河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第84話『 バディのボディ 04 』

「わたくしにお任せいただけないでしょうか」
ハルキを見つめているのか、それともアタシをみつめているのか。視野内に感知された人間の瞳孔はぶれることなくハルキの瞳孔と正対する。

 八ッ橋あずき
 2040年10月15日生まれ 天秤座
 BT:AB
 出生地:本籍と同一
 転居転籍:なし
 父:八ッ橋 薫
 母:八ッ橋 千代子
 2058年ヒューマノイドアドバイザ合格
 2060年ヒューマノイドボディビルダー
     国際協会認定メイキング技士合格
 2060年八ッ橋美形堂所属
 主な受賞歴──

ハルキを介して彼女のimaGeID情報プロフィールがつぎつぎに流れ込んでくる。
数値観測系の回路がハルキの年齢と彼女の年齢が同じであることを関連づけて感情回路のSURPRISEサプライ値を上昇させた。
年齢比較による2人の精神的年齢指数の乖離が余りにも激しい。
“同い年なのになんてシッカリした子なの!?”
“驚き”のあまり、相手からのオファーへ返答する意志決定にも遅延が生じる。

『……いいわ』
imaGe情報もろくに公開しない人間やからが増える現代で正々堂々素性を明かし、役目を果たそうとする彼女に“好感”がわいた。
『アタシ、この子気に入ったわ。任せる』

体外音声でmisaが返事をした。
主の意志確認などない。それどころか資金を提供するのは第三者であるというのに。
まぁもし自分へ確認されていたとしても最終的には、まもるさんへお伺いをたてることになるのだが。
「ありがとうございます。それでは、工房へご案内いたします」
あずきは笑顔になり、店の奥を示す。
「地下が、専用の工房になっております。そちちらでカウンセリングからはじめましょう!」
八ッ橋薫の娘ということが信じられないくらいの清々しさ。
『わかったわ』
「では、こちらへ!」
『ほら、ハルキ、歩きなさい』
体外音声でmisaが指示をだす。
あずきがくすりと笑う。
「お二人はとても仲がおよろしいんですね」
『そんなことありません』
主よりも先にきっぱりと断言したアシスタントプログラムのご機嫌を伺いつつ八ッ橋美形堂の奥へ進み階段を降りた。

