河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第91話『 ホテルはリバーサイドヒルズ03 』

「ハルノキさっぁん! ハルノキさっぁん! 起きてくださっぁい! お風呂でっぇす!」
眼を閉じたままでも、コージさんだとわかった。視野内の時計はまだAM6:43。
まだ夜中みたいなもんじゃないか……。
「まだ、眠いんですかっぁ?」
この人は、早朝からこのテンションなのか。「朝風呂、朝ロウリュでぇっす!」
「ロ……ウリュ?」
「はっぁぃ! サウナでっぇす! 今日はっぁナンプラ先生がお見えになりまっぁす!」
ロウリュ、ナンプラ? さっきから、何をゴチャゴチャいってるんだこの人。
しかし、コージさんの手が布団の中にはいってきて、むりやり上半身を引き起こされた。
misaでさえこんな強引な起こし方はしない。
「わ、わかりました……」
全力でベッドに居残ろとする身体を律し、ベッドから這い上がり床へと足をおろす。
「おぉう」
こんなに目覚めの悪いときでも、素足に触れるカーペットは気持ちがいい。
「どうしてそんなに眠いんですかっぁ!?」
「い、いや、ちょっと……あの後……」
「もしかしてっぇ! ひとりでお店に戻ったんですかっぁ!?」
コージさんの顔面が至近距離に迫る。口内からは“寝起きの臭い”が漂う。
「い、いや、そういうことではなく……」
「アナタたち、起きたの?」
通路を挟んだ向かい側の下段ベッドのカーテンが開いた。真紅のナイトドレス姿のchibusaさんが軽く目を擦りながら座っていた。
「ち、chibusaさっぁん!? ど、どうして、こ、こ、ここにいらっしゃるんですかっぁ!?」
コージさんが目を剥く。あまり激しく呼吸をしないで欲しい。
「棚田くんに頼んでお部屋とってもらって、ハルノキくんに迎えに来て貰ったのよ」
chibusaさんがこちらをみて微笑む。大きく開いた胸元の谷間から慌てて目をそらした。
「い、いっぇ、そ、そうではなくて、な、なぜあんな高級ホテルではなく、こちらへっぇ?」
「この宿以上の魅力があるとおもう?」
「た、たくさんあると、思いまっぁす!」
「ないわ。どこでも同じだものホテルなんて」
「しかし、ホットトックプレイスはっぁ、男性専用施設でっぇす……」
「ここはショルダーパッドの寮なんでしょ? アタシもしばらくお店に通うんだから問題ないわ。さ、いくわよ」
「ど、どこへですかっぁ?」
「お風呂入るんでしょ?」
「だ、男性専用でぇす」
「水着あるから平気よ」
「ひ、え、へ、め、ぁっっぁ!?」
意味不明の言葉を発しコージさんは、直立したまま固まった。
「アナタ、おもしろいわね」
chibusaさんはイタズラをした子供のように笑いながらベッドから出た。
「まず、コーヒーを飲んでからお風呂よ!」
そのままリズミカルに歩き出した。

