河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第67話『 いちばんぼし 13 』

「おまえ、なんでニヤニヤしてんだよ!」
「なに余裕ぶってんの!?」
突然ニヤけだしたシライへ、金持ちたちが猛烈に抗議しはじめる。
「いぇ失礼。ただ、あまりにも……」
しかし、シライはその表情を崩さない。
口の端を吊り上げ静かに笑う。
「あまりにも、問題がなさ過ぎて笑ってしまいました」
「そんなに余裕なら早いとこ停電なおせよ!」
「はい。ご安心ください。あと2時間以内にすべて解決してご覧にいれます」
「に、2時間……?」
抗議していた3人が黙り込んだ。
「ええ、2時間です」
シライが自信たっぷりにうなずく。
「それまでの間、みなさんはお風呂でも楽しまれてはいかがでしょうか」
「こんな真っ暗なところで風呂なんて入れないだろ! オマエ、乗客をバカにしてるのか!」
「お風呂はわたくしどもがご案内いたします」
マイトともうひとり、“人力電力”と白抜きされたTシャツを着た、中年の男が会話に割り込んできた。
「わたくし大南マイトと田坂がお連れします」
マイトにうながされて田坂が一歩前へでた。
「田坂と申します。ご、ご覧ください! わたくしのこの汗を!」
田坂が全身を見せつけるように、その場でくるりとまわる。
身につけているTシャツはマイトと同じもののようだが、脇の下や首元、背中、特定の部位が黒ずんでいた。
「いちばんぼしの行く先々のサウナ、スパ、銭湯、温泉、湯煙が立ち上るあらゆる場所でこの汗を洗い流し、日々の英気を養っております!」
丸刈りにしている髪1本1本まで、朝露のような細かい汗をかいた人がいうと説得力がある。
「この田坂が推薦する“リラクゼーションスペース”へ皆様をご案内する、いちばんぼしのオプショナルツアーでございます!」
「今日はこの近くの銭湯です!」
「せ、銭湯! うむん! ボク銭湯に行ってみたい!」
まもるさんが、急に気色ばんで立ち上がった。
「ご参加いただけますか!」
「はい! ハルノキくんも行きたいでしょ?」
「銭湯? 自分、いったことないです」
「それでは是非参りましょう。他の皆様もいかがでしょうか」
マイトが金持ちたちにも呼びかけると、金持ちたちは互いに顔をみあって話しはじめた。いつのまにか起き上がった加藤も加わり、まるで童話にでてくる、ずる賢い動物たちのような表情で小さくうなずきあう。
「オモシロそうだねフォッホ」
「ありがとうございます! それでは、皆様さっそく参りましょう」
マイトが動力室の入口と反対側のドアを手の平で示した。
「フォッホ!? こんな出口があったのかね?」
「はい。動力室裏口でございます。乗組員用の出入口から、ご案内となり恐縮でございますが」
「フォッホ、いや、いいね。隠し扉のようじゃないかフォッホホホ」
「5回もいちばんぼしに乗っている加藤さんでも知らない体験ができるなんてツイてますなぁ。わたしたちは」
金持ちたちの表情が緩んだ。
「獅雷さん。大南マイト、アテンダーとして稼働するため本日はこれにて失礼いたします」
マイトがシライに向かって軽く頭をさげた。
「ああ、頼む。それでは、皆様、少々だけおまちください」
シライがこちらへ背を向け、部屋中の人たちに号令をかけた。
「それじゃ、他のみんなもあがってくれ!」
「い、いんすか!?」
部屋の奥にいた、グリーンのTシャツを着た数人が驚いて顔をあげた。
「ああ! あとは社員だけで対応する! 日当を受け取ったらすみやかに帰ってくれ! サル! 日当配布!」
「ハ、ハイッ!」
サルと呼ばれた、小柄でなで肩の男が手に大量の茶封筒を握りしめて動力室の後方へ走って行くのがみえた。
「あ、あの獅雷さん!」
「なんだ!」
「今日の猛打賞は……」
「あ、そうか、そうだった、きょうは……、停電の中、みんなよくやってくれたから……全員、猛打賞!」
室内から歓声があがった。
サルだけが、目玉を大きく開き慌てて走り出し今度は赤い封筒を大量に握りしめて再び裏口のドアの前へ立った。
動力室内に残っていたグリーンTシャツ集団が自転車をかついで、ぞろぞろと裏口に列をつくる。出口でサルがひとりひとりに茶色と赤の封筒を渡している。
「も、猛打賞ってなんですか?」
「その日のベストサイクリストに贈られる報奨金です。日当と同じ金額が上乗せされます」
「べ、ベストサイクリストなのに、なんで猛打賞、なんですか?」
「サイクルヒットという言葉はご存じですか」
「や、野球の?」
「はい。ひと試合に単打ヒット二塁打ツーベース三塁打スリーベース本塁打ホームラン、4種類を打つことです。それだけたくさん打ってれば“猛打”です。つまり猛打賞だということで、社長がつけたらしいです」
この会社の社長のセンスは、多少常人とずれているのではないか。
しかし、受け取る人々が心から喜んでいることは、ほくほくした表情からわかった。
みな礼儀正しく感謝をのべ列車を降りていく。
「それでは、わたくしたちも参りましょう」
マイトがシライに小さく「あとはお任せいたします」といって自転車をかつぎあげた。




