河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第62話『 いちばんぼし 08 』

いちばんぼしは、人間でいう額に相当する部分に“星”を載せゆっくり、ゆっくり走っている。
“星”は全車両に施された電飾と一線を画するひときわ明るい大きなスターライトランプ、通称“天上一番星テンピン”。
その光は昼夜を問わず、行く先を照らし、見物する人々の目も楽しませる。
まさに、鈍足の彗星いちばんぼしの象徴であり、僕たちの憧れの“ポジション”だ。
消費電力、1,500Wh。
常人がひとりで光らせ続けることは不可能だといわれるが、いちばんぼし動力室の最長老、室津さんはこともなげにやってのける。
僕が勤務するときは、いつも室津さんがいる。いつ休んでいるのかはわからない。
最後尾最端、教室でいうなら最奥窓際の席に陣取り、稼働をつづけるまさに生ける伝説。
編み込みをつくって束ねられるほど、長く伸びた真っ白な髪と髭。いつも静かに閉じられた眼。
発電目標ノルマが厳しい日でも乱れることなく保たれ続けるゆるやかな姿勢フォーム。まるで瞑想にふけるかのような風雅な姿から室津さんのことを僕たちは仙人と呼んでいる。

「やっべ、やべ、やべ、やべ、お、おまえら! 身の回りの整頓だ! しゃ、いや豊川さんがくるぞ!」
「豊川さんっていうのが、社長なんですか?」
「ばか! 間違っても社長って呼ぶなよ! あと、豊川様とかもダメだ! 豊川さんだからな豊川さん! おいオマエ! お茶の準備!」
「そ、そんなコトしたらエアコンの稼働率さがっちゃいますよ?」
「知るか! 少しくらい汗かかせときゃいいんだよ! 豊川さんのことを最優先に考えろ!」
普段は“すべてはいちばんぼしとその乗客のために”と口癖のようにいっている獅雷さんが、著しく動揺し周囲もそれにつられはじめている。
しかし混沌とする動力室内で、室津さんだけは黙々とペダルを漕ぎ発電機を稼働させていた。
室津さんのブースはまさに仙人が住む“仙郷”だ。八方の喧噪から切り離された悠久の静寂。
「マイト、社長に会ったことある?」
田坂さんは汗だくの顔面に不安な表情をうかべていた。
「僕はないです。田坂さんはあるんですか?」
「ない。でも獅雷さんの慌てっぷり、普通じゃないよね? どうしてまた急にくることになったんだろう」
「まあ、いちばんぼしを視察にきたなら、動力室も見ておこうというのはありえますね」
社長という人種には、直情的で気まぐれな人も多いだろうから思いつきで行動していてもあまり不思議ではない。
ウィーンウィーン──
また、緊急点灯パニック フラッシュ

『とよかわ ひとつぼしを通k まもなく』

電飾メッセージには誤字があった。敬称も略されているところをみると送信者も動転しているのかもしれない。
「食堂車通過だ! 全員、作業に戻れ、いいか、全力で漕げ! 笑顔を絶やすな! そして汗はかくな!」
「む、ムリです!」
既にTシャツをダークグリーンに染めた田坂さんが引きつった笑顔で挙手をした。

「ハルノキくん。ボクたちは大事なことを見落としていたかもしれない……」
遊び散らかしたトランプを片付けていると、まもるさんが、まるで事件調査の課程で犯人のミスリードにはまった探偵のセリフのようなことをいいだした。
「なにごとですか?」
「うむむむむ。ボクとしたことがこんな大事なことを忘れるなんて」
しきりに頭をかきむしる。
「お、お、お昼を食べていないんだ! もうすぐ夕方じゃないか、いけない、おやつも食べていない!」
「そうですか」
「そ、そうですかって! ダメだじゃない、ボクこんなにお腹がすいてる!」
「お腹すいてるの完全に忘れたましたよね? それなら、そんなに大騒ぎする必要ないと思うんですが」
「と、とにかく、食堂車に行こう! お昼ご飯とおやつを食べないといけない!」
まもるさんがステッキを握り、立ち上がった。
「もう少しまってれば、ディナーになるんじゃないですか?」
車窓を眺めると、太陽は遠くの山間に近づき夕暮れが迫っていることがわかった。
外を併走する業者の一群は西日に照らされていた。これほど人が押し寄せていることに対して、いちばんぼし側はなにもいわないのだろうか。風景を楽しみたい乗客もいるとおもうのだが。
まあ慣れてくるとそれも風景の一部になって、あまり気にならなくはなった。
もうすぐいちばんぼしの初めての夜がやってくる。あの業者さんたちはどこかで休むのだろうか? それとも夜通し走り続けるのだろうか。
「なにをしているんだい! ハルノキくん! 食堂車にこう! 早くお昼ご飯とおやつをたべないと、夜ご飯食べれなくなっちゃうよ!」

