河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第80話『 夕凪、うなぎ 02 』

「すみませーん!」
いわゆる“抜けるような青空”というやつを、さらに高く突き抜けるような声だった。
『まもる! もっとおっきな声で!』
「す、すみぁせぇぇぇぇぇん!」
『もっと!』
「すぅぅっぅぅぅみまぁぁぁぁせぇぇぇぇん」
声を張り上げる先にある古びた商店のボロボロになった木製の扉は、久々に“初見アンノウン字幕テロップ”が解説してきたところによると“雨戸”というらしい。
その年季の入った雨戸がガタガタ震えた。
「は、はぁいよぉ!?」
中からおそるおそる顔をだしたのは、高齢の女性。驚いている。
それはそうだろう。
雨戸には“釣具屋ひろみ 水曜日定休”と記された、札がぶら下げられているのだから。定休日に店の軒先に大声を張り上げるやつがやってきたら……心中は察してありあまる。
『ホラ、まもる!』
「ボクどうしてもうなぎを捕まえたいんです! 釣り針を売ってください!」
しかし、この2人は遠慮という概念を持ち合わせていないらしい。
「ごめんなさいねぇ、今日はお休みなのよぉ」
「お願いします!」
まもるさんは、すかさず地面へ額を擦りつけてみせる。年季の入った見事な土下座だ。
「今日、うなぎを捕まえないとボク、ボク、叱られるんです!」
「おやおや、それは困ったねぇ。でも、今日はお父さんが釣りにいっちゃっててねぇ……わたし、よくわかんないのよぉ」
「大丈夫です! 必要なものはわかってますから!」
「そうなのぉ? じゃ、じゃあ、ちょっと待ってね……よいしょっと」
おばあさんが、重たそうな雨戸をギコギコと動かしはじめた。
な、なんと、迷惑な輩どもなんだ。
「どうぞぉ、何が必要なの?」
間髪入れずに、まもるさんが開かれた雨戸の隙間へ滑り込む。まるで手練れのスパイか強盗のようにムダのない動きだった。
これほどまでに、必死の動きをしているのは、まあ、10分ほど前のmisaの剣幕からいえば無理もないのかもしれないが──

『いい? いまから流す動画、目を見開いてよぉく観るのよ!』
うなぎを捕獲しようと決意したmisa様の音声は、鬼教官の鞭のように鋭くしなり、研ぎ澄まされていた。
「い、イエッサ!」
まもるさんは、新兵訓練施設ブートキャンプに送られてきた初日の夜に、訳もわからず理不尽な往復ビンタを食らった新兵のごとく、怯え、そして従順な返答だった。
『ハルキ! 返事!』
「い、イエッサ!」
むろん、従うほかない。
『いくよ!』

♪チャッチャラチャチャタタタタタ~

間の抜けた電子音。
薄っぺらくて軽い曲調のインストメタルをBGMにナレーションが話し出した。
「はいっ。ということで、今日はうなぎを捕るための仕掛けを紹介しま~す」
抑揚の少ない一本調子の声。misaが浮かべているエアロビジョンには、ピントのぼやけたペットボトルがアップになった。
「うなぎを捕まえるのに必要な道具がこれです。まず、ペットボトル、それから仕掛けのためのオモリ、うなぎ用の針……」
徳用とかかれた釣り針のビニールパッケージが大写しになる。
もれなく、ピントはあっていない。
「それから、ライン用の糸ですね。色はなんでもいいっすぅ~」
力の抜けた声。
いつのまにかBGMは止んでいるが次の曲が始まる気配はない。
「まず、オモリに糸を通します……」
それから約5分間。
解説者と思われる男の指が、ペットボトルに糸を巻き付け、作業する様子が延々と映しだされた。
「……はぁ~い、最後にこのペットボトルに水を入れてつかいます。それじゃあ今度また実際につかってみますね~」
『以上、わかった? 次は、絶好の穴場の見分け方にいくわよ』
「!? じゅ、準備編は、いまの動画だけでございますか?」
『充分でしょ!? なにがわからなかったの?』
「だ、だってずっとボヤけてたし……」
「ハルノキくん! ぐずぐずしてちゃダメだよ! 必要なもの買いに行こう! misa様! 釣り具の売っている店を教えてください!」
まもるさんがすくっと立ち上がった。