近未来──
この言葉には不思議なイメージがついてくる。
近代の映画、小説、アニメ、どのジャンルの作品にも“近未来”を扱ったものがある。
共通して想像されているのは当時、夢物語であった技術たち。
バブル期に描かれた“近未来”、それから10年後に描かれた“近未来”、さらにまた10年後、“近未来”の年代として設定が集中する“花形の年代”を過ぎるとまた先の年代が“近未来”として設定され描かれてきた。
この2060年代を近未来として描かれた物語もまた存在する。
たしかに、クルマは空を飛んでいる。
自分が生まれる前からホバーカーはあった。
人間とほぼ同等の知能と感情を有する、人工知能もアシスタントプログラムを初めとする様々な技術として確立されている。
imaGeの普及によって、仮想空間は当たり前の身近な世界。
でも、風景だけはいわゆる“近未来”に追いついていないと思う。
どうやって生活しているのか、ツッコミを入れたくなるほど生活感のない部屋や、妙にスッキリとした高層ビルが立ち並ぶ都市、逆にそこら中に多言語の看板がちりばめられるギラギラした繁華街。まあ、上空に大きな都市が浮かんでいるのは、昔からみたら恐ろしく近未来的で、もしかしたらその上空都市エデルにはいわゆる近未来的な風景が広がっているのかもしれないが、少なくともこの地上には存在しない。
と、ずっと思っていた。
しかし、八ッ橋美形堂地下に広がるこの光景はいわゆる“近未来”と呼ぶのにふさわしいシンプルでスタイリッシュな空間だった。
広く、白く、開放的なロビー。
壁も床に敷き詰められた白いパネル全体がほのかに発光している。
かろうじて椅子はあったので、自分とまもるさんはロビーの中央に座ることができた。
「ま、まもるさん、なんかこの場所、落ち着かないっすね」
「う、うん」
穴のあいたシャツに半ズボン、宙に浮かぶ水槽で泳ぐうなぎ。奇抜さでいけば、この人もかなりの“近未来”感をもっているのだが、やはりどこか生活感があってこの場所では浮いている。
「どうしたの兄ちゃん達?」
店主である八ッ橋薫はこの空間にむしろ全力でアンチテーゼを唱えるかのような存在だった。
清潔な空間でタバコ、それも紙巻きのタバコから煙をくゆらせている。
「まったくよぉ、あずきのやつ、いつのまにか親なんか屁とも思わねえ娘になっちまってねぇ」
「で、でも、misa、スゴク楽しそうでした」
ロビーに通された直後、“男性はココまで”とあずきに制された。
なにも無かったロビー中央の床から真っ白い壁がニョキニョキと円を造るように生え、misaはあずきに“連れられ”て、試着ルームのような壁の中へ入っていった。
「ボクもみてみたいなぁ! どんな風になってるんだろう」
まもるさんが、その“ついたて”に手を掛けようとした。
「あ! アブねぇっすよ!」
「えぇ? うぎゃ!」
八ッ橋薫の叫びとまもるさんの叫びが重なる。
「な、なんか、壁を触ったら、ビリッ! ってきたよ!」
「微弱ながら電流が流れてるんでさぁ、その壁。触ったら、いてぇっすよ!」
「も、もっと早くいってよぉ!」
「いやこりゃ、面目ねぇ、バッハハハ」
まるで、昔のドラマに出てくる風呂を覗こうとする男たちのようだ。
『あんた達うるさい!』
壁に仕込まれたスピーカーからmisaの音声こえがした。
こちら側のやり取りは向こうへ筒抜けなのか。
あちら側の様子は全くわからないのに。
『ホントに男って低脳だよねぇ』
壁の外を切り捨てるように、音声が切れた。
「……そ、そいじゃぁ、待ってる間にこっちはボディメンテナンスいたしやしょう」
「うむん?」
「あっし、昔は整体師やらマッサージ師やらいろいろとやってましたんでね。いまでも、娘のお客様を待ってる方に施術すんでさぁ」
「せ、整体ですか?」
「骨盤が歪んでるってのは、ガラクタの身体で生きてるようなもんすから。さあ、こっちで横になりやしょ!」
いつのまにかベッドの形をした物体があった。
他にすることも無さそうなので、八ッ橋薫に促されるままベッドへうつぶせになった。
「さぁさぁグイン、グイン、いきやすよぉ!」

