河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第92話『 ハルノキのおつかい 』

おひさまが出てきたせいかな。
布団もダンボールもテーブルも水色が混ざったような色にみえた。
「よぉし、そろそろ……」
パークさんがタバコをくわえて火を点け、ぼろぼろの板でできたテーブルのうえに、なにかを並べはじめた。
口から出てきた煙はもくもくただよって、太陽の光に照らされて、もやもやもやっとした模様になった。
「はじめっかぁ、まもる」
パークさんが前歯の間にタバコを挟む。
「……外箱!」
急に指さされた。
「え、は、ハッ! 122ミリの94ミリです!」
「紙片!」
「34ミリの70ミリ!」
「よぉし、だいぶ板についてきたじゃねぇ……煙葉もくは!」
「え、え、モクハ……ってなんですか?」
「オメェの目の前にある葉っぱのことだ! ウチの流儀では、煙葉ってんだ。覚えとけ!」
指さされたのは、テーブルの上に山になっているゴミみたいな葉っぱだった。
「そいつぁオレらの命だ! いいかぁ、玉込の“玉”は“魂”の“たま”だかんなぁ。丁寧な仕事しろよぉ!」
「は、はい! あ、あの、煙葉はどのくらいいれるんですか!」
「そいつは……教えらんねぇ……」
「ど、どうしてですか!」
「ある漁師の世界じゃ“仕掛け”のイロハは、親子の間でも秘密だって話、知ってっか?」
「し、知りません!」
「真剣に何十年も何千回も試行錯誤して見つけた自分だけの答えが“仕掛け”だ。糸の結び方ひとつ、餌のつけ方ひとつ、誰にも教えねぇ。煙葉の分量はそいつと同じだ」
「そ、それじゃあ、玉込できないですよぉ」
「……じゃ、じゃあオメェはまず紙切だ!」
「か、紙を切ればいいんですね!」
「紙じゃねえ! 紙片しへんだ。いいか!」
「は、はい!」
パークさんが、紙の束をテーブルにドサっと載せた。

街中の雑踏の中では無意味だと思ったが、自然に足音を殺して歩いていた。この角を曲がればショルダーパッドの入口がみえるはず……。
壁伝いにそっと覗き込む……やっぱり……。
ショルダーパッドの入口へ続く階段の前に立つ男の姿。うねるような長髪と漆黒のサングラス。遠目でみても、ひと目でわかる。
豊川豊だ。
降りしきる雨の中で標的を待ち伏せる追跡者のように、ショルダーパッドを見上げたまま微動だにせず立ちつくしている。
すでにセキュリティ・ポリシーから釈放されていたのか。
豊川の背中には巨大な紫色のリュック。なにを考えているんだあの人……。
階段の下に立つ豊川の視線は、鋭さを越え、まるで高峰の山々をみつめる山岳家のごとき、悠然たるものにみえてきた。
かつてディスコに行列ができた時代があったと聞く。しかし、午前中から並んでいるヤツはどう考えても異常だ。ましてあの大掛かりな装備。
もしかすると、クミコの存在に気づいたのか……。いや、昨夜は完璧に隠し通したはず。
それとも、狙いはchibusaさんだろうか。
どちらにしても棚田さんに知らせて対処したほうがいい。来た道を戻りショルダーパッドの裏口へ回った。

