「…398」
ハンコが曲がらないように、シッカリ手首を押さえて……。
「…399」
ダイコンを、真っ直ぐ、降ろす。
「…400……!」
できたぁ!
「パークさん!」
「おぅ」
前歯にタバコを挟んだパークさんが、箱紙を取りあげる。タバコの煙がボクの顔を包んだ。
「いいじゃねえか」
「ありがとうございます!」
「これで箱紙20カートン分……よしよし」
パークさんは耳に挟んでいたエンピツを取り出しペロッと舐めた。
「どうしてエンピツ舐めたんですか!?」
「ぁっ? 真心だ」
「まごころ!?」
「これから、書きますよぉ、よろしくお願いしますねぇっつう気持ちがエンピツさんに伝わるだろ? そしたら字も気持ちよく書かしてくれんだろ?」
ロッカの入ったグラスを傾けつつ、パークさんはメモ帳に“正”の字を書く。テーブルのベニヤ板の木目に沿って線がゆらゆらする。
「ほら、なめらかだろ」
「ボ、ボクも次からちゃんと舐めます!」
「何ごとも心がけだ」
「はい!」
元気よく返事をしたときブルーシートがボソボソっと音をたてた。
「ごめんくだいよぉ……っ! パークさん! おはようざいます!!」
「おぉ
シートをめくったのは、このまえトイレを譲ってくれたおまんじゅうみたいな顔の人。パークさんにも、マンジュウって呼ばれてるみたいだ。
「パークさん! シグネチャーすげっすね! もぉっビュンビュンっ売れてきまさぁ!」
「そうか、もっとじゃんじゃん売れ」
「へい! 組合の連中もバンバン新規とってやすから! こりゃミリオンセラーってヤツっすねグフフフ」
「そうだろうそうだろうブハハハハ」
「じゃ、オレの注文分お願いできやすか?」
「おう! いま巻いてやる。なんぼだ?」
「20っす!」
「ってことは、ちょっとまてよ、1箱20本の
パークさんがえんぴつを舐めて“ひっ算”をはじめた。
「190本だな! よし、まってろ! まもる! さっき作った箱紙と紙片を」
「ぱ、パークさん……」
「あ? 仕事の邪魔だ! ちっと黙ってろ!」
「やっ、そうじゃなくて、20カートンっす」
「あっ!?」
「20箱じゃなくて、20カートンっす……」
「ちょまて! 20カートンつったら、オメェ20本の体が19で10で、20だから……よくわかんねえじゃねえか!」
パークさんが、えんぴつさんをベニヤ板の上に叩きつけた。
「本数でいうと全部で3800本っす」
「なら最初から本数でいえ!」
「す、すんません」
マンジュウさんがお顔に汗をいっぱいかいて、あんマンみたいになった。
「……3800…3800…!? そんな在庫ねえ!」
「い、いや、え?」
「3800本ってオメェ、ウチはどこぞの大企業じゃねえんだぞ!? んな本数巻くほどの葉っぱあると思ってんのか!? 考えて注文とってこい!」
「だ、だって、パークさん、売れって」
「ほどほどにだろ!」
「さっきはバンバンって」
「だいたいよぉ昨日、全員にフォルテッシモロング集めろっつったよな? オメェら
「うんにゃ! うんにゃ! 昨日から組合総出でモク摘みですわ! んでも、銘柄限定したとたん、採れ高、ガックシ減っちまって……」
「かき集めろ! オネーチャンのいる店とか、そこら中まわってこい!!」
「や、でも……パークさん……ちょこっ……とだけ、他のメンソール系の銘柄まぜて、しのぐってのはどうです?」
「なんだと?」
「注文とっても、納品できなきゃ、あれです、うちの組合の信用もガックシさがっちまうじゃねえですか」
「マンジュウ」
「へ、へぃ!」
パークさんが、タバコをキュッと強く吸い込むと、口元がボヤぁっと光って、もわぁっと煙りが出る。
「コイツ吸ってみろ」
前歯に挟んでいたタバコをマンジュウさんの顔の近くに突き出す。
「こ、こいつぁ……パ、パークさんのタバコじゃねえすか……」
「遠慮すんな」
びちょっと歯形の付いたフィルターがみえた。
