河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第97話『 ハッピーストライク02 』

「こ、これはっぁ……殺人事件でっぇす!」
エアロディスプレイに、溶液が満ちた半円ドーム型のカプセルが映った。
カプセル正面に備え付けられた丸いのぞき窓から豊川の姿がみえた途端、コージくんはソファから床へ転げ落ちた。
「ちょっと、人聞きの悪いこといわないでくれるかな?」
「でもっぉ! 水の中に沈んでいまぁっす!」
「よくみて。酸素マスクついてるじゃない」
豊川の口元にあてがった酸素マスクからボコボコっと気泡が漏れ、サングラスをかすめてカプセル上部へのぼっていく。
彼の伸びきった黒髪がもずくのようにゆれた。
「え、い、いやっっぁ、で、でもっぉ!」
面倒くさいなぁ。でも、これ以上騒がれるのはもっと面倒か……。
今日は金曜日、週末の夜に備えて一刻も早く睡眠をとりたい。
「コージくん、TMRのこと知らなかった?」
「し、知らないでっぇす!」
「なら、説明しちゃってもいいかな……」
コージくんは、ゴクリと唾を飲み込んだ。

右脇にモストエクストラブリタニカルライターを抱え下りエスカレーターへ乗り込むと、右肘周辺に軽い痺れを感じた。
この重さ、たまらない。魔王の城から王家の宝を取り戻して凱旋する勇者にでもなった気分だ。
『ねっハルキ』
普段なら不安を煽るmisaの突発的な脳内音声ダイレクトも心なしか弾んで聞こえる。
『ずいぶん、ゴキゲンねぇ』
圧倒的存在感と、至高の音色を奏でるライターに出会えた。これで気分が高揚しないほうがおかしいではないか。
『アタシ、ライターの開閉音について少し調べてみたんだけど、いまのハルキと正反対ね』
正反対? なにが?
『“ヒンジ”って知ってる?』
視野内にオイルライター側面の画像が表れた。
『ココね、ココ。蓋と胴体をつなぐこの部分』
ご丁寧なことに画像のうえには矢印が点滅しながら表示された。どうやらドアの蝶番ちょうつがいのような部品のことを“ヒンジ”というらしい。
それが一体なんだというのか。
『この部分が渋るくらいカッチカチに締まってるとライターの開閉音も大きくなるらしいの、いわゆる“イイ音”ってのを求めてここをキツくしめたりするみたいね』
話がみえない。
『つまりブリタニカルライターはたぶん、ヒンジがカッチカチに締まってるのと思うのワタシ』
全くわからない。
『いけない! もっと分かり易く説明しなきゃ理解できないわよね! アナタの脳みそは、ライターのヒンジと真逆でゆるゆるだもんね』
なっ!?
『ネジが飛んでるっていうか、タガが外れてるっていうか、とにかくぶらんぶらんだもんね!』
ば、バカにしてるのか!
盛大に助走をつけて人間を侮辱してくるとは。
『ムダ使いにも程があると思わない?』
あくまでも諭すような口ぶりが憎らしさを倍増させる。
そもそも、ムダってなんのことだ!?
ブリタニカルのこと!?
