河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第105話『 マイティーベース 03 』

身支度は整った──。
トックトックプレイスの地下は、ショルダーパッド従業員の寮になっている。
カーテンで仕切られただけの簡易ベッド。
典型的なカプセルホテルの形態ではあるが、カーテンを閉めれば最低限のプライバシーは保たれる。この中ならログイン中に現実側の肉体にどんな“変化”が起きても他人に見られる心配はない。
カーテンを開けられさえしなければ。
「どっちだ……」
両面に印刷されたメッセージボードをカーテンにかざす。
『就寝中 起こさないでください』
『掃除は不要です』
宿泊客がルームサービスを拒否するための札。
ログイン中にコージさんや、先輩たちがここへ来たとして、どちらのメッセージなら注意を惹かずにやりすごせるか。
眠っている人間をわざわざ起こすような真似は普通の人達ならしないが、相手はコージさんやナンプラのような、ショルダーパッド関係者。
油断してはいけない。
「……こっちか……」
“掃除は不要です”の方が興味を惹かない気はしたが、裏をかく。
“起こさないでください”の方にしよう。

最低限のプライバシーは確保した──。
時刻は14:48。
misaからの侮辱に耐え、検索さがしだした“仮想空間デート必勝マニュアル”によれば“約束の時間に遅れるのは厳禁、すくなくとも10分前にはログインしておくのがマナー”らしい。
そろそろログインしなければ。
フロントで借りた完全没入フルログイン用の端末を枕元にセットして横になる。
ベッドのマットレスを、心臓が直接打ち付けているんじゃないかと思うくらい鼓動が激しくなる。こんな状態でログインしても問題ないんだろうか。呼吸を整えろ。深呼吸だ。
視野内を見渡すとブリンカーへのアクセスアイコン『馬』は、だいぶ端のほうに移動していた。
未使用の期間が長かったせいだろう。
視野中央からアイコンまでの距離が、そのままタンジェントと会わなかった時間の長さか。
競馬でいえば“長期放牧”明けの『馬』は、選択されたことを感知し、勢いよく仰け反った。
旧式のエンジン車が走り出すときのようなけたたましい、いななきとともに視界がホワイトアウトをはじめる。

『このチャットルームには、成人向けコンテンツとして、ギャンブル、飲酒、セクシャルというキーワードが登録されています。本当にアクセスしますか?』

おきまりの確認メッセージを『はい』の連打でやり過ごすと、いななきがやんだ。視界に『ブリンカー』の見慣れた光景が──
「くっさっ!」
仮想嗅覚に強烈な臭い。
一瞬、パークハウスが脳裏をかすめる。
なんだ、これ!?
そこら中に、デリカーの空き瓶たちが散乱し、テーブルには食べかけのツマミが残骸として朽ち果てた姿で転がっている。
しばらく放置されていた部屋には、有機物データが、腐敗を進行させ発酵の一歩手前のバッドな状態でスタンバイしていた。
チクリン。
なぜ、これほどリアルな時間経過と描写を仮想現実に持ち込む?
ヒーロースーツの乳首にこだわり看守との闘争に明けくれる男の変態性を疑わずにいられない。
いや、そんな感性の部屋主だからこそか。
いや、いまはそんなことどうでもいい。片付けなければ……。
タンジェントがログインしてくる前に。
ロマンチックな展開が、万が一にも予想されるこのチャンス。廃人が立て籠もるような場所には失敗の未来しかない!
大急ぎで“ゴミ回収”ジェスチャーの構えをとった、ところで、ログインの告知音。
『タンジェントがログインしました』
視野にテロップ。
まずい!
「ちょ、ちょっ待って」
これは、まさに女子から予定外の自宅訪問を受ける、モテる男のシチュエーション!
こんなに慌てるものなのか!
“タンジェント”のアバターが、どんどん輪郭をあらわにしていく。
「ちょ、待っ」
こちらの音声こえが届くわけもない。レンダリングは進む。
必死で“ゴミアイコン”をかき集めた──。

