河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第112話『 ミルクのゆくえ 06 』

17:59:55.
あと5秒。
普段ならみんな和気あいあいと談笑を交わしている頃なのに、今日は事務所に集う全員が時計を睨んで黙り込み、ラジオから流れる時報の音を数えている。
17:59:59.
まもなくナンプラ達の番組が始まる時間だ。
「棚田さん。はじまっぞ! ナンプラども! ぜっで、逆探知ぎゃぐだんぢしてやっかんな」
ナベくんがヘッドフォンに手をかけた。
18:00:00
はじまる……。

──………………──

あれ?

──………………──

ジングルが、流れて、こない?

──……さっきから黙って聞いてれば、君たち! なんで女将の名前ださないの!──
──す、すみません──

豊川の昂ぶった声に、萎むようなナンプラの声。け、喧嘩!? いや、お説教? い、いやなにかの演出?

──ナツメが最エロとか! ミナミ先輩の奥ゆかしさがエロい! とか、わかるよ! わかるけど! そこに女将が出てこないのが僕にはわからない! 僕、待ってたの! 君たちが女将の名前だしてくるの!──
──と、豊川先生、ご気分を損なわせちまったことは、その、申し訳ありません。た、ただ、お、女将っというのはいったい──
──照美さんに決まってるでしょうが!──

うちのチャンネルでなにしてくれてるんだろうこの3人は。関係性でいえば豊川が首謀者。おそらく資金提供している。ということはそれなりのスタジオか設備のある場所に居るはず。

──……照美さん……すか?──
──照美さっぁん?──
──……コージ、照美について俺にテルミーだ──
──あっっぁ、え、っぇっぇ!?──
──君たち僕よりDOS×KOI歴長いよね?
アニメ版のなにを観てたんだい? 女将の照美さんっていったらキミドリ牧場の照美さんしかないでしょうが!──
──クニタチが生徒会に連れてかれた牧場の、女将ですかっぁ!?──
──や、や、あの、せ、先生、き、キミドリ牧場の女将はアニメで2話分にしかでてこねえモブキャラっすよ?──
──ガチムチの熟女!──
──ガチムチ…──
──ガッチガチにムッチムチの熟女! 普通、釘付けになるでしょ? 男なら──
──い、一体ど、どのシーンがそれほどハレンチでいらしたんですか──
──雌牛の出産前夜、クニタチとミナミ先輩が牛小屋に2人で泊まる。窓には満点の星空と満月そして、2人を覗き込む女将! そこ!──
──あ、あそこは、クニタチが一方的に勘違いしてミナミ先輩と急接近してるって思い込むシーンっすよね?──
──ガチムチの熟女が枕元うろうろしてるんだよ!? 無視できる? できるわけないでしょ! 僕はそこから女将にぞっこん!──
──っっぁあっっぁ!──
──コージ、急に大声だすなし──
──ん? それ、りっちゃんだね──
──あ、わかります? 先生さすがっす──
──み、みなさまっぁ! 大変でっぇす!──
──なんだし、落ち着けし! コージ! ブハハハハ──
──18時を過ぎておりまっぁす!──
──…ハ、ハ、ぁ? あっ?──
──番組、始まってまっぁす!──
──お、お、コ、コージ、ジングルだ! ジングル流せ! ジング──

──ようようよう!──

ナンプラの声に、ナンプラの声が、喰い気味に重なり、スピーカーから流れはじめた。

──ネタバレが恐えヤツは今すぐラジオを消せ! ナンプラのオールナイトDOS×KOI 徹底攻略リターンズぅ ズぅ  ズぅ  ズぅ──

忌々しいまでに軽快なBGMがフェードアウトして静かに溶けていく。

──小僧ども。12時間くらいのご無沙汰だったな。今夜もどっすんどっすんDOS×KOIしてくから! 耳の穴ガッシガシかっぽじっとけよ!──

「こいづら、ものすげ、面の皮だな」
ナベくんも怒りを忘れ、呆然とエアロスピーカーを見上げる。
「あ、ある種の才能だよねこ、こうなっちゃうとさ……ハハハ…………ハハハ……」

──今夜のゲストは昨夜にひきつづき、豊川先生!──
──……………──
──豊川先生!──
──……………──
──豊川先生!!──
──……………──
──豊川、先生ぇぇ!!!!──

