河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第111話『 ミルクのゆくえ 05 』

「クンクンクンクン!」
まもるさんが四つん這いで地面を駆けていく。
「クンクン!」
キラキラした目で周囲の灰皿を見上げる。
「クンクンクン!」
盛りのついた犬のように、機敏に周りを窺う。
「クンクンクンクン!」
今度は地面に顔を擦りつけた。
「クンクンクンクン!」
地面から砂ぼこりが舞い上がる。
ん?
「クンクンクンクン!」
いや、まて、あれ口で“クンクン”言ってるな。
「ま、まもるさん?」
「なんだい? クンクン!」
ハッキリと口が動く。
「いや、声でクンクンしても、臭いかげてないですよね?」
「だって気分がでないじゃない!」
「いや、マジメにやってくださいよ」
「マジメにやるから、クンクンしてるんだよ!」
また四つん這いになった。
トックトックセントラルタワーモール前の広場には、喫煙を楽しむ人たち、風船を配るパンダの着ぐるみまで多種多様な人達がいた。みんな遠巻きに様子を窺うような素振りをみせるが、目が合いそうになると不自然に顔をそむけ空を見上げる。
犬と豚の中間のような人と一緒に恥を晒すくらいなら、ひとりで探した方がマシかもしれない。
「クンクンクンク…むん!」
まもるさんが腕立て伏せをギブアップしたか、もしくは土下座をし終えた直後のような体勢で顔を上げ、一点を見つめたまま静止した、かと思いきや、おもむろにあぐらをかいて地面に座り込んだ。 鼻の穴が大きく広がる。
「う、ぅ……むん………」
唸るような、吠えるような、判別を付けがたい音を喉元から漏らし、まもるさんはあぐらの体勢のまま、浮かぶ。
眼が半分ひらかれ、半分とじた状態で正面を向いている。あれは、瞑目する己の内面と外側の世界をみるという、いわゆる“半眼”……あぐらのまま宙に浮く様はなにか尊い存在のようにみえてきて、挙げ句に畏怖の念さえ沸いてくる。
冷静になれ。
よくみれば、でっぷり突き出た腹部の下で、ホバーベルトのON浮遊OFF停止スイッチをカッチャカッチャ切り替えているだけ、この人は捨てられたタバコの臭いを嗅ぎとろうとしているだけ。
腹の下であんなにせかせかと動くあのあさましい指使いをよくみろ。浮遊する姿に後光が差して見えるのも、たまたま雲の隙間から陽の光がさしこんでるだけなんだ。あれは半眼などという高尚な行為では断じてない。
他人様に誇れることなんて微塵もない! 
しかし、その人間離れした能力に対して、もしかしたらこんな感情が……。
「むん!」
突如、開眼したまもるさんの形相に、おもわず肩がこわばる。
「…みえたよ……」
感情の表現が乏しい旧式のロボみたいな抑揚のない話し方なのに、低く穏やかにきこえる声、全てを知り尽くし慈しむような表情かお
「…こっちだよ……」
まもるさんは、ゆっくり肩を右側へ傾け身体を旋回させて、そのまま直進しはじめた。
その後ろ姿はもはや人間の動きを優雅に超越している。
つ、付いていっていくしかないのか。
どう考えてもまともじゃないだろう。
気がつくと、祈りにも似た感情でchibusaさんにVOICEをかけていた。
頼む、出てくれ! chibusaさん!!

うわっ、ちょっ!
来た!
また来た!
「あ、ゴメン、ちょっとまって」
「なんだぁ彼氏かぁ?」
「は? 違うわよ」
あー、どうしよー、いや、ムリ。
「出ろ! 遠慮すんな! なんなら俺が出てやろうか?」
「ちょっとお父さん!」
どっちにしても、いまは、ムリ。
応答、拒否、と。
「おぅ? なんだ電話きっちまったのか?」
「電話って、古いなぁ」
「俺としてはオマエの全てを把握しておくべきだと」
「アハハ、ムリよアタシそんなに単純じゃないから、じゃそろそろいこっかな」
「なんだ、もう行っちまうのか?」
「うん! あ、あのさ、もし、アタシのこと探しにくる子がいても、知らないっていってね!」
「おう! 任せとけ!」

──祈りは届かず。
chibusaさんからの応答はなくVOICEは虚しく途絶える。
ここまでくると意図的に拒まれているのは確定的……。こうなると頼れるのは5m前方にカッチャカチャ浮かぶ、あの“浮遊者”しかいないのか…。

