「いらっしゃいませー!」
無人タクシーを降り、飄々と人混みをすり抜ける豊川さんに連れられてきたのは、『スナック 満』という小さな飲み屋だった。
臨空第九都市中央アーケードのメインストリートからはずれて路地へと入り込み、突き当たりの細い階段を上った薄暗い場所。
『スナック 満』というからにはスナックというジャンルの店なのだろう。
立地の悪さと薄暗い廊下に不安を煽られたが、出迎えてくれたのが女の子でなぜか安心した。
「マナちゃんひさしぶり。ママは?」
「買い出し中でーす」
マナちゃんと呼ばれた女の子と話しながら豊川さんは店内へと入っていく。
「あ、あの」
「どうぞ。こちらですよ」
マナちゃんに手を握られた。
その気分はなんというか、イヤシちゃんに通じるものがあった。
「豊川さん、出張だったんだねー」
「そうなんだよセキュリティチェックセンターの本部まで呼び出されちゃってさ、飛行機まで乗ったんだよ」
「それがこの前いってた?」
「そうそう。ジャンパーとかいろいろと使って説明してきたの。あ、これ、お土産ね」
「あらー、ありがとー」
みていてもいいものなのだろうか。
豊川さんは、ママと呼ばれる女性が現れたとたん、慣れた仕草でママの膝のうえに頭を載せてソファに横たわっていた。
ママさんは、動揺することもなくあのうねるロングヘアを撫でている。
これが、大人の世界なのか。
「ところで、こちらの方は?」
「ああ、そうそう、桜井くんだっけ」
「い、いや、自分、桜って書いてハルノキっす。名前は、夏に男で夏男です」
「ああ、そうそう。桜くんだった。今日ね、飛行機であったんだ」
「そっかー。はじめましてー。桜くんは、この街は初めてなのー?」
話しかけてきたママの顔をよくみると、自分より3歳か4歳ほど上に見えた。
「や、じ、じじじ、自分、初めてっす」
「そうそう。初めてだったんだよね、今日は初めてがたくさんですねぇ」
「あら? 街以外にもはじめて? どんな?」
「あ、ああ、いやいや、その」
「そういえば、桜くん、イヤシちゃんはどうしたの?」
「イヤシちゃん?」
「あ、や、なんでもないっす」
「なによー、赤くなって、かわいいわねー。じゃあいっぱい飲んでねー」
「自分、リアルのお酒はあまり……。デジタル酒飲み過ぎて“幻酔”しちゃうくらいなんで」
「え?! 幻酔したことあるのキミ?! それはすごいな、夢精するくらい珍しい体験だよ」
「む、夢精……ですか」
豊川さんとママは大声でわらった。
「あ、あの、ちょっとトイレに……」
そういうと、マナちゃんがすかさずやってきて案内してくれた。
個室に入り少し落ち着きを取り戻した。
こじんまりとした場所は昔から大好きだ。
便座に腰をおろすと、壁に貼られたポスターカレンダーが目に入った。
どうやら、カレンダーの上部に動画が埋め込まれているらしく、imaGeが勝手に再生を開始する。
キャッチコピーが立て続けにながれ、デリカーの瓶が降ってきた。
珍しい。デリカーのリアル広告だ。
仮想空間でしか買えないデジタル酒を現実のスナックに広めてどうしようというのだろう。
デリカーのPR動画はループになっていて、キャッチコピーと拳が繰り返し流れる。
そういえばチクリンが『ブリンカー』の空中を拳で叩いていた。あれは『ブリンカー』に設定されたオリジナルジェスチャーじゃなくて、公式ジェスチャーだったの……、……え……?