ナンプラの声は、呼びかけにだんだんと懇願の色味を帯びていく。まるで、退部した部活に戻りたいと教師に懇願する生徒のような。

──あ、うん。どうも豊川です──

一瞬の無音を挟んでぞんざいな豊川の挨拶。

──こ、小僧ども、やっぱりな、御法度は御法度だ! 推し女の話には気をつけろ! DOS×KOIキッズの最低限のマナーだ!──
──僕はね、ただ照美さんのことを伝えたかっただけなのに──
──せ、先生ちょ、あと曲の間にまた…とにかくこの番組は、上空から地上まで豊かな毎日を 豊川グループの提供でお送りいたします──
──い、いたしまっぁす!──

コージくんの脳天気な声が不快な余韻を残してミルクームエモーションのイントロが流れきて、事務所全体にたちこめた濃厚な徒労感をより際立たせていく。今のがオンエアされたの? ショルダーパッドのチャンネルから? ダメだって!
「な、ナベくん、特定は……」
「わがんね!」
しかも電波の発信地も特定できない……。

──つーことで、いきなり新企画! 題して、DOS×KOIオールナイトなんでも相談室っぅ  っぅ  っぅ   っぅ  っ──

オープニングテーマがあけると、また過剰にエコーのかかったナンプラの声。なんでも相談室? べたべたなコーナーじゃ……。

──日々、もんもんと過ごす小僧どもに捧ぐ新企画! DOS×KOIに関する悩みや不安を俺たちと話そうじゃねえか。相談がある小僧たちは、@nan-pura--ナンプラーまで今すぐ、VOICEだ!──

「ナベくん! 今すぐナンプラにVOICE!」
敵が自ら接触の機会を作ってきた。
「んだすな! これだ! オメら! 全員で、@nan-pura--ナンプラーに今すぐVOICEだ!」
事務所の中に活気が戻った。全員一斉に、それぞれのジェスチャーでVOICEをかけ始めてくれている。
「あれ?」
「だめだ」
しかし、すぐに暗雲が立ちこめた。
「棚田さんVOICE、話し中でつながんね!」
「う、うそ?」
この番組を聴いている人間がそれほど大勢いるとは思えない。でも、ラジオの向こうから信じられない会話が聞こえてくる。

──ぬおぉ! なんだこりゃ!──
──す、すごでっぇす!──
──いきなりものすげえVOICEだ! コージちゃんとさばけよ!──
──回線がパンクしまっぁす!──
──熱いVOICE、恩に着る! おっし! そんじゃあジャンジャンつないでくぞ! 最初の小僧、どっすん、どっすん、どっすっん来い!──
──……あ、も、もうしゃべっていいんですか? あ、ありがとうございます!──
──小僧、名を名乗れ──
──あ、えっと、匿名ではいけませんか?──
──匿名? おっ! imaGeID非通知か! 小僧、おぬしただ者じゃねえな?──
──あ、ごめんなさい。ぼく、えっと職業柄非通知にすることができまして──
──匿名ってのは男気がねえんじゃねか? 先生、どう思いますか?──
──いいんじゃないかな──
──よし、小僧、相談はなんだ!──
──え、えっと、みなさんはどのくらいDOS×KOIが上手いかお聞きしたいです──
──ほう。そのこころは?──
──こ、こころ……え? なんですか…はい──
──なんだ? 後ろにだれかいるのか?──
──ぼ、ぼくは、仕事の休憩中ゲームするのが好きで、大会に出たいとおもっているんですけど、どのくらい上手くなれば大会に出られるのか知りたいんです!──
──なるほど……。コージ! オマエのDOS×KOI番付はどのくらいだ!──
──な、ナンプラさっぁんが相談に答えるんじゃないんですかっぁ!?──
──お、俺のはとっておきだ──
──番付はどこでみればいんですかっぁ!──
──おまえ番付の見方しらねえのか?──
──ちなみに、ぼくはいま関脇までいきました──
──小僧は、せ、関脇か。がんばってるな──
──君! ずいぶんと精が出るじゃないか──
──豊川先生どうされたんですか?──
──社員番号と所属と名前をいいたまえ!──
──い、いえません!──
──やっぱり! 総帥の僕よりもレベルが高いのってどうなの? マジメに仕事してないんじゃないの!──
──小僧は先生の系列会社に勤めてるのか? ……あれ? おい? 小僧! どうした!──
──VOICEがきれていまっぁす!──
──社員たるもの総帥に敬意を払うべきじゃないの?──
──先生、おちついてください。いまのは先生の会社の関係者ですか──
──全系列会社に僕のラジオ出演は周知されてるし、社員番号って聞かれていえませんって答えるのはうちの社員だと思うんだよね──
──本番中にあんまりそういった裏事情は……よし、コージ! 次だ次!──
──VOICEが、全部切れていまっぁす!──
──そりゃ、つまり──
──VOICEくれたのは全部うちの社員みたいだね──
──……え、えっと、コージ! オマエ、番付の見方をしらねえってのはどういうことだ!──
──わ、わたくしが怒られるんですかっぁ──
──仮にもオールナイトDOS×KOIのサブパーソナリティが番付しらねえってのはどういうことだ! 先生! 先生からもビシッといってやってください!──
──うん。その前にひとつ確認したいんだけどさ、この番付が高くなるとどんないいことがあるのか確認したいんだよね──
──っ、よし、一旦CM!──

