河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第85話『盛り上がりは貴方の胸と肩に』

ピョピョピョピョピョ
プシュゥー
“エンプティーバード”の鳴き声に紛れながら、バスのドアが閉まる。
『出発いたいまぁす』
発車を知らせるアナウンスが流れた。
どうやら、決済はできたようだ。
しかし……。
車内は冷房が効いていたが、背中にじっとり汗がにじんだのがわかった。
「うむむん! ねえ! エンプティーバードってなに! ハルノキくん?」
「とりあえず、座りましょうか」
バスの行き先を尋ねる子供のように飛び跳ねるまもるさんを手近な席へ座らせる。
他に乗客は中年の男が1人。
最後部座席の真ん中に陣取り、両脇に大きな手提げ袋を置き、じっとこちらをみていた。
うねるように伸びきった髪の毛が窓から差し込む太陽の光をぬらぬらと乱反射させている。
目を合わせずスグに視線をはずす。
「……まもるさん……もう1度確認しますけど、今朝から聞こえてる空耳は……さっきのピョピョピョピョピョってヤツなんですね?」
「そうだよ。でもハルノキくんにも聞こえたんなら空耳じゃないよね?」
「あの、音は……」
額にも汗がにじむ。
暑さのせいではない。
「悪魔のさえずりです」
「なにそれぇ、ぷふふ、ハルノキくん、それはちょっとダサイよぉ」
──チクリンやタンジェントに出会う前、自分は単独で競馬にのめり込んでいた。
当時も働いていなかったが、ハマりすぎを諫めるmisaの忠告をのらりくらりと逃れ、ただひたすらに競馬道へと邁進した。
負けが込んでくると取り返そうとして大勝負にでて大敗し、母ちゃんとの“融資交渉”が決裂したときにきまって飛んで来たものだ。
「閑古鳥とかいてエンプティー・バードと呼ばれる……imaGeが発する警告の一種です……サイフの中身がさみしくなったとき鳴る音です……」
「むむん、カンコドリってピョピョピョピョピョって鳴くの?」
「本当は“カッコー”と鳴きます。でもそれは、閑古鳥を連想させないようにした、imaGeマネー創設者たちの遊び心と心意気だとされています」
『そ、そんなこといいから、まもる……、いますぐimaGeマネーの残高確認しなさい……』
misaの体外音声が動揺をみせた。
「えぇー面倒くさ──」
『いいから確認しなさい!』
「はい!」
まもるさんが、立ち尽くしたまま空中をみつめる。半開きになった口元はまるで、問題が解けずに立ち尽くす小学生のようだった。
「えっと……あっ!」
「い、いくらっすか!?」
「………36……」
…………………………。
…………………………。
「……え? 36………万すか?」
「んん、36」
「もしかして……さんじゅうろく……円?」
「うん! 36円! 36円!?」
まもるさんの額に、みるみる脂汗が浮かぶ。
「ボク、お金ないじゃないか!」
『今さら気づいてんじゃないわよ!』
「なんで、36円になるまで気づかなかったんですか!?」
「よぉよぉ、兄ちゃん」
背後から声がした。
しまった。
バスの中だということを忘れていた。振り返ると、最後部座席にいた男がのっそり立ち、通路を挟んだ隣の席を指さしていた。
「隣いいかい?」
前歯が1本かけている。
男は返事を待たず、どかっと席へ座った。
真夏だというのに、作業ジャンパーのような上着を羽織り、全身から雨上がりのアスファルトのような独特で刺激的な香りを漂わせながら。
「なんか話きこえちゃったんだけどさぁ、なに、金なくなっちゃったの?」
「は、はぁ……」
この人一体、何者なんだ。
「なにやらかしたの? 女? ギャンブル?」
初対面だというのに、臆面もなくこんなことを聞けるものなのか。
「アンタはみたところ若いし、なーんとでもなるっしょ。金のことなんかでクヨクヨするんじゃないよ、そっちのアンタは……」
「ボク、まもるです!」
「アンタは……けっこう歳いってんな」
「63歳になります!」
「そうか! 人生金がなくてもなんとかなるもんだ! 吸うかい?」
唐突に胸元のポケットから、くっしゃくしゃにねじ曲がったタバコの箱を取り出し、差しだしてきた。
「じ、自分は、いりません」
「ぼ、ボクも……」
「んん、ほっか、ほっか……」
おもむろにケースから1本を引き抜いて口にくわえる。外箱に負けず中身もくたくたに萎れたタバコに火をつけた……。
「え! ちょ、ちょっ、ば、バスの中で吸うんすか!?」
「んん?」
煙を吐き出しながら、男が目を見開いた。
“なにいってんの?”とでもいいたげな表情だが、こっちこそ“なにやってんだ”といってやりたいくらいだ。
「ふひゅぅぅ~うぁぁ~アッァッ!」
男は焦点の定まらない眼差しで遠くをみつめたまま、辺り一面に立ちこめるほど濃い煙をもうもうと吐き出す。
苦み走った独特の匂いがこちらの鼻の中に飛び込んできた。
「げ、げほ、た、タバコ吸える場所って、かなり限られてるんじゃ……」
「んあ? だってこのバス……ほれ」
車窓の上の方を指さす。そこにはデカデカと赤文字で“喫煙”と、か、かかれていた。
「き、喫煙!?」
「だから吸ってんじゃねえか。なんだ、おたくさんら、もしかしてよその人か?」
「は、はい……」
「んん、ほっかほっか、そんならばよかったなぁ、この街にきて。うん、クヨクヨすんなぁ、若いのぉ!」
ばしばし肩を叩かれる。
「チャンスっつうのはなぁ、そこら中に転がってんだぞ。これ見ろよ」
男が笑う。
1本欠けた歯のスペースにピタリとタバコが収まっていた。
「この前歯が欠けたとき俺は閃いたな。ずばーんと、もう、目ン玉、グワァーって開いたぞ。天啓ってヤツかもしんねえ。ここにタバコ挟んだら手ぶらでタバコが吸えるじゃねえかってな」
男は大げさに両手を広げて豪快に笑う。
「人生なにごとも逆境からだぞ。ピンチはチャンスってヤツだな。諦めなきゃチャンスなんて、いっくらでもあんぞ」
男がさらに笑ったとき、バスのアナウンスが流れた。