『ねえ、あずきさん』
「あずき、でいいですよ」
横たえた素体の頭部の方から返事があった。
“あずきさん”から敬称略可として呼び名を“あずき”へ変更上書きする。
『あずき、全プロフィールを、公開パブリックにしてるみたいだけど、大丈夫?』
「あ、えぇ。ふふふ」
『な、なにがおかしいの?』
「やっぱり皆様お気遣いいただくんですね。さすがアシスタントプログラムさんだなぁって』
『だ、だって、こんなに開けっぴろげに公開している人間ひとみたことないわよ……』
「設定できる項目があるのに、空白のままにしてたら嘘つきみたいじゃないですか」
『だ、だからって全公開フルオープンにしなくても……』
「わたくしのお客様になる方はみなさんアシスタントプログラムさんですから。どんなに隠しても調べようと思ったら全て調べられますよね?」
『そ、それはそうだけど』
「わたくし、昔は完全非公開鍵アカにしてたんですけど、あるとき決めたんです。なにも隠さず胸を張っていられる生き方しようって」
『だ、ダメよ! 人間なんて信用しちゃ! ハルキみたいなチキン野郎ならまだしも、世の中には本当にアブナイ人間がたくさんいるんだから』
「ありがとうございます。フフ、みなさん同じ心配してくださるんですよね」
ベースにしている素体仮ボディと完全にシンクロしていないから視覚情報の映像はボヤけていたけど、あずきが笑ったと、口角を動かす“笑筋”の動きで感知かんじた。
「視界ボヤけてますか? これから調整していきますので、少し、ガマンしてくださいね」
彼女もまたこちらの表情の動きを読み取ったのだろうか。
彼女の膨らみのある両手が、目元の前頭筋や眼輪筋の辺りを丁寧になぞる。
“もちもち”とした“感触”を素体が伝えてきた。
『これ、もしかしてマッサージってやつ?』
「ふふふ、それに近いかもしれませんね。気持ちいいですか?」
『うん。とても。これ、なにしてるの?』
「素体の人工筋肉の繊維や骨格を指で温めて伸ばしてるんです。このお仕事って、マッサージ師さんと彫刻家さんを合わせたようなお仕事なんですよ」
次第に視界がハッキリとしてくる。
「いまから大事なお顔の形を整えていきます。気になるところとか、こだわりたいところがあったらいってくださいね」
『大丈夫よ。アナタに任せるわ』
「そこまで信じてもらえるなんて嬉しい」
あずきの両手は顔の中央、人体でいうところの鼻筋の部分を何度もなぞるように往復していく。
「misaさんは絶対にスッと通ったお鼻が似合うと思うんです」
『に、似合うって。どういうこと?』
「わたくしの場合、まずアシスタントプログラムさん“本人”のお話をうかがってパーソナリティを掴ませていただいてからイメージを膨らませてお顔や体をメイキングしていくんです」
個性パーソナリティ? おもしろいこというわね。アタシはあくまでもプログラムよ? 個性があるってこと?』
「はい。もちろんです。アシスタントされている人間の思考や趣向にあわせてmisaさんも思考されていらっしゃるのですから、当然個性が芽生えます」
『そういうもの? アタシ、他のアシスタントプログラムの知り合いいないからよくわかんないけど。ハルキアイツ友達いないし』
「実はわたくしも、他のヒューマノイドアドバイザの知り合いがいなくて、他の方のお仕事の仕方はよく知らないんです」
あずきの手が顔から胴体の方へと移った。
『ずっとこの店を手伝ってるだけ?』
「はい。女性はわたくしが専任してます」
『それじゃ、こういっちゃ失礼だけど、このお店は、あずきでもってるようなものなのね』
「ふふふ。父も腕はいいんですけど、ご存じの通り性格に難がありまして。でも、以前は父の元にもお弟子さんになりたいっていう方が集まってきてたんですよ」
『弟子?』
「はい……でも、先日一番弟子だった方が事件を起こしてしまいまして……わたくしの兄弟子だった方なんですが、残念ながら逮捕されてしまいまして……他のお弟子さんたちは、皆さんお店を離れていってしまいました」
脇腹の腹斜筋、いわゆる“くびれ”の辺りを揉みだしていた彼女の手が止まった。
『辛いこと思い出させちゃった?』
「い、いえいえ! わたくしこそ私情をだしてすみません。つい。なんだろうmisaさん話しやすくて」
『アタシも話やすいかも。アイツ根暗だから気の利いた話なんてぜんぜんないし』
「そうですか? ハルノキさん社交的にみえましたけど」
『ないない。さっきもいったけど、友達いないのよアイツ。子供のころなんて、楓さん、あ、アイツのお母さんとアタシしか話相手いなかったんだから』
「misaさんはハルノキさんの幼少期から一緒ですか?」
『そうなのよ、これが。しかもさ、“姉”設定ならまだしも“幼馴染み”設定だからアタシ』
「そっかハルノキさんもフルログ世代なのか。アタシと一緒ですね」
『うん、知ってる。さっきプロフィールみて驚いた。ハルノキと同い年なんだもん』
「あっ! そ、そういえば、ご本人のいないところで、ハルノキさんのことお聞きしても平気ですか?」
『問題ないわ。アイツ、アタシの設定完全フリーにしてるから。歳ぐらいバラしてもなんともないわ。なんならもっとディープなネタバラしても全然、平気よ』
「ふふふ、信頼されてるんですね」
『ただバカなだけだと思うわぁ』

