河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第88話『 トック トック 』

平日だというのにフロアは、ほぼ満員だった。
「みえるかい? ハルノキくん」
「は、はい! すごい人ですね」
棚田さんに案内されたスタッフルームは、豊川たちが籠もっていた“魔の部屋”の隣にあった。
奥の壁は一面マジックミラーになっていてフロア全体を見下ろすことができる。
で、出た!
ダンスフロアにはまさに、まさに、あの時代のイメージそのままの興奮が広がっていた。
原色の羽根が狂ったように幾度となく翻り、あちこからレーザーの閃光が差し込んでいる。
ミラー越しでみていても狂乱の様子がありありと伝わってくる。
「知ってるかい? 歴史あるディスコ業界にもテクノロジーってやつは大きな影響を与えてるんだよ」
「そ、そうなんすか?」
「あのエアロミラーボールなんて、エーデル・フロートが発見されるまでは、考えられなかった演出だからね」
空中を飛び交い微細な光を跳ね返すミラーボールには、激しく回るものから緩やかにまわるものまで様々あった。
速度の異なる球がフロアの上空をいきかい、まるでパスタにパルメザンチーズをごりごり削って振りかけているときのような、デタラメに細かく光の粒子を振りまいていく。
「あれ? でも真ん中のミラーボールだけは固定されてるんですね」
フロアの中心に1つだけ、天井から動かないミラーボールがあった。根を生やしたように同じ場所で地道に回転している。
「ん? ああ、あれは、昔ながらのミラーボール。開店当時からずっとこの店で回ってるやつだね。あれを中心に他のボールを周回させてるんだ。まあ、ウチの太陽みたいなものかな」
“太陽”を中心に回る惑星ほしのようなミラーボールたち。フロアの奥には、ターンテーブルが設置されていてそこから扇状にハデな衣装の集団が広がる。
「……ミラーボールって奥がふかいんですね」
「ハハハ、ミラーボールだけじゃないよ。ディスコ自体とっても奥深いものだよ。まあ、ハルノキくんも働けばスグにわかると思うけど」
「そ、そうですかね」
まだ信じられなかった。
バスの中でまもるさんが破産した瞬間に立ち会い、豊川の痴態に遭遇するというディープな体験から、たった1時間ほどで事態はめまぐるしく変化した。まるで別世界へ連れてこられたような。
「ハルノキくん、改めて、明日から、よろしく頼むね」
「ハイッ! 自分、精一杯やらせていただきます!」
ダンスコンテストまで、この店で働かせてもらえることになった。
「当面の宿は、ウチの寮で我慢してもらうってことでいいかな?」
「も、もちろんです!」
仕事だけでなく、寝泊まりする場所まで提供してくれるという棚田さんは神様のようにみえる。
「ただ部屋がさぁ、1部屋しかあいてなくて………大丈夫かな?」
「はい! 雨風が凌げれば問題ないっす!」
働かない人間にまで宿を提供してくれるという恩人に逆らうことなどできない。
「ハハハ、ハルノキくん、たまにおじさんみたいなこというよねぇ」
「じ、自分、近代史を専攻していたんで」
「そうだよね、その歳で、ウチに興味を持ってくれてるんだもんねぇ。ハハハハ」
棚田さんが笑った瞬間、ショルダーパッドの面接を受けにきたときのことを思い出した。考えてみればあのときこの店で働けなかった理由は“家から遠い”だけだった。住み込みならなんの問題もない。
「ところでさ、これからウチのスタッフがチーちゃんにこの街を案内することになったんだけど、一緒にどう?」
「あれ? でも、chibusaさん、今日はもう休むっていってませんでしたか?」
「気が変わったのよぉ」
振り返ると、大振りのフローティングメガネを髪留め代わりに頭上に浮かべ、袖をまくり上げたシックなジャケット姿のchibusaさんが壁にもたれていた。
「“トック”に来たんなら、夜からはじめないとだと思ったのよ!」
「ハハハ、チーちゃんのそういうこだわり、相変わらずだよね」