まもるさんは浮遊状態のまま、特区トックの北側へ進んでいく。街ゆく人々はおもむろに歩道の端へ飛び退いて道を開ける。
クルマも空を飛ぶ時代、いまさら人が宙に浮かぶくらいなんでもないはずなのに、あの姿は理性を越えて本能的に訴えかけるのだろう。
まもるさんは、周囲の混乱に目もくれず、ゆるりゆるりと特区の奥へ進む。
このあたりは、“もっこり”を連発する怪しい男に連れられて迷い込んだ“グッドモーミング”の近く。あの夜のchibusaさんのはしゃぎっぷりから考えればこの辺に来ていても不思議ではない。ありえるかもしれないが……。まだ昼間だぞ。
「…あそこだよ……」
まもるさんの指がゆっくりと路地裏を示す。
小さな山になったタバコの吸い殻がある。
傍らには露出度高めなスーツに身を包む、ある意味“戦闘態勢”のお姉さん方が2人。
立ち話をしながらタバコを吸っていた…のを中断し、不審物をいぶかしむような眼でこちらを睨んでいる。
「…みつけたよ……」
まもるさんは何の躊躇もなく女性2人の足元に着地してそのままタバコに手を伸ばす。
「いやいや、オメエなにしてんだよ!」
右側に立っていた赤いスーツのお姉さんがまもるさんの前に立ちはだかる。
「…これは大地と太陽の恵み……」
あぐらのまま、まもるさんは動じない。
「や…、あたしらのタバコだから」
「…フォルテッシモロングを摘むのが、ボクの宿命さだめ……」
「いや、フツーにキモチワリィから」
お姉さんはハイヒールの先でタバコの山をがしがしと蹴散らす。
「あ、あああ! なんということを!」
「ねえ、ちょっとホント、むり」
左側のお姉さんは小刻みに震える人差し指で空中をなぞりはじめた。
ダメだ、本当にセキュリティポリシーへ通報しようとしている。
考えてみれば、自分が口を付けたタバコを、目の前で他人に拾われて喜ぶ人なんていない。
「まもるさんダメです! 行きましょう!」
お姉さん達に、目で精一杯のお詫びしながらまもるさんの襟首をつかんで後ずさる。
両手に感じる体重がイラつく。
こういうときこそべよ! デブ!

「…全部シケモク……」
まもるさんは空中でタバコの品定めをしていた。この人、あのドサクサの中で吸い殻を2本も拾っていのか。なんという根性だ。
「…これじゃ売れない……」
いつのまにか、本物のタバコ拾いの才能が開花しはじめているのか。
「ま、まもるさん、次からは近くに人がいないことを確認してから拾いましょう」
「…“拾う”のではなく“む”だよ…むん!」
まもるさんの鼻がぴくりと動いた。
「こっち! 濃い!」
急に進行速度が速まった。
あの体勢フォームでどうやって加速しているんだ。
「クンクンクンクン!」
近くの公園の中へ入っていく。
確かに、進行方向にある植え込みの向こうに煙が立ち上っている。
「クンクンクンクン!」
がさがさ音をたて、植え込みの中へ突進していく背中に迷いはない。
「うぉっ!」
奥から野太く汚い男の声。
chibusaさんではない。
放って逃げようかと思ったが、またトラブルを起こされてこも困る。仕方なく小走りで近づくと小汚い服を着たまんまるとした体型の男が座り込んでいた。
「マンジュウさん!」
まもるさんの知り合いらしい。
「なんでこんな所でタバコ吸ってるんです!?」
「ばっ!! オメ! シッ、シー!」
人差し指を口元に当てる仕草に1ミリもかわいげがない。
「なんで、ここわかったんだよ!」
「フォルテッシモロングの匂いがしました!」
マンジュウと呼ばれた男の手元の安っぽい紙でできた箱の表面にPARK WILDEの文字がみえる。
「オレは、その、営業活動の合間をぬってだな、商品研究ってヤツにいそしんでんだ」
つまり、サンプル品を勝手に吸っていたのか。
これ以上ここにいても無駄なコトは明白だ。
「まもるさん、次いきましょう」
「…ハルノキくん……」
「な、なんですか?」
「…喉が、渇いたよ……」
「知りませんよ! その辺で水でも飲んでください!」
「ひどいじゃないか! さっきからボクがどれだけクンクンしてるかわかる? 喉、渇くんだよこれ! ハルノキくんもやってみればわかるよ!」
「そんなことできるワケないでしょ? ていうか、まもるさん、chibusaさん見つける気あります!?」
「そんなこといわれたって、ボク、フォルテッシモロングの匂いしか、わかんないもん!」
「お、おいおいケンカすんなよ……」
マンジュウが止めに入ってくる。
「だいたい、アンタなんでこんなところでタバコ吸ってんだよ! 紛らわしいじゃないか!」
「いいや、オレは、その……」
「うむん!」
仲間の遠吠えを聞きつけたオオカミのような勢いで、まもるさんがあさっての方向を睨んだ。
ちょうど停留所に入ってきたバスがみえた。
「あのバス! フォルテッシモロングの匂いがプンプンする!」
「え?」
「いままででイチバン濃い!」
「バスからタバコの臭いがするわけ……」
いや、ここは特区。車両が“喫煙”なのが当たり前。臭いがしても不思議ではない。だが公共の交通機関に乗り降りする人の数を考えれば、無駄足の可能性は高い。
「も、もういいです。chibusaさんは別の方法で探しましょう」
「ボクはタバコ摘みとして、あのバスに乗る義務がある!」
「いくら、集めたってchibusaの許可がなきゃ販売できないんですよ…、あっ! ちょ、待ってくださいよ!」
あぐら浮遊の体勢でバスへ向かっていく。
「まもるさん! お金持ってるんですか!?」
「もってない!」
還暦を過ぎた男が恥ずかしげも無く無一文であることを叫ぶ。
「バス行っちゃう!」
「わ、わかりましたよ!」
このまま無賃乗車でまもるさんがセキュリティポリシーに捕まれば間違いなく自分の名前が出てしまう。
くそ。
ぬるりと車内へ滑り込むまもるさんを追いかけ、バスに乗り込んだ。

