河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
  前に戻る いちばんぼし 次を読む

第71話『 いちばんぼし 17 』


729 はれ ひる ステーキ
きょうから絵日記をはじめた。
まきたアクティブ洋品店の人からク
レヨンと日記帳をかった。
24色で5まんえんだった。
やったあ!

ナツメさんの“しごきレッスン”を終えて部屋に戻ると、まもるさんが背中を丸めて机に向かっていた。
高級感のあるライティングデスクが全く似つかわしくない。
「まもるさん、なにやってんすか?」
「ま、まだ、だ、ダメだよ!」
両手でノートのようなものを隠した。
「なんすか? みしてくださいよ」
「ダメだよ!」
「もしかして、ホントに日記かいてるんですか?」
「ち、違うもん!」
「だって、手にクレヨンついてますよ」
「う、うそぉ」
手を机から離した瞬間にノートを奪い取った。
「ダメ! あぁあああ」
…………うん?
そこには難解な文字のようなものと、グチャグチャの線が入り交じる、前衛的な抽象画のような“絵”があった。
「こ、これ、日記ですか……?」
「絵日記だよ!」
「いや、あ……はい」
「だから、みせたくなかったんだよ! これからガンバるところだったのにぃ!」
「い、イヤ……あの、すみません」
なんだろう、先輩の書いた私小説を読まされてコメントに困るような、妙に気まずい気持ち。
「……でも……これ、上手いでしょ? 一生懸命かいたんだよ! ボク!」
「あぁ……はい……いいんじゃないですか」
「えー、それだけぇ? ちゃんと褒めてくれてもいいじゃないかぁー、ねぇねぇ。ねぇーハルノキくぅーん」
うっとおしい。
腕を絡みつけてくるんじゃない!
「いや、自分、疲れてるんで」
「だ、だってハルノキくんがみたいって……」
もしこれが愛する我が子や女の子なら、いくらでも褒める言葉を見つけられるのだろう。
しかし、いま目の前で絵日記をみせつけてきているのは、穴だらけのシャツをきて、ぼろきれのようなジャケットを羽織ったおっさんだ。
「いや、ていうか、山も谷もない、第三者が興味を持てる要素がなんにもないもの、見て感想いえますか?」
「ひ、ひどいよぉ……勝手にみたのにぃ」
小学校の先生も、児童全員の絵日記に目を通しながら花丸をつけているとき、絵日記の宿題を出したことを、今の自分のように後悔したりするのだろうか……。
いや、そんなことはないのか……。
いや、というかそんなことはどうでもいい。
明日も早朝からレッスンがある。身体を休めなければいけないんだ。
仮想世界ヴァーチャルでおきた出来事なのに、現実世界リアルで2000m級の山にムリヤリ登らされたような疲労感にさいなまれていた。
「自分、明日早いんで、今日は寝まーす」
しょぼくれている、まもるさんを無視してベッドに入った。


29 はれ 夜 やきとり
ハルノキくんひどい!
もうぜったいに日記をみせてあげ
ない!
ボクはおこって夜ごはんを食べて
いるとマイトくんと田坂さんと、
じんりきでんりょくの人たちが来
て、みんなでサウナにいった。
冷たい水のお風呂にはいって、お
もわずつめたい!っていったらみ
んなが笑って水をかけてきた。
そのあと、みんなで夜中にやって
るコンビニでお酒をかってみんな
でお店のまえでかんぱいした。
やきとりがおいしかった。

明け方、いびきの騒音に起こされると、部屋の中に酒の匂いが充満していた。
まもるさんは日記帳を抱いたまま眠っていた。
昨日は言い過ぎたかもしれないから、謝ろうかとも思ったが、のんきに眠る顔をみているとイライラしてしまった。
こっちは、これからまた地獄のような時間が待っているというのに。
「いててて」
身体を動かすと、股のあたりが軋む。
“幻酔”と同じメカニズムで起こるといわれる、“脳内筋肉痛”が起きていた。
こんなにレアな体験をしているのに驚く気にもならなかった。
ナツメさんの約束が待っている。
重たい身体をひきずりながらファーストコンタクトへと向かった。

「おう! ハルノキ」
ログインを済ませると、今朝も屋上だった。
親方は昨日と“かわらぬ姿”。
「あ……、おはようございます……」
「なんだよ! テメー! 覇気がねえぞ!」
「す、すみません! おはようございます!」
「1回目で、そのぐれえの返事しろよ」
「申し訳ございません!」
逆らうことはもっとも愚策である。
「おっし、朝の稽古はじめんぞ」
「はい!」
床に座り、両足を開いた。
「あ、今日はそれいいや」
「い、いいんでありますか!?」
「考えてみたらよ、仮想こっちで股割りやっても意味ねぇよな、ブハハハハハ」
ナツメさんは鼻の穴を広げ豪快に笑った。吸い込まれる程、黒く大きな穴が見える。
高校生バージョンの黒く大きな瞳とはえらい違いじゃないか。
「今日から、マジでステップ教えてやるよ」
「ほ、ホントですか!」
「それからな、オメーがやる気出すように、してやるよ」
「な、なんすか……」
この人が善意なんていうものを持って接してくれるとは思えない。
「ひとつの課題クリアする度に、アタシのアバターを1歳分、若返らせてやる」
「へっ!」
「なんだよ、不満か」
「め、滅相もございません! そ、そんな幸せが……、じ、自分! 本気だします!」
「だから、温度差ありすぎなんだよ」
張り手が飛んできた。
痛みは今日もクリアに再現されていた。
金持ちはなぜ簡易VR環境でも痛みだけはきちんと再現しようとするのだろう。
「おーし、まずはリズムの取り方と足の動かし方からな」
「はい!」
でも、この痛みに耐えた先には、“ナツメさん”が待っている!
全身に力がみなぎってくる気がした。