「え、遠慮っつうか……その、PARKなら自分の分、ありやすから……」
「そうじゃねえ……吸え!」
「い、いや、じ、自分で……」
「ま、マンジュウさん。そのタバコは、ただのPARKじゃありません!」
「え、えぇ、どういうこと?」
マンジュウさんがボクをみてきた。涙目で。
「パークさんがいま吸ってるタバコは…」
「まもる、いうな。吸えばわかる」
パークさんがもう一度タバコを突き出す。
「マンジュウ、吸ってみろ!」
「へ、へ、へぃ!」
タバコを受け取ったマンジュウさんが、ギュっと目を閉じてフィルターにかぶりつくと、チュピュっと音がした。
「…………こ、こりゃあ……」
マンジュウさんが目を、おっきく開く。
「パークさん……こ、こいつぁ……」
「わかるか?」
「PARKじゃねえ!」
「そいつぁな、シグネチャーモデルと同じ中身を、オレ用に巻いたもんだ」
「この味、ま、ま、まるで
「だろ。まるで新品だ。苦みも雑味も、いままでのPARKとは根本的に違う。そいつがPARK WILDEだ」
「こ、こいつが……」
「PARKを越えたPARK。何かを引いても、足してもいけねえ。大地から摘みあげたフォルテッシモロングの葉だけを愚直に、真っ直ぐな気持ちで巻いたPARK WILDE。オレはそれを客に届けてえ。それがよ、ちっと大量注文が入ったぐれぇで、うろたえて混ぜモンしていいと思うか?」
「お、思い、ません……」
「わかったら、さっさと街中の地面からフォルテッシモロングかき集めてこい!」
「へい!」
「オレもいまから煙摘みにでる」
「へい!」
マンジュウさんが、シートをバサっとめくって走っていった。
パークさんがボクの方をゆっくりと振り返る。
「ところで、まもる。なんで、オレが吸ってたタバコがWILDEの方だってわかった?」
「はい! 副流煙の匂いが全然違いました!」
痛みに、気づいた──。
頭…こめかみの辺りが…キンキンとサイレンのように痛みを発している。
自分は、なにか固い机のようなところに突っ伏しているようだ。
何ごとか。
確かめようとするが、身体は重く上体を起こす気力が沸かない。
前にもこんなことがあった……。
ふとよぎる、タンジェントの顔。
そうだ。タンジェント達とレースをみた後。
ドロ沼の中から這い上がってくるようなおどろおどろしい、記憶が脳みその中に渦巻く。
まがまがしい、ヘドロのなかに……なぜかノゾミさんの顔が……そう、酒、なんだっけ、あのおぞまし……ウェ゛ッ、そこまで辿り着いたとき、胸元が焼けるように熱くなった。
ドロドロした、酒、ネクロ…マンサー、火が付く酒、飲んで、みんなで、そう。飲んだ。そうだ、飲んだ。酒を飲みくらべして……そう、そう、そうだ!
記憶が蘇ったのと、同時に、頭をあげるのと、同時に、最高潮の痛みが後頭部をつきぬける。
「うぐぉ!」
「おっ、オマエが最初か」
「はぅあ!」
目の前にノゾミさん。
カウンターの向こうでにんまり笑う。
ここは……Lounge310……。
隣の席にはナベさんと、棚田さんが突っ伏し、テーブル席の方で諸先輩方がぐったりと横たわっている。
自分はカウンターを枕にして眠っていたのか。
「な、なんすか……これ」
「覚えてねえの? 情けねえな」
目の前にいるアナタに対する恐怖だけは身体が覚えています。
「このぶんだと、この2人も覚えてねえかぁ、なんだよなぁ、アタシ勝ったのに」
ノゾミさんはタバコの煙をナベさんの後頭部に吹きかける。
「やりすぎたかぁー、ぁー失敗したー」
ナベさんと棚田さんを交互に覗き込むその形相は、閻魔帳を覗き地獄の沙汰を思案する閻魔大王のようだった。
クンクンクンクン………ク、うむん!
「パークさんあっちです!」
ボクが指さした灰皿の方にパークさんが走り、マンジュウさんはキョロキョロしている。
「おほぉ!」
灰皿を覗くパークさんからOKサインがでた!
やったぁ!
っうむ! もう1本!
