河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第110話『 ミルクのゆくえ 04 』

聞こえるのはカウンターの中でマスターがカップを取り上げる微かな音と、棚田さんの浅い呼吸だけ。棒立ちになっている棚田さんと、手紙を交互に見比べる。

“ゴメン! B- かも”

手紙と呼ぶには短いひとことのメモ。筆跡は女性のようだ……これ、もしかして……。
「ハルノキくん……」
脳内に丁寧におじぎしながらはいりこんでくるような棚田さんの声。
「僕、高校のころは寮生活でさ、首都圏の方でひとり暮らししてたんだ。チーちゃんは地元だから実家から通学してたんだけど」
「え、あ、え? chibusaさんって大学のサークル仲間じゃなかったんですか?」
「うん、最終的にはそうなんだけど、高校生の頃からチーちゃんとはクラスメートでさ、あれは高校3年生の夏休みが終わって1週間くらい経った頃だったかなぁ、チーちゃんが留年するかもっていいだしたんだ」
「chibusaさん、勉強は苦手だったんですか」
意外性がなんだかかわいらしい。
「苦手っていうか出来る事と出来ない事の差がとてつもなく大きいんだよ、チーちゃんって」
「なるほど、わかる気がします」
「興味のあることはとことん突き詰めるんだけど、そうじゃない事はまったくやらない。なんていうか、彼女らしいでしょ?」
「ハハハ、ですね、でも、chibusaさんのそういうところ、シッカリしてるようにもみえるんですけど」
「もちろん理由があってさ、はじめは高1の夏休みの最終日だったかな、チーちゃんが宿題写させてくれって言ってきたんだけど、なんかこうスッキリしない顔をしてるんだ」
「そりゃ、最終日に宿題丸写ししようとしてる人はだいたいそうなんじゃないでしょうか」
「そうじゃなくて、これって意味あるのかな? って写しながら言ってるんだよ」
「あ、でもそれわかります。ボクには宿題写させてくれる友達はいなかったですけどね、なーんって」
「うん、でも、宿題はふつう写さないでやるから意味があるじゃない」
「なんか、スミマセン…。でも、その正論をchibusaさんにぶつけたんですか?」
「ぶつける前に“ワタシ、いま、こんなことしてる場合じゃない!!”ってきづいたというか、思い立ったというか…」
「なるほど…」
「それからはチーちゃん“夏休みの宿題やらない派”になったんだ」
「宿題をやらないって、そんなことがまかり通るものなんですか? 怒られますよね、ふつう」
「それがまかり通ってしまったんだ、その日からの高校3年間。彼女は長期休みの宿題を1度もやらなかった」
「つわものですね…」
「だろ? かっこいいよチーちゃん、でもそのチーちゃんが、3年生の夏休みに留年するかもって言い出した」
「なにかあったんですか……」
「ぼくも気になってきいてみたら、夏休みの宿題を明日まで提出しろ、できなかったら留年させるって先生にいわれたって」
「それはまた、積もり積もったなんちゃらってやつですかね…」
「チーちゃん真剣にこまっててさ、あの子の中で“やらない!”って1度決めたことだから、絶対やりたくないって顔してるんだもん」
「なるほど」
「だから、またボクは宿題写しなよっていってしまった、悪いことだってわかってたけど」
棚田さん、昔は相当悪ったようにみえて、性根はいい人だったんだな……。胸元で光る極太の金ネックレスが、チャーミングにみえてくる。
「そしたらチーちゃんの表情がキラキラと輝きだした、でも彼女は宿題を写したわけじゃない」
「え? どういうことですか?」
「いっただろ、彼女は高校3年間、1度も長期休みの宿題をやらなかったって」
「宿題の必要性がないことを説いて先生を論破したとか」
chibusaさんならそれくらいのことをやってのけてもなんら不思議はない。
「チーちゃんは作ったんだ“宿題”を」
「つ、作った?」
「チーちゃんが相談に来たとき僕の宿題はもう返却されてたんだけど、その宿題さ、表紙に先生の評価が書いてあるだけで中身は提出したときのままだったんだよね。だからチーちゃん、表紙を外して、自分の宿題の表紙を綺麗に貼り付けて提出したんだ」
「な、なるほど」
「当時からやっぱり物を作る力がズバ抜けてたから、“宿題”を物体として捉えたんだろうねきっと」
「それでどうなったんですか」
「僕がだしたときは“B+”だったけど、戻ってきた宿題には“B-”って評価が書いてあった」
「先生、気づいてたんですかね」
「わからないけど、チーちゃんと2人でゲラゲラ笑ったっけなぁ」
棚田さんが中庭を眺めながら目を細める。
「じゃあ、この手紙の意味というのは……」
chibusaさんが書いたのは間違いないだろう。
「チーちゃんが、“宿題やらない派”だってことを僕に思い出させるためなんだと思う」
「ということは……やっぱり」
「うん……でも、そっとしといた方がいいのかなぁ」
chibusaさんとパークさん、2人の顔が同時に思い浮かぶ。
「いや、探さなきゃマズイですよ!」
「やっぱりマズイよねぇ……ハハハ……」
「棚田さん、chibusaさんの行きそうなところに心当たりとかないんですか?」
「それが…さっきから考えてるんだけど、チーちゃん大人になってからは“プライベートも話さない派”だから……」
「ぷ、プライベートも話さない派……」
「アーティストってやっぱり、ミステリアスな部分も必要だからかな……ハハハ……」
シグネチャーモデルの許可を取らないとパークさんの有罪が確定してしまうかもしれない。
「だから、チーちゃんの詳しいプライベートって学生のころからよく知らないんだ」
「でもchibusaさん、棚田さんの元元元元元元元元彼女って……」
「ハハハ…アレはチーちゃんの冗談だよ。確かに仲はよかったけど、チーちゃん昔からアーティスト活動で忙しかったし」
「chibusaさんそんなに若い頃から活躍してたんですか」
「それこそDOS×KOIあのゲームのキャラデザインは高校卒業する前後らしいからね」
「chibusaさん、この辺が地元じゃないんですよね?」
「うん。チーちゃんは首都圏の方の出身だから」
「じゃあ特区の周辺には特に知り合いはいないってことになりますね」
だとすればホテルや旅館を中心に探す方がいいのだろうか。
「でも、まって、そうだ! そういえば! チーちゃん、この辺の街に師匠がいるっていってたことがある」
「師匠!?」
「腕のいい先生の元で、一時期修行したって」
「う、腕のいい先生」
バウンスアーティストの“先生”というのはいったいどんな存在なのだろうか。
「もしかすると、この街に他にも知り合いがいるのかもしれないな」
そうすると、探す範囲はさらに広がる。
どうする。連絡をしても応答しないだろうし。
「と、とにかく、自分、この辺を少し探してみます」
「いまから? ハルノキくんも昨日はまともに寝てないじゃない」
「い、いてもたっても居られないといいますか……」
chibusaさんがもし見つからなかった場合、様々な問題が自分に降りかかる可能性がある。
「わかった。僕も、ナベくんたちと今後の打ち合わせが終わったら合流するから」
「そういえば、大会の方はどうするんですか」
「さっき話した通りだよ。まずはあのラジオトリオの居場所を見つけないと。話し合いもできないからね。ナベくんに3人がいるスタジオの場所を特定してもらうよ」
仮に場所を特定しても、あの人達が素直に大会をやめるとは思えないけど。
「まいったよねぇ、チーちゃんもラジオトリオにも……ハハハ……胃が痛くなってくる……ハハハ……」
腹部に手を添えながら、力なく笑う棚田さんの元へ、マスターがグラスに入ったミルクを運んでくるのがみえた。
「自分、ちょっと外にでてみます」
考えがまとまらない。
とりあえず、心を落ち着けて考えなければ。
よし! まずは、あそこへ行こう。

