河内製作所 小さなことを、ていねいに、じっくりと、考えていく
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第117話『 クニ、タチぬ 02 』

『起きなさい! クニタチくん!』
ミナミ先輩の声っぇ!?
『もう、居眠りしすぎ! ……またポエム書いてるし! 進級スコア、ホントに足りなくなっちゃうよ』
これは、DOS×KOI第24話『クニタチ留年パニック☆』のラストシーン…でわっぁ?
目を開けると、豊川先生がソファに座りエアロディスプレイを見つめておられた。
「せ、先生っぃ!?」
しかし、お返事はいただけない。背筋を伸ばし陽光にさらされた凜々しいお姿、サングラスは中央にエアロディスプレイを捉え映像を反射する。
ちょうどアニメ版DOS×KOIエンディングテーマが流れはじめたところであった。
先生はもしかすると夜通しアニメを視聴なされていたのかもしれない。
「ぬん、ぉっおぉ?」
床に寝ていたナンプラさんもむくりと起き上がった。
「おっ、ん、寝ちまったな」
気怠そうに手近の、ウーロン茶が残ったグラスに口をつける。
「朝か…先生…おはようございます」
いつもの低音に輪をかけた岩の擦れるような声をだす。
それでも先生はエアロディスプレイに没頭されていらっしゃる。
「あの後、先生は夜通し観てたのか?」
ナンプラさんが寝ぼけたフクロウのような細い目でこちらをみた。
「お、おそらくそうでっぇす」
先生が部屋の中に投影しているエアロディスプレイを覗き込むとちょうど第25話の予告編をご視聴中の様子だった。
「25話か、後半の残り24話に向かうクライマックスだよな」
ナンプラさんは声を潜めてウーロン茶を飲む。
「わたくしはっぁ、そこからの展開は重たくって苦手でっぇす!」
「フンっ、キッズはそういうだろうな、あそこからがDOS×KOIの深けぇとこだからな」
「なに! これ!」
ナンプラさんの声をかきけすように豊川先生が大声を張り上げてソファの上に立ち上がられた。
「キミたち! これなに!?」
画面には“視聴者プレゼント☆”とDOS×KOIのタイトルと同じ文字が大きく映しだされている。映像特典かなにかの放送当時のグッズ紹介のようであられる。

『キミのスマホをがっぷり四つにホールド!』

ミナミ先輩の楽しそうな声。映像には平べったい板に丸い輪っかがついたアイテムが映っていた。
「“まわし”じゃねえっすか!」
「これ、まわしっていうの?」
「DOS×KOI特製スマホリングっす。キッズは“まわし”って呼んでましたね。オレもつけてましたよ」

『クニタチくん。これつけないと、進級スコア伸びないぞっ!』

ミナミ先輩の声を残して画面は暗転した。
「これ、つけないとスコアが伸びないの!」
「いや、先生、それはグッズの購買意欲を誘うための大人の事情ってやつで、実際は……」
「大人は事情より情事でしょうが!」
「たしかに色恋ごとは大事ですが」
「当時のキッズたちは、もしかしてスマートフォンでプレイするのが主流だったのかな」
「まあ、imaGe派も居ましたけど、まだ出始めでしたから、小僧たちはスマホがメインでした」
「これ、欲しい。それから最新のスマホも」
「さ、最新の、スマホ、すか?」
「最新機種、用意して」
「スマホは今年の春でサービス終了しちまってるんで。最新機種っていっても、10年以上前に出たヤツで、生産おわってますぜ?」
「エアロディスプレイにこのリングはつけられないでしょうが!」