「こいつら、相変わらずどうしようもねえな」
ノゾミさんはカーラジオの操作パネルに向かい唾棄だきするかのごとくタバコの煙を吹きかけた。
公共の電波にあんな低俗なやりとりを流す3人に対しては自然の行為かもしれない。それよりも気になるのは、ノゾミさんの運転する姿勢はこんなにもだらけていていいのかということだ。
ハンドルとはあんなに無造作に握っていいものなのか。運転席の座席に背中をあずけているが、そんなに座席を倒して運転に支障はないのか。
「コージもぜってー童貞だわ。オマエと話し方そっくりでキメぇ」
「ちょ、ちょ、あの、ノゾミさん、それは少し差別的すぎる発言ではないでしょうか?」
運転席から煙が勢いよく吹き込んでくる。
タバコが吸いたくなってしまった。
「……ノゾミさん、タバコをいっぽん、いただけないでしょうか」
「アタシの車、禁煙だから」
「ノゾミさん、さっきから盛大に吸ってるじゃないすか!」
「ハルノキは」
「こんなに副流煙にいぶされてたら吸いたくなるじゃないですか!」
「なら自分の吸えば?」
「そ、それは、事情があるんです!」
「おい」
「はい?」
「オマエの声、狭いとこで聞くとキンキンしてイライラする。少し黙ってろ」
前方に視線を固定したままPARKの箱を横手に投げつけてきた。なんと男前な仕草だろう。
屈辱は感じたが、タバコを手に入れるチャンスを逃すことは愚かだ。
静かに頭を下げて箱を受け取った。
「女の車にのってタバコねだるとか、恥ずかしくねえのか」
「………すか?」
舌打ちとともに、ノゾミさんは蚊でも叩き潰すような勢いでハンドルを叩く。
「なんでこんな童貞と走ってんだろアタシ」
確かに、なぜ店を休んでまでクルマを出してくれたんだろうか。オート営業なんてさせてたまるかとあれほど意気込んでいたのに。
「おら! 邪魔だ!」
なんの脈略もなくクルマが右車線へ切り込む。
「ちょ、ちょっ、ノゾミさん?」
急激に速度があがり、左車線を走っていたクルマを悠々と抜き去る。
「高速道路ってのは飛ばすためにあんだよ」
「い、いや制限速度っていうかその」
このクルマは完全手動運転フルマニュアル自動運転オートにこんなムチャな走りはプログラムされていない。
恐ろしい勢いで街の夜景が流れていく。
この旅で感じた全ての乗り物の中で最速だ。
「くっそ、覆面ポリかよ」
「覆面? ポリ? グハッ」
木製のバットで布団を殴りつけたような音、ギアチェンジした車体が急激に速度を落とす。
強烈な“G”が、シートベルトを通じて胸骨に食い込む。
「ポリ公の野郎ども、覆面で走ってんじゃねえつーんだよ!」
走行車線を通り過ぎていった黒塗りのホバーカーが前方から消えるのを待って……。
また加速。
「ま、まっ! す、少し安全運転を!」
「イイ女の運転に口はさむあたりが童貞」
「うぐ……」
「おらおら! かっ飛ばすぞ!」
ガコッ、ガコッと音がして、またクルマが恐ろしい勢いで加速しはじめる。
き、気を紛らわそう。
だがPARKを1本取り出すのにも手間取る。
車体が揺れるのか、指が震えているのか。

