河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第54話『 HALLO HERO 08 』

「だーかーら、あんたらさぁ、このプロジェクトのコンセプトって“新しい女性ヒーロー像を創出する”なんすよね?」
「あ、あんたらとはなんだ! 5294番! 何様のつもりだ!」
チクリンは、まったく動じることなく職員と言い合いを続けている。
「チ、チ、チ……」
「ど、どうしたのハルノキくん?」
飛行場でセキュリティ・ポリシーに拘束され、こんな地下に閉じ込められてなお、乳首と乳頭の違いをただそうとする男を、自分は世界でひとりしか知らない。
「立場? いや、オレ、このプロジェクトに参加するように言われて参加してるんで、プロジェクトメンバーなら企画に対して発言するのは当然じゃないすか? いいすか? いまの論点は、なぜ乳頭が必要なのかということですよね!?」
「いいや、ちがう!」
職員に同感だ。
チクリン、ここはそういう理屈が通じる状態ではないんじゃないか?
「なにいってんすか!? 女性ヒーロー、まあ女性に対してヒーローってのも個人的にはどうかと思いますが、それは時代の流れってやつで、性的な差異を度外視した呼称なんで置いておきますけどね、女性ならば女性たる個性は必要なんすよ。絶対的に、それは男にはない強力な武器になります。それが乳頭と乳輪す!」
「だ、だから、なぜ乳輪をさらけ出す必要があるんだ!」
「あ、あのチクリン!」
「ん? おうハルキ。いまちっと忙しいんだよ待ってろ」
なんだ、その廊下でおはようと声をかけるような軽い挨拶は。チクリンはこちらには全く関心を示すことなく職員にさらに喰ってかかる。
「曝け出すのとは違います。“魅せる”っていってください! いいすか? 自分にはもうみえてるんです。方程式が。どんな比率でフォルムを紡ぐべきか! 完全に!」
「な、なにをいっているんだ。5294番」
「だーかーらー、乳頭と乳輪の比率ですって。伸縮性のある素材で作られたヒーロースーツにとって、身につける人の体型は変動する数値です。つまり、フォルムが変動します。Fカップの女性ならば、スーツ胸部の伸縮率は156%。その場合の“頭輪比率”は乳頭1に対して乳輪が3.68。ふっくらとしてみずみずしい乳房になります。それに対し、Cカップの女性ならば、伸縮率は132%。頭輪比率は1:2.38。スポーティーでシャープな印象を高められます。この黄金比率を実現する素材も含めてすべてプランは立ててあります。まかせてください!」
「だ、だから……」
“チョリーン”
なにか言いかけた職員の言葉を遮るように、作業場にチョリーンが鳴り響いた。我関せずと黙々と作業していた人たちにもどよめきが起きる。
「全員、私語を慎め! 5294番! なぜチョリーンした!」
「知らねーっすよ。勝手に鳴ったんです」
「まあまあ、2人とも少し冷静になろうじゃないか」
奥の席に座っていた赤いトレンチコートの男が手の平をやんわりと上下させながら近づいてきた。見た目とは違って、穏やかな話し方だった。
「5294番の言い分もわからないでもない。今日は、ドキュメンタリーの撮影や、見学の方も見えているから揉め事はよそう」
紫色のトレンチコートを着た職員は、顔が歪むほど奥歯を噛みしめ、頬を赤らめながら頷いた。
「見学の方、御用があるようですね」
「そ、その前に、いいですか? チクリン! こんなとこで何してんの?」
チクリンはこともなげに振り返った。
「いやぁ、飛行場で捕まってさここに連れてこられたんだけどよぉ、なんか女性モノのヒーロースーツつくるっていうから、いろいろ調べてさ、アイディア出してだけだ。オマエこそ何してんだよこんなところで」
「ていうか、もうちょっと、さ、おお!とか、絶句したりとか普通するでしょ? 道端であったわけじゃないんだからさぁ」
「こないだあったばっかりだろ? なんでそんなに騒いでんだ?」