そして、定休日の店をむりやりこじ開け、買い物を敢行している。
「misa様、オモリはどのくらい必要ですか?」
『まもる……』
「ハイ!」
『とりあえず多めにいっとこうか』
「イエッサ!」
「オモリここにあるやつ全部ください!」
「おやおやぁ、お金は大丈夫?」
「はい! いっぱりあります!」
『ライン用の糸は細くて頑丈なやつ! カーボンファイバー!』
「あと、針もイイヤツください!」
「どれだろうなぁ……これかしらねぇ……ダイヤモンド? でできてるみたいよ?」
「なんだか凄そう! それ全部ください!」
「あらら、すごいわねぇ」
大人買い──。
文字通り、本当にいい歳したおっさんがしている買い物である。
間違ってはいない。
だが、駄菓子屋のおばあさんとの会話にしかみえないのはなぜだろうか。
「これで、いくらですか!?」
「えぇぇっとぉ、あらやだ、100万円くらいになっちゃうわよ?」
申し訳ないが、この古びた個人商店の客単価が100万円を越えることがそうあるとは思えない。
「imaGeマネーでお願いします!」
しかし、まもるさんは何の疑いも持たずに決済を完了させようとしている。
止める間もなく、ヒーロースーツの“チョリーン”に似た、小気味よいimaGeの決済音が店内に鳴り響く。
「いっぱい買ってくれて、ありがとうねぇ」
「ボクいっぱいうなぎ捕まえてくるよ!」
『まもる。先に川へ向かっていいポイント探しときなさい! 条件は覚えてるよね?』
「むむん! お任せください!」
小さく敬礼してまもる三等兵が小走りでかけだした。
『ハルキはペットボトルの調達! ぼさっとしてないで早くいきなさい!』
いきなさいとおっしゃられても、アナタはわたくしのimaGe内にいらっしゃるわけで、結局同行いただくことになるのですが……。

「はぁ、はぁ」
『ハルキ! おそい! 走れ!』
脳内で叱責がこだまする。
「ハルノキくん! こっちだよ!」
河川敷のほうからは、まもるさんの声。
『なかなかいい所じゃない』
だが、misa様はご満悦のご様子だ。
まもるさんが確保していたのは、大きな橋のたもとから少し離れた河川敷の一角。
浅瀬が続く穏やかな流れの向こうに川底の深そうなポイントが広がる場所だった。
「ちょ、ちょっと、休憩させてください」
『ちょうどいいから、そのペットボトルのお茶、一気にいっちゃいなさい!』
「ボクも飲みたい!」
まもるさんが、ナイロン袋にはいったペットボトルをまさぐる。
「あれぇ? 炭酸はないのぉ」
「炭酸系のドリンクは容器が薄いから却下だそうです……」
「そうかぁ。じゃあボクこのお茶にする!」
まもるさんは、おもむろに取り出したペットボトルのキャップをグリッとひねり、ゴキュッゴキュゴキュッと喉を鳴らしながら体内にお茶を吸収しはじめた。
ペットボトルが裂けてしまうのではないかと心配になるほど急激に体積を縮め、容器が内側にへこんでいく。
きゅぽんっと音がして唇からボトルが離れる。
「ぷはぁっー! もっと飲んでいい?」
「ど、どうぞ……」
こうして、自分が1本のお茶を飲み終えるまでに、まもるさんは10本以上のボトルを空にしてしまった。
ポンプみたいな人だ。
「ぅ゛ぅ゛う゛ぅ゛……もう、ムリ……」
この人、こんどは“過剰飲量オーバー・ドリンク”でも起こすんじゃないだろうか。腹部が水風船のように膨らんでいた。
『ほらぁ、あんた達! 次のミッションにうつるわよ!』
まるで文化祭でやる気のない男子に呼びかける女子のようにキビキビとしたmisaの音声。
『さぁ! ライン用の糸を巻いて! あ! ペットボトルはラベルをはがさずに使うのよ!』
「み、misa。なんかいきいきしてるね」
『久しぶりに楽しいわ。アタシ』