「と、豊川せ、先生っぃ……っ」
お声がけしても、豊川先生からの返事はなく、分厚い本を指でなぞっていらっしゃるだけ。
「コージ、先生は読書中だ」
「で、ですがっぁ、なぜ裸なんですかっぁ?」
「裸の読書ってさ、禁断の薫りがするよね」
豊川先生が、つっとお顔をあげた。
「アダムとイブっているじゃない? 2人は知恵をつけたから楽園を追い出されて、服きたわけじゃない?」
「豊川先生はインテリだな」
「ナンプラさっぁん、わかるんですかっぁ?」
質問をしただけなのに、ナンプラさんが睨みつけてきた。
「よくみろ。豊川先生はあんなに分厚い本を読んでいらっしゃるんだぞ。いままで、あの厚さの本を読んだことがあるか? ないだろう?」
「な、ないでっぇす!」
「そんな小僧が豊川先生の考えを理解するなんて2光年早い。先生、いったいどんな本を読まれてるんです?」
「僕さ、辞書は紙派なんだよね、断然」
「じ、辞書……ですか、それ? 先生、さすがだなぁ、辞書を読んでらっしゃるとは」
「“ぬ行”ってさ、“クル”よね」
「ど、どういうことで?」
「“ぬ行”をたどっていくとさ、突然“ヌード”って出てくるよね、もう出会い頭にバーンってぶつかっちゃったみたいに」
「は、はぁ……」
「これ大変なことなんじゃない? と思いつつでも、こっちも見透かされたくないから平気な顔して読み進めるとさ“ぬか”とか“ぬかるみ”とか、ウェットな言葉に足元とられそうになって、あっマズイかもなってとこに、“ぬき”だよ? もう狙ってるとしか思えないよね。“ぬきさし”とかさ」
「せ、先生、ちょっと、自分らはあんまり学がないもんで」
「そして“ぬく”がきて間髪入れず、“ぬぐ”だもん。もう確信犯だよね、“ぬ行”ってさ」
「コ、コージ。オレ、向こうでいろいろチェックしてくるからよ」
「わ、わたくしも手伝いまっぁす!」
「オマエはここに残って、豊川先生の御用を聞いてさしあげろ」
「し、しかっぁっし」
「先生、向こう手伝ってきますんで」
ナンプラさんは、豊川先生の返事を待たずに部屋を出て行った。

「や! っほー! ハルキぃ!」
タンジェントだった。
紛れもなく、タンジェントだった。
艶のある黒髪、透き通る白い肌、光の粉をまぶしたかのようにキラキラ輝く二重まぶたのアーモンドアイが真っ正面から覗き込んでくる。
「久しぶり! 元気だったかなぁ?」
薄紅色の、あの唇に吸い寄せられていく視線を慌てて逸らす。
「あれぇ? ハルキ元気ないね?」
「いやいやいやいやいや、ある! あるよ! あるに決まってるじゃないっすか!」
「なんで敬語? アハハ、ハルキ、ちょっとキャラ変わった?」
「タ、タンジェントの方こそ……」
視線を合わせて話してくれることなんてほとんどなかったのに……。
「ん? ボク? なんか変わった?」
「なんか、テンションが高いというか」
「ハルキに会えて嬉しいもん、そりゃテンションあがるよぉっ!」
「マ、マジスカ……」
この部屋が現実描写を貫いていることに感謝だ。もし通常の仮想空間と同じ仕様で、心理的な動揺がグラフィック表示される設定になっていたら、いまタンジェントが微笑んだ瞬間、雷が“ズドーン”と走り抜けるか、“ズギューン”と暴発する銃のエフェクトが描写されていたに違いない。
「あれっ? どしたの?」
「なんでもない! タ、タンジェント、メインレースのパドックみにいこう!」
「うん……そうだねぇ」
タンジェントは所在なさげに周囲へ視線を巡らせた。こんなにくりくりと動く彼女の目をみたこともない。
「実はさボク、今日は競馬の気分じゃなくて」
「えっ!?」
「ハルキとゆっくり話したい気分なんだよね」
おもわず一歩後ずさりすると、足元でデリカーの空き瓶が倒れて転がった。