派遣社員の皆さんがどんどん帰っていく。本当に大丈夫なのだろうか。獅雷さんはあんなに自信満々で応えていたけど、みんなを残業させて発電しなきゃ2時間で、いちばんぼしの復旧なんて無理じゃないのか。どうするつもりなんだろう。
「おい! サル! なにボケっとしてんだよ」
獅雷さんがこっちを睨んでいた。
「おまえは、残業だからな」
「もちろんです! 僕は帰りません!」
何回も何回も怒られて、やっと正社員になれたのに、こんなところで獅雷さんを怒らせたらこの先々が不安だ。
でも……。
「あのぅ……獅雷さん」
「なんだよ!」
「僕と獅雷さんだけで、どうやって復旧させるんですか?」
「サル……おまえ謝れ……」
「だ、誰にですか……」
獅雷さんが右腕をゆっくりと持ちあげた、突き出された指、その先には……
「む、室津さん!」
しまった! 僕としたことが!
「すみません! 僕、む、室津さんをないがしろに……」
「室津さんからしてみたらおまえなんて、ペーペーもいいとこだぞ」
室津さんは眼を閉じたまま、淡々とペダルを漕ぎ続けている。
人力電力創設からずっと現場一筋、どの役員よりも長い社歴を持つ、いちばんぼしの生ける伝説。室津さんのいる光景があまりにも自然すぎて、意識から漏れてしまっただけなんだ。
一度も言葉を交わしたことのない偉人に対して僕はなんという不遜な発言を。
「サル、どうせおまえ、誰も居ないのにどうやって電力を確保しようとか、考えてたんだろ?」
「……はい」
「みくびるなよ。俺がその場しのぎで乗客を降ろしたとでも思ってるのか?」
「思っては、いません!」
「だろ?」
獅雷さんは小さく息を吸い込み、唇をひと舐めして動力室最後方のブースに向いた。
「室津さん! お願いできますか!」
黙々と動いていた室津さんの太ももが、徐々に動作を緩め、やがて止まった。
完全に。
室津さんが。
ブースに着座した状態で静止する室津さんをはじめてみた。
そして、一度も動くのをみたことのなかった唇が、白く長い髭に覆われた口が、開いた。
「……獅雷」
「はい! 室津さん、お願いしまっす!」
獅雷さんが直立し、直角に頭を下げた。
「……それじゃ、本気、だすか……」




