河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第93話『 ハルノキのおつかい02 』

「お水ぅ、お水ぅ」
丘をおりていくと、おっきな川がのんびり流れていた。昨日の夜は暗くてよくみえなかったけど川のあちこちには、ゴミが浮かんでいる。
「このお水……やっぱり飲んじゃいけないんじゃないかなぁ……」
パークさんはゴクゴク飲んでたけど、ボク、お腹イタくなったし……。
「あっ! 紐忘れた!」
柵の向こうにポリタンクを投げないと、お水くめないのに……どうしよう。
足、とどかいないしなぁ…………そっか!
飛べばいいんだ!
「あったまいいなぁ、ボクぅ」
上着をめくっておへそのところに巻いたベルトをスイッチONすると体が浮いた。
やっぱりホバーベルトは気持ちがいい。
ん?
むん。
むむむむん。
「くっさっ!」
向こう岸から、すっごく臭い風がふいてきた。
いろんな臭いが混ざってて、臭っ!
「いたい!」
鼻を抑えようとしたらポリタンクが顔にぶつかった。
もぅ! 気持ちよく飛んでたのにぃ!
向こう岸を睨むとゴミの“お山”がみえた。
あのゴミ捨て場のせいか! もう!
「………ぇ」
「むん?」
「……い……でっぇぇぇ」
ゴミ山の方に誰かいる!
「いでぇぇぇぇぇぇぇ」
よくみると、お山のうえに誰かが倒れている!
「たいへんだ!」
ホバーベルトを一瞬OFFにした反動で体を反転させて、ゴミのお山の方へ頭をむけて、スイッチをONに戻した。

「………」
「……………」
「……………………」
「……………………………」
指を震わせるほど激した豊川が、再び黙りこみじっとこちらをみつめていた。
「………」
「……………」
「……………………」
「……………………………」
「…………………………………あ、あの」
またこちらから話しかけてしまった。
「はい」
「そ、その、サインが欲しいということは大変よく理解できましたが、まだ開店前なので……」
午前中に仕込みを終わらせて、夜の営業に備えて休まなきゃいけないんだ。このまま居座られたら睡眠時間がなくなっちゃう。
「いいえ、待たせていただきます」
……どちらかというとこちら側に選択権があると思うんだけど。
「………」
「……………」
「……………………」
「……………………………」
再び沈黙。
豊川とチーチャンの作品のレプリカが、責めるように並んでこっちを向いている。
だ、誰か助けてよっ!

トックトックから公園まで歩いてみることにした。この街についてからバタバタしていたせいで忘れかけていたけど、ダンス大会に向けて体力をつけなければいけない。
ちょっとした距離でも徒歩で移動することでそれは明日への糧になるはずだし、バス代を節約し棚田さんから預かったお金を少しでも多く手元に残したい。
太陽が昇るころ、街は眠りにつくのだろうか、昨夜のギラギラした雰囲気は鳴りを潜め少しだけ健全で普通の街にみえる。
『ハルキ、ここよ』
misaからの脳内音声ダイレクトとともに視野内に“臨空第七中央公園”という案内が流れてきた。思ったよりも早かった。
「だいぶ、大きな公園だね」
公園の入口から眺める限り住宅街にあるレベルの広さではなさそうなのがわかる。
見渡す先のほうまで三叉路にわかれた遊歩道がつづき、林のように木々が並んでいた。
「ねえ、misa。PARKどこで売ってるか調べられる?」
『わかんないわ』
アシスタントプログラムは質問への回答をあっさり放棄した。
「やっ、調べてもいないでしょ、いま」
『PARKってタバコ自体、データが見つからない。そんなもの調べるだけムダ』
うすうす気になってはいたが、misaすら探せないタバコというものは、果たして実在するのか。
……もしかすると、これは新人の忠誠心を試すテスト……。
どこかでスパイドローンが撮影してる姿を、いまごろ棚田さんやコージさんが大笑いしながら観ていたりするのではないか。
疑心暗鬼に陥りあたりを入念にみわたすが、それらしき物体はない。園内の奥へ続く遊歩道の先に鬱蒼とした木々が揺れるだけ。
『とにかく行ってみたら? この奥に広場あるみたいだし。そこで誰かいたら聞いてみなさい』
「だ、誰かに聞くの?」
見ず知らずの人にそんな怪しげなタバコのことを聞いたら変なやつだと思われてしまう。
しかし、おつかいを敢行しなければタバコ代の着服もできない。現金を手にいれる貴重なチャンスをふいにするわけにはいかない……。
進むしかないのか。
陰惨な雰囲気と湿気を含んだ朝の林を進むと、ジメッとした空気が体中から汗を誘った。

お山のてっぺんが近づいてきた。
やっぱり! 人がいる!