「い、いや、日数の問題じゃないでしょ」
この短期間に頭を丸め、髭を剃り、地下に収監されている友人に再会するというのは驚愕に値する出来事だと思うのだが。
「あの、申し訳ないですが、更生者との私語は慎んでもらえますか?」
「あ、す、すみません」
「御用はなんでしょうか?」
「あ、あの、僕、この町のヒーローをしていました。純平と申します」
純平が取りなすように間へ入ってくれた。
「フロントから連絡は受けております。活躍ぶりも。しかし、なぜこちらへ?」
「はい。じつは、昨日、私のスーツが破れてしまいまして……修理を頼めないかみてもらいたくおうかがいいたしました」
「スーツ? どれどれ?」
チクリンが勝手に純平のスーツを調べだした。
「勝手なことをするな! 5294番!」
さきほどの職員が血相を変えてまた怒鳴った。
「まぁ、まぁ、穏便に」
「し、しかし、班長」
「これだけ短期間でチョリーンを鳴らすような更生員は初めてでしょう? 少し様子をみてみるのもいいかもしれません」
班長と呼ばれる赤いトレンチコートの男は、チクリンに向きなおって静かに言った。
「純平さんのヒーロースーツは、直せそうですか?」
スーツを観察するチクリンの表情は真剣だった。とてもさきほどまで、乳頭について語っていた人物とは思えない。
「2040年初期モデルっすね。だいぶ古いし、損傷も激しいから直るかはちょっと、脱いでみてもらわないとわかんないっすね」
「そうか……よし、それじゃあ、別室で修理してみろ」
「は、班長!」
「いいから。これも更生の一歩じゃないか。わずか数日で、ヒーロースーツの全モデルを識別できるほどの観察眼。なかなか見所がある。それに彼は、特別だろう?」
よくわからないが、ち、チクリン。すげぇ。
苦々しい表情の職員を尻目に、堂々と別室へ向かって歩き出した。

通された部屋は、いつだったかチクリンの巻き添えを喰って拘束されたセキュリティ・ポリシーのVR内取り調べ室を彷彿とさせる、何もない真っ白な小部屋だった。
入口にはさすがに、監視が立っているが、さっきの職員とは別人だった。
「じゃあ、とりあえず、脱いでみましょうか」
チクリンはまるでヌードを撮り慣れたカメラマンのように、あっさりと純平に脱衣を要求した。
「は、はい」
純平は戸惑いながらも素直にスーツを脱ぎだす。この狭い空間で男の脱衣シーンを眺めるというのは一体どんなシチュエーションなんだろう。
スーツを脱いだ純平は、バスタオルのようなものを体に巻いて椅子に座った。
「ミシンあります?」
チクリンの声に応え、職員はミシンの乗った台を運び込んできた。
「とりあえず、縫ってみっか」
いいながら器用にミシンをセッティングし、スーツの裂け目を手で整えだした。
「だいぶ、ハデに破けてんなぁ」
「ね、ねえチクリン」
入口を固める職員に気をやりながら話しかけると職員は黙って正面を向いていた。この部屋内では会話が許されるようだ。
「あれから心配してたんだよ、大丈夫なの?」
「あ? ああ、全然」
チクリンは手元を見つめたまま、こちらを見ようともしない。
「なんかな、細けえこといろいろ調べられて、答えてたらよ、この施設に入ることになってな。んで、いきなり企画班ここに配属になったわ」
スーツの生地に針が落とされる。チクリンは、ゆっくりと当て布をあて縫いだす。
「あ、あとどのくら残ってんの? け、刑期? っていうか……」
「刑期? ああ、もう、ねえみてえだぞ」
スーツをみつめたままチクリンはさらりと言い放った。
「へっ?」
「初日からチョリーン鳴らしまくってたら、どんどん減ってって、もう出所してもいいらしいわホントは」
「じゃ、じゃあなんで……」
「ばかやろう。手をつけた仕事、途中で放り出すヤツがいるか? ヒーロースーツに乳頭つけるまで、オレはテコでもここを動かねえつもりだ」
「そ、そっか……」
チクリンが所有している、競馬観戦チャットルーム『ブリンカー』で、乳頭について熱く語っていたときのことを思い出した。
