「フォッホッ、どれどれ」
「か、加藤さん!? お医者さんなんですか!?」
「フォッホ。キミのお連れさんだったね、名前は?」
「マ、マモルです!」
「ふむ。マモルくん! 聞こえますかぁ!」
「はい! 聞こえます!」
「フォホッ……キミではなくて、この人の名前は?」
「ハ、ハルノキくんです!」
「ハルノキくん! 聞こえるかぁ? ハルノキくん! ……ふむ、意識がない。彼は急に胸を押さえて苦しみだしたんだね? ふむ、熱もない。嘔吐もしていない……もしかするとこれは、人体干渉感染型imaGeウィルス……」
「い、imaGeが病気になるんですか!?」
「imaGeチップは脳とも通信しているからね。人体に影響を及ぼすエラーも稀にある。わたしたちの子供のころからコンピュータにもウィルスがあったように……フォッホッ」
「ハ、ハルノキくん! しっかりしてよぉ!」
──痛い──
頭が──いたい……
途切れ──途切れ──
視野内に映像が──流れこんでくる。
かーちゃんと山野──ポストステーションの男──再婚したのかな──
──チクリンはまだ、更生施設──
なんだ、急に、懐かしい顔がどんどん浮かんでくるじゃない──えっ?──
これ、いわゆる、走馬燈ってやつじゃ──
や、やばいよね、ねえ、み、misa──
──そういえば、タンジェント、元気かな──キスしたっきり──
VRの中でだけど、柔らかい唇だった。
いまでも鮮明に思い出せる。
いま、みたいに、あったかくて柔らかい──
いま、みたいに──
いま?
いまぁ!?
まぶたが跳ね上がった。
目の前にいたのは、まもる……さん。
唇にがっぷりと吸い付いていた。
口内に大量の空気。
「んぐうごぉ! うごあおぉ!」
「ぐにゅう!」
気がつくとまもるさんの頬に自分の拳がめり込んでいた。
「は、ハルノキくん! き、気がついた!」
「いや、マジでなにしてんすか!!」
「ぼ、ボクは、人工呼吸を……」
「フォッホッ、ハルノキくん。まもるさんは、急に倒れたキミを心配してだね……」
「はぁ!? いや、自分なんともないですけど」
さっきまでの胸の痛みや頭痛はない。
「フォッホッ!? なんともないの?」
「まったくなんともないです。いや、むしろ、いまの精神的ショックの方がでかいくらいです」
「ひ、ひどいよ、ボ、ボクは、一生懸命……」
「いや、マウストゥマウス、犯罪でしょ」
「あ、あのぉ。お客様、体調が優れないようであれば病院へ……」
マイトが不安げに様子をうかがっていた。
「いや大丈夫っす! このままいきましょう」
「ほ、本当に平気ですか?」
「はい! もうまったく! 早く!」
1分1秒でも早く、口をゆすぎ、歯茎から血が出るほど歯を磨きたい。
冗談じゃない!
……でも……さっきの痛みは一体なんだ……。
心地よかった夜風が、急に生ぬるく、不穏なものに変化した気がした。
「サル!」
「ハ、ハイ!」
「もっと漕げ!」
「ハ、ハイィ!」
僕の脚はもう限界を超えるサイクルで回転している。これ以上のペースアップなんてムリだ!
