためにA・Pの名前を立ち上げていると思ってるんだ。
しかし声は迷いもなくこちらへ向かってきて目の前に現れた。
「お? お! おお!? オマエがハルキか?」
まるで、昨日も会った友人とすれ違ったように軽薄に、チクリンは右手を挙げた。
初めてあった感動はないようだ。
それよりもこの男、自分の置かれる立場がわかっているのだろうか。
「おお、なんだオマエ、結構、アバター美化してんだなあ」
「ち、チクリンは、なんか初めてあった感じがしないね」
チクリンは、ブリンカーでみるアバターデザインそのもので、初対面の感動も緊張もない。
「なんだよそのスーツ、たるんたるんじゃねーかよ、どこで売ってんだよそれ」
「いや、オーダーメイドだよ。このシルエットは既製品じゃだめだ」
「オマエなかなかの変態だな」
黒井チクリン、セクシャライズアバタの制作を行い、乳頭へ異常なるこだわりをもつ男。
この男に変態と指摘をうけるのは、想像以上に精神をかき乱した。
「それより悪ぃな、遅くなって。それから、いろいろと迷惑かけたみてーで」
「いや、お礼をいうのはこっちだよ」
「礼をいわれるのは、この商品を無事に渡してか──」
チクリンが振り返った。
「や、走れ! ハルキ!」
「え?」
「みつかった」
チクリンの背後の人混みがざわめく。
明らかに一般客と異なる一団が勢いよく向かってくる。
反射的に走ってしまった。
チクリンも少し後ろをついてくる。
「ハルキ! これ……っけ!」
「え? なに?」
チクリンが小さいクッションのようなものを突きだした。
「持ってけ! これなら飛行機乗れっから!」
「え。え?」
チクリンが、地面に転がった。
「来んな! 行け! いいか……ませ…、乳頭に……ってからよ!」
「え? なに?」
「乳頭だよ! 乳頭! バッチリ仕込んでっからよ!」
「あ、あああ、うん」
意味がわからなかったけどとにかく返事をして走った。

生まれて初めて座った飛行機の座席は少し窮屈に感じた。
周囲の乗客はまばらで、ぽつりぽつりと人が座っている程度。空席が目立つ。
飛行場内はあれだけ混雑していたというのに、臨空第九都市へ向かう乗客は少ないのだろうか。まばらな人影が余計に不安を煽るのか、さっきから手の平にしみだす汗が止まらない。
バタバタで実感がなかったが、ついに飛ぶときがきたんだ。
misaと会話でもして気を紛らわせようか。
さっきの騒ぎがあるから念のためA・Pアシスタントプログラムは、スリープ状態にしておいた方がいいかもしれない。
じっとしていると汗はさらに噴き出してくる。
唯一の救いは、席が通路側だということかもしれない。
左隣の空席を隔ててぽっかりと口をあけている機内窓に視線をやる。窓には雨粒がびっしりへばりついている。
歯の根がかみ合わないという言葉を思い出した。さっきから奥歯が楽器みたいに鳴りつづけていてまるでカスタネットにでもなった気分だ。
通路側の席でこんな調子なのに、もし窓際の席に座っていたら……、景色が見えていたら……、まずかっただろう。
感謝した。
チクリンは2席のチケットを確保してくれていたのだ。もしかすると、この便で一緒に逃げるつもりだったのかもしれないが。
床に転がったチクリンの姿が蘇る。
必死で走って、手渡してきた謎のクッション。
僅かな厚みをもったこの物体の表面は、まるで人肌のようにしっとりとした感触で、落ち着いてよくみると、小さく『チクリニック製』とあった。一体どんな目的があ──
「あのぉ、お隣、よろしいですか」
クッションに気をとられ、人の気配に気づかなかった。
いつのまにか通路にひとりの男が立っていた。
「お隣、よろしいですか?」
「え、あ、この席は、予約してあっ……」
「ちょっと、失礼、しますね」
男は、器用に腰をくねらせ、流れるように窓際の席へ座り込み、手にしていた金属製のアタッシュケースを足音にそっと置いた。
と、隣に座ろうとしているのか?
目元を覆う、黒々としたサングラス。ダイナミックにうねりながら肩まで伸びた黒い髪。
あまり、長時間席を隣にしたくない風貌だ。
「あ、わたくしですね、豊川豊と申します。上から読んでも下から読んでも豊川豊です。どうぞよろしく」
視線に気づかれたのか、豊川と名乗った男はこちらへ手のひらを指しだし、小さく頷いた。
男の手元から、“カードがふわりと舞いあがる”エフェクトが表示されimaGe視野内に名刺アイディーが飛んできた。
映されたのは、正面を向いた豊川の画像。
なぜだろう。
表情を読むことができないサングラスと対峙した瞬間、ソワソワと背中がざわめきだった。
まるで海中の奥深くで深海魚と鉢合わせしたような、落ち着かない気分。
現実リアルの海に潜ったことも、深海魚に出会ったこともないのに、なぜそんなことを思ったのか。

窓の外に広がる暗雲と、打ち付ける憂鬱な雨垂れがそんな気分にさせたのかもしれない。



次回 11月10日掲載予定 
fly me to the soonフライミートゥ ザ スーン -4- 』へつづく

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