河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第89話『 ホテルはリバーサイドヒルズ01 』

「これが、トックトック……」
喉仏がせり出すくらい首を曲げると、建物のてっぺんあたりに赤い光がみえた。
頭上の遥か上空へ向かって伸びる、煙突のような白い円柱が5本。周辺には“ホバーライト”が浮かび、そこかしこから光を放射している。
円柱全体が照らされて不自然な白さが周囲の闇からくっきりと浮かび上がり、異様な存在感を放っていた。
「な、何だ……この物体は……」
「フフフ、たまに走るのも爽快ね!」
chibusaさんの笑い声がした。
彼女はまるでマラソンのトップランナーかのごとく華麗なフォームで駆け寄ってきた。
「はっぁっぁ、はぁっぁっぁ、ぁっぁっぁ」
その後方からは、独特の発声法を維持したままの不思議な呼吸で走るコージさん。
「はっぁっぁ、はぁっぁっぁ、ハルノキくん、走るの、早いでっぇげぇっほっぉ!」
「コージさん、だ、大丈夫ですか?」
「だっだいっじょうぶでぇっげぇっほっぉ」
悶絶に近い咳だ。
普段、走ったりする機会が少ないのだろうか。
それに比べ、chibusaさんはけろっとした表情で夜空を見上げている。
「これが、トックトック? へぇ」
両手を腰にあてトックトックを見上げるchibusaさんの胸が、ツンっとジャケットから突き出すようにインナーの布地を押し上げていて、目のやり場に困る。
しかしchibusaさんは、おもむろに隆起した胸元の隙間に指を差し入れ、金色に光るケースを取り出した。
そ、そんな所に物を隠せるのは、アニメの中だけの話じゃないのか!?
開いたケースの中には、細長いタバコが並ぶ。
「アナタもいかが?」
「い、いえ、自分は……」
「あら、そう?」
谷間からライターも出てきた。
コキンと氷がぶつかるような音がしてライターが炎を上げる。
「こんな素敵なシガーレットの根元で、シガーレットを楽しむなんてシャレが効いてるわよね」
火のついタバコを満足げに吸いこみ、すぼめた唇から煙を吹き出す。
「シ、シガーレット……?」
「あら? このビルのモチーフ、どうみてもシガーレットじゃなくって?」
細長い指にタバコを挟んだままchibusaさんがトックトックの上を示した。
もう一度みあげてみると、白く長くてっぺんが赤く光るビルは紙巻きのタバコのようにみえた。
「さ、さすがchibusa様でっぇっす! このビルはっぁ、特区のランドマーク。トックトックセントラルタワーでっぇす!」
タバコをはじめとする遊興嗜好品の保存を目的とした“特別特区”の象徴的な存在。この形はタバコを模しているのか。