身体の動きや、出かかっていたもろもろが止まってしまった。カレンダーに『豊川個人事務所』とあったからだ。
『豊川』という姓は、唯一無二の珍しいものではないだろうけど、そこらにありふれているものかというとそうではない。学校やどこかのチャットルームにひとりいるかいないかくらいの割合だろう。
それが、この小さなスナックの中で2回も出会ったのなら同一人物と考えてよいのではないか。
『豊川個人事務所』は豊川さんの事務所で、あの人はおそらく、代表者かその近隣者。同時に豊川個人事務所は、デリカーを扱った商売をしているということになる。
ライセンス契約で販売しているということも考えられるけど、こんな広告はどこのサイトでもみたことがない。
そうすると、デリカーの販売や権利を仕切っているのは、豊川さんという可能性が高いんじゃないか。
「す、すげえ」
あの人、何者なんだ。
デリカーの売り上げなんて、それこそデタラメみたいな金額だと思う。
「桜さん、守衛所で働くんでしょ?」
動揺を抑えられず、ふらふらしながらトイレから戻るとママにいきなり聞かれた。
ゆっくりソファへ座り直して答える。
「いや、でも履歴書送ったきり返事がなくって……直談判しにいってみろって友人が」
「それで豊川さんに頼んだの?」
「そ、そういうことです」
「桜くんさ。そういえば履歴書どうやって準備したの?」
「え?」
豊川さんがのっそりと顔を近づけてきた。
「紙の履歴書が必要だったはずでしょ」
「実は、履歴書高すぎて買えなかったんで、友人が用意してくれたんです」
「あーそういうことか」
「……どういうことですか?」
「TYPCのじゃないでしょ?」
「は、はい? ……はい」
確か履歴書の販売元がそんな社名だった。
「アレ、ボクの会社なんだよ。
「ま、マジですか!?」
「うん」
何事もないようにグラスを傾けた豊川さんの背後に紫色の靄がみえるような気がした。
なんだろう、異界の底からせり上がってくるようなおぞましい気配のようなもの。
この人は一体何者なんだ。
「守衛所さんは、ごひいきにしてくれててね。いまでも紙の履歴書にこだわってるから」
「それで紙の履歴書なんですか?」
「それだけじゃないよ。紙はいろいろと便利なんだよ。たとえば、ママぁ、なにか紙ないかな、チラシの裏とかでいいから」
豊川さんはママが差し出してくれた紙を受け取り耳元からペンを取り出してなにかを書き始めた。た。髪の毛に埋もれていてみえなかったけど耳にペンを挟んでいたようだ。
「たとえばこうやって『推薦状』って書くとするでしょ。守衛所に推薦しますよってかいて、ボクのサイン入れれば、ほら、推薦状」
意外に達筆だった。
「これイヤシちゃんと交換しよう」
「え?」
「紹介してあげるからさー、イヤシちゃんと交換しよう」
正直、迷った。
今朝の時点で、チクリンがくれたダッチワイフと守衛所への就職を天秤にかけられていたら即答で了承したことだろう。
しかし飛行機でやさしく手を握り返してくれたイヤシちゃんを知ったいまは……。
「そ、それはちょっと考えたいです」
「やっぱりー? そういうと思ったんだよなぁ。じゃあ一旦この話はナシね」
えっという間もなかった。
豊川さんはいきなり『推薦状』を破いた。
「はい、これでもうこの紙はゴミになりました。こういうときに紙の方が便利なんだよ。データになる前なら、何も残らないから」
「な、なるほど」
なにいってんだ? この人。
「ところでさ桜くん。本当にイヤシちゃんと交換するのはだめかな。今度はちゃんとした推薦状かくからさぁー。だめかな?」
「そ、その、なんていうか、友達がくれたものなんで……」
「そっか、そうだよねえ。欲しいなぁーイヤシちゃん。欲しいなぁ、欲しいなぁー」
彼はまるでだだをこねる子供のようにソファにふんぞり返った。
「そこまでですか、ただの人ぎょ……」
「桜くん。一目惚れってあるでしょ」
人形と言いかけた途端、豊川さんがソファへ座り直し少し前屈みになって指先を軽く組んだ。
まるで、控え室で出番を待つアーティストのような、みなぎる緊張感。
「そいういう類いのものを感じたとき、人はなりふり構わずに目的を達しようと動く生き物だよ。ボクにとってイヤシちゃんはもう、そういう存在なんだ」
「は、はぁ……」
今ごろになって機内にいたCAさんたちの気持ちが痛いほどわかった。
「ボクはいま、是が非でもイヤシちゃんとお付き合いをしたいと思っている」
眼差しは読み取れないが、まっすぐにこちらをみている漆黒のサングラス。
まるで熱線でも発しているかのような、熱量。
「まして、チクリニック最後の作品になるかもしれないし」
「最後ぉ? どぉういうことですぅか?」
「さっきチクリニックの店主が捕まったってニュースが流れてたからね」
次回 11月24日掲載予定
『 イヤシイ・ジェラシィ -2- 』へつづく
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