「旦那ぁ! これなんてどうでやんしょ!」
蒔田が手渡してくるimaGeグラスは、どれも一級の代物だった。
「さ、
自分は、なんて贅沢な悩みをしているんだ!
「こういうのは、インスピレーションっすよ! ピンと来たので決めないと! これどうすか?」
次に渡されたのは、絶妙な曲線を描くフレームが美しい、フ、フローティングメガネ!?
「こ、これ、フ、“フロメガ”すか!?」
「さすが旦那! その通りです。顔面と一定の距離を保ってフローティングしますんで、どんなに激しく動いても邪魔にもなりませんよ」
「なかなか、いいですね……」
クルマや列車を浮遊走行させることのできる浮遊物質“エーデル・フロート”を惜しみなく
「よっし! 今度こそ決まりだ! ゲンさん! これ包んで!」
「あいよぉー」
「ちょ、ちょっと待ってください! まだ決めたわけじゃ……」
「ご不満ですかい?」
ゲンさんと呼ばれた男は、imaGeグラスの箱を包みかけていた手を止めた。
がっしりとした顎がイカツク突き出る。
「お客さん、モタモタしてると、あれだよ、フローティングメガネだけに、どっかに飛んでっちゃうよ。ヌハハハ」
蒔田と店主が同時に笑った。
その後ろであきれた表情をしていた、江田と一瞬目が合う。
「ふ、不満じゃないんです。ただ、このお店、品揃えが豊富だからもう少し選びたいなと……」
『Gensen雑貨』という古めかしい看板の下に『手曲げフレームimaGeグラス』と謳われていただけあって、様々な雑貨がならぶ店内の一画にはびっしりimaGeグラスが並んでいた。
店の奥には作業場とおぼしき工具がかけられたスペースもみえる。
この主が1本1本手作業でimaGeグラスをつくっているのかもしれない。
たしかに、こわもてのたたずまいは職人と呼ぶにふさわしい風貌だ。
「旦那ぁ! こういうのはスパッといっちゃいましょう!」
「い、いや、でも……」
店内に並ぶimaGeグラスは、途方もない値段がつけられている。おいそれと決めることはできない。というかこんな大金、持っていない。
まもるさんじゃなんだから。
「ハルノキの旦那ぁ、もしかして予算のこと気にされてますか?」
「な、なんで!?」
「いやぁほら、安くはねぇっすからねゲンさんの“作品”わぁ」
「……フンッ」
ゲンさんが口の端だけで笑った。
「でもねぇ、旦那、“フルログ世代”の成人男性が一生のうち何回imaGeグラス買い換えると思いやすか?」
「えっ……10本くらいじゃないんですか?」
蒔田が手元のimaGeグラスをつまみ、じっとみつめている。
「蒔田調べによると、平均でたったの5本っす! 5本!」
「そ、そんなに少ないんですか?」
「はい。少ないです! imaGeはホルダーがあれば使えますからね本来は。グラスはログインしたときの視野を補強するためのもんでやんすから」
蒔田調べというのが非常に嘘くさいが、いっさい動じず正面を見据えてくる。
「幼少期に、親のおさがりではじめて手に入れるのが1本目! 中学に入ったあたりにお小遣いを貯めて次の1本。
「それ、ただの実体験じゃ……」
「いやいや、あっしらの界隈で何人かがそんなこといってやしたから! 脈々とつづく人間ドラマです。ハルノキの旦那はいまこうして、1本を選んでいる。記念すべき瞬間です! ここでケチったら一生ケチケチした人生っすよ! そんなことでいいんすか!?」
そこまでいわれてしまうと、いまさらお金がないというセリフは出しにくい。
「もう、ちゃちゃっと決めちゃいましょ!」
「わ、わかりました……けど……せ、請求はまもるさんに回して貰えますか?」
「ありがとうございます! もちろんでさぁ、まもるの旦那に口座開いてもらってますんで! よし! ゲンさん! 包んじゃって!」
「あいよぉー」
さっきよりも表情が和んだゲンさん、わ、笑っているのか。
「兄ちゃんあんがとな!」
手渡された包みは、中身が入っているのか疑いたくなるほど軽い。さすがはフローティングメガネ。存在自体が非常に軽快だ。
軽い存在……。
そういえば、まもるさんにとって自分はいま、どんな存在になっているんだろう……。朝の稽古のときには、ベッドで熟睡しているまもるさんに声をかけることができず、夕方飲みにでかけてしまう、まもるさんを追いかけるのにも気後れしてしまう自分。
まもるさんにとって自分は包装されたフローティングメガネのような存在なんじゃないか。
急に、フローティングメガネの軽さが怖くなってきた。
そんな自分がまもるさんのお金で勝手に高額な買い物をしてもいいんだろうか。
「それじゃあ江田くん! 先にお車へご案内して! 俺はちょっと、ゲンさんと話してくから、旦那、車で待っててくだせぇ!」
「い、いきましょうか」
江田が店の入口で待っていた。
「……あ、あの……」
カウンターの方を振り返ると、まるで自分の店のように振る舞う蒔田と、ニヤけた顔をしていたゲンさんが動きをとめた。
「なんだい? 兄ちゃん?」
「だ、旦那、まさか返品とかいいだしたりしねえですよね?」
「あ、いやっ、そうじゃないんです。もうひとつ欲しいものがあって……」
お腹が鳴った。
もう、30分も経つじゃないか。
2人は、ペアルームに入ったまま、まだ出てこない! い、一体何をしているんだ!