HOT TOK PLACEホットトックプレイスのフロントから奥まったところには、“モーニング”が楽しめるカフェスペースがあった。丸いテーブルが8卓ほど並ぶ、広いカフェだが他に利用客はいない。
「ここだけ妙にシャレてるわね」
chibusaさんの指摘どおり、そこは通りに面した入口と反対側に位置しており、北向きのやわらかな光が射し込むスペースだった。 大きな窓からは青々とした芝生が広がる。
小綺麗すぎて、少し居心地が悪い。
「棚田くんのセンスねこれは。まあ考えようによっては、男臭さの中でミスマッチを狙ってるのかもね。ハルノキくんもそう思わない?」
右隣に座ったchibusaさんは、ナイトドレスに薄手の上着を羽織っただけの格好で、相変わらず目のやり場に困る。
「chibusaさん、な、なに飲みますか?」
「あたしはコーヒーだけでいいわ。ハルノキくんは?」
がばっと体を開くような体勢でchibusaさんがめ、メニューを、差しだす、む、胸元が。
「じ、自分も、コーヒーだけで」
「だめよ! 食べなきゃ若い子は! これなんてどう? 甘辛チキンサンドと小倉ホイップサンドセットとか」
「じゃ、じゃあそれを……」
「あ、あのっぉ!」
「なに? あ、アナタは自分で決めなさい」
「は、はいっぃ。いや、ぁあのっぉ!」
コージさんの口調はどもっているのか、素なのかいまいちよくわからない。
「だからなに?」
「お、お二人は、さ、昨夜っぁ、な、なにか、あったのですかっぁ!?」
「なにいってるの? 迎えに来てもらっただけよ。ねえ?」
上目遣いで覗き込まない欲しい。
“なにかあった”ように見えてしまう。
「本当です! 棚田さんからimaGeに連絡があって、chibusaさんを迎えにいってくれって」
「わたくしには、ありませんでしたっぁ!」
「コージさん、寝てるみたいだからっていってましたよ」
「そ、それにしてもっぉ、お二人の距離が妙に近かいようにみえまっぁす!」
「なに勘ぐってるの? 想像力が貧困よ」
いや、確かに近い。コージさんの口臭とは対極的な、ほのかで甘い香りがchibusaさんの方からダイレクトに鼻腔へと飛び込んでくる。
「いいから、コージくん、オーダー」
「は、はっぁい! す、すみませっぇん!」
「アタシとなにかあったら、ハルノキくん、今ごろ足腰たたなくなってるわよきっと」
そういってまたイタズラ少女のような、ハニカミ顔をした。

「お待たせいたしました」
注文したコーヒーを運んできたのは、老年の“紳士”と呼ぶのにふさわしい風貌の男性だった。まるでその人の分身のように、静かに芳香と湯気を立ち上らせるコーヒーカップが、置かれるたび微かにシャンッと音をたてた。
“甘辛チキンサンドと小倉ホイップサンド”も想像よりもずっと上品な盛り付けが施されている。
老紳士は“ごゆっくり”と声をかけ静かにカウンターの向こうへと戻っていった。
「chibusaさん、お砂糖はっぁ、おいくつにいたしますかっぁ?」
コージさんは、すかさず角砂糖の詰まった容器を持って尋ねた。
「そうねぇ、今日は……1…2…3…5…8…うん、8個」
な、なぜフィボナッチ数列で砂糖の数を……。しかも、そんなに大量の砂糖を……。
「かしこまりましたっぁ! ミルクはいかがですかっぁ?」
「いらない。コーヒーの味変わっちゃう」
「か、か、かしこまりましたっぁ……」
「ハルノキくんは? お砂糖いらないの?」
「じ、自分は、ブラックで」
「案外、大人ね。ねえ、アタシにもその小倉ホイップサンド少しちょうだい」
そういってchibusaさんは皿からサンドイッチを取り上げ口へと運んだ。
「それで、コージくん。お風呂となにがあるっていってたっけ? ロウリュ?」
「は、はっぁい! そ、そうでしたっぁ。今日はっぁ、モーニングロウリュの担当が、ナンプラ先生なのでっぇす!」
「待ちなさい。その前にロウリュってなに?」
「ロウリュはロウリュでっぇす!」
「説明になってないわよコージくん」

2人のやり取りをぼんやり眺めながら、脳内音声ダイレクトでmisaを呼び出す。
「ねぇ、misa、ロウリュってなに?」
『え? ロウリュってのは……』
調べるのに時間を要しているのか珍しく、返答までに間があいた。
『サウナストーンに水をかけミストを発生させる伝統的な入浴方法。通常よりも温度が……』
「温度が?」
『……マイルドになって、サウナ初心者の方でも楽しめる入浴方法です。とあるわ! ハルキ! これは楽しそうよ!』
「そ、そうなの?」
『ハルキ、サウナ入ったことないわよね? いい機会だから試してみなさい。きっと旅の疲れも癒やされるわ』
珍しくmisa様がやさしい口調で諭してくる。
『今日がショルダーパッドの初日でしょ? 門出の朝をすっきりした気持ちで迎えるためにも、体験してみなさい』