灰色がかった雲に隠れた太陽はいっこうに顔をださない。気温は上がらず、少し寒いくらいだ。
セキュリティポリシー七臨中央署の正面受付へ向かうと、裏口で待つようにいわれおとなしく署の裏手でじっと待機しているが、出入り口とおもわしきドアはまるでニートが立て籠もった部屋のようにピクリとも動かない。
冗談みたいに古びて、あちこち錆びた緑色のドア。エイジングが効き過ぎているせいか、油断するとむしろおしゃれなカフェの内装のようにみえてしまう。
視野内の時計は9:00ちょうどを示す。
そろそろ釈放の時間だ──。
…………だが裏口のドアは開く気配がない。
9時から手続きをするなら、出てくるまでには少し時間がかかるのだろうか。
見張りのセキュリティポリシーすら居ないうら寂しい場所に、ひとりで立っているせいかだんだんと心細くなってくる。
タバコでも吸おうとジャケットの胸ポケットを探るが、情けなくシワシワになったPARKの空き箱が手の平に触れるだけ。
タバコを吸おうとすぼめていた唇が空振りしてチュピッと音をたてた。
パークさん、まだか。
扉の方をみる。
ドアが軋み、ゆっくりと開く。
中からパークさんが現れた。
「パークさん!」
「おぉ、ナツオぉ!」
まるで駅の改札で待ち合わせたように軽快な足取りで近づいてくる。緊張感や開放感のようなものは微塵も感じられない。
「待たせたなぁ! ちっと、中で野暮用がデキちまってな!」
「や、野暮用?」
「おう! オレもいちおう人の親だからな!」
昨夜までなら冗談にしかきこえなかっただろう。でも、確かにこの人にはれっきとした実の娘がいる。
………そ、そういえば……ノゾミさんは、どうなったんだ…………。
サービスエリアからあの勢いで飛び出し高速道路を逆走して、無事なのか。
駐車場に置き去りにされたときにニュースをチェックしてから、いちども確認していない。
「いやぁ、オメェよくやってくれたな! chibusaさんからパブリシティ、バッチシ貰ってよぉ! やるなぁ!」
「も、もちろんじゃないですか!」
パークさんにも伝えるべきだろうか。話が面倒なことになるのはいやだ。でも、娘の一大事かもしれないんだし……。
「あの、パークさん……」
「なんだ!? オレぁ自由だ!!」
両手を高く突き上げたパークさんはニカッと前歯をむき出し、トンネルのようにアーチを描く穴にタバコを挟む。
勢いよく吹き出た副流煙に思考が乱れた。
「……た、タバコを、1本いただけないでしょうか……」
「あん? だからよぉ、オメェは。ここは普通、ご苦労様です、つってオメェからタバコ差しだしてオレをねぎらうところだろうがよぉ」
そういいながらも、くしゃくしゃになったPARKの箱を差しだしてくれた。
「ありがとうございます」
「まぁ、仕方ねえかぁ。ナツオ、わり悪ぃんだけどよ、このままちっとだけここで待機だ」
「待機?」
パークさんが、急に背筋を伸ばしドアの方を振り返った。
「忘れ物でもしたんすか?」
「ん? なに、いやぁ、あれだ。オレも親だからよぉ……」
あきらかに態度がおかしい。こんな陰気な場所でなにをソワソワすることがあると……。
「…お! 来た。おぃ! こっちだ、おぃ!」
パークさんが右手を挙げた。つられて扉の方を振り返る……裏口に…。
「の、ノゾミさん!?」
まさにいま行く末を案じていたその人、本人がばつの悪そうな顔で裏口のドアノブを握っていた。いや、開きかけたドアが一旦閉じた。
「どうした! ノゾミ!」
ドアが再び開き、中から押し出されるように、前のめりにノゾミさんが出てきた。
「ノゾミ! けぇるぞ!」
「の、ノゾミ、さん……」
「なんで、オメーがいんだよ」
うつむき加減でその場へ立ち尽くす。ノゾミさんが奥歯をかみ砕くように低い声で唸った。
「じ、自分はパークさんを迎えに……の、ノゾミさん、こそ……」
「帰りは、ハイヤーだろ! なぁ! ナツオ」
パークさんはすたすたと歩きだしている。
「あの後……、ポリ公にとっ捕まった」
「つ、捕まった……?」
「おい! ナツオ! ノゾミ! やっぱりハイヤーの前にメシにすっか!」
パークさんが戻ってきて自分とノゾミさんの手を取り、せっせと走りだした。

