河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第109話『 ミルクのゆくえ 03 』

「ハルノキくん! もっと速く歩けない?」
先を歩くまもるさんの背中が遠い。
「遅いよ!」
まもるさんからこんなことをいわれる日が来るとは思わなかった。
こっちは頭痛が酷いんだ。察して欲しい。
トックトックの往来を眺めると喫煙しながら歩道を行き交う人々。車道には多種多様なホバーカー。物流用のエアートラック、乗用エアカーにエアタクシー……、……そうだよ、なにも歩いて行く必要なんてないじゃないか。
「まもるさん、ちょっと」
「なんだい!」
「タクシー、乗りません?」
「ダ! ダメだよ! なにいってるの!?」
みたことのない剣幕で拒否してきた。
なんだこのデブ。
「乗りましょ暑いし、頭痛いし」
「捕まっちゃうじゃないか!」
あぁ、そういうことか。
「自分たちは乗っても問題ないですから」
「ウソだよ!! そんなの!」
「いや、パークさんが捕まったのは……」
いいや。
面倒くさい。
まもるさんを無視して右手を挙げると、スグに近くを通りがかったタクシーが停車した。
「だ、ダメだって!」
「いいから乗ってください」
腕を掴み後部座席へ押し込む。
「いやだよ! 捕まっちゃう!」
這い出てこようとするまもるさんを抑えつけるように、むりやり体をねじ込み、タクシーの天井マイクへ向かって行き先を告げるとドアが閉まり、クルマは音もなく地面を滑り始めた。
「まもるさんはちゃんと罰金払ってるから、問題ありません」
「ば、罰金!?」
「竜良村で捕まったときの罰金です。駐在さんにちゃんと払いましたよね?」
インチキなテレポーテーション業者の証拠品を抑えるために、ホバーベルトで飛び上がり浮上高度違反を犯して罰金を取られたハズだ。
「うん! あのときはまだお金あったから!」
あの頃はこの人も一般的な所持金を持っていたのか。人というのはあっというまに落ちぶれるものだ。
「だから大丈夫なんですよ」
「ううんん? ハルノキくんがいってること全然わかんない!」
最近、いちいち癇に障るなこの人。
「だから! パークさんが捕まったのは、いわゆる“タクシーホイホイ”なんです! …ッ」
大声を出させないで欲しい。右側のこめかみの辺りが鋭い痛みを発する。
「タクシーホイホイ!?」
「……はい。セキュリティポリシーに、なにがしかの手配が出された人間がタクシーに乗ると、顔面認証で検知されてそのままセキュリティポリシー行きです」
「そ、そんなことあるの!?」
「犯罪者はタクシーに乗らないなんて常識じゃないですか。そんなことも知らずに、よくいままで生きてこれましたね」
「だ、だって……」
「まもるさんが、前に捕まった時に罰金を払わず村外逃亡でもしてたんなら、絶対タクシーに乗っちゃダメです。その時の記録が残っているから。でも、いまの自分たちは特に罪を犯していない。だから堂々とタクシーにのってセキュリティポリシーへ向かっていいんです」
「じゃ、じゃあなんで、パークさんは捕まっちゃったの!?」
「それを確かめにいくんじゃないですか」
パークさんはいったい何をしでかしたのか。さっさと状況を確認して戻らないと。
まもるさんに引っ張られ、むりやり店を抜け出してきたのだ。モタモタしていたらノゾミさんに何をいわれるかわかったもんじゃない。
窓の外を眺めるとクルマは静かにメインストリートを抜け、もの寂しい一角へ滑り込んでいく。
タクシーホイホイにひっかかったわけでもないのに行き先が結局、セキュリティポリシーというのが情けない。
トックトックセントラルモールの前を通り過ぎしばらく走ったところで、タクシーは停車した。
角張った建物の正面に“セキュリティポリシー七臨中央署”という看板が浮かんでいる。入口の両脇には、派手な色のトレンチに身を包んだセキュリティポリシーが2人。
セキュリティポリシーの施設をまじまじ観察したのは初めてだが、なかなか厳めしい雰囲気だ。
タクシーの後部座席が静かに開く。
いろいろとやりくりして、ごまかしたPARKの売り上げ金でなんとか支払いタクシーを降りた。