ゴッシャンッ

なんとかブリタニカルを跳ね上げ、PARKに火をつける。
「そのライターもムカつくわ。マジで」
タバコには鎮静効果があると聞いたことがある。昂ぶる神経を静める作用があると。
煙を吸い込むと、景色をなぎ払うように闇の中へ突っ込んでいくクルマのスピードが、いくぶんマイルドなもののように感じられてきた。
クールになれ。恐怖も屈辱も全ては自分次第で乗り越えられる。
いまはこのお方の機嫌を保つことだけ考えろ。話題をかえるんだ。
「と、ところで、ノゾミさん、なんでゲーム大会に賛成してるんですか?」
「………オマエさ、少しは気の利いた話のひとつもできねえの?」
ノゾミさんは器用に片手でタバコを咥え、火をつけながらこちらへ顔を向ける。
「ま、前、向いてください」
「仮にも女とクルマに乗ってんだろ? そんなときに別の男の話、持ち出してくんの恥だと思えよな」
「すみませ……えっ?」
「………あっ…えっ?」
ノゾミさん自身も己の発言がいかに不可思議なものか気がついたようだ。
「いま、別の男の話っていいました?」
「いってねーよ!」
明らかな動揺。
耳たぶが真っ赤に染まる。
そういえば、この人、強面だけど妙に正直に態度に表すクセがある人だった。
形勢を逆転の好機かもしれない。
「ノゾミさん、耳、赤いっすよ」
「うるせえ! オマエが前見てろや!」
「あれから支部長に連絡しました?」
「っ、! はっ!? な、なんでシブ様の話がでてくんだよ!」
し、シブ様!? 
これは確定的だ。
ノゾミさんがDOS×KOIの大会を推進するのは支部長がらみか。
「自分は、大会の話しただけで、男の話してないんですけど……」
「うるせー! ちゃんとラジオ聴いてんのかよ! 今日はラジオから耳を離さないでほしいって棚田さんにいわれてんだろ!」
「ラジオはちゃんと聴いてます。ただ、自分はノゾミさんの大会への意気込みと支部長の関係についてしっかりと確認をしたいと思っただけでありまっふぐっ!」
右耳に尖った痛み。
「至近距離でアタシの隣にいるの忘れてね?」
いつのまにか耳にノゾミさんの細くて冷ややかな指がめり込んでいた。さっきまでシフトレバーを握っていた左手がいつのまにか。
「もっと聞こえるように耳の穴かっぽじってやろうか?」
「す、すみません……」
な、なんの躊躇もなく他人の耳穴じけつに指を突き立てる決断力、逆らってはダメだ。
店にいるときよりも数段凶暴な横顔。ハンドルを持つと人格が変わるというやつか。いや、この人の場合は強調されているというべきだろう。
恐怖で視界が狭まる。
ラジオを流すカーステレオという古風な装置をじっとみつめることしかできなくなっていた。

──念のため、DOS×KOIのランクシステムについて説明しておくことにする──

CM明け、ナンプラは咳払いして話し出した。

──DOS×KOIには、番付とよばれるランクシステムがあってだな相撲にちなんだ呼び名がついていてだな、最上位は当然“横綱”だ──

「ご丁寧に解説してくれてるみてえだな。ハルノキもよく聞いとけ。大会でんならな」

──ランク番付に連動して立ち入り可能な校舎内のステージ場所という要素もあって番付と場所の組み合わせでプレーヤーの実力がだいたいわかるようになっている。ちなみにステージは奥が深い。初級の1年教室Fクラスや校庭から始まり、最上位は“屋上”。それから、条件を満たせば体育館裏や部室裏にいけるって噂もあるが、正直オレもよく知らねえ──
──お、奥が深いでっぇす!──
──屋上ステージは、リアルな学園生活と同じく聖域だ。ここには屋上ステージには横綱と大関クラスしか立ち入ることができねえ…らしい──
──では、先ほどの相談者さんはっぁ──
──関脇なら、音楽室とか3年教室のAクラスかBクラスあたりで、しのぎ削ってんだろうな。あともう少しで屋上プレーヤーになれるかもしれねえ。おい! さっきの小僧、まだ聴いてるか? がんばれよ!──
──じゃあ、あれだよね。僕も大会までに横綱まで登り詰めないといけないね──
──先生、それはいばらの道です。なんせ、横綱は世界に4人しか存在しねえんです──
──たったの4人ですかっぁ!?──
──横綱になるためには横綱昇段メロデー、通称“横メロ”ってのがあって、そいつがべらぼうにムズい──
──挑戦してみたいでっぇす!──

「ふんっ、コージごときが」
ノゾミさんが鼻をならした。
目元が妙に楽しげにみえる。先ほどの怒りは少しずつ解けはじめているようにみえる。

──このっぉ、“横綱モード”というのを選べばよいんですかっぁ?──
──そうだ。ラジオの前の小僧どもにも体感できるように、コージのプレイ動画はリアルタイムラジオビジョンで公開する! 笑ってやってくれ──

