河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第70話『 いちばんぼし 16 』

7月29日 午前 5:35──
「ギャフゥゥンン」
胸を貫かれたような痛み。
「ウグゥオオオオオ……」
跳ね起きたベッドの上で、うずくまりながら声を絞りだすのが精一杯だった。
ま、また……。
あの忌々しいアイコンが跳びはねたのか。
「グゥッ!」

また来た。

まだ、来る、か……。
…………。
…………。
…………。
痛みに構えたが、3度目はなかった──。
ズシーン、ズシーンと、2度の衝撃。
ナツメさんが四股でも踏んだのだろうか……。
じっとりと背中に吹き出した汗を擦りながら、車窓をみる。
カーテンの隙間が、ほの明るくなっていた。
昨夜銭湯から戻ると、いちばんぼしは電力を回復させ、すっかりともとの姿に戻っていた。
カーテンを少し開けてみると、何ごともなかったように、ちまちまと走行している。
いけない。
浸ってる場合じゃない。じ、時間!! 
「……よかった……。間に合う……」
約束の6時まで、まだ間があることに安堵すると、別の種類の汗が滲んできた。
まもるさんは隣のベッドで壮絶な寝相のまま、爆音のいびきをかいている。
いざとなったら、この人も連れて行って矛先を少しでも反らさせようとしていたが、起こすのに手間取りそうだ。
独りでいくしかないのか……。
ナツメさんとの約束をやぶるような愚かなことはできない。
ベッドから降りた。
枕元に浮かせておいたトリプルドレープ ダブルショルダーパッド ジェケットを手に取る。
地元の街をでるときに、かーちゃんがオーダーしてくれたジャケット。
だいぶくたびれてきた。
かーちゃん。
どうかこの試練から守ってくれ。

「ファーストコンタクトのご利用は、はじめてでございますね?」
アテンダー伊藤は、心なしか眠そうだった。
金を持っていないことを見透かされているのだろうか。気を抜きすぎじゃないのか。
「簡単にご説明いたします。当列車のVR環境はレベルSクラスの完全没入環境の機材から簡易型クラスまで幅広いブースを取りそ……」
「あ、説明いいです。とにかく早くアクセスしないとなんで」
約束の時間はあと2分ほどに迫っていた。
「かしこまりました。お急ぎでしたら、5番ブースをご利用ください。エコノミークラスなので再現力は簡易的ですが、ご使用料金は10分2万円と最もお手頃な料金でございます」
「かまいません。“最高級車両”の知井まもるに請求を回してください」
「かしこまりました。それでは、よき体験アクティビティを」
通された5番ブースはVRルームの1番端にあった。この壁の向こうの車両ではいまも人力電力のスタッフが発電を続けているのだろうか。
頭がさがる。

5番ブースに設置されていたのは、見慣れたVRチェア。既視感を感じるほど自宅で使用していたタイプに似ている。
「こ、この設備で10分2万円……」
まあ自分の金じゃないから気にすることはないが、金持ちの自尊心をくすぐる絶妙な値段設定なんだと思った。
VRチェアに身体を預けてリクライニングする。このタイプは細かい感覚の表現が得意ではないのだが、これからの時間を思うとちょうどよいのかもしれない。
視野内のアイコン置き場をスライドし、あの、忌々しい漆黒のアイコンをタップした──。

視界がホワイトアウトし“没入音”が流れる。
imaGeのこの音が好きだというユーザーは多い。自分もそのひとりだ。
imaGeが世界的シェアを獲得した大きな原動力のひとつとなっている、この“没入音”に、いままで何度も胸を躍らせてきた。
しかし、今朝はまったくもって気分が高揚してこない。