「ハルノキくん! このバス、どこを嗅いでもフォルテッシモロングの匂いがする!」
「あたりまえじゃないですか。車内で吸ったら臭いそのまま残るんですから」
窓の外には、西に傾き始めた太陽。
今夜も仕事なのに、昼寝もできないのか。眠気を堪えながら眺めた景色にはどこか見覚えがあった。そうか、このバスは数日前この街に入ってくるときの逆ルートを走っているのか。
車内の灰皿を覗いて嗅ぎまわっているあの“浮遊者”は、その頃はmisaにimaGeボディを買おうとするくらいの大富豪だったのに。
いや、あの瞬間はすでに閑古鳥エンプティバードが鳴いていたか。
天井を見上げると“喫煙”の赤い文字。
そういえばパークさんに会ったのもバスの中だった。タバコを勧められたけど、自分はまだタバコを吸っていなかったんだ。
たった数日のうちにいろいろ変わったな。
クルマの中でタバコを吸えるなんて経験、特区でなければできそうにない。
せっかくだから一服しておこう。
ポケットからPARK WILDEを取り出──
「うむん! フォルテッシモロング!」
まもるさんがこちらに飛びついてくる。頭頂部のすえた臭いが鼻につく。
「バカなんですか? いま自分が取り出したタバコですよ?」
「ご、ごめん」
タバコの臭いにこれほど敏感なのに、なぜ体臭には気を配れないんだ。
夕陽になりかけた太陽を眺めつつブリタニカルの蓋を跳ね上げる。

ゴッシャンッ

煙を吸い込むと、脳がキリッと引き締まる。
同時に赤々と燃える夕暮れの太陽と夏休みの思い出とノスタルジックな気分が脳内で絡まりあってリンクしはじめた。
自分は夏休みの宿題を“結構やる派”だ。世の中には“やらない派”なる派閥も存在する…やらない派のchibusaさん。それを優しくみまもる棚田さん。学生時代のchibusaさんはアーティスト活動に奔走し棚田さんと遊ぶ時間は少なかったのだろうか。2人の青春時代を想像してみる。もし本当にchibusaさんがバスに乗ったのならどこへ向かおうとしたのか。プライベートを語らない派のchibusaさん。バウンスアーティストの師匠。
師匠……、一瞬なにかがひっかかる。
…………そういえば……バスに乗る前……この街に来る前…………。
「ねえ! misa! ちょっとこのバスの周回コースしらべてくれないかな。ちょっと気になることがあるんだ」
『はあ? なに? その事件解決の糸口をみつけた探偵みたいな口ぶり』
「あぁ! misa様! お久しぶりです!」
『データとか情報の有用性は使う人間の脳みそできまるんだけど』
まもるさんの呼びかけをスルーしてmisaは淡々と言い放つ。
「いいから! 早く! まさに探偵級の閃きかもしれない!」
『とことんダサイわねアンタ。なに? 探偵級の閃きって』
「お願いします。このバスの周回ルートを地図で表示していただけないでしょうか」
懇願に対する音声こえはなく、無音で1枚のエアロディスプレイが立ち上がる。
ディスプレイに表示されたバスの周回ルートを辿っていくと……やっぱり。
少し強引な推理かもしれないが、臭いだけの手がかりに頼るより、はるかにマシだ。
「まもるさん。降りるべきバス停がわかりましたよ」