頭がツルンツルンに禿げた男の人が苦しそうに右足をおさえてモガモガしてる!
「むむむむん。トォッ!」
近くに着ち──
んぐぐぐぐぐっ!!
「い、だいぃぃぃぃぃ」
ボ、ボクのあ、左足がぁ、ピンってのびて、も、戻らない!
「いでで、お、おい、オメぇ、だい、大丈夫か……」
「は、はい、そ、そちらは、だ、大丈夫ですか?」
「お、オラ……あ、足が痙っちまって……」
「ボ、ボクもですぅ……」
「ど、どっちの足だ……」
「ひ、左ですっ……」
「お、オラぁ、右足……だ…いでででで」
「ど、どうしましょ……ぅ……」
「ど、どうするって……お、おい、オメェこっち側に足、出せ」
「ど、どうして……」
「オラの足と、オメェの足を……お、押しあいっこして……筋肉のばすん……だ……」
「は、は、はぃ……」
ツルツルのおじさんの方に足を向ける。
「いだいよぉ」
向こう側から右足が伸びてきた。
足の裏がくっついた。
「い、いいかオメェの左あし、こっちに押せ! オラぁこっちから押す!」
「は、はいぃぃ」
「い、いくぞ」
ハゲたおじさんの足がボクの左あしをグググと押してきた。
「オラの足の裏にピタッと合わせて来い、いでででで」
「うぐうぅんこ、こうですか?」
おじさんの土踏まずとボクの土踏まずがピタッと合わさった気がした。
「そ、そうだ! そのままぐぐっと来い!」
「うぐん、いだぃよぉぉぉぉ」
ボクが押すとおじさんも一生懸命に足を伸ばしてきた。

『待って……なにか聞こえる』
misaの音声に立ち止まり耳を澄ますと、林の奥から空気が漏れるような音がした。
スゥォォォォォ…。
な、なんだ? この音。
体の表面にへばりつく汗に別種の汗がまじる。
音の方へ近づくとポンっと視界が開けた。
中央にポツンと人影。
「あ、あれは……」
降り注ぐ太陽を乱反射するあの黒髪。まちがいない。トックトックの前で出会った男。
「スゥォォォォォ……」
眼を閉じたまま不気味な呼吸を漏らす。
音の正体はこれか。
「フンッ」
パークさんが両手を前につきだす。
指先が何かを摘まむような鋭角な形に固く握られている。
「クゥオォォォォオオ」
両腕の筋肉が、張り詰めていく。
使い込まれた革のような風合いで黒光りする。
……な、なにが始まるんだ。
「ハァァァ…ッ……」
暴れだす魔物を抱きかかえるように、腕が縮む。奇妙な息づかいが広場を席巻していた。
「スゥゥゥゥ……ヌン! あっぁぁっぁあ!」
右手が突き出て、スグに引っ込む。
「あぁあぁぁっあ!」
続いて左手がかなりの速度で突き出てきた。
「あぁあぁぁっあ!」
左右の腕が交互に突き出される。
しゃ、シャドーボクシング……!?