『まもなく 臨空第七中央公園、臨空第七中央公園、お降りの方はお忘れ物にご注意ください』

「お、じゃあ、俺はここで降りるから。がんばれよ2人とも」
後部座席の大きな手提げを取り、男は颯爽と降りていった。
『……なにあれ?』
入れ違いでmisaの音声が戻ってくる。
「悪い人ではなさそうだったけど」
「そうだね。ボクもまたお金持ちになれるっていってくれたし」
そうは言ってなかった気はするが。
「ボク、また働く!」
『アンタ、なんでそんなに脳天気なの?』
確かに脳天気だけど、まもるさんのいう通りかもしれない。
もともと、あの大金は降ってわいたようものなんだし。
『アタシ、あそこで、ボディ買うのやめてよかったわぁー。あずきに任せる!とか真顔でいってたし、危なかったわぁ』
「た、確かに……」
「結果オーライってやつだね! misa様!」
『アンタが偉そうにいうんじゃないわよ!』
「えへへへ」
まもるさんが笑う。misaもつられて笑った。
ふと車窓の外を眺めると、街には明かりが灯り始めていた。
まばゆいネオンや大量の電飾、街中がまるで“いちばんぼし”の車両みたいに煌びやかな風景へ変わっていく。
「もの凄い都会なんだね臨空第七都市しちりんって」
この街なら、ガッチリ稼げる仕事がそこら中にころがっているかもしれない。それならダンスコンテストまで、なんとかなるんじゃないか。
それに……、imaGeマネーは底をついているがまだ完全に無一文になったわけじゃない。
スーツの内ポケットにある封筒……。
大丈夫。ちゃんとある。
自堕落きわまりない自分が、はじめてちゃんと働いた証。それもしっかりと形のある現金でここにある。なんとも誇らしい気分だ。いつか実家に戻ったら母ちゃんにも見せてやりたい。 だからこのお金だけは御守りだと思って大切にとっておこう。
ダンスコンテストまで、多少は目減りするかもしれないけど、なるべく早く仕事を見つけて。
のほほんと笑う2人に気づかれないよう、そっとポケットに手をそえた。