ノゾミさんがエアロディスプレイを1枚立ち上げた。教室のような場所のイラストが表示されている。これがDOS×KOI。

──いきまっぁ、あっぁっ?──

いきなり直球ストレートのような黒いアイコンが“飛んで”きた。剛速球を受け止めるキャッチャーはこんな気分なのかもしれない。

──っぁ! っぁぁっぇ? ぁっえっ!──

その直後、機銃掃射でバラ巻かれる弾丸のように丸い物体が降り注ぎ即座にコンティニューメッセージが表示された。

──な、なんですかっぁ! これはっぁ!──
──オマエに叩けるわけねえだろ──
──親指の限界を超えいまっぁす!──
──いまのは平面モードだが、立体モードにして全身使って叩いても常人には荷が重い。それが“横メロ”だ。世界に4人しか存在しねえ理由がわかったか──
──痛み入りましたっぁ……──
──しかも横綱になった後には、月イチ“乱打武ランダム横綱メロデー”が待っている──
──ランダムというのはっぁ……──
──乱れ打つ武士と書いて“乱打武”。つまり、横綱メロデーは毎回初見プレイと同じ。こいつを叩いて成功できなきゃ降格だ。チャンスは1回。しくじれば即、転落。毎月1回限りのチャンス、そこに乗っかってくるプレッシャーとの闘い。厳しい世界だろ? 横綱×屋上プレーヤーとして君臨しつづけるってのはDOS×KOI界じゃまさに神の領域だ──
──こ、これをノーミスで叩き続けている人がいるんですかっぁ!──
──いる。そして、過去には伝説的なヤツもいた。そいつは元祖DOS×KOIがリリースされ、横綱制度が導入されるや即座に初代横綱に昇進。それからずっと横綱でいつづけた──
──か、神でっぇす! その御方はっぁ──
──その男の名はサック。いまとなっちゃ伝説のDOS×KOIプレーヤーだ。そんなサックの栄光を讃えてもう1回ミルクリームエモーションを流すぜ!──

耳に馴染みはじめたミルクリームエモーションのイントロが流れはじめた。
DOS×KOIはよくはわからないけど、自分もゲームくらいはする。さっきのリアルタイムビジョンの中継を見る限りあの速度でアイコンを叩くのは相当に高度な難易度なんだろう。
「す、スゴイ人っているんですね」
「ま、まあなっ!」
予想外の反応がきた。
運転席の方を振り向き目を疑う。
ノゾミさんの目は優しく緩み、口角がうっすらと上弦のカーブを描いている。
なぜ突然ご機嫌が回復なされたのか……。
「ふんっふふ~ミルクリームふふんーション」
は、鼻歌まで。
驚きのあまり「ノゾミさんも鼻歌とかうたうんですね」といいかけてやめた。ヘタに刺激をしない方がよさそうだし、時折、フロントガラスの上を通り過ぎていく側道のライトに照らされる横顔が、畏れ多くもこのまま眺めていたいという想いを抱いてしまうほど綺麗だったから。
「ハルノキ、もう1本吸うか?」
タバコがスッと差しだされる。
「え!? い、いいんすか!?」
「おう! それからコーヒーでも飲まね?」
間一髪、視線が合いそうになる直前で目を逸らす。
「遠慮すんな! よぉーしここのサービスエリアで休憩するかぁー!」
クルマがサービスエリアを示す看板の方へ軽快にすり寄っていく。こ、これは機嫌回復どころでなく、上向きに急上昇してるな。間違いなく。
クルマは速度を落とし駐車スペースに収まる。
「アタシ、ブラックな! あとなんか食い物も頼むぅ!」
ノゾミさんは運転席から助手席側へ身を乗り出して手を振っている。
この笑顔なら、小銭すら渡されず使い走りにひとり送り出されてもなんら気にならない。
むしろ、なにか喜ばれる食べ物を探す使命感すらわいてくる。
助手席のドアを閉め、imaGeのラジオアプリを立ち上げた。
棚田さんとの約束もあるし念のためラジオは聴き続けおいた方がいいだろう。
まずは、トイレに行くか。
広い駐車場の先にある光の塊みたいな建物へ向かって歩く。時間は20時を過ぎたくらい。家族連れや男女の姿が目立つ。
ラジオの方では曲が終わりナンプラのしゃべりに豊川が口を挟むところだった。