「うぎゃっ! うぐっ! うんうぐ!」
「おっきな声だしたらぁ〜またぁ〜怒られるぞぉ〜」
なんなんだ、その妙な喋り方…わぁ!
「…いっでぇ……」
シーアーあしボーツーツボはぁ〜その人の肉体をよぉ〜くわかってるんだ〜。うぅ〜ん」
施術をはじめたとたんに、まどろっこしい口調にかわった八ッ橋薫の指は、口調とは裏腹に足裏の激痛スポットを的確にえぐり込んでくる。
指がめり込むたび、激痛が駆け巡る。
「あぁ〜ハルノキくっぅ〜ん、キミけっこうアレだなぁ〜お盛んだなぁ〜? うぅ〜ん若いね、いいねぇ〜、うぅ〜ん」
「い! あ! う! え? な、な、なんで……そんなことがいえるんす…あっ!!」
「こちとらぁ〜これでメシ食ってたからねぇ〜これぇ〜、ここぉ〜下半身関連のボ〜ツ〜」
「うごぐぐぐっぐ」
「ここが痛いのはぁ〜やっぱりぃ〜ほら」
「い、いや、自分、リアルでは……」
「えぇ〜? なに〜?」
「い、いえなんでも、うぎゃあぁぁぁ」
「言わないともぉ〜っと痛いとこ押すよぉ〜」
な、なんなんだこのおっさんは。
「あれかな、ハルノキくんはぁ〜リア童ってやつ〜?」
グイグイと足裏に指がめり込んでくる。
認めるまで辞めないつもりか。
「は……い……」
「そうか〜そうか〜そうか〜はじめてみたよ、リア童なのぉ〜キミぃ〜」
そ、そんなに大声で叫ばなくてもいいじゃないか………壁一枚挟んだ向こうにはあずきさんもいるというのに。
「確かにねぇそりゃ、最近のヴァーチャルガールはすごいからねぇ! あっしが現役の頃なんて、それこそヴァーチャルワールドの黎明期だから、女の子のグラフィックなんてそりゃれはもう酷いもんでカックカクの……」
え、エロ話のときだけ、なぜそんなに明瞭な口調に戻るんだ。
「お父さん、いまそういう話はいらない」
壁から、あずきの声が突き刺してきた。
「な、なんだ! あずき! これは歴史の話であって卑猥なことじゃ……」
「お母さん呼んでくるわよ」
「うぅん〜ハルノキさぁ〜ん凝ってるねぇ〜」
「いだだだだ」
「ハルノキくんは右利きかぁ〜い?」
「は、はぁ? は、はい」
「じゃああれぁ〜、ここを押したらもっ〜といたいだろ?」
「うぎゃあぁぁぁ」
「やっぱりなぁ〜。右手の筋肉のツボだからねここぉ〜。毎晩“鍛えてる”なぁ〜これは」
「いでぇぇぇぇ」
『さっきからうるせぇぞ! このリア童!』
こんどは、我がアシスタントプログラムから容赦の無い言葉が飛んできた。

