河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第114話『 ミルクのゆくえ 08 』

暗がりに2粒の光。
アスファルトを滑りすぐに距離を詰めてくる。
「どけっ! オララアララララララララ」
ハンドルを右へ叩きつける。
相手の動きより先に!
避ける方向が被れば即アウト。
すぐに次の1台。
次は左。
「どっぉすこーい!」
側面ギリギリをホバーカーが通り抜けていく。
これがDOS×KOIなら光るヘッドライトが“ノーツ”で、闇に沈み黒ずむ道路はノーツを運ぶ“レーン”になるだろう。
場所ステージは高速道路。DOS×KOIならせいぜい“音楽室”レベルのステージか。ひとつだけ違うのは、ノーツに振れたら即ゲームオーバー、リトライ不可能なところだけ。
一発勝負だぞ、ノゾミ! 
のぞむところだ!
車線変更のたび、ラジオから流れるナンプラのむかつく声がブチブチ途切れる。
ざまあみろ!
街についたら本物のオメエをブチブチにしてやっからな!
「待っとけよ、ナンプラぁぁぁ!」
アクセルを踏む、車はさらに加速する。
迫る対向車の体感速度も倍速に。
「どぉすこーい、どぉすこーい!」
交わす! 交わす! 交わす!
全部見える!
「“横綱”なめんなよ!」
突っ込んでくるホバーカーなんて、練習モードほどの歯ごたえもねえ!
目の前には大きめのワンボックスエアカー。
車高が高いせいかスピードはだんぜん緩くみえる。
余裕で交わそうとしたとき──
運転席の大人にしがみつくように怯える助手席に座った幼い女の子。
目を丸くしたおかっぱの少女を、アタシの車のヘッドライトが生々しく照らし出す。
大きくハンドルを切る。
気がつくと路肩の方へまっすぐ車を寄せていた。
ワンボックスエアカーは無事に左隣を走り去る。ブレーキを踏む。
車の前進が停まるのと同時に、車内の時間が全て止まったような気分になる。心臓だけが異常な速さで動き出す。
アタシは、一体なにをしてるんだ。
怒りにかまけて、高速道路を逆走して野郎を殴りにいく?
暗がりの車内でハンドルにしがみつき目を閉じる。さっきの子供の怯えた顔が鮮明に瞼の裏に蘇る。あたしがあの人と一緒に時間を過ごしていたのは、ちょうどあれくらいの頃だった。

“そぉれっ! どぉすこーい! どぉすこーい! そうだ! リズムにあわせて、ウシさんとイチゴちゃんを叩くんだぞぉ”
大きな膝のうえに抱かれて画面を見つめているアタシ。
まだスマホがあった時代。
あの人はまだ現役のゲーミングアスリートだったはず。
その頃はヴァーチャルだろうがリアルだろうが、大会と名のつくものには片っ端からエントリーしていたらしいが、ヴァーチャルの大会で在宅出場してるときには試合の待ち時間に、よくアタシがDOS×KOIする姿をみていた。
“リズムをキープだ! そう! それ、どぉーすこい、どぉーすこい! オメェは天才かもしれねえなぁ、ノゾミ!”
タップすると消えていくウシとイチゴの形をしたノーツをうっとり眺めるアタシ。
大きな手の平が頭を撫で回す。
“うん!”
見上げると、あの人の顔。
まだ前歯があった。
いまと変わらないタバコの匂いがした。
“ノゾミ! 画面をみろ!”
目を離した隙に、ノーツをいっぱい叩き損ねてた。
“油断大敵ってぇな! 一瞬の油断が命とりだ! ブハハハハ!”
ゲームオーバーの文字にべそをかく。
高笑いしながらアタシの頬に顔を寄せてくるあの人。
じょりじょりとした髭の感触。
“いいかぁ、ノゾミ。どんな逆境でも負けるなよ。どんなアブねえ橋でもなぁ、必ず抜け道はあるからな”
“うん?”
“まあ、そもそも、そんなアブねえ橋に近づかねえのがホントのヤリ手なんだけどな。ブハハハハ”
幼いアタシに、DOS×KOIを通じてとんでもない人生哲学を教えてくれたあの人が、1番危ない橋を渡ってそのまま奈落に落ちた。