「せぇぇぇぇぇぇい」
今度は、地面に向かって、パンチのような動作を繰り返しはじめた。
「シュ、シュシュシュ」
鋭い息づかいに変わった。
「シュシュシュシュ」
上半身が折り曲がるように地面へと近づいたとおもった途端、一気に上体が反り返り両手が天へ向かって弾けた。
弓反りにしなる身体。
「今日も晴天、ありがとうございます!」
広場の真ん中でひとり叫んでいた。
みてはいけない儀式を覗いてしまったようだ。
とっさに踵を返──
「お! 棚田のところの若えの!」
おもわず前のめりに転びそうになるくらい、背中に圧のかかる音量だった。
「なんだよ。おい返事しろ」
ゆっくり振り返ると、パークさんは火のついたタバコを前歯に収めていた。
「あ、あ、お、おはようございます」
「オメェこんなとこでなにしてんだ?」
「い、いや……パークさんこそ……なにをなさっていらっしゃったんでしょうか……」
「ん? あ? なにが?」
「い、いえ、いや、な、なんでもないです」
「おかしなヤツだなオメェ、用もねえのにこの辺うろうろしてよぉ」
「あ、あの……いや……ちょ、ちょっとPARKというタバコを探してまして……」
「おっ! PARK買いにきたのか!? そりゃありがてえな!」
「ご、ごぞんじなんですか?」
「あたりめぇだろ! ついてこい!」
パークさんは汗をぬぐいつつ広場の奥の小高い丘を登りはじめた。
つ、ついていくべきなのだろうか……。

「ああ゛ぁ今日のは、やばかったわぁ。この一年でいちばんの衝撃だったわぁ」
「ぼ、ボクは久しぶりでした!」
「まさか、助けに来てくれたヤツが足痙るとは思わなかったけどな!」
おじさんはゴミの山に座りなおしてくしゃくしゃのタバコをとりだした。
「むん!」
タバコの先が茶色!
「だ、だめです! シケモクです!」
「ん? ああ? これがうめえんだぁ」
止めようとしたけど、ツルツルのおじさんは、シケモクに火をつけちゃった。
「いやぁ、まぁ、なんにしても助かったわぁ。右脚つっちまうと手が届かねえんだわぁ、オラぁ」
「よかったですぅ」
「こないだなんてよぉ、なんとか右脚掴もうとしてムリしたもんだから、右の脇腹と左肩までつっちまってよぉ」
そういいながらくしゃくしゃの笑顔でボクのほうに向かって煙をはいた。
「なにか礼でもしねえとなぁ……」
「お礼はいりません! ボク、元ヒーローですから!」
「ヒーロー? ふぅん。おめえ名前は?」
「ボク、まもるです!」
「まもるかぁ。オラぁ、ツルだ」
「あ、頭がツルツルだからですか?」
「そりゃあ結果論だ。昔はふっさふさだった」
ツルさんがおでこから頭のてっぺんまでツルリンと手の平でなでた。
「じゃあなんでツルさんなんですか?」
「どいつもこいつもよ、他人様の城を掃き溜め、掃き溜めって呼びやがるからよぉ」
みわたしてみると、ゴミの山だった。
「頭にきたらか、自分でツルって名乗ることにしたんだわ」
「うむん? ど、どうしてですか?」
「昔っからいうだろ? “掃き溜めにツル”ってよぉヌッッハハハ」
大きな口を開けて笑った。
「ところで、オマエ、新入りか?」
「はい! パークさんの家に住んでます!」
「パーク? ハッ、やめとけやめとけ、あんな守銭奴しゅせんど
「シュセンドってなんですか?」
「金にがめついやつってことだよ。アイツぁ、向こう岸の公園連中からうまいこと搾取しやがってんだからよ……なあ、まもる、せっかくだからこの山から好きなもの持ってけよ。せめてもの礼だからさ」
どこをみてもゴミしかないから、なにもいらないと思う。
「こ、今度にします。ボク、お水汲んで戻らないといけないんです!」
「そうか、じゃあまた遊びに来いよ、な!」
「わかりました!」
川のほうに頭を向けて、地面を蹴りながらホバーベルトをONにする。
ちらっと振り返るってみると、ツルさんが手を振っていた。

丘を登りきったところには、目に痛いくらい光をはじき返す青い物体が待ち構えていた。
テカテカとしたビニール製のシートと巧みに絡み合うロープ。
周辺の木々にガッチリと固定されたその異物は自然とはあきらかに調和しない存在でありながら己の正当性を主張する図々しい佇まいで、“テコでも動かねえぞ”という強固な姿勢を感じさせた。
「PARKどんくらい欲しいんだ?」
シートの前に立ちパークが尋ねてくる。
「は、はい、2カートン……ください」
「ツ、ツーカートン!? さっすが棚田んトコだなぁ! そしたら、悪りぃ。ちょっとばかし在庫がたりねえから、上がってまっててくれるか? スグ用意すっからよぉ!」
ブルーシートがはらりとめくりあげられた。
「つ、つくる? てか、は、入る?」
こ、この魔境のような場所へ?