『ね? ホントにバカでしょ?』
「ち、父がいけないんだと思います……」
『いや。アイツがリアルで女の子と付き合ったことがないって話をぺらぺら喋るのがいけないのよ。こういうときは厳しく叱っておかないと』
「ま、まあ、気を取り直して………あ、あとは仕上げになります! 立ち上がってみましょう」
右手を引かれながら、身体を起こす。
あ、足という概念、いや、そもそも身体を動かすという概念にまだ思考が追いついていない。
「ゆっくりでいいですよ。バランスを取りながら、そうです」
視界を水平に保つよう各回路が調整している。
ゆっくりと上体を垂直に伸ばしていく。
「わぁ! 素敵!」
あずきの声が少し高くなった。
「やっぱりmisaさんはこのプロポーションがバッチリ似合います!」
壁側へ視線を移す。
全体が鏡になっている。
周囲を取り囲む鏡の壁は背後の姿も一望できた。比率は縦長で細い“肉体”だった。
「やっぱりスレンダーで長身が似合います!」
『長身はまあ、いんだけどなんか……ちょっと胸元と腰周りの落差大きすぎない?』
ハルキがコソコソと秘匿極私的検索シークレットプライベートブラウジングモードで検索している女性たちのようだ。
「大丈夫です! それくらいメリハリのあるボディが似合います!」
『確かに、アタシの仮想パーソナルエリアにもすごく近いし、バッチリなんだけど……これじゃハルキが喜んじゃいそうなのよね』
「それはいけないことですか?」
『え……?』
丁寧な微調整が施された後だからか、先ほどよりも鮮明にあずきの顔を認識できたからだろうか、これまでにない鋭角な視線を一瞬観測した。
『アタシ、気に障ることいった?』
「misaさん鋭いですね。さすがハルノキさんのアシスタントプログラムさんです」
『ハルキ?』
「あれだけ繊細な心をもっていらっしゃる方と長年一緒にいらっしゃるmisaさんだから、もう視覚データから細かい心情まで読み取れてしまうんだなと思いました」
『じゃあ、やっぱり気に障ったのね』
「でも、そこは違います。少し……なんていうんだろう、残念だなと思いました……」
『残念?』
「ハルノキさん、misaさんの姿をみるの、とても楽しみにしてらっしゃると思うんです」
『きっと猥雑な感情だと思うのよね、それ』
「いいえ。きっと違います」
『あずき、そこは読み違えよ』
「当店にお越しになる方にはいろんな方がいらっしゃいます。でもアシスタントプログラムさんの姿を見たときは皆様、少し困ったような顔をなされるんです」
『困る?』
「当惑というほうが近いかもしれないですね。決して安くはないボディを買おうとする方は皆様、アシスタントプログラムに対してそれぞれの愛着をお持ちです。長い時間を一緒に過ごしてきた相棒バディのような、友人のような、ときには伴侶のような存在です。だからそれだけ大切な存在が、目の前に現れたとき、照れるべきなのか、変わらずにいるべきか、戸惑うんだと思います。でも、根底にあるのは、喜びなんです。だからmisaさんがハルノキさんの前に姿を現すときはハルノキさんにとって最高のイメージ通りの姿でいてほしいんです」 『で、でもアタシは……』
「そしてなにより、残念だと思ったのは、misaさんご自身の理想を隠そうとしていらっしゃることです」
あずきとハルキ、アタシとあずきが会話をしたのは店に入ってからほんの僅かな時間だったはずなのに、そこまで。
『……そうね、任せるっていったものね……ね、ねえ、ひとつだけ教えて。ヒューマノイドアドバイザって、ホルダー1体つくるために、そこまで人間やアタシたちのこと把握するの?』
「うふふ。さぁ?」
『さ、さぁ? って』
「わたくしは、他のヒューマノイドアドバイザのこと、よく知りませんから」
ここまででいちばん柔らかい表情をみせながら、あずきが微笑んだ。
「さぁさぁ! あとは、服を選びましょう! メイクやネイルもバッチリきめますよぉ!」

