河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第58話『 いちばんぼし 04 』

「戸北さん、気分はどうですか?」
カーテンが開いた。国立が立っている。
「国立先生、昨晩は大変お恥ずかしい姿を……うっ……」
ベッドのうえで上半身を起こすと、またこみ上げてくるものがあった。
「そのままで、結構ですよ」
「……女性はこのようにして……わたくしたちの生命をはぐくんできてくれたのですね……母は偉大ででございますね」
「そのように感じていただけるのは、研究所としても非常に光栄です。今日の午後くらいからは安定期に入りますので、歩いたりできるようになりますよ」
「うぃぃぃああー」
そこへ、セイジが戻ってきた。
半裸の状態で首にタオルを掛けている。
「うー、いやー、シャワー借りましたー。あっ! 戸北さん起きたんすか? いやーオレ、心配しちゃいましたよー」
セイジはゴシゴシとタオルで髪を拭きながら、ベッド脇の椅子へ座った。
「セイジさんにもご心配をおかけいたしました。……しかし、セイジさんはタマゴの出卵体験なさらなくてよかったんですか」
「あ、オレ、興味ないんで。あ、このジュース貰っていいっすか?」
枕元の缶入り飲料を取り上げてプルタブを引くと、発砲音が漏れる。
「あー、風呂上がりって爽やかですよね」
「さ、さようでございますか」
「友煎さん。戸北さんの体調に差し障りがありますので……」
「あっ、すんません。おとなしくしてます。動画とか観てもいいっすか?」
セイジは大型のエアロディスプレイを起動していた。部屋の半分を埋めるほどの大きさだった。
「あ、いや、ま、まあ、今日は他の被験者の方もいらっしゃいませんので、戸北さんの体調にさわりがなければ問題ないですよ」
「戸北さん、いいっすか?」
「ええ。構いません」
セイジがベッドからもみえるようにディスプレイの位置を移動させる。
「平日の午前中って、ふつーは畑に出てるからなにやってるかわかんねーっすねー、なんかオモシロそうな──えっ!?」
パチパチとチャンネルを切り替えていく手がとまった。
大型のエアロディスプレイには、知井まもるの姿があった。
「ま、まもるさん!?」
「え? はっ? なんで、まもるさん?」
ディスプレイの右上に“熱烈な現場のプロジェクト流儀”とタイトルが表示されている。
「こ、これ成功している人の密着ドキュメントじゃありませんでしたっけ?」
「そうであったと記憶しております」
「まもるさんが、成功者っておかっしいっすよねどう考えても」
「あんなにお痩せになっていらしたのですね」
「まもるさんはタマゴを産んで、すっかり身体が細くなられましたからね」
まもるは、映像内でマイクを向けられていた。
「セイジさん、音声を出して貰えませんか?」
ミュートが解除されると、深みのあるナレーションの声が室内に流れ込んできた。

──この男が、2千万円という史上初の高額報奨金を稼ぎ出したヒーローだ──
『ボク、全然、チョリーンできなくて、いっつもトゥントゥントゥーンばっかりで』
──チョリーンというのはなんですか?──
『チョリーンが鳴るとお金が貰えるんです! ボク、お金が欲しくって頑張っています!』
トゥントゥントゥーン
──我々はおよそヒーローらしくないこの男をよく知る地元のヒーローを尋ねた。今回、顔を隠すことを条件に取材に応じてくれた──
画面には“※プライバシー保護のため音声を変えています”の文字テロップ

「ていうか、これ完全に“セキュリティ・ポリシー密着24時”のノリっすよね? まもるさん、成功者じゃなくて犯罪者なんじゃないっすか?」
セイジが茶化すのを無視して戸北はディスプレイに食い入る。

『いやあ、あの判定がでたとき、僕は救われたというか、まもるさんの心意気に感謝しました。それでいまはまもるさんのヒーロースーツを着て毎日、町をパトロールしています』
──町で活躍するヒーローは語った──

「まもるさん、2千万稼いだかー、だいぶ小金持ちになっちゃいましたね」
「ま、まもるさんはやはり、偉大で崇高なお方でございました。こうしてはいられない! 急いではせ参じ、不肖、戸北もお役にたて、うぐ、う、おっぇっ……」
「あ、だめですよ、戸北さん。安静にしていてください」
「し、しかし、まもるさんのお手伝いを……」
「ダメです! もうすぐ産まれます! その後にしてください」
「あの、オレ、ちょっとそろそろ村に戻らないとなんで、帰ります」
戸北と国立へセイジが、軽く手を上げた。
「せ、セイジさん、お忙しいところここまでお付き合いいただきありがとうございました」
「いやいいす、戸北さん安静にして立派なタマゴ産んでください! それじゃ」
軽い挨拶を残し、セイジは部屋を出ていった。