「おう! 入れ入れ。遠慮すんな! おおい、まもる! ……なんだぁまだ戻ってねえのか?」
「ま、まもるさん。こ、こちらのお宅でご厄介になっていたんですか……」
「おう。chibusaさんに頼まれたんだからな。中途半端なこたぁできねだろ。オレが鍛えていっちょめぇの職人にしてやる」
シートの内部が見えた。
青々とした空間のいちばん奥に敷かれている布団。その場所を起点に周囲には、積み重なったプラスチックの衣装ケース、大小の酒瓶と正体不明のトロフィーが並ぶ上半分だけの和箪笥、みたこともない大きさのテレビ、その他およそ現役で動いているとは思えない家電製品の数々が互いに主張しあい生活の臭いを醸しだしていた。
「座れ! ここ、まもるの布団だから」
パークさんが上がり間口のダンボールを指さした。ちょうど、まもるさんの背丈くらいの面積がへこんでいる。
こ、これが、まもるさんの寝床。
「さっさと入れって。あんまり開けとくと、湿度が変わっちまう」
湿度のコントロール、できているのか?
「お、おじゃまします……」
「靴はぬげよ」
奥の布団の上に陣取ったパークさんは、タバコに火を点け前歯へ挟む。
「そ、そういえば、まもるさんは……?」
「あぁ、川で水汲みだ」
「川で、み、水汲み?」
む、昔話の出だしのようじゃないか。
「のむか? うめぞ!」
パークさんがにんまりしながら、テーブル、と思わしき、湾曲したベニヤ板の上へ把手のついたペットボトルを置いた。
「な、なんすかこれ」
黒ずんだペットボトルの中は、大小様々な“何か”が浮き沈みする茶色の液体で満たされている。
「ロッカだ」
「ろ、ロッカ!?」
「純粋な川の水を濾過して丁寧に蒸留した酒だ。たまんねえぞぉ。ストレートでもいけっから、水くるまでストレートで行けよ」
「あ、い、いや、自分、仕事中なんで」
「オメェ、マジメだな」
「そ、それよりも、PARKの方を……」
店に戻るのも気が重たいが、この家に滞在する時間はどう考えても短い方がよさそうだ。
「おっ、そうかそうだな! ちょっと待ってろ。いまから詰めてやっからよぉ」
「つ、詰める?」
パークが大きなプラスチックケースから小さなタッパーのようなものを取り出した。タッパーには、白くて細長い物体がぎっしり詰まっていた。
「そ、それは……」
白い物体に目を奪われていると、背後からチャップンチャップンという奇妙な音が聞こえた。
「ただいま戻りましたぁ!」
脳天気な声がシートの向こうから聞こえ、シートがめくりあがった。
「お水で、ん! は、ハルノキくん!?」
まもるさんが白いポリタンクを右手にぶら下げて突っ立ている。
「どうしてここにいるの!?」
「い、いや、ちょっと買い物に」
「ふ、ふ、ふんだっ!」
まもるさんが、頬を膨らませ、パークさんの方へ顔を向けた。
「パークさん! お水汲んできました!」
「遅かったじゃねえかよ。どこでタバコふかしてやがった!」
「ご、ごめんなさい、川の向こうで人が倒れてて、あの、ツルさんという人です!」
「ツルぅ? ああ、ゴミ山のてっぺんだろ? どうせ足、痙ってもがいてたんだろ?」
「ど、どうしてわかるんですか!?」
「アイツぁ、ちょくちょく足痙ったぁぁって、うるせえヤツだかんな。掃き溜めのツル、頭ツルツル、足もよく痙るつってな。ブハハハハハハ」
豪快にパークさんが笑う。
「そうなんですか」
「んなことより、オメェ、大口の注文が入ったから、ぼさっとしてねぇで箱詰め手伝え!」
「箱詰め?」
「おう! PARK、ツーカートンだぞ」
煙が目に染みたのか、パークさんが一瞬顔をしかめながら体勢を変え、手に持っていたタッパーの蓋を開け中を覗き込む。
「よぉし、イイ頃合いだ」
透明な蓋の裏側に張り付いた黒い物体をみつめ、小さく頷く。
「そ、それはなんですか!」
まもるさんが押しのけるように前にでてきた。
うっとおしいな、この人。
「湿度計もしらねえのか? PARKの品質はコイツがガッチリ守ってんだぞぉ」
我が子を抱く親のような表情でみつめる黒い物体はプラスチック製の円盤で側面にはひび割れをふさぐためだろうか、乱暴にガムテープが貼られている。
「まもる。紙片」
「122ミリの94ミリです!」
まもるさんが姿勢を正して叫んだ。
「サイズじゃねえ! 紙片、切り出せ!」
「え、はい!」
まもるさんは、瞬時にテーブルに突っ伏すようにして身をかがめた。
「な、なにしてんすか、まもるさん」
「ひ、秘密だよ! ハルノキくんはみちゃだめだよ!」
クラスの女子か!