「うめぇなコイツぁ!」
署の近くにあった古い定食屋に入るなりカツ丼を注文し、あっという間に1杯目を空にして、2杯目の丼に手をつけていた。
「オメェら、食わねえのか?」
カツをひと切れ前歯に挟み口をもごつかせる対面のパークさん。その隣に座るノゾミさんは、じっと押し黙り動かない。
いや、正確には店に入ってから、ずっとこちらを睨みつけている。
したがってさっきから自分は、カツ丼の香りを嗅いているだけで箸を動かせない。
「なんでアタシを止めなかったんだよ?」
「き、昨日、すか?」
ムチャなことをいわないでほしい。
「どう考えても、あんなことしたら捕まるじゃねーかよ! バカなのか? テメェ!」
だ、だいぶ、御自身のコトを棚に上げている。
「おっしゃる通りです……」
「エンジンふかしたときに力づくで止めろよ! それが助手席に乗ってた奴の役目だろ!」
「そ、そんな……」
あのときはクルマの外に放り出されていたし、そもそも、あの状態のノゾミさんの意志を止めるなんて命知らずな芸当のできるのは、“霊長類最強”系の称号を持つ人間でなければムリだ。少なくともあの時間、あのサービスエリア内に不在だったことは間違いない。
「そりゃ、ハルノキが悪りぃな。彼氏ならそこんとウマく止めてやんねえと」
「ハッ……ハァッ!?」
恫喝するように父親を睨みあげたノゾミさんに対し、自分は全身が硬直する。
「っんで、こんな童貞がカレシなんだよ!」
「違うのか?」
「セキュリティポリシーでおかしな洗脳でもされたのか!」
胸ぐらをつかまんばかりの勢いで詰め寄る。
「いや、オレァまともだぞ。ナツオなら、まあくれてやってもいいと思ったからよぉ」
パークさんがこっちをみる。
の、ノゾミさんと……もし、そうなったら……ドライブとかで、デートして……なにかのきっかけで怒らせて、高速道路を逆走したり、カーステレオと同じようにボコボコに殴られたり、食事の最中に罵られたり……。
「じ、自分の手に負えません!」
「るせぇ! テメェに選択権はねえ!」
「“霊長類最強”か“人間凶器”クラスの異名を持つ“オトコ”じゃなきゃムリです」
「だいたい、アンタもなんでいきなり父親ヅラしてんだよ!」
ノゾミさんは、ライオンがマンモスに襲いかかるような勢いでパークさんに牙を剥く。
「いやぁなんつーかな、ノゾミの身元引受人になったろ? そういやぁ、オレ、親父だったなと思い出してなぁ」
「こんなタイミングで思い出してんじゃねえ! だいたい、アンタがおかしな商売はじめたからこんなことになったんだろ?」
「オレァ、なかなかお似合いだと思うぞ。ナツオはこうみえて商売人だからなぁ、ブハハハ!」
湯飲みに口をつけながらパークさんは食後の一服をつけはじめた。
「なにくつろいでんだよ! いいか! アタシはこんなクソにも劣るガキなんて眼中にねえの! もっと、渋い大人の男が好みなの!」
いいきった後、みるみるノゾミさんの頬が染まっていく。
「おぉ! なんだ、別にちゃんとカレシがいんのか? ノゾミ?」
「ち、違う! ……ハ、ハルノキ! なにニヤけてんだよ!」
理不尽な罵りもどこか宙に浮く。
「そういえば、今朝、支部長に会いました」
「なっ、なんでシブ様の話がでてくんだよ!」
「シブ様ぁ? なんだ、海外のアーティストかなにかか?」
「支部長、さっそくゲーミングアスリート探し始めてましたよ」
「ゲーミングアスリート……? ハルノキ、大会、DOS×KOIに決まったのか!?」
そうか、ノゾミさんはあの後のいきさつを聴いていなかったのか。
「DOS×KOI?」
パークさんの眉間に険しくシワが寄る。
「ナツオ、どういうことだ?」