豊川先生がエアロディスプレイを閉じ、おもむろにかぶり物を脱いだ。黒々とした髪の毛が汗で額に張りついていらっしゃる。
「先生! 改めておはようございます!」
ナンプラさんが、胸元を突き出しながら、豊川先生の前へ、にじりよっていく。
「おはよう」
「いまご覧になってたの、DOS×KOIのアニメっすよね?」
「そう、だね」
「どの辺までご覧になりました?」
Tシャツが、豊川先生の視界に収まるようにわざとらしい体勢!
あっぁ!
プリント面が、豊川先生のサングラスに反射していらっしゃる。
視界にバッチリ入った。
「ナンプラくん、その前にさ」
「えっ? なんすか?」
聞き返す顔が白々しい。
「僕になにかいうことない?」
「えぇ、あぁ! そういうことですか? いや、実は、このTシャツのことですが」
このままでは、苦労して作ったTシャツの手柄がっぁ! ナンプラさんに取られてしまうっぅ!
「キミの目は節穴かい!」
豊川先生は突如、激昂の様相を呈された。
「い、いやこのTシャツはコージのヤツが勝手に作ってきたもので……」
「このサングラス! 誰のだと思ってるんだい!」
「っ、そりゃ、豊川先生のじゃぁ……」
「違う! フレーム!」
「ふ、フレーム?」
ナンプラさんの額にいつのまにか汗がにじんでいる。
「よくみなさいよ! この曲線、そして品のある艶! どこからどうみても四ノ宮くんモデルでしょうが!」
「し、四ノ宮くん……て、DOS×KOIの」
「生徒会風紀委員の四ノ宮くんですかっぁ!?」
「僕はアニメ版DOS×KOIの視聴を通して、クニタチだけじゃなく四ノ宮くんにも激しく感情移入しはじめている!」
「あ、あれ完全なモブキャラすけど……」
「僕は学生時代、風紀委員だった! クニタチくんにはもちろん頑張って欲しい。でもね、四ノ宮くんも陰で頑張ってる! 応援したくなるじゃないか」
「いや、は、はい」
「DOS×KOIのストーリーってさ、恋愛がやっぱり柱になってると思うんだよ僕」
「そりゃまあ、DOSדKOI”ですから」
「でもね、四ノ宮くんは恋を取り締まる側なんだ。風紀委員だから。クニタチが楽しい学園生活を送ろうとすればするほど、四ノ宮くんはストーリー上、嫌われ役になるしかない。だからせめて僕はメガネで四ノ宮くんをたたえたい」
「そ、それじゃ豊川先生はっぁ! 四ノ宮くんカードを“応援隊メンバー”に入れるおつもりなんですかっぁ?」
「先生、“応援隊メンバー”の編成は得点ポイントに直結する重要な要素っすよ。四ノ宮くんカードは、星ふたつまでしかでてないすから、大会で勝つには難儀なんじゃねえかと思いますが」
応援隊メンバーはよく、考えてから!」
「そ、そりゃあそうですよね。安心しました」
ナンプラさんはついに、額の汗をハンカチで拭いはじめた。
「それに大会は優勝できるかどうかじゃない。みんなでクニタチを男するのが目的なんだ」
「おっ、おっしゃるとおりでっぇす!」
「だから、大会名は“クニタチ男祭り!”にしようと思う」
「えっぇ!?」
「せ、先生“ミルク マラコー スゥスゥ”は…」
「長い! そんなネーミングじゃ誰も覚えてくれない!」
ナンプラさんは呆然としながらも、こっそりTシャツのプリント面を手で隠しはじめた。