「ハルノキさっぁん! 聞こえてますかぁ?」
気づくと2人から視線を注がれていた。
「は、はい! すみません、ちょっと自分のアシスタントプログラムでロウリュについて調べてました。ロウリュ、よさそうですね! 自分も体験してみたいと思います!」
「はっぁっぃ! それでわっぁ! 先生がお見えになる時間までに、先に入浴をすませておきたいでっぇす!」
そういってコージさんが立ち上がった。
「アタシもいくわよ」
chibusaさんも本気で混浴するつもりらしい。すくっと立ち上がると、豊満な、む、胸元が重厚に揺れた。さ、さすが、世界屈指のバウンスアーティスト……。
「それではいきまっぁす!」
先頭のコージさんが張り切って歩き出した。

「おらぁ! 起きろまもるぅ! お天道様、もう上っちまってんぞ!」
「うぐぐぐぐ。パ、パークさぁ…ん」
「なんだぁ?」
「ボ、ボク、お腹がいたいですぅ」
「あぁ? 便所は丘を下ったとこだ。さっさといってこい!」
「うぐぅぅぅ……は、はいぃ」
「朝は並んでっから、気張れよ! まぁ、いわなくても気張るだろうけどなブハハハハ!」
ブルーのナイロンシートをめくりあげて飛び出した。まずいよぉ、間に合わないよぉ!
走って丘を降りていくと……。
「え、え、えぇぇぇ」
トイレの前に行列ができていた。
みんな、パークさんみたいに長い髪をして、大きなナイロンバッグをかかえている。
いちばんに後ろに並んだけど間に合うかなぁ。
「おめぇ、見ねえ顔だな? 新入りか?」
ひとつ前にならんでいる人が話しかけてきた。歯が真っ黄色で両脇の髪の毛と髭は長いけど、真ん中だけ、ない。おまんじゅうみたいに丸い顔をした人だった。
「は、はい! ま、まもるといいますっ!」
いまは、誰とも話たくないのにぃ。
「おめぇ、丘の上から降りてきたな」
「はい! パークさんの家に住んでます!」
「お! パークさんとこの新入りか? じゃあ、あれだな、腹が痛てぇってんでここにきたんだな?」
「ど、どうしてわかるんですかぁ!?」
「パークさんに“ロッカ”飲まされたんだろ?」
「はい! すっごく強いお酒でした!」
「やっぱりなヌハハハ! ありゃ新入りにゃ、キツィ酒だ。なあ、オイ!」
おまんじゅうみたいな人が、もうひとり前の人の肩を叩いた。振り返ったのは、岩みたいにゴツゴツした顔の人だった。
「んん?」
「コイツ、パークさんのとこでロッカ飲んだらしいぞ」
「んん? ホントか!? グハハハハ!」
岩みたいな顔の人も急に笑い出した。
「あ、あの……、ロッカって、どんなお酒なんですかぁ?」
「なんていってたっけな、パークさん」
「んん? おぉ……たしか……天然の川の水を濾過して磨き上げた水で丁寧に蒸留した酒……じゃなかった?」
「そうだ! そうそう! んで、川の水で割るんだよな?」
「そうだ。ロッカ オン ザ リバーつってな!」
「はい! 昨日川の水を汲みにいきました!」
「ほらな、グハハハハ!」
2人が揃って笑い出した。
「あーこっちまで、腹痛え、あれは選ばれた人間じゃなきゃ飲めねえ酒だかんなぁ、新人! さぞ腹が痛えだろう? ヌハハハハ!」」
「は、はい……も、もう限界です!」
「そうだろうなぁ」
「あ、で、でも、なんでみなさん知ってるんですか?」
「そりゃこの辺りのヤツラはみんなパークさんの世話になってかんな」
「地主だぞこのあたりの。ヌハハハ!」
「おーい! みんなぁ! この新人がパークさんのとこでロッカをかっくらったらしいからよぉ、順番変わってやってくれやぁ!」
おまんじゅうさんがそう言うと、並んでいたみなさんがボクの方を振り返って笑い「しょうがねぇな」といって、列を開けてくれた!
「ほら、いけ。新入り。漏れちまうぞ!」
「はい! ありがとうございますっ!」
「ほらほら、勇者様のお通りだぞぉ!」
一番先頭の人にごめんなさいと謝ってからトイレに飛び込んだ。