視界が戻ってくる。
しかし景色がホワイトインしてきても真っ白な光はそのまま、いや、むしろ強くなった。
どうやらこれは仮想世界ヴァーチャル 側の光のようだ。
薄目を開けて前方をうかがうと、正面にはいままさに昇りはじめた太陽が輝いていた。
「こ、ここは……」
本日2度目の既視感。
立っていたのは、国立DX薬剤化学研究所屋上の景色の中だった。
「おせーぞ、ハルノキ」
反射的に背筋が垂直に伸びた。
真っ白な光の中に人影。
目が眩んでよくみえないが親方にちがいない。
「ハルノキ、30秒遅刻だぞ? おい?」
やっと光に目が慣れてきて、親方の姿アバターが像を結んでく……え?
え?
え?
お、お、親か……た!?
そこに立っていたのは、黒くて大きな切れ長の瞳と透けるように白い肌……健康的でけなげな肢体のナツメさん……高校時代バージョン。
「ナツメさん!」
「おっ! おまえ珍しくまともに呼んだな」
ニッと笑う、顔に思わずひきこまれる。
なんと妖艶でミステリアスな眼差し。
「すみません! 遅くなりました!」
自然に頭を垂れることができた。いや、むしろこうして仕えるように媚びへつらうことに幸せを感じていた。
「おまえ、妙に素直だな? 改心したのか?」
「は、はい! 心を入れ替えました!」
「なんだよ……気持ちわりーな」
「申し訳ございません!」
「なにニヤニヤしてんだよ……」
「いえ! レッスンが、その、レッスンが楽しみでございます! お願いします!」
「おーし、いい根性だ」
「はい!」
「じゃあまず、座って脚広げろ」
言葉使いはまったく変わらないが、かえってそれがギャップになりナツメさんの美しさが強調されている!
いわれるがまま、地べたに座り脚を広げた。
「おっし、じゃいくぞ」
「は、え? ンンぎゃぁ!」
な、ナツメさんに背中を押された。
「いだ、だいっっす」
「我慢しろよ、情けねえな」
容赦なく全体重でのしかかってくる。
見た目は華奢なのに、た、体重データはもしかすると“現実リアル”のままなのか。
「て、て、ていうか、これ、は……」
股関節がギシギシと軋むような痛み。
「股割りぐれー知ってんだろ?」
「ま、また、わ、り」
そ、それこそす、相撲の基本じゃ……。
「まずは身体の可動域を広げんだよ」
「ぐぎゃ、ぎゃ……」
押しつけられるナツメさんの身体は押し出すように前へ前へと突き進んでくるが、こっちの身体は対応しきれず、現在地を守ろうと抵抗する。

押しこまれるナツメさんの身体は凶器と化している。よくよく考えてみればここは、仮想ヴァーチャル、肉体を鍛えることに意味があるのだろうか……。身体を押しつけられても、痛みを感じるだけなんじゃ……んっ、まて、まてまてまてまて、いま、背中にはナツメさんの身体が……身体が押しつけられている?
あのナツメさんではなく、あのナツメさんの。
つ、つまり、美少女の、む、胸元が背中に押しつけられているということじゃないか。
耳元にナツメさんの吐息を感じた。
自分の股関節に走る激痛も。
しかし、背中に当たっているはずの、ナツメさんの、ふ、膨らみの感触だけを感じることができない。
そんなはずは、ない。
感じろ、感じるんだ。
そこに“ある”データをくまなく再現してくれるのが、チェアに組み込まれた“感覚再現エンジン”の仕事じゃないか!
な、なぜ……だ。
……あ。
そ、そうか、この列車には家族連れも乗ってくるのかもしれない……ということは全年齢対象にするために、セクシャルな感覚はカットされている……のか?
「オラオラオラ、ぜんぜん曲がんねーぞ」
「い、いや、あ、い、イダ、イダダダダ」
い、痛みだけは忠実に再現されているというのに、なんてバランスの悪い設定なんだ。

それから1時間、股割りが強要され続けた。
「情けねーな、アップの代わりにもなんねえ」
「そ、そんなこといわれても……」
「あぁ!?」
「いえ! なんでもございません!」
睨まれると、恐怖の他にいつもと違うドキドキを感じてしまった。
「朝はこれくらいにしといてやる。次、昼飯のあと集合な」
「えっ! い、いいんですか!? あ、ありがとうございます!」
「おっ、やる気だなハルノキ。じゃ、13時に集合な」
「はい!」
ナツメさんは、階段に通じるドアから出て行った。あそこがログアウトポイントなのだろうか。
ドアが閉まるまでナツメさん、高校生バージョンの後ろ姿を眺めていた。
華奢で美しい後ろ姿を見つめながら、次は絶対に“完全没入環境”でログインすることを固く心に誓った。