「りゅ、リュックサックぅ!?」
「はい。それもかなり、なんというか登山でもするような気合いのはいった大きさで……」
世界中を旅行してまわる、バックパッカーを彷彿とさせるような。
「う、ウチは山じゃないんだけどなぁ。そりゃあお客さんで黒山の人だかりができることはあるけどさぁ、ハハハハ……」
棚田さんは眉毛を少し吊り上げ、事務所のソファに深く体を沈めた。面接のときとはだいぶ様子が違う。こころなしかジャケットの肩がいつもより萎んでいるようにみえる。
「な、なにしにきたんでしょうね」
「うーん」
「……やっぱり……chibusaさんのこと……ですかね……」
「そうなるよねぇ、やっぱり」
眉毛を“ハ”の字にしかめたまま棚田さんが麦茶をすする。
「そういえば今朝chibusaさんも“しばらくお店に通う”っていってましたね」
「あ、そうそう! ゆうべは悪かったね急に頼んじゃって。チーちゃん、大丈夫だった?」
「むしろ、自分なんかよりもずっとHOT TOK PLACEをエンジョイしてるようでした」
「ハハハ、チーちゃんらしいね。彼女には、今度のイベントに向けてドーンとしたモニュメント的な作品制作をお願いしてるんだ」
「あ、あのぉ……」
「うん? なんだい?」
「い、いや、その、棚田さんとchibusaさんは、ど、どんなご関係なんですか?」
「ん? あぁ、大学時代にサークルで知り合った友達だよ」
chibusaさんがサークル活動をしていたというのが、いまいちピンとこない。
「一体、どんなサークルだったんですか?」
「ただのテニスサークルだよ」
ますますピンとこない。
「まあ、チーちゃんはスグに辞めちゃったから、どちらかというとその後の関係の方が長かったんだけどね」
“関係”という響きに、大人っぽさを感じた。
「それにしてもあの人、どこでチーちゃんの予定を聞きつけたんだろう……支部長さんかなぁ」
「いっそのこと入店断ったらどうですか? いわゆる“出入禁止できん”ってやつに……」
「ハルノキくん。出禁って、そんな簡単なものじゃないんだよ。こういう商売はお客様が来てくれてなんぼだからね。それに支部長さんはかなりの常連さんだからね、さすがに常連さんの関係者を邪険に扱うのはマズイでしょ」
「で、でも、あの人、なにをしでかすかわからないですよ……いれないほうが……」
相手はディスコのVIPルームで失禁するような、一級の要注意人物である。そしてなにより、クミコの存在に気づかれるわけにはいかない。
「うぅぅん。で、でもハルノキくん、知り合いなんでしょ? いざとなったらよろしく頼むね」
「そ、そんな……」
「と、ということでさ、まぁ、その、本題なんだけど、買い出し……頼めるかな」
「それは構いませんけど……」
「ありがとう。それじゃあね、このリストにあるタバコを買ってきてくれるかな?」
棚田さんからimaGeにテキストメモが届く。
メモにはタバコの銘柄と思われる名称がズラっと並んでいた。
「こ、こんなに……」
「常連さんたちのタバコは常にストックしとかなきゃいけないからね。トックトックまでひとっ走り頼むよ。あ、それからこれが代金ね」
棚田さんが現金を差しだしてきた。
「こ、こんなに……」
タバコの値段というのは法外なものなんだと改めて実感した。
「あ、お駄賃に、ハルノキくんのタバコもひと箱買っていいからね」
「えっ! あ、ありがとうございます!」
当面の食費にしよう。
固く心に誓い、深々と礼をしショルダーパッドの裏口へ向かった。

トックトック前の広場には平日の午前中だというのに、待ち合わせとおぼしき人たちがそこかしこでタバコをふかしていた。タバコの軌道にあわせて上下に行き交う銀色のフロートレイが太陽の光を反射して輝いている。
視線を上げると5本の白い塔。“特区”のメインストリートの中央にそびえる、地面に突き立てられたタバコはまさしくこの街のランドマーク。
広場の隅にあったトックトックセントラルタワーモールの案内ディスプレイをのぞくとそれぞれの棟の説明が書いてあった。
中央にそびえるのがトックトック中央タバコ館、隣が葉巻館、その向こうが総合喫煙館、イベント館、ヤング喫煙館、とにかく5棟すべてがタバコ関連の店がテナントのようだ。
とりあえず、中央タバコ館の入口へ向かうと今度は各階の詳細なフロアマップがあった。