そうだった。この男は、ある種の天才だった。
スーツも淀みなく的確に縫合されていく。まるで逆回しの動画をみているように、するすると元の形に戻り、割れ目がつながっていく。これだけ器用に裁縫ができるのをみていると、あのイヤシちゃんをこの男が作ったことにも素直に納得ができた。
そういえば、この旅はイヤシちゃんのためにしているようなものじゃないか。
そうだ。この男に頼めば、九州までいかなくてもいいのではないだろうか。
「チクリンさ、イヤシちゃんってもう1回作れたりしないの?」
突然、ミシンの動きが止まった。
「はぁ? なんでだよ? おまえまさか……」
しまった。
地雷を踏んでしまったのか。
これほどまで作品に対して情熱を燃やす男の、作品を他人に盗られましたなんていったら……。
「イヤシちゃん、2体はべらかして、楽しいことしようとしてんじゃねえだろうな? いつからオマエ、そんな御大尽になったんだ、このやろう」
うれしそうに、歯をむき出しにしていた。
そうだ、根底はアホなのだ。
よかった。
「…………あ、あ、う、うん、じ、実はそうなんだよね、イヤシちゃんと、そう、もっと色んなことしたくなって……」
ここは、ごまかすしかない。
「早くいえよ、ばかやろう」
「え、もしかして取ってあったりするの?」
「いや、悔しいけどな、飛行場で全部、やられちまったから残ってねえよ」
そうだった。チクリンは逮捕の瞬間、セキュリティ・ポリシーに対する防壁としてイヤシちゃんを大量に膨らませていたのだった。
いまでも、あの逮捕動画は『巨匠大砲』と検索すればいくつも検索にヒットする。
「いっとけよなー、複数プレイしてえなら。一体ぐれぇ、腹の中に隠しといたのによぉー」
「つ、作るのはムリなの?」
「ムリだよムリ。オマエな、あの素材がなにか知ってんのか?」
「素材って?」
「イヤシちゃんの柔肌だよ。あの質感再現すんのに、オレがどれだけ苦労したと思ってんだ? 考えてみたら、そのせいで捕まったんだぞオレ」
「イヤシちゃんの素材せいで?」
「そうだ。あのな、あの素材は、医療用に開発された、超々々低反発の特殊マットなんだよ。世界中のシリコネストが垂涎する、プレミアムマテリアルだ。タマゴとかさ、上からおとすだろ、割れないんだよ。これが。飛行機の中でもおまえの不安をしっとりとキャッチしてくれただろ?」
上手いこといってんじゃないよ。と思いつつ、ふと、国立さんのところで使っていたマットのことを思い出した。そ、そういえば、あの手触り今にして思えば、イヤシちゃんの質感と似ていたような気がする。
「そ、その素材さ、もしかして研究所とかで使われてたりする?」
「よく知ってんじゃねえかよ! そう、そんじゅそこらには出回らない素材だからな。手にはいらなくてさぁ」
「も、もしかして、盗んだ?」
「いや、ホントは、ハルキから受け取った金で買おうとしたんだけどな、売ってくれなくてよ、どいつもこいつも」
「つ、つまり、盗んだと」
「平たくいえばな。でも、そのおかげで、イヤシちゃん、最高だったろ?」
熱病に浮かされたような、ギラギラした眼でチクリンが、覗きこんでくる。
「う、うん」
確かに、飛行機の中で不安を紛らわせてくれたのは間違いない。
「まあ、だからあのマットがねえと作るのはムリだな……おーし、とりあえず出来たわ」
話をしながらもチクリンは手を休めることなく、ヒーロースーツの裂け目をキレイにつなげていた。
「な、直ったんですか!」
純平はパンツ1枚の状態で立ち上がった。
「いや、ムリでした」
「えっ!」
あれだけ自信満々に出来たといいながら直っていないのか。
「このスーツ、直んないっすわ」
「だ、だってそんなにキレイになのに!?」
「見た目はね。でもこのタイプのスーツって、いちおうパワードスーツの一種なんで、結構繊細なんすよね。筋肉繊維とか綿密に織り込まれてるし。あ、でも、助助は使えるんで、エデルの監視だけは復活してるっすよ」