『ポケットに入るかなぁ? 入らないよね?』
確かに入らない。
「でも、これくらいインパクトがあるライターなら、むしろ手に持って歩いくべきでしょ?」
思わず現実リアルに怒鳴ってしまった。
『うーん、どこの世界にライターを小脇に抱えて街を歩いている人間がいるの? ハルキ、みたことある?』
「chibusaさんだって、自分が納得したものを選べっていってたじゃないか! それに、なんなのその担任の先生みたいなしゃべりかた!」
『あら? 口調が気に入らなかった? そっか、ごめんね、そんなガラクタを36回払いで買っちゃったから、脳みそに不具合でも出たのかと思って、丁寧に接してたんだけど………チッ…………そのライターに納得してることがそもそも間違ってんだよ! 自分が納得できればそれが個性って思ってんだろ? あの人は世界で活躍するアーティスト。オリジナリティとかアンタみたいな凡人が真似できるわけねーから! つーか、ちょろっと優しくされて乳に触ったくらいで、色めきだってんじゃねーよ! あのレベルの女がオマエのこと相手にするわけねーだろ?』
「な、なんだ! その口の利き方は!」
「もし、そこの、お若いの」
エスカレーターはいつのまにか1階に到着していて降り口の脇に、長い白髪と白髭を蓄え着流し姿の、まるで仙人のような老人がたっていた。
「……は、はい?」
突然、声を掛けられ、ひとりで怒鳴っているような光景をみられた恥ずかしさで汗がでた。
「ブリタニカルが売れたと聞きましてな、お待ちしておったのです。出待ちというヤツですな」
しかし、老人は物腰やわらかくライターに視線を注ぎ、髭を弄びながら朗らかに目を細める。
「若いのに、お目が高いですなぁ」
「そ、そう、ですよね!?」
「良い物ですこれは。大切になされるといい。うん、ありがとう」
それだけ言い残し去って行った。
ホラみろ! わかる人にはわかるんだ!
『なるほどそう来るかぁ。人間てのは、次から次にいろんなパターン考えるわね』
非を認めるかと思いきやmisaは、わけのわからないことをブツブツつぶやきだした。
『どうしようかな、アタシも新しい切り口でかないとだめかな………ハルキ、それじゃあ、アタシが予言してあげる』
予言?
アシスタントプログラムが“予言”という言葉を発する場合、それはきわめて精度の高い、予測を用いる予言、“予測予言”を指す……。い、いままでいちども、misaから予測予言を聞かされたことなんてないのに。
『おそらくこのあとすぐ、ライターを褒めちぎる別の輩があらわれ……』
「おい! 兄ちゃん! ブリタニカルじぇねえかそれ? イカしてんな!」
misaが予言を語り終える前に、物陰からひょっこりあらわれた小太りの中年が話しかけてきた。中年はずかずかと詰め寄りライターに触ってきた。
「いい艶だな! 高かったろ!? おいおい、無視しねえでくれよぉ!」
『無視しなさい』
「かー、オレもいっぺんでいいから持ってみてえな! ブリタニカル! あれだろぉ、良い感じのケース入れて街、練り歩いちまうんだろぉ?」
「け、ケース!?」
『いいから無視しなさい』
「け、ケースが必要なんですか!?」
予測予言の内容は気になったが、男の言い出したことの方が気になった。
ブリタニカルをむき出しで持ち歩くのはダメなのか……?
「こ、このまま小脇に抱えるスタイルでいこうと思うんすけど……」
「おいおい、ライターをそのまま抱えたらおかしいだろうよ。小脇に抱えんなら必要なモノあんだろ?」
「な、なんすか?」
「小脇に抱えるっつたら“セカバ”だろぉ!」
「セ、セカバすか!?」
セカバを小脇に……そ、それは、社会的成功を収めた者にのみ許される、大人の嗜み。
「じ、自分にはまだ……早いですよ……」
「んなこたぁねえよ、ウチの店、来てみろよ! 兄ちゃんくらい若いヤツむけのセカバ、たんまりあんぞ!」
男は親指を突き立てトックトックの奥を指した。この中に店を持っている人なのか。
「うちの店、いこうぜ!」
『ちょ、ちょっと待ちなさい』
男は背中を向けて歩き出す。
これはもしかすると、運命的な出会いなのかもしれない。