「パークさん! その向こうの灰皿にも!」
走り出す背中の方向へ体重を移動させ、ホバーベルトの浮力を落としてパークさんの近くに着地した。
「まもるぅ! オメェ、すげえな! あんなに離れたとこからフォルテッシモロングの匂いがわかんだな!?」
「なんか、わかっちゃうんです!」
「副流煙でフォルテッシモロングの匂いかぎ分けたから、まさかとは思ったがなぁ」
「なんか、わかっちゃったんです!」
「オマケに、飛べるしなぁ。地面の中のトリュフさがす豚よりも役に立つな!」
「ありがとうございます!」
「よし! この調子でドンドン集めんぞ!」
「はい! んん、とぉっおうっ!」
地面を蹴って浮遊する。
お空からみると、いろんな所に灰皿がみえる。
鼻をクンクンすると、いろんなところから、フォルテッシモロングの匂いがするんだ。
「マンジュウさん! その噴水のところと、公園を出てすぐの地面3本落ちてまーす!」
マンジュウさんが、もたもたと歩き出す。
「おらぁ、マンジュウ! ダラダラしてんじゃねえぞ! まもるが待ってるだろう!」
パークさんのおっきな声に、ビクッと肩を上げて走り出したマンジュウさんがおもしろかった。
「そ、それではっぁ! グラスをお持ちくださいっぁい!」
「コージ、先生のお飲み物がまだだ」
「失礼しましたっぁ!」
ナンプラさんが、ビール瓶を持ちあげた。
しかし、豊川先生は優雅に右手で制し、首をお振りになられた。
「僕は、ホットミルク」
「み、ミルク! た、ただいまお持ちします」
ナンプラさんが冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、いそいそとカップに注ぐ。
「ミルクは、ひと肌に。表面にうっすらマクが張るくらいの」
「は、はぁ……」
ナンプラさんの困惑の声と同時に、レンジがチンッと音を鳴らす。
「そ、それではっぁ! 改めましてっぇ! オールナイトDOS×KOI復活とっぉ! ミルパの成功を祈願しましてっぇ!」
「コージくん」
「……は、はっぁい!」
「そのいいかた、僕、好きじゃない」
「え、えっぇ!?」
「ミルパって、あくまでも略称じゃない? そういうのって外部の人たちがいいはじめるからハマるんであって、内部でミルパっていっちゃうのは、ちょっと内輪のノリになっちゃうよね」
「せ、先生もっぉ先ほど、ラジオでっぇ、ミルパと」
「コージ! なに口答えしてんだ! 先生の言葉には“YES!”の一択だろうが!」
「も、申し訳ございませっぇん!」
「仕切り直せ!」
「はっぁい! で、でわっぁ、青春ビートエクストリームDOS×KOI攻略ラジオナンプラのオールナイトDOS×KOIリターンズとっぉ、ミルクリームエモーショナルパーティーの成功を祈願しましてっぇ!」
「ダメッ!」
「えっぇ!?」
「ミルクリームエモーショナル…長すぎる! わかりにくい! そうでしょ?」
「そ、それでっぁ、どのように……」
「ミ……」
先生が宙をみつめたまま突然、静止なされた。
サングラスが光を反射し、白く染まる。
手元だけがうつろに空中を彷徨っていらっしゃる。
「せ、先生っぃ?」
「豊川先せ──」
「ミルク! マラコー! スゥスゥ!」
「ぇっえっぇ!?」
「フェスティバァル!!」
「…せ…先生、いまのは?」
「いろんな国の言葉で牛乳と連呼する。日本語で“牛乳! 牛乳! 牛乳!”って叫んでる男がいたらどうだい!」
「ぎゅ、牛乳が飲みたいんだなっぁ、て思いまっぁす」
「そうだろう。だから大会名は“ミルク!マラコー!スゥスゥ!フェスティバル!”わかりやすいでしょう!」
「い、いや……」
「は、はっぁい! 分かり易いでっぇす!」
「ミルク! マラコー! スゥスゥ!」
「ミルクッゥ! マラコッォ! スウスッゥ!」
「その調子だよ」
「はっぁい! ミルクっゥ! マラコッォ! スウスッゥ! フェスティバっぁル! にっぃ、カンパっぁい!」
「乾杯!」
豊川先生がミルクの入ったカップを高らかと、掲げられた。
ナンプラさんも一拍遅れてビールを飲んだ。
「い、いや、そ、それにしても、今日のビールはうまいっすね! マイクやら機材がおシャカになったときはどうするかと思ったけど、これも先生のおかげです」
ナンプラさんが座ったまま膝に両手をついて頭をさげる。