「そろそろさ、本題に入ろうとおもう」
豊川先生が寸分の動きもなく正面を向いて発声なされた。
「本題? ですか?」
「DOS×KOIってさ、ラブストーリーなんだよね?」
「そうでっぇす! メインストーリーはっぁ、クニタチの恋物語でっぇす!」
「だからクニタチが好きな女子は、ミナミ先輩なのかナツメちゃんなのかについて……話そうじゃないか」
「っぇっぇ!?」
「先生! そ、そいつぁ!」
「なんだい?」
「そいつぉ、はじめちまったら放送に支障が出ちまいます」
「どういことだい?」
「クニタチが好きなのは誰なのか、そりゃもう長げぇ長げぇ論争がつづいてます。それくらい、DOS×KOIキッズの間じゃ永遠のテーマなんですわ、とてもこの会議中に答えがでるような問題じゃありません」
「そうなの?」
「これに関しちゃオレも、正直、先生の意見と対立しちまうかもしれません! 飲み屋でも、政治とスポーツの話はタブーっていうでしょ? DOS×KOIキッズの間じゃクニタチのホの字が誰かって話題は禁忌タブーです」
「パンストとタブーは破るためにあるというのが僕の持論なんだけど」
「いや、しかし、そ、そうだ、コージ! オマエは誰が好きなんだ?」
「えっぇ? わたくしの推しですかっぁ!?」
「そうだ、コージの好みはどっちだ!?」
「わたくしはっぁ、ミナミ先輩が好きでっぇす!」
「そのこころは? 先生に聞いてもらえ!」
「ほ、抱擁力がありそうだからでっぇす!」
「ふん、やっぱりオマエは小僧だな」
「な、ナンプラさっぁん! それはヒドイでっぇす!」
「仕方ねえだろ。最強美女はナツメだ」
「ナ、ナツメさんはっぁ、ちょっと、目元がキツくて怖いときがありまっぁす!」
「それがいいんだろ。女豹みてえで油断ならねえところがグっとくる」
「ナンプラさんの好みとは違うんでっぇす!」
「先生、ご覧になりましたか? 普段は従順なコージですら、タフガイ並に食らいついてきます。クニタチの好きな女子の話題になればなおさらなんです」
「みんな、こんなに熱いの?」
「はい。真のDOS×KOIキッズはこれくらいのいやこれ以上の熱量があります。きっと」
「僕はそれを肌で感じたい」
「……と、といいますと」
「リスナーともっとふれあう必要がある!」
「それが大会なんじゃねえんですか?」
「大会前からもっと! なにか、リスナーとダイレクトにふれあえる企画が必要!」
「だ、ダイレクトにっていわれても」
「ぼ、VOICEで生相談はどうですかっぁ!?」
「コージ! そいつは生放送の最難関だ!」
「で、でもっぉ! 生で熱量を感じるならこれがイチバンでっぇす!」
「うん。それ、採用」
「せ、先生! ちょっとまってください。生相談は危険です。なにが飛び出すかわかんねえんですよ!? 頭のおかしなヤツが放送禁止用語を連呼しだすかもしれねえ」
「そうしたらCMにすればいいんじゃない?」
「そ、そんなことしたら、スポンサー企業に大目玉食らっちまいます!」
「な、ナンプラさっぁん……」
「なんだ!?」
「スポンサーは、豊川さんでっぇす!」
「……あ、あ、そ、そうか。先生、いいんですか?」
豊川先生は眉根を寄せることもなく、静かに頷かれた。
「そうか、先生が後ろ盾なら、問題ねえな! よし、コージ! 準備しろ! 回線ふやしとかねえと、小僧たちからのVOICEが殺到してパンクしちまうからな!」
「はっぁい!」
「先生、きっとどんでもねえ量のVOICEが届きますよ。さばけますかね、全部。ブハハハハ」
ナンプラさんがコーヒーを啜りながら高笑いをはじめた。