だいたい、3人いるというのに、定員2名のペアルームを選んでいることが怪しい。
も、もしかして……。ぶ、VRのログインすると見せかけて……現実の部屋の中であ、あんなことやこんなことを!
不埒な!
でも“ファーストコンタクト”2番ブースのドアに耳をつけて中の音をうかがってみたけど、物音はしない。ログインはしているようだ。
も、もしかして! VRの中で……。
「おなかすいたねー小波ちゃん!」
勢いよくドアが開いた。
「あっ! サルくん。大丈夫!?」
ドアが顔面にクリーンヒットした。
「だ、大丈夫です……」
「す、すみませんっ! お待たせしてしまってっ!」
まもるさんの後ろから小波ちゃんも出てきた。
ちゃ、着衣に乱れはない……。
ぼ、僕はなんて不届きな想像を……。
「凄い上手なんですっ! まもるさんっ!」
「な、なにが! ……ですか……?」
目の前が暗闇になるほど、嫌な予感がした。
「畑仕事ですっ!」
凄い、上手、まもるさんの、凄い、畑、畑? はた?
「畑?」
「はいっ! TA-GOの畑っ! まもるさん農作業すっごく上手なんですっ!」
「ボクね、あの畑をもっともっと立派にするんだぁ!」
「またみせてくださいっ!」
「いいよ! それにしてもお腹すいたね」
「はいっ! お昼食べましょっまもるさんっ」
な、なんだその親密な距離感は!
「むん! サルくん! なに食べる?」
「は、はい! あ、えっと、でも、もうお昼時間があんまり……」
「いけないっ! わたし、つい夢中になってしまって……ご、ごめんなさい……」
くぅおぅ!
その長い睫毛でけなげにうつむくのは反則だ。そんないたいけな表情を赦さない男はいない!
「いいんです! まだ時間ありますから! ら、ランチ食べましょう!」
「ボク、おにぎり買ってくるよ!」
「ま、まもるさん?」
言い残したまま、まもるさんがもの凄い勢いで“
「おまたせっ!」
は、速い。
手にラップされたおにぎりを抱えまもるさんが戻ってきた。
「おにぎりならスグ食べられるよ!」
い、いくら、おにぎりといっても、そんなにすぐに食べられるものじゃ……。
「いただきまっ! フグ」
おにぎりに向かって一礼した直後、まもるさんがおにぎりを口に運──。
瞬時に、おにぎりが口内へ吸い込まれた。
「
口をモゴつかせ、まもるさんが一礼した。
「すごっ! はやいっ! えっ、えっ! 手品ですかっ!?」
小波ちゃんが、目を大きく見開いた。
褐色の瞳が美しい。
「ん? 簡単だよぉ、おっきな口をあけておにぎりを押し込むんだぁ!」
「そ、それ、まもるさんにしかできないです」
「そんなことないよ! 小波ちゃんもやってみなよ」
よ、よりによって女子にそんなムチャな要求を……。
「はいっ!」
しかし、小波ちゃんはキラキラと目を輝かせおにぎりを受け取っている。
「ちゃんと、いただきます! しないとダメだよ!」
「いただきますっ! あングゥ」
小波ちゃんの口が大きく開いた。おにぎりの半分が口の中へ消えていく。
「んん、ひゅごいっ……」
「がんばって! 小波ちゃん」
「ふぁ、ふぁいっ!」
残りのおにぎりを無理矢理口のなかに運んだ。
「……………」
「だ、大丈夫!? 小波ちゃん!? ま、まもるさん! ちょっとひどいんじゃ」
「ふぁ、ふぁいじょうぶでひゅっ!」
小波ちゃんが笑顔をつくった。
限界まで膨らんだ頬が、小動物が捕食した食べ物を巣に持ち帰る姿を想像させた。
「……んん、んぁ! おいしい!」
「小波ちゃん! ごちそうさまもいわないとだよ!」
「ごちそうさまですっ!」
「やったねっ! 小波ちゃん!」
「はいっ!」
な、なんだよ! その困難を乗り越えた師弟関係のような清々しさは!