「このまま、大会まで特集でぶっちぎりましょう! “ミルクリ”ヘビロテで流しますんで」
上機嫌で高笑いしているナンプラさんを尻目に、先生はこちらをみた。
「コージくん」
「は、はぁっぃ?」
「キミ、おはぎ、好きそうな顔してるね」
「ブハハハハ、先生なんすか! 急に!」
「お、おはぎが好きそうな顔といのはどういう顔ですっぅ?」
「あっ、あっ、ゲホっ、あ、腹いてえ。コージ、確かにオマエ、おはぎ好きそうな顔してる。それ、シコネームにしろよ!」
「い、意味がわからないでっぇす!」
「シコネーム“おはぎ好きそう”。いいじゃねえか!」
「ちょっ、ちょっと待って、シコネームってなに? なにその卑猥な名前」
先生が突然、スタンドアップなされた。
「いや、DOS×KOIのプレイヤーネームのことっす。相撲の四股名から来てるんすけど」
「DOS×KOIには力士もでてくるの?」
「いや、力士は出てきませんが
「先生のシコネームは“豊川豊クン”でっぇす!」
「うかつなコトをしてるよね、僕……シコネームは変更できるの?!」
「で、できます。“ドッスンポイント”300両、貯めれば」
「できる? じゃあ考えた方がいいね。シコネーム」
「変えるならですが」
「やっぱりアレだよね、作品のことわかってるなって感じさせるところをくすぐる方がいいよね」
「キャラとか曲のタイトルとかっすか? それなら、アニメ版もみたほうがいいっすよ」
「アニメ版もあるの?」
「アニメ版も良かったでっぇす!」
「先生、ご存じない? アニメ版も神です。どっすんどっすん来ますぜ」
「僕は、今日はこれで失礼する」
「せ、先生?」
「やるべきことが溢れている」
豊川先生はミルクを一気に飲み干し部屋を後になされた。
「首輪もリードもなしで、いうことを聞く。空飛んでバンバン、フォルテッシモロングさがせる。ハンコを彫らせりゃ、完璧にしあげる。オメェは、タバコ摘みになるために生まれてきた男だな! まもるぅ!」
「ありがとうございます!」
フォルテッシモロングでぱんぱんになったビニール袋をみてパークさんが褒めてくれた!
「次はセントラルモールだ! あんだけ灰皿が集まってる場所なら相当集められる」
「わかりました!」
「よぉし、じゃ、タクシーのっちまうか!」
「た、た、タクシー!?」
マンジュウさんがおっきな声をだした。
「パークさん、そんなもの乗ったらバチあたりますよ!」
「なにビクついてんだマンジュウ。オレたちぁもうスグそこまでビッグマネー掴みかけてんだろ? トックの地べたから這い上がったトックンドリームを! ヘイ! タクシー!」
パークさんが車道に飛び出して右手を挙げた。
ギリギリのところで無人タクシーが停まる。
「セントラルモールまでだ!」
「お、オレは、いい。歩いていきます!」
「マンジュウさん乗らないんですか?」
「じゃあそこでみとけ! これがトックンドリームだ! まもる、乗れ!」
「はい!」
ドアがバタンとしまる。
すかさずパークさんが窓をあける。
「セントラルモールで待ってんぞ!」
車の外で、ぽかんと口を開けているマンジュウさんに叫んでからパークさんはタバコを点けた。
「マンジュウさんはなんで、乗らなかったんですかね」
「貧乏が体に染みついちまってんなぁ、ありゃあ、ブハハハハ」
口から煙がどんどんでてくる。
「こうやって流れていく景色をみるのはいいもんだな。まもる、みろ! これからはタクシーにじゃんじゃん乗ろうじゃねえか……あれ?」
パークさんがもの凄い勢いで、振り返る。
「あれ? セントラルモールはあの角まがるはずじゃ……おい! 道間違えてんぞ!」
天井に向かって怒鳴った。
「もしくは遠回りしてぼったくろうとしてんのか!? セコいマネすんじゃねえ!」
返事はないけど、タクシーはどんどん街の中を進んでいく。
「お、おい、セントラルモールだぞ? どこ連れてこうとしてんだ?」
「道、ちがうんですか?」
「ぜんぜんちげえよ、どこだここ?」
パークさんがもう1回外をみると、タクシーがキキッと停まった。
「着いたんですか?」
「ここぁ、セントラルモールじゃねえだろっての! 金払わねえぞ! どこだ? ここ………せ、セキュリティポリシー……?」
『サトウ……さんですね』
急に機械の声がして、変な名前をいった。