「当たり前のことじゃない? この街とはじめてふれあうのよ? 街の風をあびるならいちばん輝いてる瞬間からにしたいの。万物が輝いてる時間なんて、ほんのわずかなんだから」
軽快な口調と思慮深い言葉の重みがアンバランスだった。
「それに、変な男のせいで。気分も少しさがっちゃったから、ねっ」
chibusaさんがウィンクをした。
「ということで、チーちゃんのお供をお願いしたいんだ」
「そ、それはもちろん構いませんけど」
「決まりだね! じゃあさ、まずウチの寮にチェックインしておいでよ!」
「寮に、チェ、チェックイン……ですか?」

「こちらになりまっぁす!」
案内役のコージさんを先頭に、chibusaさん、まもるさんと一緒に店をでた。
ショルダーパッドから数十メートルの場所へ辿り着くとコージさんは胸をはり1棟のビルを指さした。
「こ、これって……」
まるで村の生き字引とよばれる長老のように、古びた雑居ビル。もとは白かったと思われる外壁はあちこちが黒ずんでいて巨大なパンダのようにみえた。
ビルの屋上付近には『カプセルホテル HOT TOK PLACE~トックのアツイトコ~』という、ある意味“ホテルらしい”文字が輝いている。
「素敵! ここが寮なの?」
ホテルを見上げchibusaさんは目を輝かせた。
「はっぁい! サウナに漫画喫茶、屋上には露天風呂も完備されてまっぁす! ここの地下2階がぁ、ショルダーパッドの寮でぇっす!」
たしかに囲いのような木枠に囲まれた屋上からは、もうもうと白い湯気のようなものが立ち上っている。カプセルホテルが寮になっているとは……。
「中へ、はいりまっぁっす! chibusa様はこちらでお待ちくださっぁい! すぐに戻りまっぁす!」
入口の待合コーナーにchibusaさんを残し、コージさんが慣れた足取りで進んでいく。
「履物はこちらへお願いしまっぁす!」
コージさんが指さした先には靴のサイズに区分けされた鍵付きの下だ箱がぎっしりならぶ。
靴をあずけて鍵をしめ、フロントへと向かう。
「お帰りなさいませ」
カウンターに控えていた男が抑揚のある、耳に残る声で出迎えてくれた。
「ご新規様でいらっしゃいますね。こちらへ記名をお願いいたします」
丁寧に分けられたツヤツヤのヘアスタイルの男が、エアロディスプレイを1枚浮かべる。
「ハルノキさんサインをお願いしまっぁす!」
「あれぇ? ボクの分は?」
まもるさんが空中を見上げキョロキョロしはじめた。
「記入は、代表者の方のみで結構です」
しかし、フロントの男は動揺もせず自分のほうへエアロディスプレイを向けた。
「とりあえず自分、サインしておきますよ」
サインを済ませると、視野内に『HTP』と書かれたアイコンが追加された。
「そちらのアイコンが当館利用のキーになっております。館内のご案内につきましては後ほどご覧ください」
嫌な予感がした。宿泊の代表者だけがサインをするのは理解できる……しかし……ここは、カプセルホテル……。
「それではっぁ、街の見物に出発いたしましょっぉ!」
コージさんの口調が少し早まった。そうだchibusaさんを待たせていたんだ。

「お待たせいたしました!」
chibusaさんは椅子に腰かけたまま微動だにせず入口のほうを眺めていた。
目の前を人が通るだび、首だけで通行人を追いかけていた。
「この街気に入った。こんなに“バンッ”ってなったことない……」
なにか呟いていたchibusaさんが、気配に気づき、近づくコージさんへ、バッと顔をむけた。
瞳にはビルを見上げていたときと同じくらいのらんらんとした輝きをたたえている。
「このホテルも、イイ!」
「は、はっぁい! ホットトックプレイスは昔から通好みの場所でっぇす!」
コージさんがなぜか誇らしげに胸を張る。
「そうよね。やっぱり」
「あ、あのぉ、先ほどから気になっていたんですが“トック”というのはどういう意味なんですか?」
「ここは、特別特区でっぇす! みなさん、トック特区とよびまっぁす!」
「と、特別特区……? な、なにが特別な特区なんですか?」
「あぁ、っぁっぁ? と、特区の中でも特別なので、特別特区でっぇす!」