お弁当を隠すような格好で睨んでくる。
「まもるさん、もしかして……怒ってます?」
「ふ、ふんだっ! 怒ってなんかないもん!」
「いや、お、怒ってますよね」
「だ、だって、怖いお兄さんに囲まれてるボクのこと見捨てたじゃないか!」
「あ、あれは、だって」
あんな公衆の面前で恥ずかしかったから……。
「で、でも、まもるさん。借金取りの動画、どうしたんですか?」
平然としているところをみると視界に入っていなそうだが、一体どうやって。
「パークさんに止めてもらった!」
「と、とめるって、しゃっくりじゃないんですから」
「し、知らないよハルノキくんなんて!」
「まもる、手とめてんじゃねえ! 外箱も大事な商品だぞ!」
「は、はい!」
手元を覗き込むとグローブみたいな手で器用に白い紙を長方形に切っていく。手つきが妙にこなれていた。
「切りました!」
「貸せ」
パークさんが手を伸ばす。
まもるさんがうやうやしく差しだした紙の切れっ端を受け取り、鑑定士のような表情で紙を光に透かして睨む。
「よし」
「ありがとうございます!」
深々と一礼するまもるさんを尻目に、パークさんはタッパーから白い筒を次々と取り出していく。1、2、3、4、5、6……………ムダのない動きで紙の上に筒を並べていく。その数は20本……も、もしかして……。
「せぇい!」
こちらの思考を振り払うかのような速度で、パークさんが紙を左右から折り込んだ。白い筒が10本ずつ重なり整列した直後、さらに織り込まれた紙に包まれ視界から消えた。
流れるような動作で、縦長に包まれた紙の上下が中へ折り込まれる。上等な和菓子を包むように気品に溢れた手つき。
「ガムテ」
「はいぃ!」
まもるさんが、太いガムテープを差し出す。「この太ってぇのは自家用! もったいねえだろ! 外箱はそっちの細せぇガムテ!」
パークの大声にあわせ前歯のタバコはせわしなく上下する。
「は、はいぃぃぃ」
「少しの油断とコストが大損のはじまりだ!」
「すみません!」
まもるさんがせかせかと差しだした細いガムテープがパークさんの手に渡ると、まるでプレゼントのリボンがほどけるようにスルスルとテープが伸び、パチっと切れ目が入り、ロールからテープが離れた。切り離されたテープがテーブルのヘリに貼り付けられる。もう片方は指で摘ままれる。
テーブルから伸びる45度の三角形の下へ紙の包みが差し込まれ、上からテープが降りていく。
合わせ目がテープで固定され、包みが裏返されると、真っ白なキャンバスのようにピンと張った白い面が表に現れた。
「せっ!」
テープの端を上下に折り返されて貼り付けられた。そこには、白い立方体へと変化した“紙”。
「ロゴ入れ」
「はい。お願いいたします」
まもるさんが、さっきよりもさらに丁重に両手を添え黒いマジックを差し出した。
「うぅぅん!」
マジックを受けとったパークは、唸るように咳払いして箱を睨みつける。
「せっせっっっせっ!」
キュッキュッと体育館でバスケをするときのような音が水色の空間に奏でられる。
箱の真ん中に“PARK”と殴り書きの文字。
「せぇぇ、っせ!」
さらに丸で囲まれた“P”の文字。
「よぉしよぉし! うぬんうぬぬぬん!」
ガムテープの切れ端のうえに寝そべった猫。
「よし! PARKだ!」
テーブルの上に現れたのは、た、タバコ……。
い、いや、うそだろ?