ピョピョピョピョーン
ピョピョピョピョーン

──!
「うむあ! カエルさん!」
まもるさんが中腰になって席を立つ。
「ハルノキくん、この音も聞こえる?」
「こ、この音……」
『これさ……』
misaも脳内音声で呟く。
「この音も朝から聞こえてるん……うわぁ!」
まもるさんが背もたれにのけぞる。
「なに、こ、この人たち! は、ハルノキくん、怖いお兄さんたちがいっぱいいる!」
「……地下組織から派遣されてきたような方々ですよね………」
「この人たち、な、なに!? ひぃ!」
「それはimaGeがだす……督促警告です……いまピョピョピョピョーンっていいましたよね」
「う、うん……」
「あれ………“ジャンプ”です……」
「ジャンプぅ?」
「金融関連の言葉でいうところの、金利だけ支払って元金の返済を遅らせるという意味で……、つまり……まもるさん、お金がないどころか、借入金があります」
「ど、どうしたらいいのぉぉぉ」
「ピョピョピョピョーンって音がしてから連絡も入れずにしらばっくれてたのと同じ状態ですから、手をうたないと……ですね……」
『ハルキ、アンタ、現金もってるでしょ?』
お、おそれていた展開だった──。
「も、もってないっす」
『南先生のとこと人電で現金もらったよね?』
「い、いえ……なんのことか……わ」
『いくらあんの?』
「…………じゅ、じゅ、12万円………です」
『この後に及んで隠すなカス! さっさとまもるのimaGeと“ペアリング”しなさい』
「はい……」
まもるさんの手を取った。
「うん? ハルノキくん、ありがとう」
「好きでやってるわけじゃないっすよ!」
まずい、このままでは……。
『つながったわ。どこから借りたのよまもる。借入先、借入先、借入さ……………………あ…………った……。ああ、ここ……』
「ど、どこ?」
『……TA-GO……株式会社竜良村……』
直後、視野内に音声通話VOICEの呼出画面があらわれた。
『とりあえず、アイツに交渉してみなさい』
発信先は“友煎セイジ”。
「セ、セイジのやろぉぉぉ!」
“VOICE”がセイジのimaGeIDへコールを始め、呼出音が鳴──
プルッ──

『ただいまぁ村民研修中のため対応できません。大変恐れ入りますが、後ほどお掛け直しください』

即座に機械音声のメッセージ再生が流れた。
「なんだよ、村民研修って!」
即座にリダイヤル。
プルッ──
しかし、結果は同じだった。
「ハルノキくん! なんかドアをドンドンッて蹴る音が聞こえるよぉ」
反応をみせなければ、演出はエスカレートしていく。そのうち体外音声に強制切替が行われて、支払を要求する旨の音声が大音量で流れることになるだろう。
そんな状態でショルダーパッドへ行ったら門前払いされるどころか通報されるかもしれない。
『ハルキ、とりあえず持ってる現金で“金見せ”しなさい。覚えてるでしょ? やりかた』
やはり、そうなるのか……。
だめだそんなことをしたら、大切な給料たちが………。
『さっさとしなさい』
「く……」
ポケットから、封筒を取り出したとき、気がつくと下唇を噛みしめていた。
何度も開封したせいでよれよれになった封筒。
中には折り目のない現金、12万7千円。
「ま、まもるさん……この現金を3秒間みつめてください。そして、こう言うんです。“今日のところはこのお金で許してください”って」
「わかった!」
まもるさんが食い入るように現金をみつめた。
「きょ、今日のところは、これで許してくださいぃぃ……」
“見せ金”のための“金見せ”で利息に足りていれば許してもらえるはずだ。
だが、もし金額が不足していれば、さらに警告がエスカレートする。
足りているだろうか……。
「あ! 怖い人たちがいなくなった!」
どうやら足りていたようだ。
「すぐ、現金を電子化するように! ってかいてあるよ」
「……わかってますよ……」

『まもなく 終点トックトックセントラルタワーモール前 終点トックトックセントラルタワーモール前 お降りの方はお忘れ物にご注意ください 尚、このバスは折り返し回送運転となります』