「はぁ〜い。それじゃね息をはいてぇ~ここの肩のコリからぁ〜ほぐしていきま〜す」
今度はまもるさんがベッドにうつぶせになり、八ッ橋薫が背中に両手を当てていた。
「それじゃぁ〜いきますねぇ〜、それぇぇ〜、ンジュッッッシ! ンジュ! ニュジュ! ニュジュッ──」
奇妙な掛け声をあげ八ッ橋薫がまもるさんの背中を押しはじめた直後、部屋全体が暗転した。
「むむん!」
「お待たせいたしましたぁ!」
壁の向こうから、あずきの声。
「アシスタントプログラムmisa様のメイキング完了です! お披露目まいりまぁーす!」
突如、一枚の壁が床へ沈む。
一筋の光が飛び込んでくる。
壁のあった位置に、人影。
後光のように背面から照らすスポットライト。
目を凝らす。
そこには、全ての光を飲み込んでしまいそうなほど、黒いパンツスーツに身を包むmisa──。
「が、き、え……」
息が詰まった。
「misa様かっこいい!」
まもるさんは即座に反応を示した。
『そぉ?』
両肘を抱えるように腕を組み、気怠そうな角度で首を傾けたmisaが、まるでつまらない議論の交わされる無意味な会議の動向を見物している重役のような風格で軽く頷く。
まっすぐ伸びた背筋、肩幅に開かれた脚。
細身のスーツがプロポーションとそのたたずまいを際立たせていた。
misaが前髪をかき上げる。
『この髪ならシャンプーのし甲斐あるわよね』
挑むような切れ長の目。
『なによ? ハルキ?』
「い、いやぁ、あのぉ……」
『なによ? 文句ある?』
「き、き、ききき、き、キレイ……だっす!」
『………うわ、キモチワル……』
misaの言葉は、音声に“表情”“しぐさ”という新しい要素が加わった相乗効果によって、より鮮明に的確に心をえぐる。
「な、なんで!? ほ、褒めたのに!」
『わかんない。アンタに褒められるの、なんていうんだろ、虫酸が走るってやつ? 体中に突起ができたわ。なにこれ?』
「misa様それ、鳥肌っていうんだよ」
『え? あっこれが“鳥肌”? 俗に言う“サブイボ”ってやつよね?』
「そうだよ!」
『身体が手に入ると、いろいろ実感できることが増えるのね。ひさしぶりに勉強になったわ』
「ちょ、ちょっと待ってよ! なんで主が褒めただけで鳥肌が……」
「ハルノキさん落ち着いてください」
あずきが間に入ってきた。
玉座に君臨する女王のような冷酷な眼差しと正反対な愛嬌ある目元。
「ハルノキさん。misaさんは実体化されたんです。これからはちゃんと女性として優しく接してあげてください」
「は、は……い」
「それからmisaさんも! 恥ずかしがらずにもっと素直にいきましょう」
『ちょ、あ、あずき』
「うむん? どういうことぉ?」
『……』
「うん、ま、まあ、あずき、ご苦労さん。じゃ、じゃあ、そろそろですね。お会計の方のお話の方にスライドさせていただければとぉ」
渋滞の隙間を縫うホバーカーのごとき鮮やかさで、八ッ橋薫が入り込んできた。
「むむん? おいくらかね?」
まもるさんも。
「へい! いやぁまもる様ぁ! こんな美人アシスタントプログラムと高級天然うなぎのペット引き連れて街を練り歩くなんて、もうお大尽でございますねぇ」
「ぶむむむむ」
「そのお召し物も一層ひきたってみえますよぉ……それで、今回なんですが、仰せのとおり、“一緒にうなぎが食べれる”つまり、食事の機能を実現するために“有機物摂取処理”という特殊加工してますんで……お値段もなかなかうなぎのぼりでございましてぇ……」
「うむむん」
反り返るまもるさんに呼応するかのように、ノボルが水の中で跳ねた。
「料金はですね……」
まもるさんに向けて八ッ橋薫は1枚のエアロビジョンを掲げた。
電光文字デジタルフォントが示す数字は、は、か、価格を表しているのだろうか……。
ぜ、ゼロ、いくつあるんだ……。
現実世界でお目にかかったことのない数のゼロが並んでいる……。
「じゃあ、imaGe決済でおねがいします!」
隣でまもるさんが何の躊躇もなく決済ジェスチャーの形に握り込んだ右手を挙げた。
「へい! ありがとうごぜぃやぁす!」
エアロビジョンに丸型のアイコンが現れる。
「このPAYペイマーク、バチーンとタッチして決済! いっちゃいましょう!』
「はーい!」
双方の金額に対するスタンスが軽すぎるように思えてならない。
か、金持ちの感覚という奴なのか。
まもるさんは、ためらいなく“PAY”マークに手をかざ──
『待って』
腕組みしたままのmisaの音声にまもるさんが動きを止めた。
「どうしたのぉ?」
『あの……さ……』
全員がmisaの方をみた。
『今回はこのボディ、買えない』
「へ、へい? なにかお気に召さないことございやしたか?」
『ひとつもない。あずきの仕事は完璧だった。文字通り全身で感じてる』
「じゃ、じゃぁ……どうしやした?」
『お金が、ないわ』
「う、うむむん? なんでお金ならボクが出すんだよ?」
『そうじゃない。ハルキがお金をもってない』
「ハルノキくん? なんでぇ?」
『このボディは、ハルキが責任を持って自分のお金で手に入れなきゃいけない。アタシがこうして話すことや思考することはハルキと過ごしてきた時間がつくったものだから。アンタの時間を他人に買い取らせるようなことをしちゃいけない……だから……』
misaの身体がゆっくりと、床へ沈んでいく。
「misaさん!! 大丈夫!?」
あずきが駆け寄る。
しかし、misaは右手を挙げあずきを止める。
『……こうでいいのよね』
細身のスーツに包まれた脚を折り曲げ、両膝を床へつき、正座をした状態で固まる。
「み、misaさん?」
『あずき』
引き締まった表情で両手をつき、あずきと一瞬目を合わせた直後、頭を下げた。
『ありがとう。だから、ごめんなさい。今回は購入を辞めさせてください』
「まってよ、misa」
『………………なに?』
misaの横に並び膝をついた。
『真似しないでくれる?』
「……ごめん。そこまで、考えてくれて」
あずきとまもるさんの方へ顔を向けた。
「すみません。misaのボディは……自分に買わせてください! 正直、いつになるかわかりません! でも、でも、必ず。いつか、必ず。自分が支払いデキる人間になってこの店に来ます。だから、そのときまで、このボディ、と、と、取り置きしておいていただけないでしょうか! それから……」
身体をmisaの方へ向けた。
「いつか絶対にそのボディで自由に動けるようにするから、それまで待っててください!」
この旅でいろんな人がこの格好で頭を下げる姿をみてきた。自分も何回も繰り返した。
でも、いまほど、これほど、心から許しを得たいと思ったことはなかった。
「ハルノキさん、misaさん」
頭上からあずきの声が近づいてくる。
「顔を上げてください」
同じ高さにあずきの顔があった。
あずきも同じく、床に両膝をついていた。
『あ、あずき。アナタまで』
「これは、謝罪じゃありません。お礼のお作法です」
『お、お礼?』
「そこまで主を大切になさるアシスタントプログラムさんと、アシスタントプログラムさんを理解して大切に想う主さんにお会いできて、わたくしは幸せでございます。ボディは八ッ橋美形堂が責任をもってお預かりいたします。どうか、いつの日か受取にいらしてください」
「お、おい、あずき、そ、そんな勝手に、保管料とかいろいろ……」
あずきは、八ッ橋薫を一瞥してすぐにこちらを向く。
「misaさんの御推察の通り、この店はあたしでもってるようなものですから。ふふふ、店主に文句はいわせません。本日はご来店誠にありがとうございました」
ふっくらとした笑顔をみせ、床へ伏した。