バス来ないなぁ。
ああー、アイス食べたい。
いま何度あるの?
は? 35度? ヤバイ、日焼け止め。
肌やける。
どしよっかな戻ろっかな。
でもなぁあそこまで歩くのもなぁ。
やっぱアイス買おう。
あ、でもコンビニない。
あぁ、アツイー。
ぁあ、バス来いよぉ。

セキュリティポリシーの1階にある受け付けで面会を申し出ると、意外なほどあっさり受理された。特に準備はしていなかったが、これはこれで拍子ぬけしてしまう。
「それでは面会の方、こちらへどうぞ」
事務的な口調で促され立ち上がる。
まもるさんが立ち上がると座っていた長椅子はギシっと小さな音をたてた。
受付にいた女性職員はトレンチコートを身につけていない。男女の差が制服に現れているところは、いかにもお役所な感じがする。
大きな窓が並ぶ廊下は、どこか古い学校のような印象で、窓からは庁舎に囲まれるように中庭がある。これから向かう場所との対比がありすぎて少しだけ後ろめたい気分。
突き当たりの扉の前で女性職員が立ち止まる。
「こちらから外へでてお待ちください」
「そ、外?」
扉が開くと太陽の光が射し込んできた。

「よぉ!」
しばらくして奥の扉からパークさんが表れた。
グレーのスウェット姿で手錠もせず、堂々とく、くわえタバコ!?
そもそも、面会する場所はここでいいのか?
てっきり古来からのイメージにある、アクリル板かなにかの壁に阻まれた狭い部屋で対面するものだと思っていたが、通された場所は廊下からみえた中庭、周囲を庁舎の壁に囲まれてはいるが青空がみえる開放的な場所。
「パークさん、なんか逮捕感まったくありませんけど……」
「おう、オレもよぉ、とっ捕まったときはヤベーかもなと思ったけどよ、この変なシール貼られただけであとは自由にしてていいとよ」
「シール?」
パークさんが腰のあたりをめくると肌に密着するように“犯”と書かれたシールが貼られていた。白く小さな正方形のシールの右下には小さな文字で“(株)TYPC”と書かれている。どこかでみたことがあるような……。
「脱走して、ここの敷地から離れたらドカーンといくらしい」
「ば、爆弾ってことすか? このシール!」
「バカヤロウ、そんな物騒なもの付けたヤツが街中に出てったらそれこそマジぃだろ? なんでもな、ギックリ腰みてえな激痛を与えるシールらしい」
ス、スゴいのかスゴくないのか判断に窮する。
「このシールがどうやっても、はがれねえんだよなぁ」
「はがそうとしたんですか」
「PARKの紙片に使えそうだろ? これ」
「そ、それよりもパークさん、なんでここに連れて来られたのか教えてもらえますか?」
「ん? おぉ、そうだ! なんでもなchibusaさんの事務所……なんつったけ……」
……チ、chibusa……さん……?
その名前がでた瞬間、とても大切な約束を忘れているような気分になる。
熱いお茶を一気に飲み込んだときに、胸元が汗をかくような感覚。
「そうだ、chibusaバウンススタジオ! この会社がよ、シグネチャーモデルなんてchibusaさんの名前を無断で使った商品はけしからとかなんとかって訴えてきたらしい」
「chibusaバウンススタジオ……ですか」
「なにいってやがんだって話だよな! ナツオがパブリシティとってるっつぅの!」
「……そ、そうですね……へ、変ですよね」
「だろ? ポリ公に何回調べさせてもよぉ、ウソつくなの一点張り。んでこのシール貼られてこのザマだ。ナツオからもビシっといってやってくんねえか!」
「そ、そんな、ポリ公って……」
背中がじっとり濡れた。
chibusaバウンススタジオ、chibusaさんのパブリシティ、そう、シグネチャーモデルの許可を取るというヤツだ。
すっかり忘れていた。
こ、公式な事務所が先に勘づいたのか……。
そ、それにしたって、早すぎるじゃないか。
「でもパークさん、あのタバコ、まだ販売してないですよね?」