「そ、それ逆に怒られるんじゃ。スーツ破いてるようなヒーローって」
「それはあるかもしんないっすね」
「と、とにかく、純平さん、着てみましょう」
「う、うん」
純平はおそるおそる、スーツを身につけ空中をスワイプした。
「あぁ、やっぱりダメだ。助助は認識されるようになったけれど、ヒーローレベルはエラーのままになっている」
「やっぱりダメですか?」
「僕は、いったいどうすれば……」
「ていうか、ハルキ。この人、新しいスーツ買えばいいだけなんじゃねえの? いくらでもスーツなんて売ってるだろ? オレたちが毎日汗水垂らしてつくってんだからよ」
「……ハッ! そ、そうか……僕はなんてバカだったんだ。自販機で買えばいいだけじゃないか。ハハハ! ハルノキくん! こうしちゃいられない! まもるくんを連れて町へ戻ろう!」
「確かに、そうですよね。わ、わかりました、チクリンは……一緒にいかない?」
「いや、オレは、乳頭つけねーとだから。また遊びにこいよハルキ」
来るわけがないだろう。
「チクリンこそ、ここ出たら、守衛所に顔だしてよ。なんとか、潜り込めるように頑張るから」
「おーそういえば、そうだったな。細かいことはわかんねえけど、まあ頑張れや」
チクリンは呑気に片手をあげるだけだった。

1階へ戻ると、まもるさんが盛大に“トゥントゥントゥーン”を鳴らしていた。
「あ! ハルノキくん!」
よくみるとクルー達は、あきれた顔で立ち尽くしている。まもるさんを連れだそうとしても誰も止めようとしない。
「あ、あの、取材、終わりましたんで。どうぞご自由に」
谷田と呼ばれていたADは、気まずそうな表情で頭を下げた。
むしろ、はやく引き取って欲しそうな雰囲気すら醸し出している。
近藤に至ってはこちらに視線を向けようともせず、レポーターのお姉さんと話し込んでいる。
「まもるさん、なに喋ったんですか?」
「ぼ、ボクは、普通にお話しただけなんだけど、ずっとトゥントゥントゥーンが止まらなくって」
「きっと、ヒーロー協会にとって、痛手になる革新的で斬新なコメントばかりだったんでしょうね」
「そうなの?」
「いや、わかりませんけど」
「と、とにかく、町へ戻ろう! ヒーロースーツを手に入れないと!」
純平だけが真剣な表情のまま先を急いでいた。

“自販機回廊”の奥に辿りつくと、自動販売員は虹色のライトを照らして迎えてくれた。
『やあ! キミたちよく来たね! この町のヒーローになって……あれ? 純平じゃないか』
「お、お久しぶりです」
『どうしたんだ? まさか、いまさらヒーロースーツの使い方でも相談に来たんじゃないだろうな? ハハハ!』
「いえ……実は……ヒーロースーツ、破けちゃいました」
『なんだって!?』
自動販売員セールス・プログラム音声こえが曇った。虹色の照明も少し、トーンダウンしたような気がする。
「修理はしてみたんですが、助助がかろうじて動いているだけで、チョリーンともトゥントゥントゥーンともいわない状態でして……」
『キミはこの町、いや、この国のレジェンドヒーローじゃないか!』
「それで、そのぉ、新しいスーツを買いにきました」
『そうだったのか! それもそうだよな! 待ってくれぇ……純平のヒーロースーツの価格はっと……120,000,500円みたいだぞぉ!』
自動販売員はまるで、ウィンクでもしてきそうな程、軽快な音声でいった。
「い、えっ? い、い、1億2千万……円?」
『ちがう1億2千万500円だ』
この際、500円はもうオマケみたいなモノなんじゃないだろうか。
「ボ、ボクは500円で買えたのに!」
『んん? そこに、まもるもいるのか? 当たり前じゃないか。キミはレベル0の新米ヒーロー、基本価格での販売だ。しかし、純平はレベル1950のレジェンドヒーロー。プロが使う道具は腕が上がるほど、高品質になる。そうなれば、高価になるのが世の常だ。価格に差がでるのはあたりまえだろぉ?』
純平がふわりと地面に崩れ落ちた。まるで電源が落ちるように。