「待ち合わせのスポットでもありまっぁす!」
呼吸を整えながらコージさんが、ビルの入口を示すように手の平を向けた。
トックトックの入口と思わしき付近にはタバコを手にした人が溢れている。
「ここならばっぁ、タバコを吸いながら待ち合わせができまっぁす!」
浅いシルクハットを逆さにしたような形状の銀色の物体が雑踏の中を飛び交っていた。
「コージさん、あの銀色のヤツなんですか?」
「あれは、フロートレイ、でっぇす!」
「ふ、フロートレイ?」
何だその部屋の間取りみたいな名称は。
「浮遊型の灰皿でっぇす! タバコの火を追従して灰を回収しまっぁす!」
「そ、そんなに至れり尽くせりな……」
喫煙環境が完備された街、ということか……。
フロートレイをよくみてみると、タバコの火を上下させる人の手の高さにあわせて浮遊高度を変えながら素早く移動している。
「はい、はい! ごめんなさいよぉー」
フロートレイが飛び交う、人混みの喧噪の方から、ひときわ目立つ声がした。
大きな荷物を背負った男がフロートレイを空中でつかまえ覗き込む。ときおり指を差し入れ、中からなにかを取り出しながら歩く。
あ、あの人……確か、バスの中にいた……。
手当たり次第に灰皿を掴まえては覗き込み、くまなく灰皿の間を移動しながら近づいてきた。
「おつかれさまでっぇす!」
突然コージさんが声をかける。
「ん? おう! 棚田のとこの若いの!」
「こ、コージさん、知り合いなんすか?」
「ん? そっちはバスにいた若いのじゃねえか? どうだ! ウマイことやっとるかぁ?」
こちらに気づいた男が、歯をむき出して笑う。
やはり、抜けた右前歯の隙間にがっちりとタバコがホールドされていた。
「は、はぁ……」
「彼は、明日からウチで働くハルノキくんでっぇす! パークさんもご精が出ますねっぇ!」
「おう! オレらぁフィールドワーカーにゃ、この時間のトックトックは、ゴールドラッシュみてぇなもんだからなぁ! おっ! っちょいっとごめんよぉ」
挨拶もそこそこに、宙を舞う灰皿の方へ近づいていった。バスの中で大切そうに抱えていた袋を小脇に抱えた後ろ姿が軽やかに人混みのなかへ溶け込む。
「なにあれ! バンッってきたわ! くわえタバコなのに喋ってたわよ!? どうなってたのアレ!? ちょっと呼んできて、じっくりみたい!」
chibusaさんが猛烈な反応を示す。
「あちらはっぁ、ウチの仕入れ先のっぉ──」
「ハルノくぅぅぅん!」
解説しようとしたコージさんの声を遮り、まもるさんの声が近づいてきた。
「ハ、ハルノキくぅーん! やっと追いついたよぉ! 酷いよぉ置いていくなんて」
「別に置いてきたわけじゃなくて、まもるさんが勝手に遅れたんですよ」
「だ、だって……大変だったん──」