「ん? おう。でも注文はガンガンはいってきてんぞ」
「え?」
「ナツオが任せとけっつって帰ったろ? あの後、オレァな全員にサンプル渡して、注文取るようにいってやったんだ。そしたらよぉ、もう飛ぶように新規注文はいってきてなぁ」
「パークさんは、トックンドリームを掴んだんだよ! ボクも頑張ったし!」
おそらく、取引を持ちかけられた誰かが事務所へ問い合わせをいれたのだろう。
これは、完全に無許可販売状態。
「オレァ学がねえからアレだけども、ナツオならうまいこと話つけてくれんだろ?」
混乱してきた。少し脳内を整理しなければならない。た、タバコが吸いたい。
でも、タンジェントとの約束が……。
いや、今は非常事態。
「ぱ、パークさん、とりあえずタバコもらえませんか?」
「あぁ? オメェよぉ普通、逆だろ? オメェらがここで、すっとタバコのワンカートンを差し入れてくるもんだろ?」
「い、いや、その自分、タバコのことをすっかり忘れてまして」
いろんな意味でウソではない。
「仕方ねえヤツだな。ホラ」
パークさんがズボンのポケットから白い箱を出す、あたりまえのように取り出されたPARKをみて違和感を覚える。
「そういえば、今回捕まった件にタバコの密造なんていうのは含まれていないんですか?」
いまさらながらの疑問ではあるが、そもそもタバコというのは、これほど自由に製造や販売を行っていいものなのだろうか。
「なにいってんだ? ここはトックだぞ? そこは問題じゃねえだろ」
考えてみれば、留置されている人間がこれほど自由に行動し喫煙できるという制度もどうかしている。本当にトックは喫煙者に対する寛容な態度を貫いているということか。
「それにしてもなぁ、納品間に合わねえぞこんなところでとっ捕まってたらよぉ」
拳を振り上げるパークさんの元へトレンチコート姿の職員が近づいてきた。
「そろそろ時間だ」
「おう? まだいいだろ? お天道様も明るいんだし」
「面会時間ぐらいは守れ」
「いや、でもよ」
不承不承な態度でこちらを振り返るパークさんの顔が駄々っ子のように歪む。
「ぱ、パークさん!」
まもるさんが急に立ち上がり、大股を開く。
「ボク、頑張って煙摘みしってまってます!」
「ま、まもる……」
「事務所にはハルノキくんがちゃんと説明してくれるハズです! だから、いまは休んでいてください!」
まもるさんは、両腕を突き出しスゥォォォォォ…と息を吸いはじめ、眼を閉じ突然、シャドーボクシングのように左右の腕を交互に前後させはじめた
「シュ、シュシュシュ! みてください! 素摘すつみもちゃんとできます! シュ、シュシュシュ!」
いつぞや、公園でパークさんがしていたあれだ。す、“スツミ”みというのは、もしかすると、煙摘もくつみの、素振りのようなものなのか……。
「お、おう! まかせたぞ! まもる! シュ、シュシュシュ!」
パークさんも、セキュリティポリシーの誘導に抗いながら、こちらに向かってパンチのような動作をくりかえして歩いて行く。
「まもる! ベリーシガレット! ベリーシガレット! ナイス、お天道様!」
謎の言葉を残し、扉の向こうへ消えた。
いまのうちだ。
いま手を打てばなんとかなるはず。
扉を見つめたまま動かないまもるさんを残し、先に建物の中に戻り、手動でVOICEを呼び出す。misaに知られるのすらマズイ。
視野内の“連絡先”から、そっと、そぉっとchibusaさんのVOICEを呼び出した。

あ、来た。
ワー、どうしよ。
早くない? まだ仕事じゃないの?
あれ、違う。
こっちかぁ。
でる?
いや、いや、いやぁ、ダメ。
いま、変にいいわけしたら、また心配かけるじゃん。
そうそう。
安心させられるようになったらにしよう。
アタシだって、やってないわけじゃないし。
うん。これは、そう、取材!
そうよ、取材の一環!
うん。
取材中は集中したい。
だから、いまは、いまは、無視しよう。