夜景は朝焼けへと変わり、ホテルの窓にはのぼりはじめた太陽が市街地を照らす壮大な景色が広がっていた。
丸みが強調された山高帽をかぶり、後ろ手にステッキを握ったまもるさんが、太陽を体中に浴びて仁王立ちになっていた。逆光でみえるシルエットは、新種のタコのようだ。
昨夜通販サイトで注文し、金に物をいわせてむりやり部屋へ届けさせた“最高級 山高帽ポーラーハットブラック”と“24金ライオングリップ 天然黒檀 最高級ステッキ”。
なんという身分不相応な格好だろうか。
「ハルノキくん、おはよう。いい朝だねぇ」
低い声でまどろっこしい言い方だった。
「あ、おはようございます、もう準備おわってるんですか? 早すぎません?」
「ぶふふ、眠れなかったんだよ」
笑い方が妙にカンに障る。
「なんかムカつきますね、その話し方」
「だ、だって、ボクはお金持ちだから、立派な人みたいにしたいんだよ!」
「いや、ぜんぜん似合ってませんよ、その帽子とステッキも」
小物は高級でも、服は布きれのような襟だけのジャケットに穴が空いたワイシャツと半ズボンなんだから。
「そ、そんなこといわないでよぉ。ね、ねえハルノキくん、今日から、ボクの家来みたいにしてくれないかなぁ?」
「は、はぁ?」
「みんなからスゴイっていわれたいんだよぉ! お願いだよぉー。お小遣いあげるから!」
「あ、あからさまに金に物言わせてますね。だいたい家来ってなんすか?」
「うーん、わからないけど、とにかくボクが偉い人にみえるようにして欲しいんだ!」
「いや、めんどくさいんでイヤです」
「えええ、そ、それじゃあボクもう、九州にいくの辞めるよぉ」
「え、あ、そ、それは……困ります」
大切なことを忘れていた。
この人は、いま富豪だ。
そして、この旅のスポンサーだった。

エレベーターは『38階』を示し、扉が静かに開いた。ホテルの廊下には深い絨毯がしかれ足音はしない。
“社会人経験”というヤツがない自分でも、目的を達するために、生きていくためには、ある程度の我慢が必要なことくらいわかる。
それが己の意思にそぐわないことであっても、我を通さざるべき状況というものはやってくるのだろう。
「エ、エレベーターが、到着したみたいっす、……です」
「うむぅ」
しかし、まもるさんは、エレベーターに入ろうとしない。
「ど、どうしたんっすか。いや、ございますか?」
「こういうときは、先に乗って扉を開けておいてくれるかな」
舌打ちを必死でこらえ、エレベーターへ乗り込み『開』ボタンを強くおした。
のっそりのっそりと、歩き方だけ重役のようなおっさんが乗り込むのを待つ。ここで思いきり扉を閉めてやろうか。
いや、だめだ。大人になれ。
まもるさんが乗り込むのをまって。ボタンから手を放した。
「それにしても、江照くんは残念だったねぇ」
「あの、江照を探さないんですか?」
「探すもなにも、ねえ、ハルノキくん。セキュリティ・ポリシーが絡んでいる案件をどうすればいいんだい? うむん?」
なんだその、口の利き方は。“うむ”の使い方間違えてきてるからな。
「こうなったらボクたちが、江照くんの遺志を継いで、立派に旅を成し遂げようじゃないか。お金はあるんだし」
広い造りになっているとはいえ、なぜこの人はエレベーター内でステッキを振り回しているんだ。見せびらかしたいのだろうか。
「ところで、ハルノキくん。駅へ降りたらどこへいけばいいのかな?」
まもるさんは、アクティブジェケットの襟をつまみ、くっくっと生地をのばした。
「は、はい! 臨空第五都市駅構内、中央にある、“グリーンインフォメーション”でチケットを受け取ることになっています!」
しかし、この人は富豪だ。
「うむ」
少しくらいぞんざいな態度に心を揺らしてはいけない。
「そこで、乗車手続があるのかな?」
「そ、そのようです」
「うむぅ」
社長ごっこをしているクソガキのような口調にも腹をたててはいけない!
ひと晩まっても、江照は戻ってこなかった。
自分がしっかりしていなければダメだ。
もう頼れるのは自分だけだ。
エレベーターが、1階 臨空第五都市駅ラウンジへ到着した。