『さぁ……ここまできた……次は……いよいよね……』
鬼軍曹と呼んでもまだ足りないほど迫力にみちたmisaの指導の下“うなぎワナ”は完成していた。ペットボトルに巻き付けられたカーボンファイバー製の糸の先にはオモリや針もしっかりと取り付けられている。
「まだなにか、必要なの?」
『えぇ。これがこのミッション最大の山場になるわね……』
ロボット物のアニメで序盤に出てきた中ボスクラスの敵を見据えた司令官が生唾を飲むような言い方だ。また厳しい指令が下るのだろうか。
『……餌が必要なのよ……』
「そ、それはそうですよね」
針と糸だけ垂らして釣れるなら釣り人が殺到しても不思議ではない。
「ボク! 餌を確保してくるであります!」
『そうね……まもる。アナタに全て任せるわ』
「じ、自分も手伝いますよ」
『ハルキは待機!』
「えっ? だって餌、いまから探すんでしょ? ふたりで探した方が早いんじゃ……」
『まもるを信じなさい! まもる! 餌を確保次第、そのまま秘密裏に仕掛けへ装着!』
「ハハッ! 行って参ります!」
バケツを抱えたまもる三等兵は、勢い勇んだ足取りで草むらの方へと駆けていった。
『……よし』
なにか良いのかわからないが、misaが安堵したように息をはいた。
「それにしても、なかなか良い眺めだね。ここ。水面がキラキラしてる」
河口に向かって開けた視界。昼下がりの太陽に照らされた水の表面を光の粒が跳ね回っていた。
『そういうキレイなセリフをリアルの女の子にちゃんといえる男になって欲しいもんね』

「misa様! 発見いたしました!」
まもるさんがバケツを抱えて戻ってきた。右手にバケツを下げて左手を大振りにしながら走ってくる。
「みてみて! ハルノキくん! 大漁だよ!」
釣りをはじめる前から大漁というのはどういうことなんだろうか。そういえば、うなぎの餌ってなんだ?
「まもるさん、餌ってどんな……」
差しだされたバケツを覗き込もうとすると──
『ハルキ! みちゃダメ!』
大音量の“脳内音声”。
「えっなん……で…………」
しかし、既に視野にはバケツの中身が──
『キャッ、イヤッ──』
「う、う、うぎゃぁぁぁぁぁぁ」
『キャァァァァァァァァァァァ』
自分の声帯と脳内の音声が同時に叫ぶ。
バケツの中には、おぞましい数の糸状のなにかがウニョンウニョンと渦巻いていた。
不気味なピンク色に変色した、しらたきが勝手にうごめいているような光景。
「な、なんすか! それ!」
「え? ミミズだよ? うなぎ釣りの餌といえばミミズじゃないか? ねえmisa様?」
すっとぼけた顔でまもるさんが尋ねている。
『……………』
「あれ? misa様?」
『…………カッ』
「え?」
『この………バカ! バカバカ! ハルキのバカぁ! そん……、そんなもの、視野内に映さないでよ!』
アシスタントプログラムはimaGeと連動している。imaGeは人間の視野と連動している。つまり自分が目で見た物はimaGeの視野内に映り、アシスタントプログラム側にも自動的に伝達される。
ということは、misaがこれほど動揺している理由は、このバケツを覗き込んだから……。
「ね、ねえ、もしかしてさ、自分に待機を命じたのは……」
『ハァ? なに?』
「misa、こういうの苦手なの?」
正体がわかれば自分は平気だ。
でも、misa様はどうやらこういったものが苦手なようだ。
再びバケツの中を覗き込む。
『キャァヤッ、や、やめなさい! 視野内に映さないで! こっちは視野内画像の拒否、できないんだからね!』
だから、このお方は餌取りをまもるさんに一任したということか。
「そういう、かわいらしい一面があるんだね」
もう一度バケツの中を覗く。
『イヤッイヤッヤッムリ……やめなさい! ハルキ! アンタ、またそのおっさんとの二人旅に戻りたいの!?』
「わかりましたよ冗談ですよ……おっと」
バケツの中に目線を戻す。
『キャアアアアア! まもる! 早くそれ、仕掛けにつけて川に投げ入れなさい!』