ピョピョピョピョピョ ピョピョピョピョピョ
ピョピョピョピョピョ ピョピョピョピョピョ
ピョピョーン

突如、エンプティーバードの鳴き声が周囲に響き渡った。
「また鳴いてるんだよぉ」
地べたを這ってまもるさんが足元にすがりついてくる。
「支払いの時間が来たみたいだよぉ」
なぜこんなタイミングでこの人はこういうことをしてしまうのだろうか。
「また怖い人たちがきちゃうじゃないかぁ。ハルノキくん、助けてよぉ」
「いや、自分、もう金ないっすよ」
よりによって初対面の人の前で、醜態をさらすことはないだろう。
「このエンプティーバードはっぁ、まもるさんのでありますかっぁ?」
「なに!? エンプティーバードって!?」

ピョピョピョピョピョ ピョピョピョピョピョ
ピョピョピョピョピョ ピョピョピョピョピョ
ピョピョーン

エンプティーバードは、この状況を楽しむかのようにさらに鳴き声を強めた。
どうすればいいんだ。
所持金は本当に底をついているというのに。
「なんだぁ、借金鳥かぁ? おっ、おまえか……なんだっけ」
「ま、まもるですぅ」
「あぁあぁ、まもるだまもる」
前歯に挟んだタバコをふかしながら、パークという男が戻ってきた。
「あ、え、えっと、誰かわかんないけど、た、たすけてくださいぃぃぃ」
まもるさんはパークの足元にすがりつくようにすり寄っていく。
「おまえ、いい歳して情けねぇツラだなぁ」
「お金がないと困るんですぅぅぅ」
「金なんてのはなぁ、つくるもんだぞぉ」
「ど、どうやってですかぁ?」
「いや、メシのタネは教えらんねえけどなぁ、ブハハハハ」
「そんなぁ。たすけてくださいぃぃぃ」
「よぉっく考えてみろぉ。そのうちいい考えが浮かぶから、きっと」
パークは、歯茎ぎりぎりまで燃えたタバコを取り出し地面へ投げ捨てた。
「それよりもよぉ、気になって戻ってきてみたんだけどよぉ、お姉ぇさん、もしかしてだけんどもよぉ、アーティストのchibusaさんじゃねえかい?」
「そうよ! ね、ねえ! あなたのタバコどうなってるの?」
chibusaさんの頬が上気したように、ほんのりと赤らんでいる。
「いやいやいやぁ、こいつは光栄だぁ。まさかとおもったけど、本物かい!?」
「ねえ! タバコ! どうなってるのそれ! みせて!」
「好きなだけみてくだせぇ、こうなっとるんですわぁ」
パークがあんぐりと口をあける。清潔とは言いがたい口内の、前歯1本分がキレイに抜けた部分に歯茎のアーチが形成されている。
「す、すごいわ。ここに挟めてるのね! この隙間、シガーレットフィルターの幅にジャストサイズということなのね!?」
そのまま口の中に頭を突っ込んでしまうんじゃないかというくらいの勢いでがぶり寄る。
「あががが、ほうでふわぁ」
「センス溢れるアイディアマンなのね、えっと……」
「オレぁ、パークと申します。いやぁ光栄だなぁ。chibusaさんに歯まで褒められるとはなぁ、おい! 若いのぉ」
いきなり肩を叩かれた。
「タバコのためにそこまでできるなんて、突き抜けてるわ!」
「オレぁ、ガクがねぇんで、モクだけは大切にしてるんでさぁ、ブハハハハ」
「ひぃぃぃぃ」
取り立て映像の再生が始まったのか、まもるさんが悲鳴をあげる。
chibusaさんが、目を細めまもるを一瞥した。
「それじゃあ、溢れるアイディで、そこの困っている方も助けて差し上げたらどうかしら?」
「そうかぁ、弱ったなぁ、chibusaさんに頼まれたんじゃぁ、なぁ」
パークが、昼間太陽をぬらぬらと乱反射させていた黒髪を掻く。
「よし、じゃぁオレんとこで働いてみっか?」
「え、ぼ、ボク……」
まもるさんが、じっとこちらに視線を投げてきた。助けるべきだろうか。いや、借金を抱えたまもるさんを養う力は今の自分にはない。
それに、カプセルホテルの契約書が自分だけのサインだったことがどうしても気がかりだ。
もしイメージ通りのカプセルホテルだとしたら……狭い空間でまもるさんと暮らすことになるのだとしたら……自分がいま取るべき態度はひつしかない……。
「まもるさん! 自分のことは気にせず、パークさんのところでキレイな身体になってきてください!」
「は、ハルノキくん、助けてくれないの?」
「も、元はといえばまもるさんの無計画さが原因なんですから!」
「は、ハルノキくんだって、ボクのお金使ってここまで来たんじゃないかぁ……」
「言い訳はやめましょう! これは、まもるさんの人生をやり直すチャンスかもしれません!」
「なかなかいいこというわね。アナタ」
chibusaさんが頷いてくれた。
「ありがとうございます!」
「よぉし、それじゃぁ決まりだな! その様子だと宿もねぇんだろ? オレんちに住んでいいぞ。ウチはぁ結構、ひろいからなブハハハハ」
「あ、えっ、えっ」
「遠慮すんな。それじゃ、オレらぁもうひと仕事してくから。いくぞ!」
「は、ハルノキくぅーん!」
「まもるさん! また会いましょう!」
「オレんちは、リバーサイドヒルズにあるからよぉ! そのうち遊びに来てくれ」
パークさんが手を振りつつ、周囲のフロートレイを覗きながら去っていった。