で、でも、確かに箱には“PARK”とかかれている。黒々と荒々しい文字で堂々と。
「こ、これが、ぱ、PARK」
「紛れもねえ、PARKだ。今回の仕入れ分は上物だぞ」
し、仕入れって……昨夜、この人が灰皿を覗き込んでいた姿が脳内をかすめた。このタバコは……もしかして、ひ、拾った、タバコ……。
「あと何箱か詰めればツーカートン分つくれっから、ちょっと待っててくれよな」
「は、はい……」
「よしよし」
満足げに頷きながらパークさんは自分の布団の上に戻りまたタッパーからタバコを取り出し、箱詰め作業に戻っていった。

「………」
「……………」
「……………………」
「……………………………」
「…………………………………あ、あの」
また話しかけてしまった!
何度目のミステイク!!
「はい?」
「そ、そのぉ、開店までまだ……」
「待ちます」
──このままじゃ無限ループだ! なにか糸口をつかんでコミュニケーション取らなきゃ……。
「な、なにか音楽でもかけましょうか?」
「音楽ですか?」
「む、無音じゃ、話にくいじゃないですか! うち、ディスコなんで」
エアロディスプレイを立体にして“ジュークボックス”型のプレイリストを呼び出す。
「豊川さんは、どんなの聴かれます?」
「ジャンルは狭めず、幅広く嗜む程度に……」
な、なにをかければいいんだ!?
「え、っとぉそれじゃあ……」
プレイリストをスクロールさ──
「でも、いまはあまり音楽などを聴く気分ではございません」
「あ、そ、そ、そんな……」
この無音が続くのは、耐えられない……そうだ、いま、何時だ……?
AM8:29。
よっし!
ちょうど、番組がはじまる時間じゃないか!
「それじゃ、ラジオ、聴きませんか?」
「ラジオですか?」
──8時30分をお知らせします。
返事を待たずジュークボックスをラジオに切り替えると、ちょうど時報がカウントダウンに入っていた。
時報の小気味よい音に続きジングルが流れる。
──トック トック プレェッスッ!──
軽快なジングルを引き継ぎバリトンボイスが語りだす。
──ようよう。ラジオの前の小僧ども。おめえらは早起きか? それとも夜更かしか? オレは今日も夜更かしだ………ナンプラーのトックトックプレス!──
「ずいぶん、ハスキーなお声のパーソナリティでいらっしゃいますね」
「この街の情報番組をやってるウチの従業員です。選曲もなかなかイイんですよ」
──突然だがな、今日のナンプラはちょっぴりセンチな気分でな……こいつぁ……恋って、ヤツかもしれねぇ──
「恋。ですか」
「い、いや、早く、きょ、曲」
──オレぁ驚いた。いつもバイトしてるサウナに今朝は活きのイイお嬢ちゃんがいた──
「この方はアルバイトもなさってるんですね」
「ほ、本職はあくまでもウチの従業員なんで」
公共の電波で50過ぎのおっさんが恋話はじめてんじゃないよ! 早く! 曲ぅ!
──男のサウナに水着だぜ? その勢いにオレはノックアウトだ。しかもな、大の男が音を上げるロウリュの熱波を平然とおかわりしやがる──
ホットトックプレイスの話はもうい……まって……あそこに泊まってる女性客って……チーちゃ……ん……?
ま、まずい!
咄嗟にチャンネルを変えようと手を伸ばすと。
「お待ちください」
豊川が強固な手つきで手首をつかんできた。
「サウナに飛び込んでいく女性。美しいじゃないですか……」
豊川が背筋を伸ばし、サングラスを直す。
「もう少しこの方の話を聞かせてください」
悟りの境地で判決を待つ被告人のような声。
「どんな女性なんだい。ナンプラさん」
豊川がジュークボックスに向かって語りかけている。
まずい。名前が流れたら……。
──続きは最初の曲の後だ……こいつはその人に捧げてぇ。わりいな小僧ども。まあ黙って一緒に聴いてくれ。ミルクリーム☆エモーション──
ナンプラーの渋い声の余韻をかき消すように、ラジオから甘い曲調のイントロが流れだした。
「……ひっぱりますね……」
豊川がソファの上に正座しはじめた。
「棚田さんは、答えをご存じなんですか」
「い、いや、わたくしの所に報告は……」
無くても、わかる!