「ダメだ…」
何回かけなおしてもVOICEは呼出を繰り返すだけ。chibusaさんは反応しない。
ひとこと許可を取れればなんとかなると思うけど、このまま連絡がつかなければ本当にパークさんは有罪になってしまう。
それだけならまだしも、金を受け取った自分にもなにかしらの罪が課せられるかもしれない。それがいちばんマズイ。
なんとしてもchibusaさんに会わなければならないが、連絡が。そういえば膝枕をしてもらってから1度も姿をみていない。あの日の夜はchibusaさんが帰ってこなかったし、昨夜は自分が寮に帰れなかった。
2日ほど顔を合わせていないことになる。
棚田さんなら、なにかしら事情を知っているかもしれないが、ショルダーパッドに戻るのは気が重い。Lounge310のカウンターから睨みを利かせていたノゾミさんの顔が浮かぶ。
棚田さんやナベさんたちもさすがに、目をさましている頃だろう。ノゾミさんのあのテンションからいって、激しい議論が巻き起こることは容易に想像がつく。巻き込まれるのはいやだ……。
「ねえ! ハルノキくん!」
大声でハッと我に返る。
いつのまにか七臨署の門まで戻ってきていた。
「聞こえてた?」
引き締まった表情を浮かべたまもるさんがこちらをみている。
「ボク、フォルテッシモロング集めにいく!」
その眼差しに妙な鋭さが含まれているようにみえて、思わず萎縮してしまう。
「じゃ、じゃあ自分は、chibusaさんの事務所に確認いれてみます」
「うむん!」
なぜか鼻をひくつかせ、ホバーベルトをONにしたまもるさんの体は、ふわりと宙に浮きそのまま空へ向かって上昇していった。

「ワケはいいたくありません」
セキュリティポリシーからの帰り道に浴びた太陽の熱がいっきに下がるほど冷たい声がする。
「オメ、なにシラぶっごいでんだ!」
対極的に湯豆腐みたいなナベさんの声。
「おっとっと、ナベくん、そんなに大きな声だしたら、ほら、パワーハラスメントとかになっちゃうから、ここは穏便に……」
「棚田さんはいいのが!? こだ勝手されで!」
「い、いや、ねえ、ハハハ……」
「アタシさ、棚田さんと話てんだけど、なにしゃしゃってんの?」
「これは、店全体の問題だべ!」
「ね、ねえ、ノゾミちゃん、や、やっぱり、その、大会はダンスじゃなくって、DOS×KOIのほうでいきたい感じなの、かな?」
「はい。そこは変わりません」
「よ、よかったらさ理由わけだけでも聞かせて──」
「ワケはいいたくありません」
「だよねぇ、ハハハ……」
「棚田さん! いぐらなんでも甘えっぺよ!」
予想通りの状況だった。
Lounge310の方から、このやり取りがずっと聞こえている。通路に身を潜め聞いている限り延々とループしていて戻るタイミングがわからない。いや、戻る勇気もわかない。ノゾミさんだけでなく、口数の少ないナベさんがあれだけエキサイトしているところに踏み込むのは、生肉を体にくくりつけて猛獣の檻に入るようなもの。
ココは一時退散して作戦を立て直した方がいい。Lounge310に背を向け──
「おい! ハルノキ!」
奥からドスの効いたノゾミさんの声がした。
「さっきから立ち聞きしてんじゃねーよ、カメラに全部映ってんだよ!」
視線をあげると空中にホバリングする監視カメラと目が合う。そうか、万全なセキュリティが整っているんだな。素晴らしい。
「ハルノキくんもちょっと意見を聞かせてくれないかな……ダンス大会の参加者としてさ」
棚田さんの申し訳なさそうな顔がのぞく。
「も、もちろんですよ!」
「棚田さん、コイツがきたところでアタシの考えが変わると思ってるんですか? だとしたら、心外なんすけど」
Lounge310に足を踏み入れると即座にノゾミさんの尖った声が襲う。忍者屋敷のカラクリ板を踏んだ途端、壁から手裏剣が飛んできたような気分だ。
「そ、そうじゃないけど、ホラ、いちおうハルノキくんは、はるばるダンス大会のためにこの店に来てくれたわけだし、意見を聞く必要があるかなって……ハハハ……」
「そういえば前から思ってたんすけど、コイツ、ホントに踊れるんすか?」
カウンターの奥から値踏みするような鋭い目線が迫ってくる。
「踊れるようにぜんぜんみえないんすけど」
「お、踊れますよ!」
「オマエに聞いてねえよ! 棚田さんどうなんすか? 店代表の白ジャケまで渡してますけど」
ノゾミさんが、棚田さんのほうへ目配せする。
こちらには、あきらかに見下したような目。
「僕はみせてもらったけどなかなか、キレのある動きしてるよ、ねえハルノキくん」
「あたりまえじゃないですか! 自分、師匠もいるんですよ!」
「なら、みせてみろよ、いまここで」
「こ、ここでですか? のぞむところです」
呼吸を整えろ。
今こそ練習の成果を出すんだ。
感じろ、グルーヴを。