「どんどん濃くなるよ!」
まもるさんの浮速が早まる。その道順は自分の想定しているルートと同じ。
当たり。かもしれない。
『ねえ、ハルキ』
脳内音声ダイレクトにmisaの音声こえがした。
『なんでココなの?』
「あ、いや。先に申し上げておきますと、もしご期待されているようであればそのご期待にはそえないかと……」
『“期待”って言葉の意味調べようか?』
「い、いえ……結構です。存じております」
「ハルノキくんここだよ! ここから…あれぇ? ここぉ……」
素っ頓狂な声を上げ、まもるさんが建物を見上げている。
「まもるさん、ここから匂うんですね?」
想定通り。まあ、これほど早く再訪問することになったのは想定外だけど。
「……このお店、misa様のボディを作ってもらったとこだよね」
まもるさんの問いかけを無視して店内へ足を進める。
そう。
八ッ橋美形堂にchibusaさんはいる!
「へい! らっしゃい!」
「いらっしゃっ…ぁ!」
今日は親子揃って店番していたようだ。
相変わらず黒々とした肌艶の店主八ッ橋薫とその娘、あずきさん。
「ハルノキさん!? ど、どうされたんですか? もしかして、misaさんのボディを…」
あずきさんが眼を見開いて駆け寄ってきた。
たった数日で、天文学的な大金を用意できるはずもないのはわかるだろう。それなのにこの慌てぶり、何か隠している。
「あずきさん。今日はimaGeボディの件じゃないんです」
「と、と、と申しますと……」
安物のサスペンスドラマの刑事と被疑者の妻みたいなやり取り。
「こちらにchibusaさんという女性がいらっしゃいませんでしたか?」
あえて、あずきさんの肩越しに店主に向かって訪ねてみる。
「おう! 来たぞ!」
「ちょ、ちょっと! お父さん!」
あずきさんがもの凄い勢いで振り返る。肩のこわばり方だけで、怒りが伝わってくる。
「あ、いけね! いや、来てねえ!」
もう、遅い。
「その話、くわしく聞かせていただけませんか?」
「は、話ししても、もう遅えぞ! もう、リニア乗ってるころだ」
ブリタニカルの蓋を跳ね上げる。
鋼鉄の弾けるような音が店内を支配する。
「リニア?」
「ちょっとぉ!」
「いや! な、なんでもねえ!」
「chibusaさんはこの店にきて、いま、リニアに乗っているんですか?」
「そうじゃねえよ! これ以上もういいだろ! ウチの弟子の恥は」
「だからぁ! お父さん!」
ボロボロとこぼれてくる証言。サスペンスドラマどころかまるでコントじゃないか。
インチキくさい店主だが、imaGeボディの成形については腕がよく、昔はたくさんの弟子がいたとあずきさんが言っていた。アシスタントプログラムのボディを作るというのはつまり人間の肉体を作ることと同じ。chibusaさんの作品の方向性にマッチする。あの真っ黒に日焼けした店主が師匠と呼ばれていたことは充分あり得る話。ここまでは読めていた。でも、リニア? 弟子の恥?
「くっそぉ誘導尋問かよ!」
「や…普通に質問しただけですが、弟子の恥というのはどういうことでしょうか?」
「チクリンのことはもう昔の話だ!」
「チクリン!?」
人生で同姓や同名の人にであうことは珍しくない。サトウやイトウ、サイトウ、タナカ、そりゃあ全国に途方もない人間が同じ姓を持っているのだから、驚くことじゃない。
不思議なのはありふれた苗字の中でも飛び抜けて印象に残る人間がいること。そういう存在は自分歴史の中で圧倒的なインパクトを残した人間。
“黒井チクリン”はその筆頭だ。
そもそも姓名の組み合わせからしてかなりレアな組み合わせだが、それ以上に忘れがたい強烈な記憶の数々……。
いまさら、“もう1人自分歴史の中にチクリンさんが増えます!”といわれても困る。
それに、チクリンは仮想空間内でセクシャライズアバター、人間をモデリングする商売を営んでいたし、あずきさんは“兄弟子が捕まった”とも言っていた。
ならここで出た“チクリン”は同一人物だと判断するのが妥当だ。
「チクリンって黒井チクリンのことですね?」
思わず芝居がかった言い方になってしまう。
「なんで知ってんだ! オマエ、探偵か!?」
慌てた様子の店主に代わり、あずきさんが盛大な溜め息を漏らす。
「わかりました。奥でお茶でも飲みましょう」

通されたのは店の奥にあった和室。こじんまりとはしているが、掃除が行き届いた清浄な雰囲気の座敷であずきさんは、急須でお茶を淹れながらchibusaさんのことを話してくれた。
「…やっぱり、chibusaさん、ここに来たんですね」
出されたお茶に口を近づける、湯気の運んでくるお茶の香りに肩の力が緩む。タバコを吸っているときとはまた別の意味で脳内がリラックスしていく。
あずきさんの話によれば、やはりchibusaさんが師匠と呼んでいたのは八ッ橋美形堂店主、八ッ橋薫。その師匠から兄弟子であったチクリンのことを聞き、面会のため臨空第5都市リンゴへ向かった──。予想は半分的中しもう半分はまさに予想外の方向へぶっ飛んでいた。
「ハルノキさん……」
あずきさんは自分の茶碗をそっと置いて居住まいを正していた。その目にはどこか思い詰めたような色がみえる。
「このことがハルノキさんに伝わってしまったのは、粗野で未熟な父のせいであることは重々心得ております。ですが、どうか、わたしのお願いを聞いていただくことはできないでしょうか」
同い年とは思えない迫力でせまるあずきさんの眼差しに対して頷くことしかできない。
「チー姉さん。いえ、chibusaさんをそっとしておいていただけないでしょうか?」
「そっとしておくというのは……」
「これ以上、立ち入ったことは話せません。でも、chibusaさんにはいま独りでいる時間が必要なんです。ですから、姉さんを追いかけたりすることはどうかご勘弁ください」
そういいながら頭を垂れた。
「い、いや、その…」
女性にここまで切実に懇願されたのは生まれて初めて、で、でも。
「じ、自分にも、のっぴきならない事情がありまして」
『たいした理由じゃなくない?』
misaが勝手に体外音声スピーカーで話はじめた。
「misaさん?」
『あずき。ごめんねこんなヤツに気、使わせちゃって。おい、ハルキ、黙って聞いてれば、ここまで真剣に頼まれてもまだテメェの保身か?』
「そ、そんなこと言われても……」
「ハルノキさんにもご事情があるんですよね。勝手を申し上げてしまいました」
あずきさんは、いまにも泣き出しそうなくらい、顔を曇らせている。泣かれでもしたら、misaの怒りが……。でも、セキュリティポリシーに捕まったら社会的な制裁が……。
「あ、あ、あずきさん……。ごめんなさい。やっぱり自分は、どうしてもchibusaさんを探す必要があります。でも、それはchibusaさんの邪魔をするものではありません。その、うまくいえないんですがひとつ聞きたいことがあるんです」
『だから、それが保身のためだろ?』
「た、確かにそうかもしれないけど」
『けど、なんだよ?』
「chibusaさんが“B-”って棚田さんに伝えたのはきっと、本人も納得してないと思うから、そ、その、ホントに独りでさ、寂しくないのかとか聞いてあげたいんだ!」
おもいのほか大声をだしてしまったせいで、むせ込む。あずきさんが、お茶をとってくれた。
「ハルノキさん、そこまで姉さんのことを思ってくれているんですね」
『いや、違う、こいつは』
「misaさん。ありがとうございます。もしかしたらハルノキさんの言うとおりなのかもしれません。チー姉さん、なんだかとっても寂しそうにみえたのに、わたしは気づかないようにしていただけなのかもしれない。ハルノキさん。姉さんのこと探してあげてください!」