普段の日曜日なら、とはいえ久しぶりの“普段”ではあるが、このブリンカーには競馬場の喧噪が再現され、つねに人の気配がたちこめている。
さらに、部屋主のチクリンという、やかましい存在もセットになっていたから、こんなに沈黙がつづいたことはない。
話をしたいといったわりに、タンジェントは、愛用していた“重厚なライティングデスク”の椅子に座ったきり口を開かず、まるで、椅子の感触を懐かしむように、肘掛けを掴んで前後に揺れているだけ。
いつもなら、次のレース展開や馬の状態について意見を交わしているころだが、レースを観戦しない今、一体何を話せばいいんだ。
思わず、misaを呼びだしそうになったが、思いとどまる。ここは仮想空間の中だ。アシスタントプログラムを起動したことがバレてしまう。
自力で話題を見つけるしかない。
「タンジェント……」
「ん? なぁに?」
「い、いい天気だね」
「うん!」
会話終わった。
なにを、なにを、言っているんだ。ベタな話題にも程がある。“いい天気ですね”って“会話に困ってます”の比喩表現みたいなもんじゃないか。
「フフフ」
しかし、タンジェントは笑った……。
「そういえば、前にここの天気設定を勝手に変えて、チクリンに怒られたよねぇ」
会話、つながる。
……き、奇跡。
「ニ、ニシンガキタのとき?」
「そうそう! チクリンの本命馬、雨の日なんかぜんぜん走らないのに、この部屋の天気みて、自信たっぷりで単勝、買ってたよねぇ。なつかしいな」
確かになつかしい。たった数ヶ月前のことなのにずいぶん昔のことのように感じる。
「ハルキ、あのころから挙動不審だよねっ」
「えっ!」
「ボクが先にログインしてるといつも、キョロキョロしてさっ」
「そ、そんなことない! 断じてない!」
少なくとも、あの、き、キッスを交わすまでは、意識していなかったはずだ。そこまで露骨な意識は……。
「バレバレだよ、アハハ」
「そ、そんなことない!」
「ハルキのそういうとこが好きなんだ、ボク」
「す?! ……す、す、え、いまなんと?」
「フフフ、そういうところが好きだよっ」
ガーン!
いや、ドーン、いやバーン、いや違う。
もう心の動揺すら表現できない。
何を言い出すんだ! このタンジェントは。
だが、いましかないだろう、ここで、伝えずにいつ伝えるんだ、気持ちを。
一歩踏み出すんだ──。
「でもね、ちょっとだけ心配にもなるんだよ」
急ブレーキを踏んだ後、シートベルトが身体に食い込んだような体勢になった。
「ボクの前ならいいけど、あんまり他人に弱みをみせちゃダメだよっ。悪い人いるんだから」
「そ、そうかな」
「ほら、チクリンとか、アタマおかしいじゃないか」
「確かに」
「もっとさ、リラックスして自信をもったら、ハルキはもぉっと格好良くなるとおもうんだよねぇ、ボク」
「ど、どうやって?」
「アハハ、それは自分で考えてよっ! っと」
タンジェントは反動をつけて立ち上がり、空中を拳で軽く叩いた。
上から“デリカー”の瓶アイコンが落ちてくる。
「飲む?」
「い、いただきます!」
「だから、敬語!」
タンジェントが手渡してきたデリカーの蓋をひねると、シュコッと小気味よい音がする。
じょ、女性から密室で、リカープログラムを進めてくるということは……これは……。
来た。だろう。
「デリカーのスタンプも集めたよね、あ! ハルキ、あのTシャツまだ捨ててない?」
「もしかして、デリカーTシャツ?」
「うん。なんだっけ、名前あったよね?」
「あ、ALC9アルクナインだっけ?」
豊川の顔が浮かんだがすぐにかき消した。
邪魔するな!
「そうそう! 着てみて! あのくだらない感じ、悪くなかったよ!」
「えーマジでぇー」
視野内から衣装チェンジのアイコンを探す。
「着て、着て!」
アイコンはスグに見つかった。
「タンジェントがそこまでいうなら、着るけどさぁ、えー、ホントに着るの?」
「着てよぉー」
こんなやり取り、スグに辞められるか!
もう少し引っ張ってみたい。
「あれぇどこだっけなぁ」
探す振りをして視野内をうろうろしていると、所持アイテムの端っこに、ブリタニカルとPARKのアイコンが“NEW”と表示されていた。
そうか、今日は完全ログインしているから、現実側の持ち物が自動でスキャンされているのか。
ということは、こちら側でもタバコが吸える。
……この数日、タバコを吸って脳が冴えるのを幾度となく経験した……。もしかするとこの局面で“PARK×ブリタニカル”のコラボレーションが、最後の一手で背中を押してくれるかもしれない。
「ね、ねえ、タンジェント」
「ん? なぁに?」
「その前に一服していい?」
PARKとブリタニカルを呼び出すと、2つのアイコンが手の中に収まった。
途端にタンジェントの笑顔が煙のように散った。