臨空第五都市駅の広いロビーを抜け、グリーンインフォメーションをみつけ中へ入ると、ひとりの駅員が立礼で迎えてくれた。
「おまちしておりました。知井まもる様と桜夏男様でございますね」
駅員の敬語はとても流暢だった。
「うむ」
まもるさんは、ステッキに重心を乗せ、偉そうな姿勢で頷く。
「こちらへお座りください」
駅員が手の平で席を示す。
「うむぅ」
対面の席へ着席した駅員は、改めて深々と頭をさげた。
「この度は、当駅からのいちばんぼしご搭乗、誠にありがとうございます。当駅職員一同心より御礼を申し上げます」
「うむむ、良きにはからいたまえ」
「ははぁ」
駅員が両手をつき、額をカウンターへ擦りつけるように礼を返す。
プロだ。あの姿こそが、プロフェッショナルというものなのだ。
まもるさんの、格好はいってしまえばもう不審者じゃないか。それでも予約者に対し敬意を払う駅員さんの姿勢には感服せざるをえない。
「それでは、料金のご決済と、条項を確認しこちらへサインを、ひとつ、なにとぞよろしくお願い申し上げます」
紙の書類を差しだされサインを促された。
「うむ。どれどれ」
まもるさんは胸元から、通販で買った金細工の施されたルーペを取り出し、紙の書類を覗き込んだ。
「不足があってはいけませんので、ご確認をお願いいたします」
「う、うむぅ!?」
覗き込んだまま固まっていた。まもるさんが、目だけをこちらへ向けて小声で囁く。
「ね、ねぇ、ハルノキくん、この、甲と“Z”ってなに?」
「そ、それは、おつです。甲と乙です」
「う、うむむぅ?」
再び、ルーペをあちこち動かしはじめた。
ゼッタイに、文章を読んでいる動きではない。
「うむ、結構だね」
そのまま顔をあげた。
「ありがとうございます。それでは、サインをお願いいたします」
「う、うむぅ」
胸元から、ゴテゴテと飾りのついた万年筆を取り出してキャップを外す。
「あ、あれ?」
「いかがなされましたか?」
「か、書けないんだよ、これが、うむ」
「し、失礼ですが、そちらはインクカートリッジが切れているのではございませか」
「そ、そうなのかね、ハルノキくんインクはあるかな」
「い、いえ、ありません」
持っているわけがないだろう。
「それでは、知井様、こちらのペンで御記入ください」
駅員が少し慌てた様子でペンを差しだしてくれた。
「うむ」
まもるさんはゆっくりと頷いて、サインをはじめた。
「恐れ入りますが、お付きの方もお願いいたします」
お、お付き……の方。
自分は端から見ても“お付きの人”にみえているのか。
書類に目を通してみたが、さっぱり意味がわからない。ひとつだけ確信したのはまもるさんも、ゼッタイに理解できていないことだけだ。
2人がサインを終えると駅員はサインを確認してから、空中みつめて指を動かしはじめた。
業務用imaGeにデータを打ち込んでいるのだろうか。
「確認できました。少々おまちください」
再び立礼し奥のドアへと入って行った。
「いちばんぼし、楽しみだなぁ」
独り言をいいながら、まもるさんはステッキの先端に施された金細工を磨いている。その横顔は無性に殴りたくなるほど、ふてぶてしい。
「お待たせいたしました」
フェルト地に覆われた分厚い底板のトレイを手に、駅員さんがいそいそと席へ戻った。トレイには、2枚の金属プレートが乗っている。
「こちら、いちばんぼしの切符にございます」
「き、きっぷ?」
「さようでございます」
「きっぷってなんすか?」
「なんだい、ハルノキくんは切符をしらないのかい? まぁ、若いからなぁ。ぶふふ」
カンに障る笑い方だ。
「切符というのはつまり、乗車チケットのことだよ。ぶふふふふ」
「で、電車に乗るのに、わざわざこれが必要なんですか?」
imaGeで認証すれば済むことじゃないか。
「ハルノキくん。電車じゃないよ。いちばんぼしは、列車だよ」
博識ぶるな、うっとおしい。