乗客の状況などお構いなしにバスの機械的なアナウンスが流れた。

「は、ハルノキくんはやくぅ! また怖い人たちがくるの、やだよぅ!」
「ちょ、ちょっと待ってください。もう一度現金数え直しますから!」
「さっきも数えたじゃないかぁ!」
『ハルキ、ATMの前でぐずぐずしてると怪しまれるわよ』
バスを降りるとスグにコンビニがあった。
ありやがった。
なぜこんな繁華街のど真ん中にと思いたくなるほど好立地なコンビニ。
「あ、あれ? おかしいな数があわないぞ」
「ぼ、ボクが数えるよ!」
「いや、こ、これはいちおう自分の金なんで」
「人力電力のはボクのも入ってるよね?」
「いや、ずっと自分のポケットに入ってたんで……」
店内に客はいなかったが、人間の店員がいた。
「あのぉ、なにかお困りでしょうか?」
「いえ……………、で、電子化の仕方がわからないなぁ……って」
「このボタン押せばスグですよ」
店員がためらいもなく、ボタンを押す。
「あっ、いや」
ATMが唸るような音をたて、口を開いた。
現金投入口が、まるで光すらをも飲み込むというブラックホールのような闇にみえる。
「ここのお金いれてください!」
店員は爽やかに言い残し、レジへと戻る。
「あ、そう、そう、そうだ、ここに入れるのかぁ? あははは」
「は、ハルノキくんはやくぅ」
「わ、わ、わかりましたよ」
『アンタ、偉そうに奢ってやるっていったくせに会計で渋りはじめるダサイおっさんみたいよ』
こ、この金は、汗水流して稼いだ大事な大事ないわば自分の分身。まさに、虎の子と呼ぶにふさわしいお金なんだ。
そ、それを全額──。
「あああ、怖いよぉ!」
まもるさんが手から現金をひったくり、投入口へダンクした。
「あ、ああああああああ」
コンビニの古ぼけたATMが、すべての現金を吸い込んでいく。
画面にimaGeマネーへのチャージを確認するメッセージが表示される。
そのまま、まもるさんが“OK”ボタンを押す。
「あああああ」
終わった──。
「支払いを確認しましたって出てきた! よかったねハルノキくん!」
「キレイに全額吸い込んできましたね……」
「ボクのimaGeマネーも0ってかいてある!」
『ほんとに実体化しなくてよかったわぁ』
「あ、あの、misa、様、わたくしたちは、この後、どうすればよいのでしょうか」
『とりあえず、ショルダーパッド行ってみたら? ここからスグなんだし』
「そ、それしかないよね」
長い旅をしてきて、まさかこんな状態で辿り着くことになるとは思わなかった。
夏なのに、風が冷たく感じる。
風にのって、タバコの煙がただよう。
平日だというのに、通りにはすでに大勢の人たちが歩いている。
みんなタバコの煙をくゆらせながら。
なぜこんなにも、路上喫煙している人たちが多いのだろうか。
気にはなったが、いまはそれどころではない。ダンスコンテストの参加費用どころか、その日までどうやってこの街で過ごせばいいのだろうか。
浮かれた街と反比例するように気分はどんどん落ちていく──
「ハルノキくん! あったよ!」
まもるさんに袖を引かれた。
見上げると目の前に『ショルダーパッド』が、繁華街の夜を盛大に照らし、ビッカビカに輝いていた。

次回 2019年02月15日掲載予定
『盛り上がりは貴方の胸と肩に02』へつづく





「………今回の繁忙期は史上稀にみる活況だった。ばあちゃんやじいちゃんの腰もだいぶガタがきてるころだと思う」
「ほんとだよなぁまもるのやろう毎晩毎晩シコシコシコ」
(元禄さん。イナサクさん挨拶してるから)
「ああ? いいんだよ今日はオマエ、オレ等の慰労会だろ!」
(いや、その前に贈呈式だってさっきもいったじゃねえっすか)
「まあまあ元禄さんもだいぶ盛り上がってきたころだし先に……」
「ただいま戻りやした!」
「おう、清一。ご苦労だったな」
「麓の銀行のヤツら、とろとろしやがって、現金ぜんぜんだしてこねえんですよ! 俺ね、おもわず、さっさとバッグに金つめろ! なんて強盗みてえなこといっちゃいやしたよ、バハハハハ」
「オメーはデナーじゃなくてそのままクセぇメシくってりゃよかったんだよガハハハハハハ」
「そりゃあ、ひでぇっすよ! 一生懸命走ってきたんすよ!」
「清一、金だしてみろ」
「あ、はい!」
「トモイリ、前へ」
「うっす!」
「とっとけ」
「ウッス!」
「オイオイオイ! いくらあんだよ!」
「やっぱり、稼ぎ頭はちげーな!」
「あんな分厚い札束、イナサクの若けえころ以来じゃねえのか?」
「トモイリ、乾杯の音頭だ」
「ウ、ウッス! ……あ、ああえっとお、本日はお日柄もよく!」
「もう夕方だぞ!」
「緊張してんじゃねえぞ」
「ぇぇえ……ああー、わたくし、トモイリセイジは、TA−GO渉外交渉担当となり、幸運にめぐまれ、竜良村に対し恩返しをすることができました。これもひとえに……」
「おいおい挨拶がなげーよ」
「でもやっぱり大学いってただげあって、トモイリは博学だな」
「んだな」
「……思えば、裸一貫、ヒマラヤ登頂をめざした末、流れついたこの村で、よそ者のわたくしを家族のようにかわいがってくれた皆様のお陰様あって、この日を迎えることができました。村の皆様、そして、ここにはおりませんが、史上最大の好景気をもたらしてくれた恩人まもるさんにこころから感謝を申し上げます………それでは………TA−GOのぉぉぉぉさらなる発展を祈願しましてぇぇぇぇぇ、まもるバブル、かっぱぁーい!」
「かっぱぁーい!」
高らかに、朗らかに、村民全員がグラスを差し上げた。






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