「これは?」
「違います!」
「これは?」
「フォルテッシモロング!」
「おめえ、凄えな!」
店先では店主がタバコを吸い、その煙をまもるさんが嗅ぐという異常な光景が繰り広げられていた。
「おう、あずき、終わったか? みてみろこいつ、凄えぞ、タバコの臭い嗅ぎ分けられんぞ!」
店主の指に2種類のタバコが挟まっている。おそらく利きタバコで遊んでいたのだろう。
「よし! この八ッ橋薫がオマエをタバコソムリエに認定する!」
「ありがとうございます!」
「精進しろよぉ!」
まったく持ってどうでもいいやり取りだ。
「それでは、ハルノキさん。お気を付けて」
あずきさんはそちらには一切目をくれず、深々と頭を下げた。
「なんだ、もう行っちまうのか?」
「ハルノキくん! あっちの方にずぅーっとフォルテッシモロングの匂いがつづいてるよ!」
「いや、もう、それいいです」
「そうは行かないよ! ボクはフォルテッシモロングを沢山あつめなきゃならないんだから!」
「わ、わかりました、どうぞ、御自由に」
まもるさんは、ぷかりと浮かび上がり、そのままどこかへ飛んでいってしまった。
良かった。帰りのバス代は自分の分しか持ち合わせていない。まもるさんは、自分よりも大人だ、きっと1人でなんとかできるだろう。
あずきさん達に手を振りながら。遠くなっていくまもるさんの背中をぼんやり眺めつつバス停へ向かう。
『ハルキ、どうするつもり? ヘタなことしたらアンタの個人情報全世界にバラ撒くからね』
途中、凶暴な脅しを受けながら。

chibusaさんの行方はわかった。でも、そこに行き着くためには、資金が必要だ。
いまの自分に、臨空第5都市に向かう程のお金はない。歩いて行こうものなら、片道の距離を歩くだけでダンス大会が終わってしまう。
資金面は、棚田さんに協力を仰ぐのがいちばんだが、棚田さんが動きだすと、話が大きくなってしまう。
chibusaさんが傷心するような展開になれば、脳内で凄みをきかせるアシスタントプログラムが黙っていない。
chibusaさん捜索の問題点に活路を見いだせないままショルダーパッドへ辿り着いてしまった。
どうすればいいのだろうか。
店の正面にそびえる長い階段と白亜の扉の前を眺めてみたが、こんなところでぶらぶらしていたら怪しまれる。
裏へ回り従業員用の通用口から店内へ入ると事務所は騒然としていた。
「ハルノギおめ、遅えぞ!」
ナベさんが年代物の大きなヘッドホンを付けてイスに座っている。
「あっ! ハルノキくん! チーちゃんみつかった?」
棚田さんもダンボールを抱えて小走りで動いている。
「い、え、っとまだです……」
咄嗟に嘘をついてしまったが、棚田さんは気づく素振りもない。
「そうかぁ……どこいったんだろうなぁ」
「あ、あの、棚田さん、これは」
事務所の中はさまざまなグラフやテキストが表示されたエアロディスプレイが幾重にも重なって浮かんでいる。
「本格的にラジオトリオの居場所を突き止めることになったんだ」
「ぜって逆探知ぎゃぐだんちしてやっぞ!」
ナベさんが奥の方で叫ぶと周囲にいた先輩たちも声を張り上げる。
「……ハハハ……みんな張り切っちゃって」
「で、でも、営業は?」
「今日はオート営業になったんだ」
「オート営業?」
「フロントやクローク、DJとかMCもぜんぶオートプログラムとプログラムボディで営業するから、ハルノキくん今日はさ、表の掃き掃除だけしてくれたら、もう上がりでいいからね」
店を無人で回して、ここに居る全員でラジオ放送を逆探知するということだろうか。
「チーちゃん探すの疲れたでしょ」
棚田さんの笑顔にいまさら、嘘をついた罪悪感がわいてきた。