「サルくん食べないの? もう戻らないとだよ!」
「あっ! え! あ、はい! 食べます! み、みなさんは先に!」
「わかった! じゃあいってるね!」
小波ちゃんが小さく頭をさげて、まもるさんの後を小走りで追う。
ひとり取り残された僕は、おにぎりを無理矢理口に詰め込んでみた。
「うぐぐ……」
どうやっても、おにぎりを噛めない。
の、喉に……。
遠くの方で動力室に消えた2人の後ろ姿がにじんでみえた。
やっぱり!
音の聴こえるタイミングが朝とは違う!
気がする。
タイミングはずれていない!
はずだ。
「……ど、どうすか?」
「…………」
親方が、じっと一点をみつめ微かに首を傾げている。
「……今朝よりも、だいぶまともになった気はする……」
やっぱり! やっぱり!
グラスの
「けどよ、まだズレてんだよなぁ」
「……えっ!?」
「ほんの少し、半拍の半分ぐれぇズレてる」
「そ、それくらいなら……」
「ふざけるな。遅れていいリズムなんてものは存在しねぇ! 些細なずれでも致命傷になる」
「自分、どうすればいいんですか……」
「どんなにスローテンポだろうがリズムは流れてる。その流れを感じるのが踊り手の個性だ!」
「こ、個性?」
「そこで鳴ってる音は、ひとつじゃねえ。空間全体の音と溶け合っている。その中から自分が感じる音をたぐり寄せてぶつかる。なにを感じ取って、どう掴まえるか。そいつが
「そ、そんなに高度な……」
「いいか! 感じろ! もっと全身でぶつかれ! もうちょっとだ! 諦めんじゃねえ!」
親方の真剣な表情に圧倒された、けど、いままでのような恐怖は感じなかった。は、はじめて、親方の真っ向からのアドバイスを貰った気がする。
感じる……。
ガッ゛ ガッ゛ ガッ゛ ガッ゛──
流れてくる、音割れしたメトロノーム音、ナツメさんの息づかい。自分の鼓動。
ガッ゛ ガッ゛ ガッ゛ ガッ゛──
全てをひとつ。
ガッ゛ ガッ゛ ガッ゛ ガッ゛─
いまっ!
あ、あれ?
いままで感じなかった音を感じてる!?
聴こえなかった音が!
「おっ、ハルノキ……オマエ……」
「ハイッ!」
「バイブスが変わってきやがった。いいぞ、ビンッビン来てる!」
「ハイっ!」
「いいぞ! よくやった!」
「お、お、や、な、ナツメさん!」
「止まるな! 身体に染みこませろ!」
「な、ナツメさん!」
「じ、自分、デキてます! できてるっす!」
「ハルノキ、よくやったじゃねえか」
ステージの中央に陣取った親方が小刻みにうなずいていた。
「そ、それじゃ、も、もしかして、“肩でリズムをとる”の課題は……」
「クリアだな」
「あ、ありがとうございます!」
「明日レッスンの時に若返ってやる! 楽しみにしとけ!」
「はい!」
四股を踏みログアウトしていくナツメさんを見送った。
まだまだ課題は残っている。
でも、でも、ナツメさんに、ちゃんと褒められた! あれだけ真剣にアドバイスをしてくれたのも、はじめてだし、四股を踏まれてもバイブスが反応していないということはナツメさんも上機嫌だったということじゃないか!
この喜びを伝えたい。
あの人にも褒めて貰いたい。
まもるさんに会いたい!