「……というわけで、ナンプラの番組に刺激されて豊川この人は店に居座ることになっちゃったんだ」
「だ、だからって、水に沈めるのは、だ、だめでっぇす!」
「あれは、美容液だよ」
「び、美容液っぃ!?」
「短時間で肌のケアができて疲労回復の効果もある」
「な、なんでそんな美容グッズがショルダーパッドにあるんですかっぁ!?」
「TMRはTime is Money Roomタイムイズマネールームの略で、僕が休憩用につかう部屋ブースだよ」
「た、棚田さん、休憩中はあの中に入っているんですかっぁ!?」
「休憩だけじゃなく休みの日にもね」
「わ、わざわざ休みの日にですかっぁ!?」
「“2日感ふつかかん”効果があるからね」
「ふつかかん効果っぁ?」
「ノゾミちゃん。VR内部の映像に切り替えてくれるかな?」
エアロディスプレイの画面が切り替わった。
やっぱり返事はしてくれない。まだイライラしてるんだなノゾミちゃん。
「豊川さんは、美容液に満たされたTMRのカプセル内でVRに完全没入ログインしてる。これが仮想空間あっちの豊川さんの様子……」
エアロディスプレイに映った豊川のアバターは、レオタードコスチュームを身につけひたすら反復横跳びを繰り返していた。
『シュッシュシュシュシュ』
飛び散る汗が、ときおり描写される。
豊川は床に引かれた3本のライン上を横飛びで行き来を繰り返す。
『シュッシュシュシュシュ』
アバターもサングラスをかけているから、目元の表情はわからないけど、食いしばった口元と漏れ出てくる音声から、あの人が真剣に基礎練習を始めてしまったのがわかった。
「みての通り、豊川さんは、ものすごくマジメにダンス練習に励んじゃってる」
「な、なぜVRで練習してるんですかっぁ!?」
「TMRの中は特殊な環境になっていて、現実世界の時間を倍増することができる。時間の増幅倍率は最大で10倍。つまり1日で10日の時間を過ごすことが可能」
「ほ、本当ですかっぁ!? わ、わたくしも入りたいでっぇす!」
「ウソに決まってるじゃない」
「えっぇっ?」
「ダンス大会まで集中的に練習をするため、時間を最大限に引き延ばしましょう。という説明をして豊川さんをあの中へ入れたんだ」
「そ、そんなのスグにバレまっぁす!」
「まだ、ぜんぜんバレてないよ……ホラ」
反復横跳びを続ける豊川は、ときおり腰にひねりを入れたり、両腕をパタパタ開閉したり、上半身の動きにアレンジを加えている。
「まだまだノリノリだから、しばらくはバレないと思うんだ」

テーテテー テーテテー テーテーテーテー

「な、なんですかっぁ? この音はっぁ?」
「そろそろ夕方だね」
視野内にもアラームが表示されていた。
「ま、まだお昼前でっぇす!」
「あっ“豊川時間”の話だよ。ノゾミちゃん。そろそろ、お願い」
返事はなないけど、ノゾミちゃんはカウンターに放り出してあったリモコンを手に取りジョグダイヤルを捻った。VR内部に描かれた『スタジオ』の背後にある大きな窓に夕暮れの光がフェードインしてきた。
「こうやって中の景色を切り替えて体感時間を早めているんだ」
「で、でもっぉ、気分だけ味わっても意味がないと思いまっぁす!」
「もちろん、ダンスの実力を磨くためにはなんの意味もない。ただ気分だけでも時間を長く過ごすことには意味があると思うけどね」
「た、棚田さんはっぁ、この中で何をしているんですかっぁ?」
「なにもしないよ、ただ普通に過ごすだけ。僕は、なかなかまとまった休みが取れないからね。TMRで1日分、現実で半日を、過ごせば合計2日間の連休がとれたような気分を味わえる。これが“2日感”効果だよ。試しにコージくんも、次の休みに早起きして行動してごらん」
「は、早起きですかっぁ?」
「早起きして午前中めいっぱい活動するんだ。そのあと、午後に駆けて1度本気で昼寝すると、1日で2日過ごした気分になれる。2日感効果を実感できるはず……いや、いまはそんなことどうでもいいんだ。それよりも問題なのは、豊川さんの世話を誰がするかということなんだ」
「えっ? ノゾミさんがするのではないんですかっぁ!?」
ノゾミちゃんのこめかみがピクリと動いた。