ゴッシャンッ!
ご機嫌な音をたて、ブリタニカルの蓋がひらく。燃え上がる炎の先端へPARK WILDEを近づける。煙はゆっくりトックトックセントラルタワーモールの屋上へ向かって立ち上っていく。
同時に煙を感知したフロートレイがタバコの近くまで音もたてずに近づいてきた。
「ふぅ」
灰皿が手元にきたことを確認しながら、ゆっくり息を吐く。煙の行き先をぼんやりと眺めながらまた深く息を吸い込む。
トックトックセントラルタワーモール前の喫煙広場では今日もたくさんの人たちが思い思いにタバコの時間を過ごしているようだ。
太陽が眩しい。夏の風は清々し──
『おい。でくの棒』
突然、misaの脳内音声ダイレクト
「で、でくの棒ってなんだよ!」
思わず声を出してしまった。
周囲の人達がこちら側に無思慮な視線をいっせいに投げかけてくる。
『でくの棒……気が利かない役に立たない人間を罵る言葉よ』
「意味の話じゃない!」
『ちょっと探してみますっていって、いのいちばんに喫煙所に駆け込むオマエにぴったりな言葉だろ』
「おま…オマエって……」
『アタシそろそろアンタに遠慮するのやめようと思うの』
もともと、遠慮があったのだろうか。
『大切な恩人が逮捕されて、女性が1人行方不明になってる状況で、のうのうと煙草を吸ってる人間にどんな配慮してもムダだと思うの』
「し、仕方ないだろ。chibusaさんの居場所なんてわかんないんだから…か、考えをまとめてから行動しようとしてるだけで」
『アンタ、タバコやめるっていってたよね? アタシのボディ買うためにタバコやめるって宣言して、なにやってんの? まずそこ!』
「misa、これだけはわかっておいて欲しいんだけど」
『なによ?』
「タンジェントは、タバコを吸うなっていったわけじゃないんだ。タバコを買うのはもっと身分相応になってからにした方がいいっていっていたんだ」
『ならなおさら、今のアンタにタバコを吸う資格はないと思うんだけど』
「だから、そこをちゃんと理解しておいてくれないと困る。これは、さっき面会にいったときパークさんから貰ったタバコなんだ。買ったタバコじゃなく……も、もらいタバコなら問題ない!」
『道端のタバコ拾って売り捌く連中にも劣る畜生だわ』
返す言葉を探す時間を稼ぐため、ゆっくり、灰の長くなったタバコをフロートレイへ押しつけ火を揉み消す。吸い殻を捨て──
「うむむむん!」
唐突に巨大な物体が視界に飛び込んできた。
そのまま、手元に浮かんでいたフロートレイをもぎ取るようにかっさらい、周辺のフロートレイの群れへ突っ込む。何枚かのフロートレイが派手な音をたて地面に転がる。
フロートレイを掴んでいるのは……。
「ま、まもるさん!?」
「あれぇ? ハルノキくん!?」
「な、なにしてんですか?」
「フォルテッシモロングの匂いがした!」
「に、匂い?」
鼻をひくつかせ灰皿の中を掻き回す。
「あった!」
つまみあげたのはさっき自分が、捨てたPARK WILDEの吸い殻。
「みて、ハルノキくん! 上物!」
砂場で光る石でも見つけた子供のような顔だ。
「ま、まもるさん、もしかして、嗅覚でフォルテッシモロング探してるんすか……」
「そうだよ! ボク、わかるんだぁ!」
誇らしげに胸を反らす姿にわずかな苛立ちを覚える。
「に、匂いって、犬じゃないんですから……」
「パークさんからは、豚よりも役に立つっていわれてるよぉ!」
土の中に埋まったトリュフを豚がさがしていると聞いたことはあるけど……。
「というか、まもるさん太りました?」
脂肪の塊を産み落とし、いっときは痩せていたのに、すっかり元の状態に戻っているような…。
「いっぱいご飯たべてるから!」
なぜ無一文の状態で肥えることができるんだ。
地面に膝をつきまさぐるように灰皿のなかに手を差し込んでいる様はまさに豚。
鼻をひくつかせる仕草がよりイメージを鮮明に演出している。
「ハルノキくんも手伝って! シグネチャーモデルの注文が沢山はいってるんだから!」
「そ、それはやぶさかではありませんが、まもるさん、人間としての最低限の尊厳だけは失わないようにしてもらえませんか……」
四足歩行と同じ動きでタバコの吸い殻を探し歩くというのは、人類学的にどのような行為になるのか。だいたいタバコの吸い殻の匂いを嗅ぎ分けるというところがもはや人類ではない。
……ん、まて。
フォルテッシモロングの匂いを嗅ぎ分けるということは……。
chibusaさんが吸っているタバコは、フォルテッシモロング。
いや、だからこそPARK WILDE シグネチャーモデルはフォルテッシモロングの吸い殻でつくられている……。
ということは、もしかすると……。
「まもるさん、それですよ!」
「うん! これフォルテッシモロングだよ!」
「まもるさん! いますぐ街中のフォルテッシモロングの匂いを嗅いでください!」
フォルテッシモロングの匂いを追いかけていけばchibusaさんに辿りつけるかもしれない……。