「う、うそだろ……もう、ヒーローに……」
「あの、なんとかならないんですか? たとえば、分割で支払うとか?」
『ん? キミは……ヒーロー登録されていないようだからわからないかもしれないけれど、借金を抱えたヒーローなんて尊敬できるかい?』
「いや、ヒーローになって、借金を作った人なら知ってますけど……」
『残念ながら、分割の支払いは認められない』
「そ、それじゃあ、もう純平さんはヒーロースーツを着れないってことっすか! そんなのおかしいでしょ?」
無性に腹がたった。
『しかし、分割はできない』
事務的な言い方だ。
「この人がさ、ずっと、なに心配してたか知ってんの? 暑いからって町の人が熱中症になること本気で心配してたんだぞ! 夏が暑いなんて、当たり前だろ? スーツ壊れてんだから暑いんだよ! でもな、この人は、本気でそういうこと心配しちゃうんだよ! それほどまで、真剣なんだよ、借金作ってバカにされてもヒーロー続けてきたんだぞ! こんなにヒーローに向いている人他にいねーだろ? そんな人に、1億払えって? どれだけあくどい商売してんだ? ヒーロー協会ってのはよ!」
自販機を思いっきり蹴りつけた。
硬い感触を足の裏全体に感じる。
『キミ! 乱暴なことをするんじゃない! 警報装置が作動してしまう!』
「こんなにバカ真面目に他人のこと心配できるひとのためにルール変えられないっておかしいだろ! ヒーロースーツ売ってる元締めだろ? あんた! なんとかしてやれよ!」
硬い感触が伝わってくる。
何度も何度も。
「なんとかしろよぉ! ……うあ」
硬い感触が急に、柔らかくなった。
「ま、まもるさん!?」
自分の足と自販機の間に、まもるさんの顔面が挟まっていた。
慌てて足を避けた。
足の裏から顔面の感触がいつまでも消えない。
静まりかえった自販機回廊に呻き声が漏れる。
痛みに耐えるような荒い息づかいが、少しずつおさまり、やがて、頬を押さえながらのっそり、のっそりと、まもるさんは立ち上がり自販機とまっすぐに対峙した。
「自動販売員さん……ボクのヒーロースーツを純平さんにあげちゃダメですか? ボクがスーツを着てても、トゥントゥントゥーンしか鳴らせないし……この町のヒーローには純平さんがふさわしい、それにやっぱり純平さんにはヒーローでいて欲しいんです! お願いします」
きゅっと口元を引き締め、直立したまますっと頭を下げた。
『確かに、譲渡は禁止されていない』
「本当ですか! それじゃあ、ボクのスーツ、純平さんにあげます!」

“チョリーン”

唐突に狭い自販機回廊に、小気味よい音が、した……。まもるさんのポケット……から……。
「えっ!?」
全員の視線がまもるさんに集中する。
「鳴った! 鳴ったよね? 鳴ったよね? ハルノキくん! いまボク、“チョリーン”したよね!?」
「な、鳴りました。た、確かに」
『やったな……まもる。はじめてオマエのヒーロー性を見た気がするぞ。まあ、その瞬間に引退するんだけどなハハハ!』
機転なのか、負け惜しみなのかわからないが、自動販売員の軽口で場が和んだ。
『それで、まもる、記念すべき初任給と退職金はいくらだったんだ?』
「あ、そうだ! いくらだろう。はじめてのチョリーン! もしかして、千円くらいもらえたりして……ぇ!?」
まもるさんが空中をみつめたまま、背筋をピントと反らした。まるで、大小どちらかの便意を急に催した小学生のように。
「あ、あれ? あれ?」
今度は3桁のかけ算をしようとして、桁を区切る点の位置が解らなくなったように、空中で指を左右に揺らしはじめた。
「なに? これ?」
あの動きが、もし、チョリーンした報酬を数えているのだとしたら、たとえ話でもなんでもなく、本当に途方もない桁数を数えている動きだとしたら……。
まもるさんは、口をあけたまま空中を指でポンポンポンとタップしている。
「に、2千万円くらいあるよ……」
「2千万ですか!? だって、チョリーンって1回鳴ってもせいぜい……」