でも獅雷さんに申し出たところで“うるせぇ”と一蹴されるに決まっている。
汗が染みて目元がずっとぼやけている。かすんだ視界の向こうで室津さんが黙々と電動バイクのスロットルを捻ってる。鼻歌でも歌い出しそうな、いや、あのお方は絶対にそんな軽薄な行為はとらないだろうけど、それくらい余裕に満ちた雰囲気でスロットルを開放していた。
「オラッ! 室津さんのバイクが止まっちまうんだよ! 漕げ!」
「ハ、ハイィ!」
リアルタイムで発電しながらモーターエンジンの充電をするなんて無茶だ。このままでは僕の“
直結された送電ケーブルの先にいる獅雷さんと室津さんが、だんだんとうらめしい存在に思えてきた。
額を伝わり流れ落ちる汗が、何滴もハンドルに落ちる。マイトくんたちは今ごろお風呂で汗を流しているんだろうな。
「もっと漕げ!」
「ハ、ハイィィィィ!」
なんで僕だけ……。
思わず奥歯を噛みしめてたら、耳が動いた。
僕の数少ない特技である“耳だけを動かす”をimaGeが感知してロック状態が解除された。
たちどころに、視野内に業務用アイコンが溢れる。これだけたくさんのアプリケーションの使い方を覚えても、僕はまだこんな役回りばかりなんだろうか。
薄れはじめた意識のなかで、ひとつのアイコンに視線が吸い寄せられた──
「ここならお風呂に入れるみたいです」
なんという古風な建物だろうか。瓦屋根に大きな煙突。ライトアップされた入口に垂れ下がった暖簾には“松乃湯”と染め抜き文字があった。
「これは、まさに、ディス、イズ、銭湯!」
豊川よりも先に蒔田さんが反応した。
「懐かしいなぁ! リアルの銭湯なんて。江田くん、銭湯の経験は?」
「現実では、一度もないですね」
「豊川さん! いかがでしょう! この渋い銭湯は!」
「なんていうか、趣の塊、だよね。熟成された人妻みたいな、芳醇さがたまらないよね」
「そ、そうですよね。さっそく参りましょう」
蒔田さんがそそくさと助手席から降りて、後部座席へ周りドアを開けた。
「ささっ、こちらへ」
まるで温泉宿の番頭のようだ。
蒔田さんを先頭にして暖簾をくぐると、豊川が突然上着を脱ぎはじめた。
「な、なにをなさってるんで!?」
豊川は、素肌に鎖かたびらの状態になり、おもむろにズボンを下ろした。
「い、いやいや、脱衣所はまだ先ですよ! まずは靴をこの靴箱へ……」
「暖簾をくぐって一歩中に入ったら、もう銭湯じゃない? 服をきていることが失礼だと思うんだよ」
今度は鎖かたびらを脱ぐ。金属がこすれあう音が上がり間口に響く。床に降ろされた鎖の塊が小さな金属の山をつくった。
豊川がブーツを靴箱にしまう。
「それじゃあいきましょうか」
脱いだ服と鎖かたびらを丁寧にたたみ、小脇に抱えパンツ1枚で奥へと進んでいく。
「ま、蒔田さん、あの方、大丈夫なんでしょうか……」
「なにをいっているんだ。常人にない発想をもって、既成概念をぶっ壊す! 成功者の典型のようなお方じゃないか! 江田くん、わたしたちも早く脱ごう! 遅れをとるわけにはいかない!」
「え! 自分たちもここで脱ぐんですか!」
「郷に入っては郷に従う。なにごとも長いものには巻かれるべきだ!」
「言ってることが真逆な気がするんですが」
蒔田さんはすでに服を脱ぎおえ、番台の方へと小走りで駆けていった。
脱ぐ、べきなのか?