いつのまにか泣いていた。
冷静になれよ。アタシ。
ドアを開けて外にでる。
ちょうど、特区を囲む河に架かる橋の上だった。防護柵にもたれかかると、下を流れていく墨汁みたいな河のうねりがみえる。
アタシは、あんな子供から、いろんなものを奪うところだった。いつのまにかとんでもねえ“危ない橋”を突っ走っていたようだ。
いまさら震えだした指先でPARKを摘まむ。
あの人が汗水垂らして拾ったタバコ。
火をつけると、いつもの味がする。
特区の夜景は今日も絢爛豪華に輝いてる。
1番目立つ煙突みてえなのはトックトックセントラルタワーモールか。
タバコを吸ってるみてえにゆっくり点滅してるてっぺんの紅い光をぼんやり眺めているとタバコの煙が目に入った。
「痛って!」
目をこすりながら車の方へ振り返る。
むちゃくちゃなことをしたバチでもあったたか、情けねえ。
苦笑しながら目を開けると、特区の夜景と反対側にも赤い光が点滅しているのに気がついた。
さっきまでアタシがかっ飛ばしていたのと同じくらいの勢いで近づいてくる。
あー、やっちまった。

「ま、待ってください!」
店内の客からの注目をすべて集めてたのは間違いない。しかし肝心のchibusaさんだけはこちらへ目もくれず顔を覆うように外へ駆けていく。
「ち、chibusaさん?」
追いかけるしかない。
注文したアイスを両手に持ったまま笑顔を引きつらせて固まるカウンターのお姉さんに罪悪感を感じつつ、chibusaさんの後を追う。
痴話喧嘩の挙げ句、フラれたカノジョに追いすがる男のような、まるでトレンディなドラマに出てきそうなシーン。ドラマならここで立ち止まって振り向いてくれそうなものだけど、chibusaさんは店をでても立ち止まらず、ヒラヒラとした白いロングスカートの裾をはためかせ、歩調を速めて遠ざかっていく。
途中ですれ違った男女が驚くような顔でchibusaさんを振り返った後、追いかけている不審な男に対して鋭い視線を投げてくる。
まるで不審者のような扱い。
chibusaさんが向かっていく先は。
少し暗がりになった先にある…店と横並びになったトイレの入口……。
しまった。
chibusaさんの姿が消えてすぐ、中からパターンと音がした。
トイレの入口には白くて長い壁が横たわり、男女の入口を遠ざける。自分はいつのまにか女性側の入口テリトリー内に足を踏み入れていた。
手前に男性用の入口がある位置関係では、自分が女性側の方に近づくのは不自然の極み。
傍目からみれば女性をトイレまで追いかけていくおかしなヤツにしかみえない。
すぐに離脱だ。
トイレの向かい側に設置されたベンチまでそそくさと移動する。
幸いなことにベンチ近くには古ぼけたスタンド灰皿が置かれている。タバコを吸う習慣が役立つのはこんな時かもしれない。
ここでタバコをくゆらせることで、“トイレの前で女性を待ち構える不審人物”から、“知り合いの女性を待つためにタバコを吸う男性”に昇格することができる。
このままこうして、タバコを吸って待つことにしよう。それが1番だ。