次回 11月02日掲載予定 
『 いちばんぼし 18 』へつづく





「少しのことにも、先達せんだつはあらまほしき事なり……」
腹痛に耐えかね、バスを降りてしまった。
国立先生の好意に甘んじ、朝食を腹一杯になるまで食べたのが原因であった。
「なんという浅ましきこと……」
腹痛を抑え、バス停に立つ。
しかし、己の所在すら不覚の状態。
「しからば、検索を……」
2本の指を立て、眉間に近づけると、猛然とした羞恥心が沸き上がってくる。
「……お天道様は見ていらっしゃる……」
人前で検索を行わぬようにと決めたジェスチャーではあるが、奇声を張り上げ眉間をつつくような行為は、独りのときにもはばかられた。
胸のポケットにしまった、タマゴをそっと手でおさえていた。この恥じらいの気持ちは、国立先生の尽力の賜物。
体内から“邪心”が抜け落ちたから。
心が安らかになるにつれ、腹の痛みも少し治まったように思えた。
「………っーい!」
背後から人の声がした。
「おおおーい! そこのキミぃ!」
振り返ると、全身にぴったりとフィットした召し物をまとった男性が近づいてくるのがみえた。
「キミ! さては困ってるね!」
男性が身につけている服は、あの時のまもるさんと同じデザインのようにみえた。
「……恥ずかしながら、不肖戸北リョウスケ。ただいま、腹痛に悩んでおります……」
「お腹が痛いのかい!? それは大変だ、早くトイレに行こう! さあ! こっちだ!」
「……あ、あの、貴方様は……」
「申し遅れました! 僕は、この町のヒーロー。ピュアへいわとかいて純平です!」


渓谷を流るる清流のように水が流れていった。
「……助かりました」
用を足し外へでると純平殿が出迎えてくれた。
“チョリーン”
小気味よい金属音が鳴った。
「よっかた! 間に合ったんだね!」
「はい。九死に一生を得た気分でございます。誠にありがとうございます」
 「うん! ボクはヒーロー! これぐらいは当然だよ!」
「貴方様はヒーローなのでいらっしゃいますね。不躾な質問でございますが、まもるさんをご存じないでしょうか……」
「まもるくん!? もしかして、この間、ドキュメンタリー番組に出ていた?」
「はい。ご存じでございますか」
「もちろん! 僕の恩人だから!」
「な、なんと……やはり、まもるさんは偉大なお方でございますね」
「キミはまもるくんの友達なのかい?」
「まもるさんは、わたくしにとっても恩人でございます。あの、純平殿、わ、わたくしもヒーローになることは出来ますでしょうか?」
「キミもヒーローになりたいの!? もちろんだよ! 僕が案内してあげるよ!」


怪しげな雰囲気の東屋あずまやであった。テントのようなビニール製の屋根の下にひしめき合う様々な自動販売機の通路を抜けると、一際いかがわしい、桃色の光を放つ自動販売機。
「この機械に500円をいれてごらん!」
純平殿に促されるまま、自動販売機に500円玉を投入すると桃色のライトが虹色に変化した。
『やあ! よく来たね! この町のヒーローになってくれるのかい?』
「わたくしもヒーローになれるのでしょうか」
『もちろん! ヒーロー協会公認のヒーロースーツを着ていればね! ……んん?』
虹色のライトの瞬きが止まった。
『すまない! どうやら、キミの体型にあうスーツは、在庫切れのようだ!』
「な、なんと……」
「な、なんてこったぁ! そんな、ひ、ヒーローになろうとしている崇高な気持ちをかなえてあげられないなんて! 僕の僕のせいだ!」
純平殿が頭を抱え地面に伏した。
「僕のヒーローレベルが低いばっかりに、彼の気持ちを踏みにじるようなことが……」
「あ、あのぉ、ヒーロースーツはどこか他に手に入れる場所はないのでしょうか」
「そうか! トキタくん。僕と一緒にヒーロースーツの製作所に行こう!」
「そのような崇高な場所があるのでございますか?」
「うん! 任せてよ! こうしちゃ居られない! 今すぐ行こう!」
純平殿に手を引かれ怪しげな東屋を後にした。





掲載情報はこちらから


@河内制作所twitterをフォローする