「ノゾミちゃんは店があるから頼めないよ。いまは臨時で操作してくれてただけなんだ」
「で、でわっぁ誰がっぁ?」
「豊川さんの世話をコージくんにお願いしようと思ってるんだけど」
「わ、わたくしですかっぁ?」
「うん。ちょっと大変かもしれないけど、ほらこれから、TMRをお客様向けにサービスとして売り出しすかもしれないじゃない? そうなったら、ここでの経験はコージくんにとっても大きなプラスになると思うよ」
「は、はっぁ……。な、なにをすればいいんですかっぁ」
「アラームに合わせて映像を切り替えるのが主な仕事だよ。ただ、豊川さんが気まぐれで倍率を変えるかもしれないから、そこは注意する必要があるけど」
「それだけですかっぁ?」
「それから、まあたまーに美容液の交換とかする必要はあるかなぁ」
「……そ、そういえばっぁ、トイレはどうなっているんですかっぁ?」
「うん。美容液が全部吸収してくれる」
「そ、それはっぁ! 美容液を交換するということはっぁ! つまりっぃ!」
「大丈夫だよ。キレイに分解されてるから」
「い、いやでっぇす!」
「そんなこといったって、ナンプラの番組にでてたコージくんの責任もあるんだよ?」
「ひどいでっぇす! 棚田さっぁん!」
コージくんがテーブルにもたれかかるようにしてせりだしてきた。
「失礼しまーす。Lounge310からのサービスでーす」
ノゾミちゃんがコージくんの顔面を遮るように背の高いタンブラーを鼻先に叩きつけた。
「っぇ!」
TMRのカプセルを満たす液体と同じ色のメロンソーダ。その中で、真っ赤なアメリカンチェリーが楊枝で串刺しにされていた……。
さらにグラスの傍らには、バラバラに引きちぎられたアメリカンチェリーが置かれる。
「よかったらどうぞっ!」
コケティッシュでサイコパシーなニュアンスをふんだんちりばめた満面のノゾミスマイル。
「あっ、あっぁ……」
2つのアメリカンチェリーに込められた意味を悟ったのか、コージくんの顔はメロンよりも青ざめていく。
「コージくん。TMRの管理、頼めるかな?」
「は、はっぁい……」
「あれ? いやなの? 無理に頼むのはちょっと悪い気がするんだけど」
「や、やりたいでっぇす! や、やらせてくださっぁい!」

トックトックショッピングモール1階エントランスは午後に向かってどんどんテンションが高まっていた。いつのまにか特設のステージが設置されピエロやダンサーがショーをしている。
周辺のテナントにも客足が途絶えることなく混雑していたけど、男の店には自分以外客の姿が見当たらなかった。
「ほら! ドレープジェケットドレジャケにバッチシ!」
静まりかえった店内に響く男の声に弾かれ、鏡の中の自分をみた。姿見に映る自分の姿は、確かにサマになっている。
小脇に抱えた黒革のセカバは、輝きを放つ金のファスナーが天口を縁取り、シンプルながらも服の隙間から己の存在を主張してくる“正統派”だ。
「ブリタニカルもビッタシ収まるしよぉ!」
「確かに、そうっすね」
金のファスナーを開けるとブリタニカルのボディが寸分の隙間なく収まっている。
「こいつならもう大手を振ってブリタニカル持ち歩けるぜ!」
「ですね」
「よし! 決まり! 売った!」
男がパンと乾いた音をたて手を叩く。
『待ちなさい!』
misaの声が脳内で響いた。
「ちょいとお待ちなされ」
そして、店の外からも別な声がした。
振り返ると店の入口に、さっきエスカレーターで話しかけてきた老人がたっていた。
「みたところなかなかのセカバですが、色にも気を遣われてみてはいかがですかな」
「い、色?」
「失礼、ワシは隣ので占いの館をやってましてな。風水をベースに独自の運勢学を研究しております。色にもこだわると運気あげられると老婆心ながらに思いましてな」
「色かぁ! さすが先生!」
老人は先生と呼ばれているらしい。
「どうする兄ちゃん? なんかこうどーんと運勢でもあげてみっか?」
運勢? そうか、人智を越えたものに頼ることも必要なのかもしれない。なにせ、このライターを手に入れた理由は……普通に考えれば手の届かないようなあの人のため……。
「れ、恋愛運とか上げられますか……?」
「先生。恋愛運は何色であがりやすか?」