「先生! “まわし”見つかりました!」
ナンプラさんが空中で指を止めた。
「そぅ。みせて」
エアロディスプレイを表示してオークションサイトを大写しにする。
「コイツあ、状態いいっすよ」
選んだ商品の立体映像をクルクルまわしながら豊川先生に媚びを売るような顔をした。
豊川先生は立体映像に近づき舐め回すように商品映像をご覧になる。
「新品…初期キズもない……完全なデッドストックみたいだね……」
「説明にはそう書いてあります」
「じゃあ、これ」
「へい! 入札金額は?」
「皆さんはおいくらくらい入れるものなの?」
「そ、そりゃオークションすから、相手より高い金額を入れます」
「じゃ、ずーっと僕が1番になる金額を」
「わかりました。コージ! 青天井で入札しとけ」
「かしこまりましたっぁ!」
ナンプラさんの声に従い“永久応札”ボタンを押した。
「次はスマホの最新機種だね」
「そ、そっちは……、その……最新機種つっても、もう10年以上前なもんで新品ってのは……残ってねえかと」
「開封未使用品は? 中古美品は?」
「そ、そいつも探してはいますが……」
「実体があるスマホじゃないと“まわし”つけられないじゃない」
「そりゃ、もちろんですが、どこにも……」
豊川先生は右手を電話の形にして耳にあてた。
どちらかへVOICEをかけらる様子だ。
「あ、僕。いますぐ全社に通達してくれないかな……うん。スマートフォンの最新機種、新品か美品の、うん、そう。はい。報酬は? いくらでもいい、うん。賞与と特別御手当と御褒美も、全部あげていいから」
やり取りをおえると、エアロディスプレイを立ち上げDOS×KOIの視聴を再開なされた。
「先生、ど、どちらへ……VOICEを」
「困った時になんとかしてくれる人達です。もちろんお二人も引き続き頑張ってください」
「か、かしこまりました」
豊川先生はゆるりとソファへもたれかかられた。アニメの中でクニタチが泣き出しそうな顔をしているシーンがサングラスに反射していた。