「“い行”もね結構、がんばってるけどね」
「は、はっぁっぃ……」
「でもね、“いん”まで行かないと、つらいよね、“いん”まで、行けばさ、あちこちに転がってるんだけどさ、“秘ワード”」
「は、はっぁっぃ」
ナンプラさんはまだ戻ってこない。
先生のご機嫌を損ねることなく、おもねるのは限界と思われる。
「先生! 準備、できました!」
「な、ナンプラさっぁん!」
「ん? そう?」
「バッチリ、らしいです!」
「わかりましたっ」
辞書が、ばたんと音をたてた。先生は立ち上がり、純白のガウンを身につけあそばされた。

次回 2019年11月23日掲載予定
『 マイティーベース 04 』へつづく





「旦那ぁ! サイコーっす!」
蒔田の声が開け放った窓から飛び込んでくる。助手席に座る教官はあきれ顔で窓に肘をかける。
「キミ、運転慣れしすぎだよなぁ」
「……うっす」
「まあいいや。じゃ次、ここのクランクいってみようか、バックで入ってくれる?」
「うっす」
ギアを“R”へ入れて、身体を捻り後方確認しながら掌でハンドルを切る。
「うん、だからさ、その動き、慣れすぎなんだよね」
「そ、そっすか?」
教官の目をみると、完全に疑っているのがわかる。ハンドルを握る手が汗で湿った。
「こっちみながら、バックしてるじゃない。感覚でバックしちゃえるってことはさ、運転、慣れてるよね?」
「いやぁ、村でも勘が鋭いって親方から褒められるんで」
「村、勘、親方……キミ、あれでしょ、無免でさんざん乗ってるでしょ?」
「まさか、自分、自動運転限定なんで手動は、はじめってすよ!」
「長いこと教官やってるけどさ、クラッチのつなぎとか、完璧なんだよね」
「あー、勘っすね」
「勘か。鋭いんだね」
「地元じゃ神童呼ばれてましたからね」
気がつくとクランクを抜けていた。手汗がひどいことになっている。
「んんん、まあいっか……戻ろうか。ここ直進して」
「うっす」
ギアを2速に戻してアクセルを踏んだ。
「だから、スムーズなんだよなぁ」
残りのコースは直線だ。
ここなら技術の差は目立たないだろう。

トゥトゥル トゥトゥ トゥトゥトゥントゥン
トゥントゥトゥ トゥトゥル トゥトゥ トゥトゥトゥントゥン 

いきなりVOICEが鳴った。
思わずブレーキを踏む。
「ぐほう」
教官がシートベルトにめり込む。
「あ、すません」
「だ、ダメだよぉ、急ブレーキしちゃ。imaGeもマナーモードにしとかなきゃ」
「あの、出ていいっすか?」
「え?」
「いや、VOICE」
「だ、だめでしょう。教習中だよ?」
「や、こっちは強襲中なんで」
視野に表示されるこのお方にTPOはない。
「お疲れ様っす!」
「セイジ、いまどの辺だ」
「うっす……、……うっす、うっす……う」
「どこだ?」
「運手中っす!」
「どこだ?」
「コ、コスモ免許センターっす」
「……コスモ免許センターでなにしてんだ?」
「……め、免許とってるっす」
「なんで、免許とってんだ……」
「や、あの、海峡わたるのに、免許チェックがあるらしくて、その、手動運転がその、バレるとあれなんで」
「いますぐとれ、今日とれ」
「や、今日はムリっす」
「宇宙最速って書いてあるぞ」
も、もう調べたのか。
「最速なんだろ、オマエも最速でとれ」
VOICEが切れた。
教官と目があう。
「ハンコ、まとめてもらえます?」






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