<トックトックセントラル 中央タバコ館>
12階 喫煙具インポート 喫煙ラウンジ
11階 喫煙具レディース
10階 喫煙具メンズ  葉巻館連絡口──

最上階から地下3階まで、タバコや喫煙用品を扱う店がひしめき合っているのか。
「大丈夫か、この街……」
若干の恐怖を覚えつつ店内へ足を踏み入れた。

「まもる……こっち、こい」
テーブルの奥でパークさんが手招きした。
「どうしました?」
「この紙はなんだ?」
「紙片! 34ミリの70ミリです!」
「そうじゃねえ! 切り口がこんな、ぐっちゃぐちゃになってる紙片があるか! みろ! 繊維がとびだしてんじゃねえかよ! ここ!」
パークさんがテーブルに紙を叩きつけた。
「切り口はスパッと潔く! それからよぉ長辺の寸法が合ってねえ!」
「じょ、定規でちゃんと測りましたよ」
「紙ってのはな、その日の気温や湿度で具合がかわるんだ。貸してみろ」
ひったくるように紙を取りあげられた。
「みとけ……」
パークさんが眼を閉じて息を吸う。
「ふぅぅぅぅぅ」
カッターを当てた紙がすぅと2つにわかれた。
「す、すごい!」
「長さ測ってみろ」
「じょ、定規がピッタリです!」
「長さってのは感覚だ。この場と一体になりゃそんなんで計るまでもねえ」
「勉強になります!」

「はい! フォルテッシモロングのワンカートンね。まいどぉ!」
店員さんが奥からタバコの箱をもって戻ってきた。代金を支払いトックトックの1階フロアへと戻る。
「あとは……これか……」
中央館のなかを歩き回りメモにあったタバコを買い集めたが、最後のひとつがみつからない。
「ねえ、misa。このタバコ探してく──」
『ない。このビルの中に売ってない』
「そんなわけないだろう」
これほどの喫煙パラダイスに置いていない銘柄があるとは思えない。
『全店舗の在庫照会したけどないものはない。めんどくさいから棚田って人に連絡してみて』
misaは問答無用でVOICE音声通話を呼び出す。
「はーい。どうしたの?」
すぐに棚田さんがでた。
「あ、あの、ほとんど買い出し終わったんですけど……どうしてもみつからないやつがありまして……」
「ん? なんてタバコ?」
「P、A、R、Kって書いてあるヤツです」
「あっ! パークか! ごめんごめん! それはトックトックに売ってないや」
「ど、どこに売ってるんですか?」
「え? PARKはパークでしょ」
「パ、パーク……公園、ですか?」
「そうそう。まって、いま地図を送るよ……あ、ちょ、ちょっと待っ──え──」
音声が途切れた。
誰かに呼びかけられたようだ。
「ハルノキくん。表にいた豊川さん、どうしても入れてくれって騒ぎだしちゃったみたい」
通話口へ戻ってきた棚田さんの声に動揺の色が混じっていた。
「セキュリティ・ポリシーに連絡した方がいいんじゃないでしょうか」
「2日連続でそんなことしたら悪い噂がたっちゃうからなぁ……うーん」
すぐに戻って来いといわれるのは、できれば避けたい……。
「棚田さん、とにかく、自分、買い出しを終わらせてから戻りますね」
「うーん、いやぁ、ここは先に店に戻ってもらったほうが」
まずい。
「いや、え、えっと、その、自分、棚田さんに任されたはじめての仕事をちゃんと遂行したいんです! すみません!」
「そ、そう? そうだね、じゃあ、豊川さんは僕が話ししてみるかぁ……」
「すみません! スグに戻りますから!」
「それじゃあさ、地図送ったんでそこにいってみて。あ、それからチーちゃんにハルノキくんが迎えにいくまで外にでないように連絡いれておくから戻るときに一緒につれてきてくれないかな」
「わかりました!」
これで時間が稼げる。
棚田さんが丸く収めてくれるのを待とう。
imaGe視野内に到着していた地図を開くと、目的地のアイコンは地図上の“臨空第七中央公園”という場所を指し示していた。