「ハルノキくん、どこにいってたの?」
“最高級車両”に戻ると、まもるさんはベッドの上に大量のスナック菓子を並べて寝転んでいた。
「朝のトレーニングです! まもるさん朝ご飯は食べました!?」
「むん? まだだよ」
「じゃ行きましょう! 自分、腹減りました」
「ハルノキくん、なんだか元気だね」
「人生楽しまなきゃ損ですからねハハハハ」
こんな気分になったのは随分と久しぶりな気がした。

「おはようございます!」
「ふぉ、フォッホッ!」
食堂車両『ひとつぼし』の窓際の席に加藤が座っていた。昨日はバスローブ姿だったが、今日は穴だらけのシャツを着ている。
やはり金持ちはこの服を着るのだろうか。
「フォッホッ、ハルノキくんだったかな? 元気になったようだね。フォッホッ」
「ハイ! おかげさまで」
「昨夜とは別人のようじゃないかフォッホホ」
「加藤さん! おはようございます!」
「オフォッ、まもるさんも」
加藤が席を勧めてきたので同じ席に向かい合って座る。
「加藤さんは、朝ご飯なに食べてるんですか?」
「フォッホッ、わたしはミルクを」
「み、ミルク!?」
「このミルクは周辺の酪農家がさっき絞ってくれたんだよ、フォッホッホホ」
車窓の外には今日もたくさんの業者が併走していた。時間帯のせいなのか、涼しげな顔で荷車を引いている徒歩の人たちが多い。
その中で一頭の牛がエーデル・フロートの仕込まれた荷台に、チューブのようなものがついた機材と一緒に乗せられて浮遊走行フローティングしていた。
も、もしかしてあの牛のミルクなのか。
「ぼ、ボクも飲みたい!」
まもるさんが平手を打った。
すかさず、ギャルソン風の男がかしこまった様子でやってきた。
「フォホッ、彼がミルクソムリエの千房ちぶさくん」
「み、ミルクソムリエ!?」
「彼の勧めるミルクは極上だよフォホッ」
「おはようございます。モーニングミルクをご所望でございますか?」
「うむん! ボクにもミルクを」
ギャルソンは礼をしてから、手早く車窓の窓を半分開けた。
「ミルクお願いします」
渋い声で呟くと、牛の乗った荷台をバイクで牽引していた業者がニカッと爽快な笑顔でOKサインを出した。
「しょうしょうお待ちください」
窓の外で牛の乳搾りが行われていた。チューブを伝ってミルクが搾乳されていく。
だ、ダメだ。
雌牛の、その、さ、搾乳される様子をみていると、よからぬ想像が脳内に渦巻いた。
ひ、昼になれば、ナツメさんの……。
だ、ダメだ!
なんて不謹慎なんだ。ナツメさんは忙しい時間を縫って、ダンスのレッスンをしてくれているというのに。
牛から目をそらし、必死でメニューを眺めた。
「お客様は、いかがですか?」
ギャルソンがこっちをみている。
「み、ミルクはいらないです。じ、自分は水をください」
「ハルノキくん飲まないの! これすっごく濃くて美味しいよ!」
まもるさんは口の周りにびっしりと白い髭をつくって空になったグラスを持ちあげていた。
4歳児か。