な……んだ……ここ……。
木材の香りが漂うその部屋は、階段教室のように中央から奥へと向かって階段状のベンチが3段つづいていた。なんだ、空気がむりやりねじ曲げられていくような感じは。
「さ、サウナ……て、熱いっすね」
声を発するたびに喉の奥が、灼かれるようにひりつく。
「はっぁい! 当たり前でっぇす!」
山吹色のバスタオルを腰にまいたコージさんが、強い眼差しでこちらをみた。
となりにいる、chibusaさんは、び、ビキニ姿で平然と座っている。
「ここ、イイ木材使ってるのね。香りがとっても贅沢よ」
それどころか、鼻をひくつかせ周囲の香りを楽しむ余裕すらみせている。
な、なんだ、この人たちは……なぜ、こんなにも平然としていられるんだ。
『ハルキ。体温が上昇してきたわ! アナタはいま、人生史上最大の温度を体験してるのよ!』
misaは世紀の発見を成し遂げた科学者のような口ぶりだ。
いや、ダメだ、ムリにこんな所にいたら、や、やばい……。
「こ、こーじさん、じぶん、さき、でます」
それだけいって立ち上がったとき──。
サウナの扉がゆっくりと開き、白髪で眼力の鋭い老年の男性がのっそりと踏み込んできた。半袖のTシャツに短パン。
「ナンプラー先生っぇ! おはようございまっぁっす!」
コージさんが、座ったまま両膝に手をつき深く一礼した。こ、この人がナンプラー? 
ぼやけた視界にTシャツの裾にマジックでかかれた“南風 辣”という文字が飛び込んできた。
南風ナンプウラツ……か、く、くだらない。
「オレの名は、南風みなみかぜらつナンプラーとでもなんでも好きによべ。朝っぱらから、よく来たな野郎どもぉ……ぉぉ、今日は、お嬢さんもいるのか?」
低く重くまるで、この灼熱地獄の主のような声が部屋の中へ染みこむように響く。
「お邪魔してまーす」
chibusaさんがノリノリで右手を挙げる。
胸が揺れる。
「オマエラは、早起きか? それとも夜更かしか? オレは夜更かしだぞ!」
「アタシはたっぷり寝ました!」
chibusaさんがまるで出席を確認される生徒のように元気よく両手を挙げた。き、キレイに処理された、わ、脇の下が眩しい。
「わ、わたくしもでっぇっす!」
「うそ! アナタ、昨日、すっごいうなされてたわよ!」
「こ、興奮が冷めなかったんでっぇす!」
「コージ。おまえはエロいこと考えて悶々としてた口だな。……若えな!」
ナンプラがピッと人差し指を突き立てた。
な、なんだこの集団は。この熱さのなかでなぜこんなに平然としていられるんだ……。
「わ、わたくしはっぁ、そのぉ……ナンプラ先生! わ、わたくしはっぁ、新しい性の扉にぶつかってしまい、迷っていまっぁす!」
「ほぅ。なんだ聞かせてみろ」
な、な、なぜ、人生相談を……。あ、熱いし暑苦しい……。
「いままで、体と体のお付き合いを基本にしていたんですがっぁ、美しい女性を見守るという行為がっぁ、とっても気になりまっぁす!」
「それがどうした? よかったじゃねえか新しい刺激に出会えてよ」
「そ、そんな消極的な行為でわたくし自身がぁ、満足できるのかが不安でっぇす! ナンプラ先生っぃ、わたくしはどうすべきでしょうっかぁ」
「欲望に正直に、いけば問題ねえ!」
「はっぁい!」
「とりあえず、覗き部屋に行け! それで満足できなきゃソープにでも行け! それだけのことだろう?」
「あ、ありがとうございまっぁっす!」
「以上だ。ロウリュをはじめる。覚悟はいいか!」
「おぉっっぉぉす!」
ダメだ、この集団に付き合っているわけにはいかない。扉に手を押し──
「おい、小僧」
強烈な視線が自分に向けられた。
「座れ。はじめるぞ」
「は、はい……」
脱出しかけた灼熱地獄へと再び引き戻された。