「……それで、ダンス大会の代わりに、DOS×KOIの大会の開催が決まりました」
ノゾミさんの顔色を窺いつつ、パークさんにラジオでのやり取りと大会開催のいきさつを説明した。
「んで、ノゾミは捕まったと?」
「………そうだよ…」
「ばかだな。オメェは」
「ごめんなさい」
ノゾミさんが信じられないくらい弱々しい声で応える。肩をおとしうなだれている。髪が顔を隠しているから表情はみえないけれど、相当に落ち込んでいるのがわかる。
「オレの過去なんてゴミみてえなもんだろ。自分の将来汚しやがって……」
「……アタシの未来だってゴミみたいなものかもしれないじゃん……」
それっきりノゾミさんは沈黙する。
「……あ、あの、パークさん」
親子の会話に水を差すのは気がひけるけど、ここで頼むしかない。
「実は自分も、ショルダーパッドの代表として大会に出場することになったんです」
「ナツオが? オメェもDOS×KOIプレーヤーなのか?」
「……素人です……だから、その、パークさん! 自分にDOS×KOIを教えて貰えないでしょうか!」
「いまから大会で優勝狙うってか?」
「ゆ、優勝……」
た、棚田さんは、優勝しろとまではいっていなかった。ナンプラたちにひと泡ふかせて欲しいとだけいっていた……。
「そ、そこそこの順位を狙います」
「そこはオメェ、優勝します! っていうところじゃねえのか?」
「でも、いまから練習しても……」
「優勝するのは、アタシだ……」
うつむいたままノゾミさんがいった。
「まあ順当にいきゃあノゾミだろうなぁ」
パークさんは新たに火をつけたタバコを前歯に挟む。
「ノゾミさんDOS×KOIやるんですか?」
ノゾミさんの肩がピクンっと振れた。
「あたりめえだろ……」
地の底から湧き出てくるような声が漏れ、ガバっとノゾミさんが顔を上げた。髪の毛が一瞬総立ちになったように浮き上がる。
そ、そうか……元トップクラスのゲーミングアスリートだったパークさんの娘ならDOS×KOIをプレイしていても不自然ではない。
「アタシを誰だと思ってんだよ」
ノゾミさんが空中にエアロディスプレイを立ち上げ、こちら側へ突き付けてきた。
プレイヤー画面の上部に“番付ランク”が……。
「プレイヤーランク……横綱……よ、横綱!! ノゾミさん、横綱なんすか!?」
たしか、世界に4人しかいないってラジオでいっていた気が……。
「復刻後からはじめた、にわかと一緒にすんじゃねえ」
「ノゾミはなぁ、オレがやらかした後もDOS×KOIやってたんだ」
「じゃ、じゃあ、自分が店の代表にならなくてもノゾミさんが出れば解決じゃないですか! 棚田さんに報告して代表変えてもらいましょう!」
「アタシは、店とは組まない」
「えっ!?」
「シブ様のために大会にでる。当たり前だろ」
そうか……ノゾミさんは支部長のためにDOS×KOIの大会に賛成していたのか。
「で、でも、ここは店のためにも、れ、連合軍という形で出場するのはどうでしょうか」
「つくづく情けねえ野郎だな! テメエが背負った責任くらいテメエで落とし前つけろや!」
「は、はい!」
躾けられた犬のように反射的に返事をしてしまった。いや、まて。すっかり忘れていたけど、優勝しなければクミコが手に入らない。ダメだ、優勝しなきゃダメじゃないか。
「自分も優勝、狙います!」
「ふん、まあオヤジの釈放の算段つけてくれたコトには感謝して、オマエに四股ネームつけてやるよ」
四股ネーム、つまりプレイヤーネームか。
「な、なんすか…」
「D・T・C」
思いの外、かっこいい。
カウパー野郎の略だ。ありがたくとっとけ」
ノゾミさんが勢いよく立ち上がる。
「ど、どこにいくんですか?」
「どっかに籠もるわ。しばらく店は休む。次は、大会であおうぜ。D・T・C」
それっきり振り返らずにノゾミさんが店をでていった。
「イイ四股ネームもらったじゃねえか」
パークさんがゆるりとタバコの煙を吐き出しながら前歯のトンネルをむき出しにしていた。
「……す、すか?」
「ウチの娘にあれだけ言わしたらよぉ、期待に応えてみてもいいんじゃねえのか? オメェも特区で生きてんだし」
「特区に、生きている?」
「ここは、覚悟の街だ。中途半端なマネが1番かっこ悪りぃんだよ」
覚悟の街……。
特区ここは他の街じゃ生きにくいヤツラの集まりなんだ。テメェらの好きなことに突き抜けてぇヤツラが集まる街だからな。オメェもなにかの縁でここまで来たんだろ? やってみればいいんじゃねえのか?」
「ぱ、パークさん……」
「ナツオ…、オレの弟子になりてえか?」
「……は……はい……」
「上手く、なりてえのか?」
「は、はい」
「大会でキャーキャーいわれてえか!」
「は! はい!」
「優勝賞金は山分けだ!」
「はい!」
「よぉし! そんじゃ早速練習すんぞ! おやじさん! ビールくれ!」
カウンターの向こうでじっと成り行きを見守っていたのかもしれない。定食屋のおじさんはすぐに瓶ビールの栓をぬきながらやってきた。
安っぽいグラスにビールを注ぎながらパークさんはこちらを指さす。
「まずは、DOS×KOIをインストールしとけ。これ飲んだらいろいろ教えてやる」
「わかりました」
「ナツオ……」
「は、はい?」
「ポエムの時間がはじまるぞ……」