「終わりました!」
背後からまもるさんの声がした。
『よし、ハルキ、ゆっくり振り返るのよ。決してペットボトルの先をみないこと』
「はい」
『アンタ、さっき随分と威勢がいいことしてくれたけど、もうしないよね?』
「は、はい……申し訳ございませんでした」
まもるさんが作業する姿から目を逸らさせられ待つこと30分。
その間、落ち着きを取り戻したmisaに過去の自分の恥ずかしいエピ-ソードを事細かに思い出させられるという罰を与えられていた。
一時の気の迷いで自分はなんという馬鹿なことをしでかしてしまったのだろうか。
深く、人生について振り返り己を戒めた。
「ハルノキくん! これ一緒に投げよう!」
まもるさんが、針の先端部分を差しだしてくる。必死でペットボトルの底へ目をそらす。
さっき無理矢理飲み干して空にしたペットボトルには、容器の三分の一くらいまで水が入れてあった。
「あれ? これ水が入ってるんですか?」
「そうだよ」
そういえば、仕掛けの構造がいまいちよくわからない。
「これ、どういう仕掛けなんですか?」
「うん? 簡単だよ。オモリと針が着いてる方を川に向かってなげるんだよ! そうすると、ペットボトルに巻いてある糸がシュルルルルってとんでいくの!」
つまり、そこにうなぎが食いつくのか。
「まもるさん、お手本見せてくださいよ」
「いいよ! みててね」
まもるさんが左手にペットボトルを握り、右手で釣り針とオモリのついた糸先を回転させはじめた。ヒュンヒュンヒュンと勢いのある回転音がする。
「そぉぉぉぉれぇぇぇぇぇぇぇ!」
手を離すと勢いよく釣り針が遠くまでとんだ。
同時にペットボトルに巻き付いた糸がグリングリンとほどけていく。

チャポッ──

川中の方で小さな水しぶきがあがる。
「こうやって投げたらあとは、このペットボトルをここに置いておくんだよ」
左手に持っていたペットボトルを地面においた。容器の入った水が輝いてみえた。
「うなぎがあの針にかかったら、このペットボトルがパタンって倒れるんだよ!」
「そ、そんなに、うまいこといくんですか?」
「うん! 動画みて思い出したけど、ボク小さいころに同じ仕掛け作ったことがあるから!」
そのころから食い意地がはっていたような気がしてならない。
「ハルノキくんもやってみなよ!」
『ハルキ、わかってるよね?』
「もちろんです」
餌を凝視しないよう細心の注意を払いながら、糸を回す。
「せいいいいいいいいいいい!」
渾身の力をもって投げた糸は、まったく飛ばず、手前の浅瀬の方に着水した。
「だめだよもっと遠くになげなきゃ!」
まもるさんは嬉々としてどんどん遠くへ向かって仕掛けを投げ入れていた。


全ての仕掛けを投げ入れるころには、夕暮れも間近に迫っていた。
「も、もうすぐ日が暮れそうですけど」
『うなぎはさ、夜釣りが基本だからね、これから日没したあとくらいが狙い目なのよ』
そういうものなのか。
本当にこんな仕掛けでうなぎが釣れるものなのだろうか?
河口の向こうの海へ沈みゆく太陽を背景に、川べりに並んだペットボトル。
川は流れも緩やかになり、なんとも緩やかな時間が流れていた。

次回 2019年01月04日掲載予定 
『 バディのボディ』へつづく


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