「んん。んん」
紙をベタっと抑えると汗がついちゃうからそっと抑えないと。巻物みたいになった紙をくるくる引き出してテーブルの上において、そぉっと定規をあてる。
「やさしく、やさしく」
カッターをあてる。
「ふぅぅぅぅぅん」
パークさんの真似をしてみると、すごくキレイに紙が切れた。
「パークさん、キレイにできました!」
「ん、寄越せ」
「はい!」
紙片を渡すとパークさんが左手の指で紙片をおさえて煙葉をのせてスルスルスルっと巻いた。手品を見てるみたいだ。
「……だんだんわかってきたな。さっきより紙片の調子、いいな」
手元をみたままいわれた。
巻き終えた筒はタッパーみたいな箱に1本ずつ詰め込まれていく。
「あ、ありがとうございます!」
「いま切ったやつ巻いたら一服にすっから、水汲んでこい」
「はい!」
ボクは白いポリタンクをもって靴をはいた。
水色の光が射し込むブルーシートの中で座っているパークさんがとっても格好良く見えた。

応接室代わりに通した現実側のVIPルームの扉をあけると、ソファに浅く腰かけていた豊川が正面をむいたまま顔だけこちらへ向けた。
直線に伸びた背筋と膝の上に載せられた拳。
「おはようございます」
直後に立ち上がり深々と頭を下げてきた。
「昨夜は申し訳ございませんでした」
張りのある声で謝罪の言葉を述べる豊川に対して以外にも礼儀正しい人だという印象を持った。
「そ、そんな、こちらこそ、その、騒ぎを大きくしてしまいまして……」
「いえ、滅相もございません。わたくし、豊川豊。初老にもさしかかろうとする身でありながら昨夜はあるまじき失態でございました。申し訳ございません」
また深く頭を下げてきた。
「ま、まあそんなかしこまらずに……す、座ってください」
「失礼いたします」
再び折り目正しい声を出し、豊川がソファへ着座し、こちらをみたまま固まった。
それ以降なにも言葉を発しようとしない。
「………」
「……………」
「……………………」
「……………………………」
「…………………………………あ、あの」
たまらずこちらから声を掛けてしまった。
「はい」
相手は前を向いたまま返事をしてくる。
「開店までには時間がございますので、もし、よろしければどこかでお時間などをつぶされてはいかがでしょうか」
「いいえ」
それっきりまた黙りこまれてしまった。これじゃどっちが怒られる側かわからない。
「しかし、まだ開店前でいろいろとバタバタしておりますので」
「chibusaさんはどちらにいらっしゃいますか」
「ち、チー、chibusaさんですか?」
「はい」
サングラスで表情は読み取れないが、思い詰めたようにみえるこの男にチーちゃんを引き合わせるのは危険だ。
「僕は、chibusaさんにお会いしたい。そして……」
豊川が巨大なリュックに手をかけた。
もしかして、危険なモノが!?
「こ、これに……」
リュックのジッパーが勢いよく解放される。
思わず腰が浮いた。
「サインが欲しいんです!」
リュックの開口部から姿を現したのは、女性の胸元をかたどった彫像だった。
「あ、こ、これ確か……」
「chibusaバウンススタジオ公式、カシミアノースリーブの1分の1レプリカです」
慈しむように彫像をなぞり豊川が立ち上がる。
「このレプリカはよくできています。しかし、本物ではありません! バウンスしないから。でも、ぼ、僕はこのレプリカに何度も辛い夜を慰めてもらった! だから僕にとっては紛れもないchibusaさんの作品なんです! だけど本物じゃない。だから、だから、僕はここにサインを、chibusaさんのサインをいただきたいんです」
ノースリーブから伸びる彫像の二の腕の部分を豊川が震える指で示していた。

次回 2019年05月10日掲載予定
『 ハルノキのおつかい02 』へつづく

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