「近年では切符を発行する機会が激減しておりまして、発行されるのはこういった希少な列車に限られております。若い方がしらなくてもご無理はないかと」
「そういえば、ボクも切符をみたのは久しぶりかもしれないなぁ。うむ。風情があるねぇ」
「どうぞ、お手にとってお確かめください」
駅員がうやうやしく、まもるさんへ小さなプレートを差しだした。
こちらにも、すっと手渡された。
これが“切符”か。
ツルンとした質感の光輝く金属製プレートを手に取ると、中央に『いちばんぼし』の文字が浮かびあがった。
「ロゴ、イカしてますね」
「なんだいこれ。ずいぶんとトゲトゲしいじゃないか。ボクはもっと、どっしりした文字のほう好きだなぁ、これ、変えてくれる?」
「で、デザインの変更はご容赦ください」
「そうなの? 仕方ないなあ」
“入場チケットのデザインなんてどうでもいいだろ!”と、いってやりたいところだが、つまらないことで機嫌を損ねるのはよそう。
「出発は本日10:30となりますので、お時間に遅れませんよう、ご留意ください」
「うむぅ」
「それじゃまだかなり時間、ありますね」
気合いを入れて早起きして損をした。視野内の時計は9時を少し過ぎたところだった。
「なに言ってるんだい! ハルノキくん」
まもるさんが声を荒らげる。
「もう間に合わないかもしれない。急ごう!」
「出発まであと1時間くらいありますよ……」
「なんて野暮なんだい! ボクらが乗ろうとしているのは、いちばんぼしだよ? 1番に乗らなきゃ意味がないじゃないか?」
乗る順番にもこだわりたいというわけか。
「わ、わかりました。それじゃぁ……乗り場は……」
「ハルノキくん。“いちばんぼし”は、1番ホームに決まってるじゃない」
「き、決まってるんすか?」
「いちばんぼしはね、すべてが“1番”なんだ。ぜーんぶ1番。列車の中でも1番のおもてなしが詰まってるんだ。だから、1番に並びたいじゃないか? さあ、はやく行こう!」
ステッキを振り回しながら歩き出すまもるさんの後を追いかけようとしたら、駅員さんに呼び止められた。
「あ、あのお客様。お着替えはなされませんか? こちらで着替えができますよ」
「へぇっ?」
「大変、失礼でございますが、そ、そちらの服装でご乗車されるおつもりですか?」
さっきまでの丁寧な態度とは真逆の冷ややかな視線が投げかけられていた。
やはりそうきたか。
「まもるさん、昨日から言おうと思ってたんですけど、やっぱりその格好は……」
「桜 様、お着替えするためのお部屋へご案内いたしましょうか?」
「は……ハァ!? じ、自分すか?」
駅員は戸惑いながらも、目をそらさずこちらを見ていた。
「どう考えたって、こっちの人でしょ!」
服装のことで止められるとしたら、間違いなく半袖半ズボン姿のこのおっさんだろ!
「失礼ながら知井様がお召しになっているのは、ハイパー クール メラニアル ウール製アクティブジェケットと、トリコット マルチ ループ ウォッシャブル クール シルク製のシャツ。前衛的かつ洗練された非の打ち所のないお召し物とお見受けいたします」
「わかるぅ? ぶふふ、オーラも出ちゃってるからなぁ、ボク。ぶふふ」
まもるさんのシャツから、靄のような蒸気が空気中を漂っている。
汗、かきすぎだろう。
しかも、ムダにフローラルな香りまで振りまきやがって。
シルク繊維に仕込まれた、ナノ フレグランス カプセルが汗に反応しているだろうが、この人から漂ってくるムダにフローラルな香りは脳をいたずらにイラつかせる。
「ハルノキくんも、ボクの服を一式きてみたらどうだい?」
こんなボロ布の寄せ集めみたいな服に、バブルジャケットが負けているというのか。
「自分は、このまま、列車にのります。着替えは結構です」
時間がもしあるなら、この場に留まって、そっとうちひしがれていたい気分だったが、声を保って言い返した。