次回 2020年02月07日掲載予定
『 ミルクのゆくえ 05 』へつづく





「あー、うっす。オレオレ」
少し離れた場所に移動しVOICEで会話をはじめたセイジさんの声が聞こえてくる。
「うん、ああああ、そうそう大学ね。うん、そのうちな、うん、うん? いや、ほらヒマラヤの件はホラあれだから……」
いっけん中身のない会話に聞こえるが、気のせいだろう。
「旦那、頼もしいなぁ」
少なくとも蒔田さんの目には、インテリジェンスとエスプリに満ちたやり取りに映っているのに違いない。
「話をされているお声も博学だなぁ」
目を閉じて腕組みしたまま小刻みにうなずいている。
「でも蒔田さん。仮にシールをはがせたとして、大丈夫ですかね、返却」
「どういうことだ」
蒔田さんは、音楽鑑賞を邪魔された老紳士のように不機嫌な目でこちらをねめつけてきた。
「あれからずっと延滞金が加算されているんですよ。延滞金ってつまり遅延した罰だから普通に返すより絶対に料金高いと思いますよ」
「それは江田くんの交渉力次第じゃないか」
「え、蒔田さんが交渉するんじゃ」
「オレは、最後の切り札だろ」
コソ泥ぐらいのスケールでしか悪事を働けないくせに、自分のことを自分で“切り札”といってのける胆力だけはあるのか。
「あ、マジで? おうおうおうあ、それだけ? ホントに? おーわかった。じゃ」
セイジさんの通話が終わったようだ。
「旦那ぁ! いかがでしたか!」
蒔田さんは揉み手のまま腰をくの字に曲げ走っていく。なんと、みっともない人なんだ。
「なんか、炭酸ぶっかけるだけらしいっすね」
「た、炭酸?」
「炭酸の成分が効くらしいです」
「そんな単純なことなんですか?」
「おい、江田くん、旦那に向かって失礼じゃないか」
「いや、オレもウソくさいなと思ったんすけど、どうやらホントらしいっすね」
「江田くん! スグに炭酸を買ってくるんだ!」






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