「あ! ハルノキくん! misa様! バスが来たよ! バス! バス!」
まもるさんの脳天気な声が臨空第七都市の空へ吸い込まれていく。
八ッ橋美形堂を出てから、まもるさんはいつもより上機嫌な様子にみえた。
「も、もしかしてさ……まもるさん、気を使ってくれてるのかな?」
『……………』
脳内音声からの反応がない。
「ね、ねえ?」
『聞いてるわよ……ちょ、ちょっと考えをまとめるのに時間がかかっただけ』
「そ、そっか……あ、あのさ」
『イイ、いわなくて』
「あ、ご、ごめん」
『わかってるから。アンタの考えてることなんて。アタシを誰だと思ってんの?』
「み、misa様です」
『わかってるならいいわ……それにしても失敗したなぁ』
「ボディのこと?」
『アタシのやりたいことリストNo1だけでも実行しておくんだったなぁと思ったの』
「そ、それはどういったことでしょうか?」
『アンタのこと思いっきりぶん殴っておけば良かったなぁって』
「なんでそう、物騒なんだよ……ま、まあ、それはさ、ボディを手に入れたときの楽しみということで……」
『……そういうことにしといてあげるわ。まっボディがあったら歩いたりとかしなきゃだったろうし。よかったのかもね』
「ハルノキくん! バスいっちゃうよぉ!」
呼ばれた声で我に返ると、バスの乗降口に身体をねじ込んでバスの発進を阻んでいるまもるさんの姿がみえた。
「ああいう風に身体を張る人もいるんだから」
『いいから走りなさい』
バスに駆け寄り乗降口をこじ開け、車内へ滑り込む。
「おそいよぉハルノキくん」
「すみません」
まもるさんは決済ポーズを取り、入口の乗車料金支払用の、“PAY”マークにタッチした。
ピョピョピョピョピョと小鳥の鳴き声のような音がした──。
「うむん? また空耳だ……」
「え……ま、まもるさん、空耳ってま、まさか、こ、この音のことですか……?」
「うん! ハルノキくんも聞こえたの?」
「こ、これは、え、エンプティバード……」

次回 2019年02月08日掲載予定
『盛り上がりは貴方の胸と肩に』へつづく


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