「恋愛運なら……ピンク……」
「ピンク! それなら本革クロコのピンク!」
男は満面の笑みで、けばけばしい原色のピンク色のセカバを取り出してきた。
「ちょ、ちょっとハデすぎませんか?」
「これなら飲み屋のおねーちゃんぞろぞろ寄ってくっぞ!」
の、飲み屋のお姉さんはあまり必要ではないのだが、確かにこのバッグは個性的だけど……。
「あとはなんかねえのか? 兄ちゃん」
「そ、そうっすね……」
考えてみたら、今日だけでかなりの買い物をしている。そうだ金運も上げておいた方がいいかもしれない。
「き、金運とかあげたいっすね」
「そうか、やっぱり金は必要だよな。先生、金運をあげるっつったら……」
「金運なら……首元に金色……ですな」
「首元に金! そりゃこれしかねえな!」
男が即座に極太の金ネックレスを取り出した。
「24KGPケージーピー極太ゴールドチェーンだ! 兄ちゃんの着てるハードドレープジャケットならマストアイテムだろ! 制服みてえなもんだな!」
「ご、極太、金ネックレス……」
思わず、生唾を飲み込んでしまった。
身につけているだけで首元に筋肉がつきそうな重量のある黄金の鎖。あれこそ、ジャケットにベストマッチのアクセサリー。
「このゴールドチェーン、表面が特殊加工されてってからお手入れに専用のカラーペンが必要なんだけどな」
「カラーペン?」
「色がかわっちまったら、この金色のマジックで時々色を上塗りしてくれ。このペンもサービスでつけとくから」
「ほ、ホントですか!?」
「おうよ! 兄ちゃんの嬉しそうな顔みてたらこっちも嬉しくなっちまったわ!」
「こ、これ、全部でいくらになりますか?」
し、しかし、これだけの品物は途方もない価格になるはず……。
「占めて、38万。お買い得だろ!」
「あ、あの……分割とか可能ですか?」
『ハルキ、いいかげんにしなさい!』
聞いたことがない音量の脳内音声。
『あんた、今日だけでいくら買い物してると思ってるの?』
わ、わかっててるよ……。だ、だから金運もバランスよく上げようと。
『その“ピザは野菜だ”みたいな理論はやめなさい。冷静に考えてみて。その金運とやらを上げるために、毎月お金が必要になるのよ?』
で、でもさ、毎月決まった金額を払うだけで、先に欲しいモノが手に入るんだよ。ほ、ホラ、き、機会損失ってヤツを考えたら先にモノを手に入れておいた方が得だと思うし、こ、これは自分に対する投資みたいなものじゃないか。
『そういうのは、自己投資を活かして金に変えられるエリートが使う言葉! 今のアンタにそんな稼ぎのあてないでしょ!』
な、なんでそんなに怒るの?
『……べ、別にもういいけどさ。アンタなんか大事なこと忘れてない? お金貯めなきゃいけないよね?』
そ、そりゃ、お金は必要だけど、自分、普段そんなに物欲ないし、今日は珍しく買い物してるだけで……。
『あっ、そう。もーいい。なにも言わない。買いなさい、それ全部買いなさい』
目の前にエアロディスプレイが浮かんだ。
imaGeローンの決済ボタンが表示されている。
「お、兄ちゃん! 買ってくれんのか!」
「あ、っちょっと」
決定ボタンが強制的に押された。
「おっし! 毎度あり!」
男と先生は満足げに頷いた。

「ね、ねえmisa……」
店を出てから何度も話しかけてみたが、返事はなかった。このアシスタントプログラムが無視するなんていうことはよくあることだけど、さっきのやり取りは、妙に引っかかりを感じる。なにか重大なミスを犯してしまったような嫌な予感。
手に入れたばかりのピンククロコのセカバが妙に汗でぬめる。首元のゴールドチェーンは肌に食い込み重たい。
「ね、ねえ……」
ピピピピピピピピピピピピピピピピ
「うぉっ! びっくりしたぁ!」
思考する脳にねじ込んでくるようにVOICEの着信音が響いた。
『着信』
misaの音声がした。
「ねえ、misa、さっきのことなんだけど」
『さっさと出たら?』
会話を膨らませようとも、取り付く島もない。
「だ、誰から? 棚田さん?」
返事の代わりに視野内に着信相手が表示さ──
「……う……うそだろ!?」
目を見張った。
な、なんで……?