まもるさんと、自分と、案内役の駅員、3人を乗せたエレベーターが地下へと降りていく。
いちばんぼしが発車するのは、特別1番ホームと名付けられた地下3階にあるプラットホームからだという。
「ずいぶんと地下にあるんですね」
「はい。いちばんぼしは特別な列車でございますから、一般の見物者が入り込まないよう配慮しております」
「うむ。いいことだね」
まもるさんは、相変わらずステッキを振り回していた。
駅員の横顔に一瞬、迷惑そうな気配が漂った気がしたときエレベーターがチーンと音をたてた。
「さあ、こちらでございます」
ホームはほぼ無人の状態で人の気配がしなかった。
「なんだか、寂しいところだね」
「いちばんぼしに乗る人は少ないないからじゃないですか」
江照が全力でチケットをもぎ取るくらいの列車だ。そうそう乗客がいるとは思えない。
「こちらのソファでおくつろぎください」
駅員が案内してくれたのは、駅のホームに据え付けられた革製のソファだった。
ホームにあるプラスチック製のベンチになら座ったことがあるが、ここはやはり特別な空間ということなのか。
あたりを見渡すと、自分たち以外に人がいないと思っていたが、たいぶ離れたホームの先端に、ひとりだけ男が立っているのがみえた。





臨空第五都市郊外の線路側道に、多数の車両が押しかけていた。ホバーカーやホバーバイク、中には手押しの荷車にぐるまの姿まである。
大挙した人々はみな、線路脇に立ち都市の方角の方をみつめていた。
蒔田と江田の乗ったホバーカーは集団から離れた位置に停止浮遊ホバリングしていた。
蒔田は助手席から遠距離測定用のimaGeレンズを覗き込んでいる。
「ま、蒔田さん。なんでみんな、トンネルの方みてんすか?」
群衆の視線が注がれているのは、荒野にぽっかりと口を開けたトンネルだった。
「あのトンネルから、もうすぐいちばんぼしが姿を現す」
「え! じゃ、じゃああの人達は」
「おそらく、いちばんぼしに行商をかけようとしてる業者だな。つまりオレたちのライバルだ」
「じゃ、じゃあ、こんな離れたところにいたらダメじゃないですか、あの人達のほうに近づいたほうが」
「そんなことをしてみろ、混乱の中であたふたするだけだ。いいか、どんなに優れた名馬でも、最終コーナーで馬群に飲まれたらその末脚を発揮することはできない」
「け、競馬はよくわかんないっす」
「とにかく、人と同じ動きをしていたら勝てないんだ」
「勝つって、どういうことですか?」
「いちばんぼしに乗っているのは、金を持った人間だ。そいつら相手に商売をしたいと思うのが人情というものだろう」
「そうか、蒔田さんなにか考えがあって」
「いや……ノープランだ」
「え、ええ、だ、だって」
「江田くん。勝負において必勝なんていうことばはありえないんだ。だからこうして、ライバルを観察している」
「観察……ですか」
「同業者の荷物だ。やっぱりな、みんな金目の物をしこたま持ってきていやがるな」
「商品なんてなにも持ってきてませんよ」
「大丈夫だ、みえてきたぞ。よし、江田くん。車を出せ! 街に戻るぞ!」

長く伸びたプラットホームの両端は暗い洞窟のようだ。まもなくここに、いちばんぼしが到着するのか。
「そろそろ、定刻となりますね」
駅員が左手の腕時計を覗いていた。
「うむ。いよいよだね」
まもるさんはソファにふんぞり返ったまま満足げに呟いた。
それにしても気になるのは、ホームの先端の方に、どんどん人が集まってきていることだ。
離れていてよく見えないが、服装は様々で襟付きの服を身につけている人はみあたらず、全員が自転車を担いでいた。
「あ、あのぉ……、さっきからホームの端にいる人達はなんなんですか?」
駅員は、ぎょっとした表情を一瞬みせ、ホームの端を睨み足早に離れていった。

『本日はー、当駅からいちばんぼしのへ乗車がござます。係員は細心の注意を持ってご対応ください』

さっきの駅員の声でアナウンスが流れた。
すると、先ほどの人達が、蜘蛛の子を散らすように、わらわらと散っていった。
慌てて物陰に隠れたようだ。
い、一体あのひと立ちは、何者なんだ。
「どうしたんだい。ハルノキくん。キョロキョロしているとみっともないよ。うむん?」
まもるさんは、全く気づいていないようだった。アナウンスを終えて戻ってきた駅員も何事もなかったように、ソファの側へ立っていた。
「お客様、そろそろいちばんぼしが当駅へ到着いたします。お荷物などをまとめてお待ちください」
「うむぅ!」
まもるさんは、ステッキに重心を掛けて立ち上がった。

『まもなく、特別1番ホームへ、特別旅客列車が参ります。白線の内側へおさがりください』

アナウンスが流れると、右手の方向から風が吹き込んできて、突然、ホームの照明がすべて消灯した。
「えっ、なに? 怖いよぉ!」
まもるさんが、悲鳴のような声をあげた。
「ご安心ください。いちばんぼしが到着いたします」
駅員の声がした。
風の吹いてくる方に視線を送ると、暗闇から強烈な光が射し込んできていた。
な、なんだあれ?
光の玉のような物体がどんどん近づいてくる。
前面のいちばん明るい光は、ヘッドライトのようだ。あ、あれが、いちばんぼしなのか。
ホームに滑り込んでくる、車体の前面には『豪華列車』『夢一途』と筆文字で書かれたアルミ製の看板のようなものが取り付けられ、そのまわりを点滅した電球がぐるぐるまわっていた。
「で、電飾……」
ホームへ滑り込んできたいちばんぼしは、全車両が電球に覆われド派手な電飾が施されていた。

次回 07月27日掲載予定 
『 いちばんぼし05 』へつづく

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