「特区のなかでも特別! よくわからないけど、ス、スゴイ所なんですね!」
まもるさんが、“頭痛が痛い”みたいなことを言い出した。
「そ、そうでっぇす!」
『恥ずかしいから、大声で“バカです”ってアピールするのやめたら?』
misaが脳内音声ダイレクトに冷静な音声こえを伝えてきた。
『正式には特別文化遊興保護実験特区。伝統的な娯楽や風俗、カルチャーを後生に伝えるための実験を行ってる地区よ。そんなことも知らないでこの街に足踏み入れたらヤケドするわよアンタ』
「そ、そんなこと、教えてくれなかったじゃないか……」
『聞かれてない。毎回いわせないでくれる? 情報は自分で取りにいくもんだって、学校で教わらなかった?』
「お、教わってません……」
『それこそ、情報を自分で取りにいかなかった結果だと思う』
「どうしたの? これから素敵な夜がはじまるのに浮かない顔してるわ!」
chibusaさんに、顔をじっと覗き込まれていた。ち、近くでみると肌のツヤがとてもいきいきしている方だ。
『それから、その人、ホントに世界的な人だから粗相があったらアンタ、消されるかもしれないからね』
「えっ!?」
『アタシ、いつでもアンタから抜けられるようにいろいろデータの整理とかしようとおもってるから。しばらくそっとしといてくれる?』
「い、いや、ちょ、ちょっと待って」
我がアシスタントプログラムは、とてつもない恐怖心を煽ったまま沈黙へと戻っていった。
「なぁに? もしかして? アシスタントプログラムと話してた?」
chibusaさんが小首を傾げて様子を窺う。
「は、はぁ……まぁ……」
「若いのに良くないわ! 感受性が鋭敏なうちは、もっともっと自分の目と耳で世の中を感じなきゃ! さぁ、早く行きましょう!」
chibusaさんに手を引かれ、夜の街へと足を踏み出した。

丸い電球に縁取られた看板が回転しながら行き交う人々を照らす。同じような看板が数百メートル先までびっしりと並び、競い合うかのように光を点滅させていた。
さらにビルの壁という壁にも看板が取り付けられ、統一感のないけばけばしい色の光を放つ。
ショルダーパッドの通りから1本ずれたこの通りの入口には巨大なアーチ型のゲートが建てられその下をくわえタバコでそこかしこで嬌声をあげながら人々が行き交っていく。
「な、なんすか、ここ……」
「トックのメインストリートでっぇす!」
「来るわ……」
隣にいたchibusaさんが、両手を下げ軽く目を閉じた。
「ビンッビン来るわぁ……」
まるで草原を吹き抜ける風に身をゆだね、まばゆく降り注ぐ太陽に向かうような表情で、夜の光に向かってまっすぐ両手を広げた。
「すごい息吹。……うん。そうよ、来るなら来なさい……」
もしかすると、アシスタントプログラムと脳内音声で会話しているのだろうか。
「あ、あのchib……」
声を掛けようとしたところで、コージさんに肩を掴まれた。
(だめでっぇす。お邪魔をしてはっぁ)
コージさんは小声でそういいながら首を振る。
(chibusaさんはっぁ、こうして街の空気を感じてっぇ、作品をつくられるそうでっぇす)
「みんななんでそんなに元気なの? あっちにもこっちにも、こんなに溢れてるのはじめて」
chibusaさんが目を見開く。
「はやく、もっと案内して!」
「はっぁい!」
コージさんが力強く頷いた。
通りの両端の看板には、居酒屋やカラオケ店の看板に混じりじょ、女性の裸がでかでかと映しだされたものが堂々と輝いている。
「は、ハルノキくん! あ、あ、あ、え? 裸の女の人がたくさんいるぅ!」
まもるさんが、顔面を真っ赤にしながら辺りをみわたしている。
まもるさんには刺激が強すぎるんじゃないだろうか。なんというか、この人はこういう場所が全く似合わない。
「凄いわよ! あそこ! 元気そうなおっぱいがぷるんぷるんしてる!」
chibusaさんは逆にもの凄く似合っているようにみえる。
「この通りの突き当たりがっぁ、トックトックセントラルタワーモール街でっぇす!」
「なに! この店! いいわ! うん。活き活きしてる! あ、こっちも」