―15分後― 

トイレの入口をみる。
変化はない。
地面へ視線を戻してタバコを吸う。
灰皿に灰を捨てるついでにトイレの入口。
変化なし。
chibusaさんはまだ出てこない。
地面をみつめてタバコを吸う。
手持ちのタバコだけが減っていく。
時計をみてみる。
時刻は22:46。
給料の振り込みまではまだ時間がある。給料が入るまではタバコの補充はできない。いや、そもそも自分のお金でタバコを買うのはタンジェントとの約束が……。
いや、いまはchibusaさんと話をする必要が……。
「あれ! ハルノキくん!?」
唐突に頭のうえで声がした。
顔をあげるとそこにchibusaさんがいた。
「どうしたの! こんなとこで!」
「い、いやあの、え?」
さっき店内でみかけたときと表情が違っている。
なんというか、戦闘態勢を整えたソルジャーのような、獲物に飛びかかる直前のジャガーのような、燃えるように活発でエネルギーをそこら中に撒き散らすような華やかさがあった。
「なに? なんで? え? うっそびっくりしたぁー」
ど、どう考えても、いまその事実を認識したわけではありませんよね? 
などという質問は野暮ったく思えてくる。
「ハルノキくんもココのアイス食べにきたんでしょ?」
chibusaさんの見開かれた大きな褐色の瞳が空気中の全てを服従させるような圧をかけてくる。
“ヘンジ ハ イエス ダ”と。
「そ、そ、そうっす!」
まるでchibusaさんの背後から精霊が飛び出してきて口を勝手に動かされたような気分だ。
「アタシも! 一緒に食べよ!」
圧力をかけていた不穏な空気が雲散霧消になりこんどは輝いた瞳でchibusaさんが笑う。
「は、はぁ? …はい、…ぁ!」
ガバっと腕を掴まれた。
サ、サマーセーターというのだろうか、その薄手のニット素材はその、なんというか感触をダイレクトに伝えてくるんです……肘のあたりに2つ物体が……柔らかい……。
「オゴったげる! さ、いこっ!」
いいじゃないか。
理由なんてなんでも。
いまが幸せなら。
なにも反論する必要はない。
躓きそうになりながら売店に足を踏み入れる。
正面にはさっきのお姉さんが、笑顔で小首を傾げている。追いかけていった女性に腕を掴まれ再来店する客をどう見ているのだろうか。

ナンプラさんはモニタ用のヘッドフォンをテーブルにおいたまま、タバコを吸う。先生はずっと空中に浮かべたエアロディスプレイの上で指を動かしている。
「あ、あのっぉ、そろそろCMを開けた方がよろしいでしょうかっぁ?」
先生からの返事はない。
ナンプラさんもうつむいたままタバコをくゆらせ、この数十分の間に、まるで大盛りのご飯のように吸い殻が山盛りになった灰皿に、ふりかけをかけるような仕草で灰を落とすだけ。
「CMに入ってから30分くらいたっていまっぁす。さ、さすがにっぃ、このままではマズイのではないでしょうかっぁ」
「コージ、先生の許可がおりねえうちはダメだ」
「豊川先生、番組は再開しないんですかっぁ」
「まだダメ。あの人chibusaさんの友達なんでしょ? 名前知ってるよねゼッタイ」
「で、ですから、あの時うかがたんですが」
ナンプラさんの釈明を無視して豊川先生が腕組みなされた。
悩んでいらっしゃる。
「君たちの元上司なんでしょ? なにか弱みとか握ったりしてないの? こういうときこそ情報が物をいうんだよ」
「そ、そういわれましても、棚田さんは普段からそつのない人で」
「ソツ? ソツってなに?」
「い、いや、わかねえっすけど、ソツがないっていいますよね」
「そんなことはどうでもいいんだよ!」
「す、すみません」
ナンプラさんがこんもりと盛り上がった吸い殻の陰で拳を握りしめたのがみえた。
「ナンプラさっぁん! イライラしてはいけませっぇん!」
「ん? イライラしてるの?」
「め、めっそうもない! コージ! いいがかりはよせ!」
豊川先生に見えない角度からもの凄い顔で睨まれた。
「と、とにかく、ここは、ひとつ、豊川先生の力を、スポンサーの権限で、なんとかなりませんかね」
「ダメ。僕はクリーンなイメージで売ってるから」
「そ、そこをなんとか、クイズに答えたら大会うんぬんのくだりをなかったことに……」
「そんなの卑怯じゃない!」
「い、いや、そうっすけど」
「僕は、クリーンに正々堂々と事態をうやむやにしたいの!」
「そんなイイトコどりは………」
「だいたい、chibusaさんの本名をキミだけがしっていて、さっきから教えてくれないのが問題なんだよ!」
「たしかにっぃ! ナンプラさんだけが知っているのはずるいでっぇす!」
「なんでそういう話になるんすか! まずは棚田さんが答えちまったらラジオのリスナー全員が知ってしまうことになるんです」
「まずは僕に教えなさい!」
「いや、それはできません。いまはまだオレだけの知識ですから」
「だから調べてるのに、出てこないし」
豊川先生は、大会を阻止するために、そしてご自身を高めるため、自力で回答を探そうと先ほどからimaGeを全力稼働させchibusaやDOS×KOI情報を扱う関連サイトを巡回なされている。
「んん? ちょっと待ちたまえ」
豊川先生が人差し指で空中をぽちぽちとタップなされる。
ゆるり、ゆるり、ご老人が銀行のATMを操作なされるような速度で。
口元を固く歪ませて考え込んでいらっしゃる。
「………そうかぁ、わかった」
次の瞬間、耳に手の平を当てどこかへVOICEをお架けになりはじめたようだ。
電話の仕草に近いオーソドックスなフォームでいらっしゃる。
「…あ、もしもし、わたくし豊川と申します」
VOICEの相手が応答されたのだろうか、そのまま席を立ちドアの方へツカツカと歩きだす。
「あ、はい。はい。上から読んでも下から読んでも豊川豊と……」
ドアが閉じた。
「せ、先生!?」
ショルダーパッドの営業や広報の担当がミーティングの途中で誰かと話しながら颯爽と姿を消すのとまったく同じ手際の良さで、豊川先生はスタジオから姿をお消しになった。