「いやぁ、まいったよね。もうね、太もも、ガックガクなの、ガックガク」
後部座席の段ボールの隙間にはさまるように座った豊川が、しきりにふくらはぎを揉んでいた。
「みてよこれ。もうねガッチガチ。やっぱりね、プロの仕事を僕なんかが手伝おうっていうのは間違ってた。うん」
豊川がしきりにうなずく。
「でも、あれだよね、足腰がガッガクガクになるまで激しい運動って、なんていうか……卑猥、だよね。10代の頃にもどったみたいな。もうね、モンキーだよねモンキー」
「あ、あの豊川さん……どちらまでお送りすればよろしいのでしょうか?」
「んんん? あ、あぁ、そ、うだね。ちょっと汗かいたからお風呂、入りたいな」
「え、会議はよろしいんですか!?」
「うん。会議はお風呂からでも参加できるじゃない?」
「さ、左様でございますか! なんというか斬新なワークスタイルでございますね……」
「僕、個人事務所の経営が長くて、会議は、もっぱら“ひとり会議”だったからさ」
「ひ、ひとり会議、で、ございますか……」
それは妄想の類いとはどう違うのだろうか。
「やっぱりさリラックスが重要なんだよ。だからこの辺でお風呂入れるところへお願いします」
「はい! よ、喜んで! 江田くん、入浴施設だ、入浴施設を探すんだ!」




「……獅雷」
「ハイ!」
獅雷さんが一度背筋を伸ばし、天井を仰ぐように返事をして、動力室の壁際へ走った。
あの、獅雷さんがあんなにせせこましい動きをしている!?
一体、なにが始まろうとしているんだ!?
壁際に走り寄った獅雷さんが“非常BOX”の扉を開けた。
そういえば、あの中になにがあるかは、研修で教えられていない。
獅雷さんは中から黒くて重厚な箱を取り出し、よろよろと室津さんのブースへ戻る。
箱からは長いコードがでていて先端には把手グリップのようなものが垂れ下がっている。
室津さんのマシーンの後部へしゃがみこんだ獅雷さんは、得体の知れない箱をサドルに取り付け箱からでているコードをハンドルのほうに伸ばし先端のグリップをハンドルの右側にはめた。
「そ、それは一体なんなんですか!?」
「モーターだよ、モーター」
「も、モーター!?」
「そうか、おまえはじめてだったな。……サル。“アシスト申請”ってしってっか?」
「あ、アシスト申請ですか? わからないです」
「最近は研修で教えてねえんだな。アシスト申請ってのはな、電動のアシストで自転車を漕ぐ権限だ」
「えっ! それ……」
「電動のサポートがあるから、ペダルの重さが全く違う。どんなにしんどい発電量ノルマでも軽々こなせる」
「だ、だって、それじゃ、人力じゃ……」
「……人力ハーフ、アンド、電力ハーフだな……」
室津さんが眼を閉じたままいった。
「室津さんはその、アシスト申請の認可を受けている」
「む、室津さんが!?」
「サル。おまえいくつだ?」
「……28歳です」
「最近、身体キツくなってきてねえか?」
「は、はい……。以前に比べれば……」
「だよな。人間、30にも近づけば体力も落ちるわな。でもな、30過ぎたらもっときちぃぞ。5連勤なんてしたらもう、休みの日は1日寝て終わりだ! それでだんだん歳とって、70過ぎてみろ! すげぇ、きちぃぞ!」
「……ああ、きつい、ほんとに……」
室津さんが静かに頷く。
「それで生身の身体で1,500Whも消費する“天上一番星テンピン”の発電してみろ? 地獄だぞ!」
「……ああ、ムリだ。しぬ……」
「アシスト機能は、室津さんのために豊川さんがつくった特別権限だ」
なんと返すのが正解なのかわからなかった。
「そしてこのアタッチメントが、究極の特別権限、電動力モーターだ! コイツをつければ、発電人力バイシクルは完全な電動バイクになる」
「で、電動バイクって!」
「電動で動くバイクだ!」
「そ、それはわかってます!」
「うるせえ!」
もの凄い剣幕だった。
「室津さんが集中できねえだろ。室津さん、それじゃ、そろそろお願いします」
室津さんがゆっくりとTシャツの胸元をさぐり、革紐を摘まみ上げた。
紐の先端には、銀色の鍵がぶら下がっていた。
「ふんっ!!」
紐を引きちぎり、アタッチメントへ差し込み、直角に捻った。