シートの端をめくるとパークさんが、タバコに火を点けてたところだった。
「も、戻りましたぁ!」
「ん? 早ぇな?」
前歯にすっぽりと入り込んだタバコをスパーっと吸い込んで煙をはいていた。
「はい! みなさんがパークさんのお家から来たっていったら順番を譲ってくれました!」
「ふん。なるほどな」
「パークさん、地主さんなんですね!」
「まあな。この辺はオレが仕切ってからな。んなことより、まもるメシの前にひと仕事すんぞ」
パークさんがテーブルの上に広げていたのは、昨日、仕込みをした材料だった。
「ちょうど良い感じに加湿終わってから、次は成形だ」
「はい!」
「まもる。紙片は!」
「は、はい、え、え」
「ばかやろう! 昨日、何回も教えただろ? 
紙片のサイズだ!」
「え、えっと……」
「紙片つったら、34ミリの70ミリだ!」
「は、はい!」
「じゃあ、外箱は!」
「は、え?」
「外箱は122ミリの94ミリだ!」
「ご、ごめんなさい! め、メモします!」
ボクはテーブルの上に置いてあった紙を1枚とって──。
「貴重な資源に手ぇつけてんじゃねぇ! その1枚でいくら損失がでるとおもってんだ! 頭にたたき込め!」
「ひ、ひぃ」
「もっかい聞くぞ! 紙片は!」
「34ミリの70ミリです!」
「外箱は!」
「122ミリの94ミリです!」
「よぉし、やればデキんじゃねぇか! わかったら“玉込たまごめ”だ!」
「はい!」