──でもさ、ずいぶん、挑発的な名前だね。サックって英語でいうところの…──
──先生、サックってのは、リュックサックのサックから来てまして──
──なら、リュックさんでいいじゃない! むやみに扇情的な言葉を選ぶのは詐欺じゃない──
──そ、そのへんは当時のキッズたちがつけた名前なんで勘弁してください──
──そうなの?──
──そ、そうです。サックはe-スポーツ競技者たちがゲーミングアスリートって呼ばれはじめた黎明期のころから活躍してまして、一時は若手に押されて成績不振の時代もあったんですが、不死鳥のごとく蘇り、横綱昇進してから元祖DOS×KOIの全国大会でグランドエキスパートチャンピオンになったんです──
──じゃあその人も大会に呼べばいいんじゃないかな。クニタチ男祭りの成功にも近づくよね?──
──キッズたちの伝説ならばっぁ、盛り上がりにもつながりまっぁす!──
──そうしてえのは山々だが、その男はもう公の場でプレイはできねえ──
──消息不明なんですかっぁ!?──
──それもある。いろんな噂が飛び交ったがサックの所在ははっきりしねえ。だが1番の理由はサックがゲーミングアスリートとして越えちゃならねえラインを踏み越えたこと──
──な、なにをしたんですかっぁ?──
──ドーピングだ──
──ド、ドーピングっぅ!?──

コージさんが発した声と心の声が被ってしまった。陸上やサッカー選手が禁止薬物を使うならわかるけど、ゲーミングアスリートのドーピングというのは一体…。トイレを済ませて手を洗いつつ、思わず“ゲーミングアスリート協会”という単語を検索してしまった。
“GMAA”という団体が検索にひっかかる。どうやら“ゲーミングアスリートアソシエーション”の略らしい。
歴代のゲーミングアスリート達の写真が並んでいるけど、サックという名前はどこにも見当たらない。

──前代未聞、ゲーミングアスリート界初のドーピング。しかも、発覚したのは優勝したステージの上だ──
──ドラマチックだね──
──ドラマチックに間抜けでっぇす!──

コージさんが笑う。
蔑むような笑いが妙に気になる、なんだこの胸騒ぎ。無意識にクルマが停まっている方に視線が吸い寄せられ、クルマの周りに人だかりができているのを見つけた。ノゾミさんのクルマが激しく揺れ動いている。なんだ!?
クルマまで走り人混みをかき分けると、車内にいるノゾミさんが、ネクロマンサーをぶら下げて事務所に乗り込んだときよりもさらに凶悪な顔でカーステレオを殴りつけていた。
「な、なにしてんすか!」
拳が赤く染まっている。
運転席のドアをこじ開け腕を掴む。
「いまさら蒸し返すことじゃねえだろ!」
な、なぜに、この短時間であの状態からここまで怒りが膨らんだ!?
「ちょ、ちょ、落ち着いてください!」
「人の親父のこと、バカにしてんじゃねえぞ! コージ!」
「そ、そうですよね、お父さんのことバカにされたら、頭に来ますよね」
「離せ!」
右手をふりほどこうと暴れるのを止めるのが精一杯だ。女性だからというのは古いけど、なんて力なん…………………え?

え? なんて?
いま、この人……親父って。
なんていった?
「いまじゃ地べたのタバコ拾って必死に生きてんだぞ!」

いろんな情報が一気に脳内を駆け巡る。

セキュリティポリシーを“ポリ公”と呼ぶ人が2人。“ショルダーパッドの美人バーテンダーによろしくな”といっていたあの人、捕まった“PARKの製造者”を助けるために、店を休んで車を運転してくれて、店をオートにするのを拒んだあの手仕事へのこだわり、吸っているタバコはPARK、サックという伝説のプレーヤーはノゾミさんの親父さんで、タバコを拾っていて、そのつまり、サックさんはパークさんで、パークさんはサックさんであって、ノゾミさんの親父さんということになるから、つまり、つまり、結論はひとつしかなく。

ノゾミさんは、パークさんの娘……!?

次回 2020年03月06日掲載予定
『 ミルクのゆくえ 07 』へつづく






「まずいですよぉ!」
「豊川さんが怒り出すとは意外でしたね」
「俺、かけなくて良かったわ」
「ぼくばっかり酷い目にあってますよね?」
「でもオマエ、ホントにゲーム好きじゃん。なんだっけあの、まもるに取られた女の子? あの子いたときも必死だったじゃねえか」
「こ、小波ちゃんの話はもういいじゃないですか!」
「……おまえら、いいから、漕げ……」





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