ガッ上げ゛ ンッ ガッ下げ゛ ァッ ガッ上げ゛ ンッ ガッ下げ゛ ンッ──

ガッ上げ゛ ンッ ガッ下げ゛ ァッ ガッ上げ゛ ンッ ガッ下げ゛ ンッ──

「は? なにそれ? 肩しか動いてねえじゃん」
脳内グルーヴが一瞬にして弾け散る。
「え、い、いや、まずは肩でリズムをとるのがポイントで。あ、あとは、曲に、曲のもってるバイブスに体をあわせてく感じで」
「バイブスって、オマエ、今の誰と共感できてんだよ」
「お、音楽がないとやっぱりそこは……」
「じゃあ好きな曲かけてやっから踊ってみろ」
ノゾミさんが手元にエアロスピーカーを呼び出していた。
「じゃ、じゃあ……」
視野内からimaGe Tunesイメージ チューンズを呼びだす、なにをかければいいんだ。
「早くしろよ」
「じゃ、じゃあ、この曲で」
これしかない!
再生を選択すると、ビートが流れだす。
行くぞ!

デーデデデン

いまだ!
ジャンプ!
かに歩き かに歩き

デーデデデン 

ジャンプ!
かに歩き か──

盛大な舌打ちとともに音楽が止まる。
なんだ!?
「オマエ舐めてんのか?」
ノゾミさんの、重圧を覆い被せて練り込んでくるような睨み。
「んな稚拙なステップで誰がバイブス感じんのか説明してみろ!」
「いや、それはオーディエンスとか、ステージとかストリートで空間を共有する全員が……」
「それ以前の問題だわ。オマエのステップさ、カニが歩いてるようにしかみえねえ!」
つ、伝わっているじゃないか。
「あとさ、心のなかでジャンプ! っていってんだろ?」
「…ツい、言って、言ってたら、なんすか?」
「ジャンプって脳に命令しねえと飛べねえヤツはリズムにノれてねえんだよ! マジで、いまムダにした時間かえせ!」
「む、ムダ!?」
いきなりだったから、ジャンプのタイミングがずれてしまったのか?
「ムダ以外のなんだ?」
「ノ、ノゾミちゃん、ハルノキくんも昨日、強いお酒飲んでるし、まだ本調子じゃないんだよきっと」
棚田さんまでダンスではなく体調の話に論点を移行している。
「こいつ調子なんて関係ないっす。ぜってー」
「ま、まあハルノキくんのダンスがどうであれ、大会はやっぱりダンスでいかないとだめだと思うんだよ。でも、それを理解しているノゾミさんがそこまでゲーム大会を主張するのにはきっと理由があるというのも理解できる。だから、ちゃんとワケを……」
「いいたくありません」
「だ、だよねぇ……ハハハ……」
「それに、ここでやるやらないの話してても、あいつらの居場所、押さえてなきゃ話すすまないっすよね?」
「そ、そうなんだよねぇ……」
「ねぇナベ! 場所わかったの?」
「わ、わがんね、げど……」
「じゃあ、アタシになにいってもムダじゃない? そこの童貞のダンスくらいムダ!」
「だよねぇ……ハハハ……まいったね」
「とにかく、アタシ、一旦帰ります。夜、店あるんで」
「あ、うん。そうだね、昨日は臨時に休業しちゃったから、今夜はなんとしても営業しなきゃだもんね」
「はい。しっかり寝て夕方またきます」
「よ、よろしくね」
ノゾミさんが猛烈な勢いでLounge310を出て行くのを黙って見送ることしかできなかった。
「まいったねぇ。女の子がああなっちゃうと、やっぱり問い詰めるのは難しいよねぇ……ハハ」
「た、棚田さん、自分のダンスってそんなにムダなんすか?」
棚田さんとナベさんが互いにあさってのほうをむいてうつむく。
「棚田さん?」
なんだ、この沈黙。
「とにかく、あれだ! ね、えっと、コージくんたちの行方を探さないと話が進まない!」
「んだ! ナンプラどコージ!」
「ハルノキくん、なにか知らない? よね?」
「そういえば、あの3人、ラジオの前にサウナはいってましたね」
「ウチの寮の?」
「はい。準備がどうこういってました」