「いいか、野郎どもと、お嬢ちゃん。いまから、このサウナストーンに水をぶっかける!」
「お願いしまっぁっす! ぁっついのを、くださっぁぁぃ!」
コージさんが叫ぶ。
「ここのサウナは通常は90℃、ソイツが、この水で起こす水蒸気ミストで100℃になる!」
「ありがとうございまっぁぁっす!」
え、ちょ、ちょっとまって、水をかけることでサウナの温度が下がるんじゃ……。
「いくぞぉぉぉぉ、そぉぉぉれぇぇぇ! 熱くなれぇ、熱くなぁれぇぬううううううううん」
ブシュシュゥゥゥゥウウゥゥ
熱したフライパンに肉をのせたときの音がした。ま、まって、これは。
「通常は100℃! だがな、オレのロウリュはひと味違う! オレ様の気合いで、今日だけは100℃を超える!」
「はっぁっい!」
まて、まて、まて、お、おい! misa!
『なに慌ててんのよ』
「さっき、温度が下がるって」
『そんなこといった? なんか、熱いからかな、よく思い出せない』
つ、ついに、我がアシスタントプログラムは人間を欺くことまで覚えてしまったのか。
そ、それはだめだよぉ……。
「よぉし、機は熟した! いまからこのタオルでこの空間を、扇ぐ!」
ナンプラ先生が手に山吹色のバスタオルを握った。風を送ってくれるのか。助かっ──
「熱波いくぞ! ふぅぅぅぅ……」
風神様のごとき形相でナンプラ先生が風を──
──熱波?
「ふぅうん」
ブバハァッ
ナンプラの手首が奇妙な形に変化した。
洗い立てのシーツを広げるようにゆっくりと山吹色のタオルが宙を舞う。
一拍遅れ、空気が揺れる。
大気が震える。
風が──
「あっつ!」
もの凄い熱を帯びた風が顔面を攻めてくる。
「あっぁ゛っ! あっぁっ! あっぁ゛っ!」
不可思議な音がコージさんの方から漏れ出てきた。額から汗が大量に、いや、むしろ、汗の中に額が浮かんでいるような量。
「こ、コージさ…ん、ダメだ出ま──」
「熱波のおかわり、欲しいやついるか?」
「おかわり、お願いしまっぁっす!」
勢いよく右手を振りあげたコージさんの脇から汗のしぶきがほとばしる。
「アタシも!」
chibusaさんは目を閉じたまま手を挙げた。
『ねぇ、ハルキ……』
misaの音声なのか、幻聴なのか瞬時に区別がつかなくなっていた。
幻覚を操る妖術使いの術のように波打つタオルが、目の前で妖しくうごめく……。
『いますぐ、ここを出なさい』
な、なにをいまさら。
『いいから』
そんなこといわれても。
『アタシはただアナタのライフログの体感温度を更新してみたかっただけなの』
な、なぜそんなくだらないことを……。
『人間はどこまで高温に耐えられるか試したかったのね、知的探究心。しかたがないの』
そんなこと頼んでないだろう。
『で、でも、ちょっと、更新しすぎちゃったみたい。アタシ、っていうか、imaGeの耐熱温度越えちゃうかも……』
そういえば、さっきから耳の奥が焼けるように熱い。もしかして、い、imaGeチップが焼ける?
『そんなことになったら、アタシ、強制終了しちゃう! あ、アタシを強制終了したらどうなるかわかってんでしょうね!!』
「ぎょ、御意」
最後の力を振り絞り立ち上がった。
「小僧、リタイアか!」
「は、はい……」
「よし! 行け!」
ナンプラ先生が扉を示す。
駆け出す。
目の前には湯気のあがっていない浴槽。
『ハルキ! 早くそこの水風呂に飛び込みなさい!』
「ううううううんん!」
目の前の浴槽へ飛んだ。
──水風呂?
気がついたときには遅かった。
今度は全身を氷の女王が駆け抜けた。
『あぶなかったわ……計算外だったわね』
脳内音声でmisaが冷静に分析をしている。
こ、声がでない。
熱いのか、寒いのかわからない。

ピピピピピピピピピピピピピピピピ

しかし、この状況下においてもVOICE音声通話の呼出音が脳内に響き渡った。よ、よかったとりあえずimaGeは壊れていないようだ。
視野内には“棚田さん”の着信表示。
「は、はぃ……」
「あ、ハルノキくん、寝てたかなぁごめん」
「だ、だいじょうぶ……です、もう完全に目が覚めてます」
「コージくんはまだ寝てるみたいでさ」
「いや、違うとおもいます……」
今朝方のやり取りとまったく同じだった。今度はなんの用だろう。
「ん? あぁ! 今日は朝ロウリュだ! そっか、どうりでimaGeがつながんないわけだよね。普通サウナにimaGeもって入らないもんね」
そ、そうだったのか。
「あの、それで、なにか御用でしょうか」
「ん? あ、そうそうちょっとさお使いを頼めないかなとおもってさ」
「お、お使いですか?」
「そうそう。いろいろと買い出しがあってさ。ハルノキくん、お金持ってる?」
「……い、いや、恥ずかしながら……お金はありません……」
「そっか、じゃ一度、店に寄ってくれる?」
「う、裏口から入ればいいんですよね?」
「そうなんだけど、ちょっとさ、表の入口チェックしてから来てくれないかな……実はね、ちょっと困ったことになってるんだ……」
棚田さんの声に、不吉なものを感じた。
灼熱と極寒の果てに、一体なにが待ちうけているというんだ──。

次回 2019年04月26日掲載予定
『 ハルノキのおつかい 』へつづく

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