「お疲れ様でした!」
受付にいた伊藤に挨拶をして“ファーストコンタクト”をでた。
時刻は視野内の時計で16:32。
まもるさんは、まだ仕事中のはずだ!
車両の連結部分のドアをあけ、動力室まで走った。
「すみません! まもるさんをお願いします!」
目一杯、ドアを叩いた。
「すみません! 誰か!」
ドアがゆっくりと開いた! 見知らぬ顔の男だった。
「あ、自分、知井まもるさんの同乗者なんですが!」
「あ、あぁ、まもる?」
馴れ馴れしく呼び捨てにするんじゃない。
「まもるたち、今日は早上がりしてったぜ」
「えっ!?」
「かわいい女の子が入って、今日は歓迎会だって。みんな出てったぞ」
「あ、そ、そうなんですか……」
「俺も行きたかったんだけどよぉー。こいうときに遅番なんだよなぁ」
「あ、ありがとうございました」
それだけいってドアを閉めた。
まもるさん、かわいい女の子と遊びにいったんだ……。なぜかわからない、正体不明のドス黒い霧が心の中に沸き立っていた。
次回 11月30日掲載予定
『 いちばんぼし 22 』へつづく
「おっ! ピッタリじゃねえか!」
「こ、これがヒーロースーツでございますか」
「チクリニックの最新作だぞ!」
チクリン殿が腕を組みながら深く頷く。
表情は苦々しいが、目の奥には柔らかい光が宿っていた。まるで、我が子を慈しむような。
「こっちでみてみろ!」
飾り気のない質素な姿見の前に立つ。
「な、なんと!」
「ヤベーだろ?」
「ち、チクリン殿、こ、このスーツは!? わたくしのような者には不似合いなのではございませんか」
「ん? なんで?」
「胸元にハッキリと、乳頭が浮き出ているではありませんか!」
「お、おまえ……」
逆鱗に触れてしまったのだろうか。
チクリン殿の眼が突然、険しく歪んだ。
「おまえ、乳頭っていう言葉、意味わかってんのか……?」
「ち、乳首という表現は乳飲み子のようで幼く、チクリン殿の入魂された作品には不釣り合いだとわたくしは思い、その言葉を選びました……お気に触ったのであれば……」
「偉い! オマエ、偉いぞ!」
「わ、わたくしは、偉いのでありますか?」
「意識して乳頭と乳首を使い分けられる人間に、はじめて出会ったぞ。ちょっとこっちにこいよ!」
「な、なにを……あ! そ、そんな!」
チクリン殿がわたくしの胸元に手を忍ばせる。
「いいから、ちょっとこいって!」
「そ、そんな、チクリン殿、そんな……な、なにを!」
「いいからじっとしてろ……上、下、上、下、右、左、右、左……」
チクリン殿が左右の乳頭を親指で弄ぶ。
「最後に中央!」
ぐっと、乳頭が押し込められた。
「は、はぎゅぅーん!」
脳内になにか、光のようなものが
天啓のような閃光が。
これは……、なにかが……芽生えた……。
「よしっ!」
「ち、チクリン殿、わたくしは、わたくしは……まだ覚悟が出来ておりません」
「大丈夫だ! オマエならデキる」
チクリン殿の表情が凜々……しい……。
「いいか? いまのは誰にもいうなよ。これでオマエのスーツは……」
「チクリン殿、わたくしは! わたくしは!」
「なんだよ! 離れろ、気持ちわりいな」
「そ、そんな、チクリン殿が先に……」
「なに勘違いしてんだよ! いいか! オマエのスーツは、たったいま広域ヒーロー用にバージョンアップした!」
「どういった意味でしょうか」
昂ぶった気持ちが、まだ収まらない。
「地域制限を
「か、隠しコマンド……乳頭にそんな秘密が!?」
「チクリニック製品だぞ。乳頭に細工する決まってんだろ!」
「な、なるほど。あの、チクリン殿、ヒーローには、広域と狭域があるのですか?」
「おう! 普通のスーツは決められた町の中でしか効力を発揮しねえが、オマエのはこの国のどこにいっても効力を保ち続ける!
「ス、スケスケ?」
「その胸元の犬だよ! 目の色が違うだろ」
スーツの胸元にはファンシーな犬のイラスト。
眼は七色に輝いていた。
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