「どこかに別のスタジオ押さえてたってことかぁ。ナベくん、ちょっと探してみようかぁ……あれだね、ラジオトリオの行方も大会の方向性も迷走してるね……ハハハ」
それからchibusaさんの行方も……。
「んだ、弱気でば、勝でねっぺよ!」
「そ、そうだね、うん、なんとかしよう」
棚田さんが小刻みにこめかみの辺りを掻きながら立ち上がった。
「ハルノキくん、ちょっとコーヒーでも飲みにいかない?」

「おう、コージ」
楽屋のドアを開いたのはナンプラさんだった。
「おはようございまっぁす!」
「ふぅ、あちぃなコレ」
かぶり物を脱ぎながら、イスにどかっと腰を下ろす。
「先生は?」
「まだいらしておりませっぇん!」
声を張り、注意を引きつけながらさりげなく、胸元をナンプラさんの方へ向ける。
しかし、気がつかない。
「う、うっぅん!」
咳払いをしてみても、こちらを一顧だにせず、エアロディスプレイを立ち上げ、スポーツ紙を読み始める。
「おぉっ。コージ、ニッカントックンにショルダーパッドの記事でてんぞ。“ショルダーパッド臨時休業!”だと、ひねりのねえ見出しじゃねえかってんだよな」
ナンプラさんがこちら側へディスプレイを反転する、チャンスだっぁ!
ナンプラさんの視線を計算し、Tシャツが視界に入るよう身体を動かす。
「オマエ、さっきからなにソワソワしてんだ、お気に入りオキニの女の予約でも取れたのか?」
「ち、違いまっぁす!」
Tシャツの裾を引っ張り、アピールする。
「じゃあ、なんだ…な…ん…オマエッ!」
やっと気がついた。
「そ、そのTシャツ……ミルク、マラコ…スゥスゥ…大会名のTシャツじゃねえか!」
「はっぁい! 手作りでっぇす!」
「…すげえな、縫製もばっちりじゃねえか」
「しゃ、シャツはありものでっぇす」
「なんだ大会ロゴがオマエのデザインか?」
「はっぁい! ミルク、マラコー、スゥスゥ!のシズル感を表現していまっぁす!」
「なるほどなぁ、この5色の輪っかをあしらってるところがデカイ大会の雰囲気でてていいな」
「ありがとうございまっぁす!」
「にしても、こんなのこしらえて、先生のポイント稼ぎか」
「ち、違いまっぁす! デザインを認めてもらってっぇ、ロイヤリティをいただきまっぁす!」
「そうなったらオレとオマエで折半てことになるな」
「な、なぜですかっぁ!?」
「おいおい。ここまで来たのはオレの番組があったからだろ? DOS×KOIの復活と小僧達のアツイ想いを繋いでんのが、誰か忘れてもらっちゃこまるぜ」
「そ、それは、そうですがっぁ」
「オレの分はねえのか? 2人で着た方が先生も判断しやすいだろ?」
「よ、予備はありますがっぁ、ナンプラさんの体型だと少しキツイと思いまっぁす」
「いいんだよ、Tシャツはピタッとしてたほうが。オレはな、Tシャツにはうるせえぞ。いいからだせ」
「は、はっぁぃ」
予備を入れたバッグに手を掛けたとき、ドアが開いた。
豊川先生が、2枚のエアロディスプレイを浮かべたまま部屋に入ってこられた。
「おはようございます!」
ナンプラさんが即座に立ち上がり立礼する。
「うん」
豊川先生はかぶり物をとらず、生返事だけなされた。
「先生、お身体の具合でも?」
「………」
「せ、先生?」
「いまから、ポエムの時間だから」
「あ、え?」
(ナンプラさっぁん、先生は、いまっぁ、エアロディスプレイでアニメ版のDOS×KOIを視聴なさっているのではありませんかっぁ?)
先生のお邪魔にならぬよう、声を潜めてナンプラさんへ注意を促す。
(お、おう、そうみてえだな)
「うん、うんうん、うん。うん。うん」
しきりに頷く豊川先生の頭部が激しくゆれていらっしゃる。
「いいよ、クニタチくん……そうだ、それが男ってもんだよな!」
先生の声以外なにも聞こえない空間で、ナンプラさんはこっそりとTシャツに着替えを始めた。