ナンプラ! どうするんだよぉ! この人、さらに居座っちゃうじゃん!
「……この甘い曲の気恥ずかしさ、いいですね。パーソナリティの恋心が伝わってくるような趣があります」
よりによって、甘ったるいラブソングなんて流してんじゃないよ! なにが、ミルクリームエモーションだ!
こんな、ベタベタな歌詞、アニメやゲームの曲みたいなのをかけるな……んて……。
「あ……」
思わず声を出してしまった。
「どうかされましたか?」
豊川がハンカチを拾い上げた紳士のような表情で覗き込んできた。
「いえ、なんでもございません! ちょ、ちょっと違う番組も聴いてみません……か」
「待ってください。僕は、サウナに飛び込む勇ましい女性の正体を突き止めなければいけません。それは宿命です。それからこの曲、ミルクリームエモ……」
豊川が空中を撫でた。
検索だ!
ダメだ!
「え、ええっと、こ、この曲、おもいだしましたよ! ゲームで使われてた曲ですよね」
「ゲーム?」
「は、はい。知りませんか? DOS×KOIドスコイっていう実話が元になったリズムゲームで、あ、あんまり面白くなかったんですよね」
「僕、ゲームしませんので」
「そうですよね! 豊川さんはやっぱりもっとハードな趣味の方が似合いますもんねぇ」
「そうですね。ハードSMくらいハードでなけれグっときませんね。このところは」
「そうですよね、ハハハハ。じゃあ、番組、変えましょう!」
もうすぐ曲が終わってしまう。
早く変え──
──聴いてもらったのは、ミルクリームエモーション──
なんでこのタイミングで戻ってくるの! ナンプラ!
──今朝、サウナにいた彼女こそ、今をときめく世界のchibusa! そのchibusaが女性キャラの監修したゲームのメインテーマだ──
「……!!」
豊川が背筋を伸ばした。
「な、な、な、なんだって……」
背筋を伸ばしすぎてソファの上でブリッジしている。
「ぼ、僕、僕、知らない……」
「あ、あの、豊川さ……ん」
「僕が知らない。ち、chibusaさんがゲームの監修……み、見落としていたのか……う、うそだ……」
セミの死骸のように仰向けに転がった豊川にナンプラの声が追い討つように降り注ぐ。
──いまの小僧どもは知らねえかもしれねえが、この曲が使われたゲーム、DOS×KOIに当時の小僧どもは群がった。オレもそのひとり──
もうやめて、お願い。ていうか、ナンプラその頃もう、ウチで働いてたよね!? 小僧じゃないよねぇ?
──夢中だったよな。寝ても覚めてもDOS×KOIのことばかり。仕事も手に着かねぇ。さすがにマジいなと思ってオレはある日DOS×KOIと決別した──
当たり前でしょ!
──それから風の噂でDOS×KOIの配信が終わったって聞いたとき、オレの青春も終わった……でもなぁ、今日よ本物のchibusaさんに出会って調べてみたらよ……なんと、DOS×KOIの復刻配信がはじまってたんだよな──
豊川が無言でもの凄い勢いで起き上がった。
そのままひとことも発せず、引っ掻き回すようにメチャクチャに空中に手を走らせた。
──すげえよなこれって、運命だよな──
ディスティニーじゃなくて責任感じてよぉ。
──おっと、だがな、さっそくプレイしようとしてる小僧がいそうだからいっておくが、復刻版じゃミルクリームエモーションはオープニング主題歌でしか流れねえぞ。ミルクリームエモーションが使われてた本来のストーリーはベータ版で削除されちまったからな──
豊川の方からミシッと音がした。
頬が、奥歯のあたりが割れてしまうように張りつめている。
「う、うぐぅぅ」
さっきまで青白かった肌がみるみる紅潮していく。両手がチーチャンの作品レプリカに伸びた。両肩を掴むような格好で豊川が震えだした。
「うぅぐぐ、ち、chibusaさんの……こと、僕が知らないこと……あるなんて……」
さっきよりも震えは細かいが、全身が波打つように揺れている。
「と、豊川さん、お、落ち着きましょう!」
──くやしいか? 小僧ども。でも、安心しろ。ベータ版のころだって、誰もこの曲をちゃんと聴けたヤツなんていねえんだ。ミルクリームエモーションのストーリーは世界中で誰1人クリアできなかったんだからな──

次回 2019年05月24日掲載予定
『 続 トックトックプレス 』





「ちょっとちょっとぉ、兄ちゃん! ダメだよぉ、その車で高速のっちゃぁ」
料金所の入口脇にある小さな小屋から中年の男が飛び出してきた。
高速道路の入口に人間が勤務しているのか!?