いや、そんなはずはない。
「サル! ぼさっとしてんじゃねえぞ!」
「ハ、ハイィ!」
返事なんてなにも考えていなくてもできる。本心とは全く逆のことでも心を閉ざせば痛みを感じない。だから僕は今日までむちゃくちゃな指示ばかり出してくる獅雷さんの下でやってこられた。
「もっと! もっとだ!」
「ハ、ハイィ!」
でも、これはあまりにも理不尽すぎる。
気がつくと僕は、imaGe視野内のアイコンをタップしていた──
「うん、じゃあそれ、ズドンっと適当にやっておいて。うん」
豊川が湯船の中から指示をだしていた。
寝湯というのだろうか、下半身を放り投げだすように湯船につかり、天井へ向かってエアロビジョンを
「あれが、成功者の姿だ」
蒔田さんが小声で囁く。
「俺たちの想像もつかないような金を動かす人間の姿だ」
豊川はサングラスを外すことなく湯船に寝そべり天井を仰いでいる。
離れた場所からみていても、尊敬できる姿にはみえない。
「それでは次の議題の前に、豊川さんいま入った情報なのですが」
「うん。なんでしょうか? ……うん、うん……ええええ!」
ザバァっと、まるで海からサメが浮き上がってきたような勢いで豊川が立ち上がった。
エアロビジョン側の音声は聞こえないが、なにか緊急事態だろうか。
まるで美術館にある彫刻のように堂々たる姿で仁王立ちとなったまま画面と会話を続ける。
「コンプライアンス関連!? それじゃ戻らないとじゃないのそれ? 僕、入浴中なんだけど!」
エアロビジョンの向こうの人たちは会議中だと思っているのではないだろうか。
「え? もう迎え来てるの?」
そのまま豊川は湯船から出て脱衣所の方へ歩いていった。
「と、豊川さん!?」
「うん、僕、行かなきゃみたい。表に迎えが来てるみたいだから」
「へっ!?」
「じゃあまたそのうち」
「ちょ、ちょっと」
豊川は一度もこちらを振り返らず、服を小脇に抱え全裸のまま表へ出て行った。
遠くの方に明かりがみえた。暗がりに浮かび上がった建物からは長い煙突が突き出ていた。
「皆様、まもなく到着いたしまーす!」
「ハルノキくん、もうすぐだね」
まもるさんが話しかけてきたが無視した。
近づいてくる銭湯は、日本家屋を平べったく横長にしたようなスタンダードな外観。
エアリアカーの浮遊音に揺られながら、眺めていると正面からクルマのヘッドライトがかなりの速度で迫ってきた。
独特の浮遊音と浮遊高度。
ヘッドライトはぐんぐん迫ってきて、あっという間に自分たちの頭上を通りすぎていった。
「フォッホッ。あれは、ホバーリムジンだね」
「もしかして、上空市民がお忍びできているんじゃないですかな。銭湯に」
「そんなフォッホホホ、フォッホ」
金持ちたちがホバーリムジンについてあれこれ話をしているうちに、建物の前に到着していた。
「はい! それでは皆様お疲れ様でございます! 到着いたしました。足元にお気をつけて降りてください」
“松乃湯”と書かれた暖簾がさがった、古風な建物だった。
「それでは順番にお入りください。入口の番台でお金を支払いますが皆様は無料でございます。そのままお進みください」
金持ちたちは入口で写真を撮ろうとしていたが、構わずに中へはいった。
番台という場所に座っていたおばさんが、静かに黙礼してくる。
テカテカに磨かれた板張りの床、高い天井、広々とした清潔感のある空間だった。
「ハルノキくん! 待ってよぉ!」
まもるさんが、息を切らせながらついてきた。
「な、なんで無視するのぉ!」
なぜだろう。明るい場所で顔をみるのが気まずい。これじゃまるで、はじめてキスをした夜の乙女じゃないか。
「いや、まもるさん、自分、汗をかいたんで風呂に早……ぐっ」
え、また!?
また、心臓が。
鼓動が跳ね回るように暴れだした。
「ハルノキくん、まさか、また!?」
「うぐ、イダイ」
さっきよりは少しだけ冷静でいられたが痛みは変わらない。視野内が大きく揺らぐ。
これは一体なんだ。本当に自分の体がおかしくなってしまったのだろうか。
視野内を見渡しアイコンの列をスライドさせてみると、1番右端のアイコンが暴れ牛のように激しく、左右に揺れながら、突き上げるように跳び跳ね、まるで昔話にあった天井から落ちてくるウスのような重量感でドスンと着地する動きを繰り返していた。
「もしかして……、コレ……が……」
痛みの元凶はこのアプリなんじゃ……。
指の震えをなんとか抑えながら、暴れ回る黒くて丸いアイコンをタップした──
次回 10月12日掲載予定
『 いちばんぼし15 』へつづく
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