「……おっ、オレァ、パークだ! なにもやましいことはねえ!」
『出頭要請が出ています。ちょっと署でお話を聞かせていただきます』
ドアがガチャと開く。
「まもる! 逃げろ!」
突き飛ばされた。
「お、おい! なんだこれ!」
急に後ろの席から手錠が出てきてパークさんの手にガッチリとはまっていた。
「パークさん?」
「とにかく、ナツオに連絡しろ! 飛べ! まもる!」
ボクは力一杯ベルトのスイッチを捻った。
次回 2020年01月10日掲載予定
『 ミルクのゆくえ 03 』へつづく
「これ、ホントにオレの原簿っすか?」
「でげっす!」
「全部…埋まってますね」
半分寝ぼけた顔で、セイジさんはうつろに教習原簿をめくる。当然だ。30秒前まで熟睡していたんだから。
「そうでやんしょ! そうでやんすよ!」
蒔田さんのがなり声が、寝ぼけ顔に染みこむように広がる。
「これなら、もう卒検なんてすぐでやんす!」
「あ、ほんとすか?」
相手が冷静な判断力を欠いているときこそ、この手の人間がもっとも卑劣な潜在能力を発揮する瞬間なのかもしれない。
「不肖、蒔田。旦那の喜ぶ顔がみてぇ一心で、ハンコかき集めてきやした!」
「ありがとうございます……え、でもそれっていいんすか?」
ときおり白目を剥きながらセイジが蒔田さんの言葉を
時刻はまだ6時を過ぎたばかり。
連日深夜まで酒盛りさせられるうえに早朝から夕方まで教習を受けているセイジさんにはキツイだろう。
蒔田さんは昼間ほとんど寝ているから問題ないだろうが。
「そしてね、旦那、あっしも、これ手に入れるためにいろいろと、あぶねえ橋わたってきてましてね……」
…来た…。
唐突に低くなるあの声色、間違いなく不条理な商談を持ちかけるときのもの。
「旦那に、こんなこと聞かせちまう自分が恥ずかしいんですが、その、あっし、ちょっとばかり疲れが溜まってきちまって……この先も頑張っていけるように、旦那から気持ちに、活力を与えて貰えたらいいなと思いましてね」
「あ、お代っすか」
「いやいやいや、そうじゃねえ、そうじゃねえんです! あっしは、その“活力”を」
絶対に金品につながる言葉を選択しない。
まるで不文律でも存在するかのように、相手がなんといっても、“金”を匂わせることをしない。
トゥトゥル トゥトゥ トゥトゥトゥントゥン
トゥントゥトゥ トゥトゥル トゥトゥ トゥトゥトゥントゥン
「おっと、旦那、VOICE鳴ってます」
蒔田がそつなく身体を反らす。プライバシーをおもじるように相手から顔を背けた風を装っているが、目だけはしっかりと標的の観察を続ける。まさに詐欺師を絵に描いたような男。
「はい!」
応答した瞬間、セイジさんの目が開く。
『いまどこだ?』
驚いたコトに、VOICEの相手の声がハッキリと聞こえる。低い声だが、明瞭で突き刺してくるようなよく通る声。
「あ、っす、あ! っす!」
『どこまでいった?』
「ど、どこ、えっと」
セイジさんがまさぐるように原簿のページをめくる。
(旦那…仮免でやんす…)
蒔田がそっと耳打ちした。
「い、いま、仮免っす!」
『おう、免許の話か?』
「あ、っす! 仮免っす!」
『なんでまだ免許とってんだ?』
「あ、あっす?」
『明日、受かれ』
「あ、したっすか!?」
『受かったら連絡しろ』
それだけ音声を残し、VOICEは切れた。
「い、いまの、お、お大尽様はどなたでやんすか?」
「あ、いや、その、自分のボスっす」
「ぼ、ボスゥ!? 旦那の旦那ってことでやんすか?」
「あ、そうなりますね」
「も、もしかしやすと、旦那は物騒な集団に属されているんでやんすか?」
「物騒……あー、まともではないっすね」
「そ、そうでやんすか! こ、この蒔田の目に狂いはなかったでげすね。そしたら旦那、さっさと朝飯食いにいきましょう!」
「でも、お礼の件がまだ」
「そいつは、免許が取れた時の成功報酬ってやつでかまいやせんので!」
おそらく、巨大な力を感じ、報復を恐れたに違いない。小悪党の本能か。
それ程にさっきのVOICEの主に凄みを感じたのだろう。清々しいまでの小物ぷりを露呈し、蒔田さんは部屋を出て行った。
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