運ばれてきたモーニングセットについての丁寧な説明をうけて口に運んだはずだが、車窓の外にいる雌牛とナツメさんのことが頭から離れず、情報も味もなにも頭に入ってこなかった。
結局、なにか高級で希少な食材でこしらえられたパンとスクランブルエッグ、その他もろもろと水分を摂取したということしかわからない。
気がつくと加藤は先に席を立っていた。
「美味しかったねハルノキくん!」
「あ、あ、はい」
「ん? どうしたの?」
「な、なんでもないですよ」
大の大人が2人してミルクなんか飲んでいるのがいけないんだ。
「ところで今日は、なにして遊ぼうか!」
「あ、自分、午後もレッスンがあるんで」
「えええーっ! ぼ、ボクはどうするの!」
「適当になんかしててください」
「そ、そんな! ひどいよ! あ! それじゃボクもダンスの練習するよ!」
「それはダメですね。自分、ちょとストイックに行きたいんでムリです」
邪魔させるワケにはいかない。ナツメさんとのレッスンは自分だけのモノだ。
「まもるさんは、部屋で絵日記でもかいててください」
「むん? 絵日記ってなんだい!?」
「え、絵日記、知らないんですか……? 絵と日記を一緒にかくんですよ。夏休みの宿題の定番じゃありません?」
「ぼ、ボク、知らない! なんだかオモシロそうだね!」
夏休みの宿題を説明する小学校の先生はこんな気持ちなんだろうか。
「それじゃボク、絵日記かくよ!」

昼食の時間も、朝食のときと全く同じだった。
なにを食べたのかわらかないまま、食べ物は食道を通り過ぎていった。
まもるさんは、横でとにかく巨大なステーキを3皿平らげていた。
「まもるさん、自分そろそろいきます」
「えっ! もう?」
「約束の時間、あるんで」
時刻は12:40。高品質の環境でログインするなら、時間には多少の余裕が必要だ。
早めにスタンバイしておきたい。
「じゃあボク、部屋で絵日記かいてるね!」
「わかりました。あっ、そうだ! VRルームの料金だけ払ってもらっていいですか?」
「うん! いいよ!」
腹を突き出したまま椅子に反り返る、まもるさんを残して食堂車両を後にした。

受付は伊藤とは別の星乗員だった。
「いらっしゃいま──」
「1番ブースの完全没入環境で」
「か、かしこまりました。それでは、ご利用料金のご説明を……」
「ぜんぶ、“最高級車両”の知井まもるが支払います。本人承諾済です」
「あ、ありがとうございます。それでは、1番ブースへお入りください」
「あ、そうだ。このブース、特に制限とかなしで、“完全”再現ですよね」
「はい。完全没入環境になっております」
胸のうちで小さく強く拳を握りしめた。


さすがに、最高の環境と謳われるだけのことはある。いままで画像や動画でしか見たことのないような、機材が揃っている。
VRチェアは、椅子の形をしていない。
全方向からの情報を再現するためだろう、空中に浮いた球体のような造り。
「よし……」
ジャケットを脱いだ。
ワイシャツだけの方が、肉体に対する感覚のフィードバックがより鮮明になるはず。
球体の中に身を沈め、ログインを開始した。


本日2度目の“没入音”。
今朝の分も相まってか、高揚感が増していた。
「はやく、はやく……」
ログイン完了がこんなに待ち遠しかったのは、いついらいのことだろう。

視界が戻る。

今回の場所は、研究所のあった校舎の体育館の設定になっているようだった。
まだ、ナツメさんの姿アバターは来ていないようだ。
試しに身体を動かしてみる。
空気の動きがわかるほど、鮮明な感覚があった。ほぼ現実と同じ気分だ。
「おっ、ハルノキ! 待たせたな!」
背後からナツメさんの声がした。
現実の首の方が先に痛くなるくらい、素早く振り向いた。
ナツメさん! ナツメさん! ナッ……!
ナツメさんが、立っていた。
ふくよかで重厚なボディ。極悪な表情で、そびえる、現在の姿に近い“姿”……。
「お、親方!?」
思わず口に出してしまった。
「ああ!?」
「い、いえ、あの──ウグッ!」
首元にナツメさんの巨大な手が食い込む。
「おい、オメーよ。やっぱりか?」
「え、な、なんですか……」
「人の容姿で呼び方かえてんじゃねーぞ、こらぁぁぁ!」
そのまま体育館の床にたたきつけられた。
か、完全に、完璧に痛みが再現される。
い、息ができない。
「ハルノキ、レッスンはじめるぞ。楽しみにしてたみてーだから、気合い入れてくぞ」
ナツメさんが、拳を鳴らしながら、ゆっくりと近づいてきた。

次回 10月26日掲載予定 
『 いちばんぼし 17 』へつづく

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