男は一直線にこちらへ駆けより、軽トラの窓枠にぶら下がるように取り付き、車内へ顔を差し込んできた。
昨夜の夕食は、餃子だろうか……。
「兄ちゃん、高速のろうとしてるでしょぉ?」
古めかしい警備員のような制服をきた男は、頬が赤らみずんぐりとした顔をしていた。
「だ、ダメすか?」
「その車、手動運転しかついてないでしょぉ」
「は、はい」
「自動運転ついてなきゃだめでしょぉ。知らないわけないでしょぉ、免許持ってんでしょぉ?」
持っている。“自動限定”なら。
「いや……、ちょ、ちょっと急いでるんで」
命にかかわることなんだ。
取り立てが1日滞るたびイナサクさんからどんな仕打ちが待っているか見当がつない。
「そりゃ時間ありあまってる人なんていないでしょぉ。だげっど、ここは“自動運転自動車”専用なんだわぁ。わりんだけど一般道使ってくんさい」
「いや、ムリっす」
男の顔が曇った。
悪いなと一瞬思ったけど、折れるわけにはいかない。一般道を迂回したら臨空第七都市しちりんまでどれくらいかかるかわからない。そんな悠長なことはできないんだ。
「ムリつってもよぉ……だいたい兄ちゃんなんでそんな若えのに自動運転ついてねえ車乗り回してんだ? あれかいサーキットとかいくんか?」
「いや、村じゃこれが普通なんで」
竜良村では、軽トラを運転できないヤツはバカにされる。“ハンドル握って、アクセル踏んでなんぼ”の世界なんだ。
「とにかくよぉこれ以上、揉めっちゃうとぉセキュリティ・ポリシーに連絡せねばなんねぇんだぁ。オレもそれはしたくねえから、こらえてくんねぇかぁ?」
男の太い眉毛が情けなく垂れ下がる。またしても心がうごいた……しかし、イナサクさんの恐怖には抗いがたい。
「頼むよぉ、もうすぐ夜勤開けんだぁ、今日は、ちょっと用事あっからオレも残業したくねぇんだぁ。やっと、やっとマミコちゃんの予約とれたんだぁキャンセルしたくねぇんだぁ」
誰だ、そのマミコちゃんというのは、どこかの店の子か? オマエの遊びの予定なんて……いや、まて……、この辺境の場所に夜勤をしている男にとってはその店に通うのは唯一の楽しみなのではないか……。もし、ここでセキュリティ・ポリシーを呼ぶ事態に発展した場合、聴取の時間をこの男にも強いることになる。そうなれば男は残業確定。おそらく勤務終了後すぐに向かおうとしていた店の予約時間には間に合わない。そうなった場合、この男の気持ちは……初対面の利用客にまで予約の事実を話したところをみると相当に楽しみにしていた予定を……キャンセルせざるをえない男の気持ちは……だめだ……オレは恐怖にかまけて……なにか大切なことを忘れようとしていたんじゃないか。
うなだれるように頭をさげたままの男の頭頂部をみつめていると急に鼻柱の奥にツンとした感触が沸き上がってきた。
「わかりました……すんませんした」
軽トラのギアを「R」へ入れた。
車体のバックを知らせる規則正しい音が鳴る。
「ありがとぉ、ありがとぉな兄ちゃん」
「いや、ムリいってすんませんでした……あ、あの……そのかわり……」
「な、なんだい!?」
「マミコちゃんと、その……楽しんで」
「……あ……あははは、あんがとぉ! 兄ちゃん、あんがとぉなぁ!」
そういって笑った男の顔が嬉しそうで、なぜか両目から涙が溢れた。
世の中捨てたもんじゃない。
まもるさんからきっちり取り立ててもっとこの世界を楽しもう。
車体を180度旋回しアクセルを踏み、一般道へ引き返した。


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