コージさんが話していることなんて、chibusaさんの耳には全く届いていなそうだ。
「さぁ! 只今飲み放題1000円でやってまーす!」
「今なら待ち時間なしでスグにご案内できまーす!」
そこかしこから呼びこみの声もする。
「隣の店より安いでーす!」
「うちはそれより安いでーす!」
もはやなんの呼びかけなのかわからない。しかし、互いに罵りあうこともなく、かといって個々に声を上げているわけでもなくストリートに並ぶ店全体が一体になっているかのように呼びこみの声が絡み合っていた。
こ、こんな光景が現実に存在していたのか。
「ハルノキさっぁん! どうしましたっぁ?」
コージさんが、心配そうに声を掛けてきた。
「こ、こういうのって、大丈夫なんですか?」
呼びこみや客引きをこれだけおおっぴらに行っていてセキュリティ・ポリシーが動いたりしないのだろうか。
「ここは、トックでっぇす! 問題ありませっっぇん!」
こ、これが、特別特区……。
「さっ、4名様、もっこり。いかがすか」
暗がりに控えていた、4頭身くらいの男が突然ぼそぼそっと声を掛けてきた。
目が一切笑っていないが口元恐ろしく吊り上がり、タキシードらしきジャケットの首元に食い込んだ二重顎が際立っている。
「ささ、スグにもっこり。いかがすか」
男は“もっこり”という言葉に命を救われたことがあるように、一言一句丁寧に発声してくる。
「ここはどんなことができるの?」
chibusaさんが男に話しかけた。
「おっぱいモミモミ。もっこり。いかがすか?」
chibusaさんはどうみても女性だというのに、この男はなぜ勧めていくのだろうか。
「カワイイ娘、居る?」
chibusaさんが率先して職場の上司のような交渉をはじめてしまった。
「はい。みなさん、スグにもっこり」
それに応える男も誠意のある表情で頷く。
「もっこり、いかがすか?」
目は真剣そのものだ。
「うーん。よし! 行ってみようか!」
「えぇっ!」
「ハルノキくん、だったわよね? アナタこういうの興味ないの? 男の子でしょ?」
「い、いや、じ、自分は……まだ、その……」
「あ、あのぉ……」
後ろから別の男の声がした。
今度は別のタキシード姿の男が声をかけてきた。
「もしかして、あ、アーティストの、chibusaさんですか?」
「そうだけど?」
「本物っすか!」
男が声を張り上げた。周囲が一瞬静まり、その直後に呼びこみしていた人たちが殺到した。
「ウチに来てくださいよ! すげー娘いっぱいいますから!」
「や、ぜひ、うちで!」
「4名様もっこり」
辺りが騒然としはじめた。
黒服の集団にchibusaさんが飲み込まれようとしていた。
「コ、コージさん、マズイんじゃないですか?」
考えてみたらこの中に、豊川みたいなヤツが紛れていないとも限らない。
コージさんもそれを考えたのか、顔色が少しあおざめているようにみえる。
「はっぁい……chibusaさっぁん!」
ガタイのいいコージさんが、何重にもなる人垣をかき分けるようにchibusaさんの元へ向か──
「ちょっとアンタたち! 落ち着きなさい!」
群衆の中心からchibusaさんの声がした。
人垣が中央から外側へ向かって開いた。
「品のない呼びこみしちゃダメよ! それが、トックのスタイル?」
全員が怖じ気づいたように後じさりしながら、首をふっていた。
「気に入ったら何軒でもはしごしてあげるから! 本気で売り込みたいなら、もっと、魂に揺さぶりかけるくらいの呼び込みしてきなさい!」
人垣が、石盤を持つ預言者が海を渡るかのごとく真っ二つに割れた。
コージさんがchibusaさんの元へ走る。
「きょ、きょうはっぁ! 街の見学だけにいたしましょっぉ! こ、こちらっでっぇす!」
chibusaさんの手を掴み、こっちに向かって走ってきた。
「ハルノキくん、トックトックまで走りまっぁす!」

次回 2019年03月22日掲載予定
『 ホテルはリバーサイドヒルズ 』へつづく

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