次回 2020年06月05日掲載予定
『 クニ、タチぬ 03 』へつづく





「明日がありますって! 旦那ぁ!」
あおざめた表情で電光掲示板を見上げるセイジさんの肩をバシバシと叩く蒔田さん。その声にも仕草にも他人を思いやるような優しさが微塵も感じられない。
「や、やばいっすよね……学科で落ちるって」
「たまたまでやんすよ! 旦那はインテリなんでやんすから! 明日は受かりますって! あっしらがついてるじゃねえでやんすか! 今日は残念会で飲みましょう!」
免許の学科試験で落ちた人に勉強する時間を与えず、飲みに誘うというところがこの人の決定的な問題点を浮き彫りにしている。
「こういうときはスパーッと飲んで明日に備えたほうがいいんでやんすよ! あっしなんてね、昔……」

ボロォーーン

間抜けな電子音が鳴った。
「おっ! メッセージが来やした。ちょっと失礼しやす」
蒔田さんはそそくさと空中に指を走らせる。
imaGeのメッセージを優先させるところがこの人の本性なんだ。
「なになに……な、え、江田くん! 大変だ」
突然、うろたえだした。
「み、見てみろ! これを!」
セイジさんの視界に入らないように巧妙に背中で壁をつくり、こちらにだけテキストメッセージをみせてくる。
メッセージの差出人は、ビーチサイドレンタカーと書いてある。
あの、レンタカーを借りている店だ。
「延滞金、増えてねえか?」
「特別損害遅延金ってかいてありますね。これあまりにも延滞しすぎて延滞金の利息が割り増しになったってことじゃないですか」
「ま、まずいじゃねえか!」
「まずいですね」
一瞬沈黙した蒔田さんの顔は、すぐ特上の笑顔に切り替わり、恐ろしい速さで踵をかえした。
「旦那ぁ! あっし、名案が浮かびやした!」
そのままセイジさんの方へすり寄っていく。
「ちょっと、上手いこと教官室に忍び込んで明日の試験の情報調べてきやす!」
「それまずくないっすか?」
「確かにアブねえ橋でやんす! でもね、あっしは旦那の合格のほうが大事なんでやんす!」
間違いない。ここから、スパートをかけてセイジさんから金をせしめる気だ。
「まあ、旦那のお気持ちで、チロぉっと危険手当を頂戴しますが、そこはもちろん勉強させていただきやす!」
蒔田さんはおにぎりでも握るかのように、分かり易い揉み手で話す。

ボロォーーン

また電子音がした。
「忙しいときに! どこのどいつだ……」
悪態をつきながらもセイジさんに背を向けメッセージを開いた蒔田さんの顔から表情が消えた。
「え、江田くん……こ、これをみろ」
メッセージの差出人は……豊川ホールディングス、総務部と書いてあった。
「こ、これ……」
「よくみるんだ! ここだ!」
蒔田さんのうす汚い指先が、“全従業員へ”と前置きされた文章の一部分を指し示す。
 
『スマートフォンの最新機種を至急調達してください。調達した従業員には経費の他、賞与・特別手当全種・社長賞御褒美をあわせたアルティメット報奨金を支給します。』

「こんな小せえ山に気を取られてる場合じゃねえよな」
こちらにも満面の笑みを向け、小声で呟いた蒔田さんはそのままセイジさんの方を振り返った。
「旦那ぁ! いま情報が入ったんでげすが、ここいらに御利益のある合格祈願の名所があるらしんでちょっと行ってきやす!」
「え。え、え?」
「どうかお達者で! いくぞ! 江田くん!」
「え、っちょっと」
戸惑うセイジさんを尻目に蒔田さんは走り出した。






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