「chibusaさん、ありがとうございました」
「あのパークっていう人、気になるわ。今度、遊びにいってみましょう」
「は、はい」
「じゃあ次は今夜どこで遊ぶかきめる番ね」
「えっ!?」
「ご覧なさい、特区がアタシ達を呼んでるわ」
chibusaさんが指さした方向からは、先ほどの呼び込みの男達が大勢走ってくるのがみえた。
「ま、まずいでぇっす!」
「なにがいけないの? アタシ、気に入ったお店があったら本当に入るつもりなんだけど?」
「あっぁ、っぁっぁ」
オロオロしはじめたコージさんを余所に呼び込みの集団に取り囲まれた。
「お願いします! いまなら待ち時間ありませんから!」
「chibusaさん! お願いします!」
「いや、こっちも負けてません! オールE以上のAクラスガールしかいません!」
「Gから最高でQまでいます!」
「ウチはプリンプリンのナイスバストばっかりです!」
だが、嬉々として語る男達に取り囲まれ笑顔だったchibusaさんの表情には、はっきりと怒りの色が滲みはじめていた。
「それだけ? 特区の誇りはないの? 大きさのアピールなんて聞き飽きた! もっとエモーショナルにそそられる文句のひとつもいえないわけ?」
全員が押し黙る。
「バストは大きさだけじゃ測れない。いい? そこにあるおっぱいのエピソードを語れるような骨のあるヤツはいないの!?」
なにをいっているんだ、この人。トックトック周辺半径100mを沈黙が支配する。
「もっ!」
群衆のなかで何かがうごいた。
人垣のなかで指先だけが動く。
「ん? そこ! 前へ!」
chibusaさんの声に人垣が割れる。あらわれたのは、よ、四頭身の男。
男はムダのない動作で、女王に謁見するかのごとく、地面へ膝をつき頭を垂れた。
「アナタ、さっきの……話してみて!」
「もっこり」
まるで“もっこり”が“御意”の意味を持っているかのような響きを放つ。
「当店はG・A・Sを採用いたしております」
「GAS?」
「ギャルズ、アサイン、システムと申します。ご来店なされる方々のフィジカル、メンタル、リビドー、フェティシズム、その他多数のファクターで好みを解析し適切なギャルをアサインする独自ルーチンシステムでございます」
もっこりを連呼している姿からは想像もできない程、朗々とした口調だ。
「憩いの場であるべきなのか、活動的な時間であるべきなのか、癒やしを求めているのか、刺激を欲しているのか、同じお客様であっても日々、状態は異なります。接待を行う側の女性もまたしかり。それらの適切なマッチングによる最高のサービスを提供すべく当店は日々営業を続けております。ぜひ、我がセクシーアミューズメント“グッドモーミング”へお越し頂けないでしょうか」
「うん! アナタの店!」
勅命をくだすかのようにきっぱり、chibusaさんが四頭身男を指さした。
「はい。3名様、もっこり!」
「アナタ、もっこり以外の言葉も知ってたのね」
「はい。たっぷり、もっこり」
表情をかえず男が頷く。赤らんだ頬だけがかろうじて感情が高っているようにみえるだけだ。
「案内して」
「もっこり」
いつのまにか“もっこり”には、物事を肯定する意味までも付帯したようだ。
chibusaさんが振り返る。
「なにしてるのよ。早くいきましょう!」
「そ、そ、そ、そんなっぁっぁ……」
「行きたくないの? アナタ、棚田くんの店で働いてるくせに結構、純情ね」
「やっ、えっと、そういったお店わっぁ、予算に対するけ、計画性が重要でございまっぁす!」
「予算? 計画性? もしかしてお金の心配? それなら問題ないわよ。これは取材よ。経費なら棚田くんがだしてくれるんだから」
「ほ、本当でありますかっぁ!?」
「あたりまえじゃない。使える経費は使い切る。そんなの常識じゃないの」
「そ、そういったことであれば、お供せざるをえませっぇん!」
コージさんが背筋を伸ばす。
「ハルノキくんもお供をする必要がありまっぁす!」
そうか、こ、これは仕事なんだ。
ショルダーパッドのスタッフとしての任務はすでにはじまっているんだ!
ついていかざるをえない!
膝がガクガクと震えていたが、なんとかごまかしながらコージさんの後を追った。

次回 2019年03月29日掲載予定
『 ホテルはリバーサイドヒルズ02 』へつづく

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