キュルルルルルルルルルルルル
ボッボボボボボボボボボボッボ

アタッチメントがいや、エンジンが唸った。
まるで獣が咆哮をあげるように。
「ハイケーーーーーーーーーーーーーーイ」
室津さんが吠えた。
引き締まった首に喉仏がもっこりとせり出す。
「デーーーーーーーーーーーーーーーンス!」
獅雷さんが後ろ手を組んだまま、突きげるように背筋を伸ばし、天井へ向かって吠えた。
右ハンドルのグリップが静かに捻られる。

ビッゥィィィィィィィィィィィィィィン──

強烈な駆動音と共にタイヤがまわりだす。
前後輪に接触しているテラエアロタービンの回転が尋常じゃない!
エアロビジョンに表示されたEMSエネルギーマネジメントシステムが示す発電量が恐ろしい勢いで上昇していく。
「サル! みろ! これが室津さんの本域だ!」
風が吹くわけなんてないのに、アクセルを捻る室津さんの髪が、風に舞ったようにみえた。




「みなさま、座りましたかー!」
マイトのハツラツとした声が闇の中で妙に際立つ。まもるさんと並んで、木材で出来た箱のなかに座らされた。
4人の金持ちたちも自分たちの背後に2人ずつ並べて詰め込まれている。
「ハルノキくん、これリヤカー、だよね?」
まもるさんが不安そうな声をだした。
リヤカー?
imaGe検索してみると、リヤカーの説明があった……つまり、簡素な荷車ということか。
「座り心地はいまいちかもしれませんが、安全運転で参りますのでご安心ください!」
マイトが元気よく手を振った。
突然、リヤカーが浮き上がった。どうやら底面にエーデル・フロートが仕込まれているらしい。
「マイトくん、ひとりで大丈夫?」
「はい! まったく問題ありません!」
リヤカーはマイトの乗る自転車につながっていた。もしかして、あの自転車で牽引するのか。
「出発いたしまーす!」
暗闇の中で浮き上がったリヤカーが前進しはじめた。
マイトがこぐ自転車は意外なほどの速度でグングンと進んでいく。
「ハルノキくん、なかなか快適だね。うむ」
まもるさんが満足げに腕組みしながらうなずいたのがわかった。
「そうですね。いちばんぼしのスピードよりもこっちの方が、気持ちいいかもしれませんね」
前方の自転車のライトだけが道を照らし、あたりにはエーデル・フロートの“浮遊音”がゆらゆらと漂っていた。
小さな箱のなかでむさ苦しい男に囲まれた状況なのに、通り過ぎる夜風が心地よかった。
「自分、はじめてこの旅がいいものに思えたかもしれません」
「うむん?」
「いやぁなんか、さっきまで正直、イライラしてたんですけど夜風が気持ちいいなと……、あ、あれ……!?」
「どうしたの? ハルノキくん?」
「あ、れ? なんか、胸が……」
心臓を握り込まれたような、痛み。
息が詰まる。
「ハ、ハルノキくん?」
返事が、できない。
息が……。
「大丈夫!? ハルノキくん!?」
「フォッホ!? どうしたんだい?」
「ハルノキくんが、苦しそうなんです!」
「どうかされましたか!?」
前方からマイトの声。
返事が……。
「だ、誰か! この中に、お医者さんはいませんか!」
まもるさんが、まるで、客室乗務員のような、ベタ……こ、ぐくっ、今度は、脳みそを全力でシェイクされているような頭痛までしはじめた。
な、なんだ、これ!?

次回 10月05日掲載予定 
『 いちばんぼし14 』へつづく

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