「そうか。そうだとしたら」
純平が素早く空中をスワイプした。
「……やっぱり……そういうことか……」
「ど、どういうことですか?」
「……ハルノキくん……僕の残高が0円になっている、おそらく、まもるくんの2千万円は僕のお金だ」
「純平さんの持っているお金が全部、まもるさんに移ったってことですか?」
「ああ、間違いない」
「そんなのアリですか!? どうするんですか? 純平さん無一文になっちゃうってことですね?」
「いや、いいんだ。僕はね何年も前からずっと思っていたんだ。自分は本当にヒーローとして活動しているのかと……」
『なにをいってるんだ。充分すぎるほど活動してくれているじゃないか!』
「違います。活動とはつまり、活き活きと動いてこそ、活動なんです。でも、僕はこの20年、ただ町をぶらぶらと歩いていただけだ」
「それは、純平さんのヒーローレベルがハイレベルだったからじゃないですか」
「僕のヒーローレベルが、本当に人にとっていいことなのか疑問だったんだ。“困難”と一生懸命に戦うのも大事なことなんじゃないのかなって」
純平は澄んだ目をしていた。
「だから、もういちど初めからヒーローをやり直せってことなんだよきっと」
「そ、そんな……」
「まもるくん。本当に僕にスーツを譲ってくれるかい?」
「はい! もちろんです!」
まもるさんが、勢いよくうなずくと、2人の間にあった自販機が盛大に光を放ちはじめた。
『ちょりーん、ちょりーん』
「じ、自動販売機さん……?」
『まもるの献身さ、そして純平のヒーローへの想い。すべて見届けた。ボクからも賛辞チョリーンを贈らせていただく!』
「そ、そういうことなら 僕だって負けませんよぉ! まもるくんへ、ちょりーん! ヒーローじゃないけどハルノキくんにも、ちょりーん! 町のみんなにも! ちょりーん、ちょりーん、ちょりーーーーん」
自販機が放つ光を、純平の目元がキラキラと反射していた。

「あのバスじゃないかな?」
ゆらゆら漂う陽炎の中にレトロな風貌のバスがあらわれた。
バス停には日よけがなく、ダイレクトに日光が降り注いでくる。
正午近くになって、陽射しはよりいっそう強くなっているようだ。
「あのバスに乗れば、臨五に着くはずだよ」
“チョリーン”
純平のポケットが鳴った。
「キミたちの道案内をして、チョリーンをもらうのはなんだか滑稽だね」
真新しいヒーロースーツを軽く叩きながら、純平がはにかんだ。
「その音が鳴ってるほうが純平さんらしいっすよ! やっぱり」
「ありがとう。また近くまで来たら寄ってくれよな!」
「はい! 純平さん、お元気で!」
ガボボボボボボボボボ──
そのとき、近づいてくるバスと併走する、マッドブラックのホバーカーがみえた。
「おおーい! ハルノキぃ! まもるぅ!」
リキトだ。
「挨拶ぐれーしろよなー」
子供達は窓から身を乗りだし、両手を振っている。
「こ、子供達になんてことを!」
純平が叫ぶ。
「じゃあ、僕は子供達をまもりに行くから! 2人とも元気で!」
手をあげた純平は、クルッと向きをかえ、悠々と前を通り過ぎたリキトのクルマへ向かって走りだした。
「コラー! 君たち! “ハコ乗り”はダメだぞぉー」
純平が、前よりも少しだけ速度の落ちたヒーローダッシュで走り出していく。
後ろ姿を追いかけるように小さく“チョリーン”が鳴った気がした。
「ハルノキくん、バスが出発するよ!」
まもるさんに呼ばれて慌ててバスへ乗り込むと、すぐに、乗車ドアが閉まり軽快なクラクションを鳴らしてバスが走り出した。
車内に他の乗客はいなかった。
後部座席に座ると、なんだかどっと疲れがでてきた。思わぬ寄り道だった。
しかし、本当の意味で、もの凄い収穫を得てしまったことになる。
「まもるさん、いきなりお金持ちになっちゃいましたね」
「う、うん……。でも、いいのかなぁ」
「いいんじゃないですか? エデルの判断なんでしょうから」