年季の入った箒とちりとりを持ってLounge310の前を通りかかると中から氷を砕く音がきこえた。今日はここも無人営業になるのか……。
しかし、中を覗くといつもの変わらぬ位置にノゾミさんが立っていた。
「あ、あれ?」
「なんだよ?」
いつもの鋭い目線が飛んでくる。
「今日は、オート営業じゃ…」
「ふん。アタシには関係ない。客が来るなら店を開ける。オートバーテンになんか任せられっかってんだ! こちとら自分の腕でメシ食ってんだからよ!」
妙に威勢のいい仕草で腕をまくる。細くて華奢な腕だけど、引き締まっていてキメ細かそうな白い肌だった。
「なんだそのスケベそうな目」
「え、ち、違います!」
童貞オマエらみたいなのは、腕みせただけでオカズにしそうだよなぁ」
なんということをいうんだ。女性として恥じらいというものはないのか。
しかし、今日のノゾミさんはどことなくイキイキしているというか、いつものトゲトゲしさが幾分マイルドになっているようにみえる。
「ノゾミさん、今日は機嫌がいいんですか?」
「は?」
「いや、なんというか、いつもより少し優しいなとおもいまして」
「は、や、優しくなんてねーし」
普段、こんな風に自分の発言にいちいち返答なんてしてこないのに。
もしかしたら。
「の、ノゾミさん、一服させてもらっていいですか?」
「あ? オメー掃除あんだろ? さっさと吸っちまえよ」
カウンターにすっと灰皿を出してくれた。やさしい。タバコを吸うことを許可するだけでなく、灰皿をカウンターに置いたということはノゾミさんの近くに座ってもいいということだ。
PARK WILDEに火を点けてカウンターのイスへ座る。どこから切り崩せばいいか。
「ノゾミさん……」
「なんだ」
「PARKってうまいですよね」
まずは共通点をついて共感を得ていこう。
「ん? あぁまあな」
「ノゾミさんはなんでこんなレアなタバコすってるんですか? PARKって全国流通しているわけでもないのに」
そういえばノゾミさんは、このタバコが道端を巡回している人達がこの特区だけで販売している商品だということをしっているのだろうか。
「オメーに関係ねえだろ」
「で、でも、その、PARKがなくなったらこまりますよね?」
グラスを磨いていたノゾミさんの手がとまる。
「どういうことだ?」
「いや、たとえばの話なんですけど、自分が愛用してるタバコが販売されなくなったら困りますよねっていう話です」
「もう10年近く吸ってるタバコ、簡単に手放せるかってんだよ」
この人、いくつから吸ってるんだ。
「じ、実は、その、いまこのPARKが生産中止の危機に瀕してまして……」
「なんだと?」
「実は、PARKの生産元の責任者がちょっといま塀の中にはいっちゃって」
ノゾミさんの眉がピクリと振れた。
「そ、それで、まあ、いろいろありまして、自分がその生産者を助けるために、お、お金貸してもらえないですか?」
「はぁ?」
「や、その、必ず返します。たぶん」
「なんでオマエに金貸す必要がでてくんだ?」
「chibusaさんに会わなきゃいけないんです。でも、chibusaさんちょっと遠くまで出掛けてしまっていて、そこにいくための資金がその……」
「……ふざけるな」
背筋が伸びた。
この低音はいつもと変わらぬ、お怒りの声。
「さっさと掃除でもしてこい。カス」
いつも以上の恐怖だ。
ノゾミさんは下を向いたまま全身を震わせている。
「も、申し訳ありません! すぐに掃除してきます!」
即座に離脱を判断しラウンジを飛び出した。

ショルダーパッドの顔でもある、正面玄関の白亜の扉をあけると夕暮れはどこかに消え、夜が始まっていた。
ノゾミさんを怒らせてしまったのはマズかった。棚田さんに話が伝わったら全てバレてしまう。年季の入った箒をもって階段を降りる。
こうなったらヒッチハイクでもして、臨空第5都市までいくしかないか。
店先の地面には無数のタバコが散らばっている。さすが特区。灰皿のある場所だけが喫煙所ではない。
この中にフォルテッシモロングは何本くらい混じっているのだろうか。それを臭いだけでかぎ当てるあの人の嗅覚はやはり人間ではない…。
宙に漂うまもるさんのことを思い出しながら、地面に散らかる吸い殻を掃き集めていると、強烈なクラクションが鳴った。
驚いて顔をあげると、今度は凶悪なほどまばゆい光を放つクルマのヘッドライト。
細めた目の中全体が白く染まる。
もしかして、命を狙われている!?
映画でみたことのあるようなワンシーンを彷彿とさせる不気味な速度でクルマが横付けしてきた。箒を構えるように拳を握る。
窓があいた瞬間、マシンガンか何かで一斉射撃なんていう……。
運転席の窓が下がる。
中から出てきたのは……。
「ノ、ノゾミさん!?」
カウンターの中にいるときよりも、鋭い目をしたノゾミさんだった……。
「乗れ」
「え、え?」
誘拐、も、もしくは、ら、拉致!?
「早くしろ。chibusaさんとこ行くんだろ?」