現実こっち側で連絡なんて取りったことないのに、いや、それどころか仮想空間あっち側ですら、しばらく会っていないのに……。
misaとの諍いが一瞬で吹き飛んだ。
imaGe視野内に表示されたVOICEの相手は競馬仲間、タンジェントだった──

次回 2019年07月19日掲載予定
『 ハッピーストライク 03 』へつづく







キュルルルルルルルル
ブゥン! ボボボボボボボボボボボボボボボ
「来たっ! すっげ!」
レンタカーのボンネットから伸びた導線でつないだ軽トラックのバッテリーが息を吹き返し排気を再開した。
「どうでげすかぁ! 旦那ぁ!」
蒔田さんのエンジンのかかり具合も絶好調のようだ。
「いやっ、助かったっす!」
「そうでげしょぉ! 蒔田トラブルシューティング、総力を結集いたしやしたぁ!」
“蒔田トラブルシューティング”とは、なんと安易で恥ずかしいネーミングだろう。
「このクラシカルなヴィンテージカーもこれでもう大丈夫でやんすよぉ!」
さっきまでボロ車とさんざん罵ってたくせに。
「旦那ぁ! 他にお困りごとはございやせんか?」
「いや、特にないっす、じゃ、自分急ぐんで」
見透かされているのだろう。法外な“修理代”の請求に文句もつけず支払いを済ませ、トモイリはそそくさと軽トラックに乗り込んだ。
「あ、旦那ぁ、いずこへ!?」
「自分、臨空第七都市しちりんいかなきゃなんで」
動いた。
いま、間違いなく蒔田さんの耳が動いた。
人間がいつのまにか意志で操る方法を忘れてしまった部分の筋肉をこの人の本能的が動かしたのかもしれない。
「あれぇ? 確か、あそこの海峡渡るのは自動運転じゃねえと渡れなかった気がしやすぜ!」
さらにこの人は金を搾り取ろうと企んでいる。
あの軽トラックが自動運転に対応していないのを利用して。
だけど、明らかな詐欺に該当するような行為に荷担するわけにはいかない。
「蒔田さん、海峡は免許証のチェックだけで、別に手動運転でも通行できますよ」
「何をいいだすんだよぉ! 江田くん。自動運転必須だろう?」
満面の笑みを貼り付けたままの蒔田さんが振り返る、目だけが笑っていなかった。獣のような目で睨んで再びトモイリの方へ向き直る。
「旦那ぁ! ウチの若いのが浅はかなこといっちゃいやしたけど……」
「ま、マジっすか!? うわぁ、マズイなぁ」
「えっ?」
「自分、あれなんすよね、実は、自動運転限定しかもってなくて、手動運転の免許もってないんすよね」
「……それは大変でげすねぇ!」
山間にゲス野郎の声が響き渡る。
「免許チェックはいったら、旦那、お縄になっちまいやすよ!」
「そうっすよね。ここまで無免でしたからね」
「さいでござんすよね!」
二人が笑った。
「でも、よく、手動運転でこの道、走れましたね。無免許なのに」
同じ道のりを夜通し走ってきた身として、単純に興味が沸いた。
「いや、自分のいた村じゃ、みんなできますよ。畑仕事に自動運転なんて持ち込んだら村長にどやされますからね」
「なるほど、なるほどぉ、すると旦那はもう、免許ちゃちゃっと取っちゃえばいいんすね!」
「そ、そうなんすけど、さすがに免許ってちゃちゃっと取れないっすよね」
「あっしにお任せくださいよぉ! あっしどもが近場で合宿免許取れるとこ探しますからぁ!」
「あ、ほんとすか?」
「そういうトラブルの代行もやってますんで」
「手広いっすね」
「へい! 手広さがウリでやんすから! おい! 江田くん、免許合宿の手配をして差し上げるんだ!」
今度は本物の笑顔で蒔田さんがこちらを見た。






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