ディナーの時間を待つ“食堂車ひとつぼし”は利用客もまばらだった。
豊川さんはすれ違う乗客たちと、うやうやしい会釈を交わしながら車内を進んでいく。
「みなさん、旅を楽しんでいるようですね」
満足げな表情を浮かべてうなずいた。
「いいなぁ、僕も切符買っていちばんぼしに乗ってみようかなぁ」
「しゃ、いや、豊川さんはいちばんぼしで旅をされたことはないのでありますか?」
「うぅん。僕、まだ。いちばんぼし童貞なんだよね。このまま乗客になっちゃおうかなぁ」
ブツブツと呟きながら先を歩いて行く。
いまのうちに動力室にまもなく到着することを伝えておこう。
豊川さんはVRルーム車両の半分くらいまで進んでいた。
「ねぇ! キミ! たしか今日は、いちばん風呂の日だよね!」
突然話しかけられて手元が狂ったがメッセージはそのまま送信されてしまった。
「はい。本日はいちばん風呂イベントの予定でございます」
「そうだよね、このお風呂が沸く匂いっていいよね。なんか卑猥だよね」
いわれてみれば、隣の車両からお湯が沸く匂いが微かに漂っている。
しかしなぜ、卑猥なのかはわからない。
「艶っぽいよねぇ、うん。この香り。そうか、お風呂かぁーそれならママも連れてくれば良かったなぁ、お風呂かぁ」
辺りの空気を吸い込むためなのか、豊川さんは鼻をつきだし鼻腔をひくつかせながら奥へと進み動力室のドアを開けた。

「お越しだ」
獅雷さんが小さく、しかし鋭い声をだした。
同時に、動力室前方ドアが開く。
「人力電力のみなさま、どうもどうもお元気でしたぁ?」
入ってきたのは、ウェィビーな長髪にサングラスの男だった。にこやかに右手を挙げ全体を見渡している。
「社長! お疲れ様です!」
獅雷さんが、直立したのち、直角に立礼した。
室内が一瞬ざわついた。
「あ、獅雷さん、いっちゃった」
「あれだけ、社長っていっちゃダメって……」
「いま、社長っていったよな」
田坂さんがボソっと呟く。
「んんもうぅ、ダメだよぉ社長じゃないってぇ豊川って呼んでよぉ」
「も、申し訳ございません!」
獅雷さんが再び、もの凄い勢いで頭をさげた。
「アナタは新人さん? ダメだよ。返事しないからねぇ僕」
「は、はい。申し訳ございません豊川さん」
「室津さんはどちらにいます?」
豊川さんが室津さんの名前を発した途端、全員が後方へ視線を向けた。
当の室津さんは相変わらず、眼を閉じたまま稼働をつづけている。
「あ、あの、む、室津さん! しゃ、豊川さんがよんでます!」
獅雷さんが慌てて駆け寄ってきたが、室津さんは意に介さずペダルを漕ぎ続けている。
「ね、ねえ、室津さん」
獅雷さんは、この車両の主任管理者で人力電力の正規社員。尊大な態度で人に接するのをよくみかけるが、いちばんぼし動力室最古参の室津さんに対しては常に配慮した接し方をしていた。
獅雷さんが必死で呼びかけるが室津さんはピクリとも反応しない。もしかして、精巧に出来たロボットなんじゃないかと思うくらい正確なペースでペダルを回転させ続けている。
「あぁぁぁぁ、いいんですいいんです。邪魔しないであげてください」
豊川さんが恐縮したようにいった。
「お仕事が終わったらご挨拶しますから大丈夫ですよ。なんていってもね、室津さん今日で定年なんですから」
「えぇっ! む、室津さん定年なの?」
田坂さんは、さらに笑顔を引きつらせながら声をうわずらせた。
「おいおぃ、そ、それじゃ“テンピン”は誰がやんだよ」
「1,500Whの電力だせる化け物なんて、いねーって……」
みんなが笑顔を絶やさず口々に不安をのべはじめ、動力室に再び混乱が広がっていた。

次回 08月24日掲載予定 
『 いちばんぼし09 』へつづく

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