「正直、まいっちゃうよねぇ」
棚田さんは、席についてから5回目の溜め息をついた。
「ハルノキくんまで巻き込んじゃってわるかったね。あの2人、正反対だからさ、結構ぶつかるんだよ」
HOT TOK PLACEホットトックプレイスの中にある、棚田さんの父親がマスターをつとめるこのカフェスペースには、今日も心地よい静けさが広がっている。
でも、やわらかな光が射し込む大きな窓からみえる芝生は、セキュリティポリシーの中庭とダブり気分が少し重くなる。
「手前みそってヤツだけどさ、僕は結構、この雰囲気が好きでさ」
棚田さんはカップから立ち上る湯気の中に鼻先を埋めるようにして辺りを見渡す。
「静かでいいところですよね」
そういえば、chibusaさんがこのスペースは棚田さんの趣味だといっていたが当たっているようだ。情報を聞き出したいけど、いまchibusaさんの話を持ち出したら、棚田さんにトリプルの重圧を掛けてしまうことになるのか。
「それに、身内を褒めちゃうけど親父の入れるコーヒーはやっぱり格別でね」
おもわずカウンターの中に居るマスターの方へ視線をのばす。真剣な眼差しでトーストにナイフを入れている横顔はどことなく棚田さんと面影が重なる。
「今日みたいなときは、お客として足を運ぶんだ」
今度は目の前の棚田さんの目元のシワに、お父さんの横顔が重なる。
「あ、あの…棚田さん……」
「ん? あれ? ハルノキくんまでしんみりしはじめたね。大丈夫だよ、大会は上手いこと話まとめるからさ」
「そうじゃないんです」
「ん?」
「実は……」
「厚切り、お待たせ」
chibusaさんと言いかけたところに、お父さんが厚切りのトーストを運んできた。
「あ、ありがとうございます」
バターの溶けた濃い香りが鼻腔をくすぐる。
「これも、格別なんだよね」
子供のように表情をゆるめた棚田さんの鼻先にお父さんが、四つ折りの紙を差しだした。
「ん? なに?」
「タイミング、悪かったかもしれねえけど」
お父さんはそれだけいって、カウンターへ戻っていった。
棚田さんはゆっくり紙を広げ──目を見開き──そのまま立ち上がった──
「え、た、棚田さん!?」
「こ、これは……」
「ちょ、ちょっとみていいすか?」
テーブルに残された紙をのぞく。
短い文章がかいてあった。

“ゴメン! B− かも”