「デリシャス!」
chibusaさんは両手に持ったコーンアイスを天井へ高く突き上げた。どこかの国にいるビールをこよなく愛し、ビールジョッキ片手に仲間たちと肩を組んで踊る陽気なおっさんのようだ。
「ビューティフル!」
丸テーブルが並ぶフードコート全体からの視線をものともせず、交互にアイスをほおばる。
「ハルノキくんも食べなさい!」
唇の周りにアイスをつけたchibusaさんが促してくる。その表情に一瞬だけ、まもるさんの顔が重なる……。
いや、さすがに失礼だろう。仮にもこの人は世界を股にかけて活躍するアーティスト……。
バルボキグンタベバイボハルノキくんは食べないの?」
「chibusaさん……」
「うむん?」
…イヤ、ホントにまもるさんに似てんな……。
一心不乱にアイスを食べる、世界屈指のバウンスアーティストはいま、まもるさんにしかみえなくなっている。
「そんなに食べて、平気なんですか?」
「アタシ、栄養はぜんぶおっぱいに行くから」
突然、胸元を強調してきた。
上向きの豊満な膨らみを軽くバウンスする。
そいう動作はさすが画になる。
「で、でもchibusaさん元気そうで良かったです。チクリンの所に向かったって聞いたときは、なんだかただ事じゃなさそうだったんで……」
chibusaさんが突然、アイスに口をつけたまま固まった。目だけがこちらを向く。
「あずきのとこ、行ったの?」
「い、いやその、どうしてもchibusaさんと話をしたくて」
「そもそも、なんで、師匠のことがわかったの?」
口元はアイスにかぶりついた格好だが、目元は鋭く細い。全体的にはコミカルなのに、一部分だけがシリアスで緊張感を掻き立ててくる。
な、なんていえばいいんだ。
「棚田くんにも頼まれてるのね?」
「い、いやその……棚田さんも心配してまして……」
そういえば、棚田さんの方はどうなった…ラジオに意識を向ける…まだCM中か。
「ふぅーん」
chibusaさんの声のトーンがどんどん下がっていく。まずい。地雷を踏みまくっているのか。
「じゃあなんで、棚田くんはここに来ないの?」
「……棚田さんはいま、闘っています」
「誰と?」
「……よかったら、ラジオを一緒に聴きませんか」
「ラジオ?」
「はい。ちょ、ちょっとずっとCM中なんですけど、棚田さんがショルダーパッドのために闘ってくれているんです」

「ぅん、うん、うん。そうか。はい、ありがとうございます。豊川です。はい。え? ええ、豊かな川が豊の豊川豊です。はい、それではお願いしまぁす」
豊川先生はすぐに戻って参られた。
「先生!」
その表情は、神父に懺悔でも成されたように晴れ晴れとしてみえる。
豊川先生がイスに座る。ギシっと小さな音がした。
「そろそろ、はじめよう」
「いいんすか!? そんなことしたら、棚田さん名前答えちまいますよ!」
「彼はchibusaさんの本名を知らない。知らないんだよ」
妙に怪しくサングラスが光る。
先生が話しておられた相手は一体どなたなのだろう。
「本当にいいんですね?」
「うん」
「CM、開けちまいますよ?」
「問題ないよ」
先生は、審査員席に座る大御所のように肩をいからせて身を乗り出された。

次回 2020年04月24日掲載予定
『 ミルクのゆくえ 09 』へつづく


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