次回 2020年02月21日掲載予定
『 ミルクのゆくえ 06 』へつづく






教習所の休憩室にあった自動販売機から買ってきた缶ジュースのプルタブを蒔田さんが勢いよくあけた。
「旦那これでいいんでやんすね!?」
セイジさんが頷くのと同時に炭酸がいきおいよくボンネットの上に注がれた。
シュワシュワ音をたてながらボンネット上のシールへと浸透していく。
「昔からいいやすからね、困ったときは炭酸で洗えばなんとかなるってね、グハハハハ」
おそらくは下世話な都市伝説のことをいっているんだろう。女性の気持ちを無視するダメ男そのものの笑顔で蒔田さんがシールを覗き込む。
「おっ、おっ、お! こいつぁ!」
炭酸が染みこんだシールの縁から白い泡が沸き立つように現れた。
「効果ありそでげす! 旦那!」
確かに、いままでのどの方法よりもシールに変化をもたらしているようにみえる。
「おっ! おっ!」
シールの端がペロッとめくれた。
もしかすると本当に──。

──10分後──

「ダメでやんすね……」
縁が少しめくれてからあとは、まったく変化がない。憎々しいまでにシールの表面はもとのままの状態を保っている。
「おかっしいっすねぇ。あれぇ?」
セイジさんも少し困惑しはじめているようだ。
「ちょっと、こすってみますか?」
「そ、そうでげすね! さすが旦那だ」
蒔田さんが黒ずんだ親指の爪でガシガシとシールを擦りはじめた。絶対に女性にモテない男の仕草だ。
「こうやってくと、ちょっと剥がれてみえるでやんすよ!」
確かに蒔田さんの爪に色のついた異物が混じりはじめている。
「蒔田さん……それ」
「剥がれてるよな? 江田くん!」
「それ、車の塗料じゃないですか?」
「なにぃ!?」
スターダストメイツのシールは毒々しいピンク色。いま蒔田さんの爪についている白い塗料はどうみてもホバーカーのボンネットの色。
「あっ! だ、旦那! ボンネットが傷だらけでやんす!」
「あ、ほんとっすね」
セイジさんも口元を押さえて固まる。
確かにボンネットにはシール以外に肉眼でハッキリと見えるくらいのキズが無数についていた。
「こ、これ、レンタカーなんでやんすよ!」
「でも、ちょっとだけ剥がれましよね」
セイジさんが指さしたのは、最初に微妙な変化があった部分だ。
「確かに、剥がれてますねここ」
「炭酸の種類が違うのかなぁ。アイツなにもいってなかったけど」
「あ、あれぇ? 旦那?」
蒔田さんが大げさな声をあげながら、ボンネットに鼻が付くくらい顔を近づけていく。
「ここ、色変わってませんかね? ここでやんす、あれぇ!? 色が違うなぁ」
この、他人の罪悪感を呼び起こすような悪意のある煽りかた。もしかしてこの人、セイジさん自身に責任をおわせようとしているのか。
「どこっすか?」
「ここでやんす。周りの白さと比べてシールがはってあったところが若干ピンク色になってませんかね?」
それなら完全にシールを貼ったヤツのせいじゃないか。
「あーなってますね。シールの色が移ったんじゃないですか?」
「炭酸かけたから溶け出したんでやんすかね、シールの色。まいたなぁ、延滞金のうえに、車体の色が変わっちまったら……江田くん」
巻き込まないで欲しい。
「今日の時点で延滞金いくらだったかなぁ」
「延滞金っすか?」
レンタカーの借入規約をエアロディスプレイに写す。日数を辿り計算する。
「10万は超えてますね」
「あれぇ、ここにキズとか変色って項目があるなぁ」
わざとらしく蒔田さんが声をだす。
「これ全部いれたら30万円くらいになるな」
この世の終わりみたいな表情になった蒔田さんが地面に座り込んだ。
「だ、だ、旦那のいった通りに炭酸で洗っただけなのに……だ、旦那、こういっちゃなんですがね。あっしもこうやって旦那のことを信じて炭酸ジュースをぶっかけたわけです」
やっぱり、セイジさんからも金をふんだくろうとする流れだ。
「いや、まあちょっと剥がれたじゃないすか。あ! おれ、次の教習あるんでちょっといってきますね、またあとで!」
セイジさんは足早に校舎の方へ歩き出す。
「ちょ、ちょっと旦那? 旦那ぁ!?」
蒔田さんは野良犬のように半開きの口をぱくぱくさせながらセイジさんの方へ走りだした。






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