次回 2020年01月24日掲載予定
『 ミルクのゆくえ 04 』へつづく





「旦那ぁ! お疲れ様です!」
午前の学科教習を終えたセイジさんの元へ蒔田さんが駆け寄る。
「タオル、使ってください!」
大判のバスタオルを広げて廊下をふさぎ、他の教習生のちょうど良い障害物となっていた。
「い、いや汗、かいてないっす」
「学科ってのは、ほら、脇の下に汗かくじゃねえっすか!」
「そういうもんすか?」
「そりゃあそうでげす! わかんねえ質問とか急にされたら汗でますでしょ?」
それは蒔田さんの基準じゃないのか。
「体力回復のために、おジュースも用意してやすよ!」
スポーツドリンク用のボトルを差しだす蒔田さんの顔には、いつも通りの胡散臭い笑顔がぴったりと張りついている。
「あ、すんません」
「肩や首、こったりしてませんか?」
しかし、決定的に異なる部分がある。
「だ、大丈夫っす」
「じゃ、あっしは次の授業に備えて、エンピツ削っておきますんで、なにかあればなんなりと、お申し付けくだせぇ!」
妙に献身的だ。
いつもならなにか売りつけようという魂胆がすっかすかに透けているのに、あれやこれや持ち出す提案が物でないことが多い。
心に触れるサービスを持ち出す。
おそらく、セイジさんの裏にみえる正体不明の組織に対する予防線なのだろう。
なんと小さな人なんだろうか。
子犬のように尻尾を振る蒔田さんの姿をみていると、つくづく、この夏が早く終わればいいのにと思う。
「あの、蒔田さん」
「へい!」
「ここでいろいろやってると、みんなの邪魔になりますし、ちょっとベンチにでもいきましょう」
「旦那から、そんなおやさしい言葉、蒔田、幸せです!」
「え、江田さんもどうぞ」
セイジさんが助けを求めるような顔で視線をおくってきた。

「いやぁ! うめえ!」
ジュースを口に含むなり蒔田さんは大声でがなる。まだ味わってもいないのではないだろうか。
「旦那からいただく、おジュースは最高にオツでげすなぁ!」
「お礼みたいなもんですかね。なんだかんだで実技は全部パスになりましたから」
蒔田さんの恐るべき粘りの交渉により、あのインチキ原簿は正式なものとして受理された。
「まあ、そこは、蒔田総合サービスのサービスでやんすから!」
「あとは、学科だけっすからね、なんとか間に合いそうっす」
「旦那は臨空第七都市しちりんに届けものなんでやんすよね?」
「そうなんすよ、そろそろ出発しないとヤバイんすよね……ところで、蒔田さんたちはここら辺が地元なんですか?」
「いや、実はちっと遠くの方から行商にきてましてね」
「そうなんすか?」
「はい! そこでねぇ、ちぃっとトラブっちまいましてね、いまは、野山を駆け巡る生活に身をやつしてやす」
「トラブルっすか?」
「あの、シールさえ、剥がれればなぁ」
珍しく蒔田さんが声を萎ませた。
「シール?」
「へ、へい、あ、いや、旦那には関わりのねえコトです。失礼しやした」
「いや、確かに関係ないっていえば関係ないっすけど、なんかここまでよくしてもらってるんでお礼ぐらいできればなって思うんですけど」
「いやいや、お礼なんてのは」
蒔田さんが、右手で金を示す丸をつくりかけてすぐに引っ込めた。
「良かったらそのシールみせてもらえます?」
「へっ?」

「あー、これか」
レンタカーを置いている駐車場まで移動してセイジさんはボンネットを調べてくれている。
金のために全て行動している蒔田さんの存在自体が申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「これ、TYPCのヤツっすよね」
「わ、わかるんでげすか!」
「あ、はい、大学の友達がこれの研究してました。昔」
「やっぱり、セイジさんは博学だなぁ」
「ちょっと連絡してみますよ」
VOICEをかけに離れていくセイジさんの後ろ姿を眺めながら蒔田さんは、電卓をエアロディスプレイにして浮かべていた。
おそらくだが、あれはシールを剥離する費用と自分がいままでしてきたサービスの差額を計算しているのではないだろうか。






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