「だ、だよね! そうだ、これでお仕事も探さなくてよくなったね!」
「……………」
「……………」
自分はヒーロースーツを着なかったが、この旅を続けて確実に向上した力がある。
まもるさんの考えていることを、目をみただけで理解する力だ。
いまの沈黙とキョロキョロ泳いだ視線は、おそらく自分と同じことを思い出したのだろう。
「ね、ねえ、ハルノキくん。そういえばさぁ……、江照様のこと……」
「やっぱり……、まもるさんも、忘れてました……よね」
「もしかしたら江照様、あれから、ずっとボクたちのお仕事探してくれてたんじゃないかな」
「おそらく、そうでしょうね……。怒鳴られる前に話しかけた方が……」
「そ、それは、ムリだよぉ、江照様、ゼッタイに怒るよぉ!」
「今回は電源を落としたワケじゃないし、もしかしたら案外怒ってないかもしれませんて」
「で、でもぉ……」
「まもるさん、いちおう元ヒーローじゃないですか! こんなときこそ助けてくださいよ!」
「……う、うう、ううん……」
まもるさんは意を決したようにうなずき、息を吸い込んでから、スマートフォンへ江照の名前を3回呼びかけた──

次回 06月29日掲載予定 
『 いちばんぼし 』へつづく







「まもるさんと、ハルノキ、いったい何やってんすかねー」
「わたくしにも皆目、見当がつきません。このような場所で一体、何をされていたのか」
友煎セイジと戸北リョウスケは、かつて校門であったとおぼしき場所に掲げてある『地域コミュニティセンター』と表記された門札を眺めていた。
「この中にあるんすよね? 国立こくりつDX薬剤化学研究所っていう胡散臭い研究所」
「はい。住所がこの建物の2階になっておりました」
「とても、公の施設が入ってるとは思えねーっすね。アットホームっていうか、学校っすもんねこれ」
「わたくしが調べたところによりますと、この国立こくりつDX薬剤化学研究所の記録にまもるさんのお名前がございました」
「そーいえば、戸北さん。もう一回みせてくださいよ! 検索するとこ!」
「なぜでございますか?」
「いや、あれはオモシロすぎですって、オレあんなにファンキーなジェスチャーみたことないっすもん」
「左様でございますか。しかし、元来あれは他人様におみせするのをはばかるのが目的であるため、みだりに行うことは」
「お願いしますってー、やってくださいよー」
「わかりました。こんな遠方までお付き合いいただきました恩人の頼みであれば……もういちどこの施設について調べてみますか」
戸北は静かに眼を閉じ、人差し指と中指を突き立て眉間にあてがった。
1度だけ、深く息を吸い込み呼吸を整える。
「キえぇぇぇぇぇぇぇいぃぃ!!! こくりつ! デラックス、やくざいかがくぅー、けんきゅうじょぉぉぉ!!!!!!!」
「サイコーっす、まじで、おもしれー」
涙目を擦りながら、セイジは腹を抱えうずくまる。
「おい、オマエラ」
そこへ、頭頂に団子を2つ載せたような髪型の女性があらわれた。
「オマエラ、ここになんの用だ」
凄みのある表情で女性は2人に詰め寄る。
「研究所に関係される、お方でしょうか」
「アタシはちがう。けどさオマエラ、ここ、国立こくりつじゃなくて、国立くにたちDX薬剤化学研究所だからな。大声でかなり恥ずかしいぞ」
戸北は弾かれたように両目を見開いた。
「く、くにたち……でございましたか」
「そういえば、前にもそんな風に間違ってる馬鹿なガキがいたな」
「あの、まもるさんをご存じありませんでしょうか?」
「まもる? ああ、国立のとこにいたおっさんだろ?」
「ご存じでございますか! ぜ、ぜひお話をうかがえないでしょうか?」
「あーアタシは良く知らねーけど、国立に話聞いてみれば? アタシはレッスンあるからムリ」
ぶっきらぼうに言い残し、女性は、すり足で四股を踏みながら門をくぐった。





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