間違いない。
体育館裏、沈みかけた夕陽の中で、足元の長い影を見つめるように立ち尽くすのは国立さんだ。
……だが…どうみても、若い。
アバターの表情はあどけなく、身につけている服も半袖の白いシャツに黒いズボン。まさに制服をきた夏の男子高校生そのもの。
「国立さんですよね?」
はっきり声にだして呼びかけたが反応はない。
アバターの額に汗の滲む感覚が再現される。VR内の冷や汗ってこんなにリアルなのか……。
落ち着いて考えろ……そうだ。これはなにかの
VR内体験を“再生”して“
たしかめてみるしかないか。
国立さんの頭をおもいきり叩く。
頭部がブルンッと揺れた。
右手には鮮明な感触が再現される。
…リプレイじゃ、ない!?
もしこれがリプレイなら、その映像内で自分が触れたことのあるもの以外の感覚は再現されないし、映像内の空間に干渉することもできない。
…クニタチさんはじっと地面をみつめたまま微動だにしない。
おもわず視野内のログイン情報を確認する。
『 ログイン名:ハルキ
ログイン先:<CF>元・千歳逢坂学園
VR内時刻:PM 19:03』
間違いなく
声を掛けたら反応が返ってくるのが普通だし、まして国立さんが無視するとは思えない。
もしかすると、ゆ、夢か?
imaGeVRの
いや、しかし、視野内の表示はリアルだしまだログイン時間も数分のはず。
夢でも……ない。
「クニタチ」
混乱に一石。
凪の湖に波紋を起こすような声。
国立さんが振り返る。
同時に自分も声のした方を向く。
ナツメさんが立っていた。
しなやかな脚を誇示するかのように堂々と。
切れ長の黒い瞳、すっとした鼻筋、勝ち気な腕組み、伸びやかな上半身。
全てが麗しい、ナツメさん高校生バージョン!
「ナツメさん!!」
自然に腹から声がでる。
しかし、反応はない。
こちらを一顧だにせず、国立さんの方へつかつかと近づいていく。
「遅えじゃねえか? クニタチ」
「…ど、どちらかというと、僕のほうが先に来て待ってたんじゃないかと……」
「はぁ? それはアタシが決めることだろ?」
「ご、ごめんなさい……」
なんという理不尽なやり取り。
「ね、ねえやっぱり、やめない?」
クニタチさんの口調は完全に怯えきっている。
「ぁっ? 確かめんだろ? シゲルのこと」
……シゲル?
「体育館でテクノブレイクだぞ? そりゃ浮かばれねえだろう。アイツも」
……シゲル、テクノブレイク……。
「もしかしたらもしかするんじゃねえの? 吹奏楽やりてえっていってたから、あいつ」
「だ、だからって僕たち2人で確かめにいくのはやっぱり、ちょっと……」
「なあ、クニタチよぉ、女子とふたりっきりのシチュエーションにビビる男ってどんなメンタルしてんだ?」
「だ、だって、シゲルくんはもう……」
「確かめなきゃわかんねえだろ! なんでもかんでも頭で予想した結果だけでわかった気になってんじゃねえよ!」
ナツメさんは肩で風をそびやかすような足取りで歩き出す。家臣を伴う姫のような、手下を引き連れる頭目のような風格。
ひらりとスカートが揺れる。
いまの2人の会話……ログイン直前にプレイしたDOS×KOIの第3話の……。
応援曲のプレイに失敗するとクラスメートのシゲルを助けられず、シゲルは体育館で死ぬ……。
もしかすると、ここ、ゲームの中か?
DOS×KOIのimaGe版はフルログインしてのプレイも可能だ。
周囲を、今度は背景に注意して見渡す。
どうみても現実の実写をベースにした背景だ。
DOS×KOIの背景はアニメ調のイラスト背景だから、やはり違う。それに体育館の裏から歩き出した2人の姿も、chibusaさんデザインのゲームキャラではない。
待ってくれ。
もう、わけがわからない。
TOPICの再現映像でもなければ、夢でもない、もちろん現実でもなければゲームの中でもない。おまけに自分の存在は誰にもみえていない。
いったいどこへ迷い込んでしまったんだ?
ヤバイ世界、それこそ常識の
絶海の孤独。
imaGeという名の船に乗り、荒れ狂う情報の波にのり、七つの海を股にかけるがごとく、世界中のコンテンツを航海していたあの頃──。
外界とのコミュニケーションに浴すことを良しとせず、我が感情の赴くまま情報の海原を縦横無尽に行き来した引き籠もりの“大後悔時代”──。
どれほど浮かれていても、ときに酔っているときでさえホラー系コンテンツは全て避けてきた。
真夏に増殖する動画サイトの不意打ち恐怖動画の類いも、アシスタントプログラムmisaのフィルタリングという羅針盤を駆使して巧妙にすり抜けてきた。
…自分には自負がある。航海してきた分の。
恐怖に対する自負が!
だから…こんな薄暗い無人の校舎に独り、取り残されるわけにはいかない!
いまは、あの2人に付いていくしかない!!
校庭を横切り、不吉な影を落とす校舎へ向かって歩く国立さんとナツメさん。
大急ぎで背中を追いかけ、必死にくらいつく。
周囲の闇が濃くなる中で、ナツメさんの膝上15cmで揺れるスカートの裾と、その下に伸びる白い膝の裏側のまぶしさが灯台のようだ。
その光を頼りに歩くと昇降口に辿り着いた。
2人もそのまま校内へ足を踏み入れる。
上履きには着替える必要はないらしい。
迷いのない足取りで進んでいく2人は、階段の前で突然足を止めた。
「クニタチ。先いけ」
「む、ムリです!」
「はぁ? なにビビってんのし?」
「だ、だって……真っ暗だし」
押し問答をするナツメさんのすぐ側まで近づいてみるがやはり反応はない。
束ねた髪の隙間から覗く白いうなじに視線が吸い寄せられた。
こちら側はみえていないようだが、こちらからはナツメさんの艶めかしいお姿がよぉく見える。
……まて……、待てよ…。
瞬時に膨大な思考が脳を駆け巡る。
原因は不明だが、感覚も再現されるこの仮想空間内で自分はいま、透明人間状態……。
と、ということは、す、少しくらい、触ってみても問題ないんじゃ……。
手を伸ばせばすぐに届く位置にあるナツメさんのアバター。
これは、テストだ。
テスト。
手を伸ばす──。
「仕方ねえな」
指先が空を掴む。
軽く舌打ちしながらナツメさんは階段を昇り始めた。なんという肩透かし。
しかし……、今度は別の対象に視線が固定される。階段を昇るナツメさんのスカートがかなりギリギリの位置で揺れている。
このまま階段を昇っていく…つまりは……。
ここがどこかはわからない。
でも、細部までがしっかりと再現されている。
つまり、目の前のナツメさんのスカートの奥もきっと!!
…いましかない!
千載一遇、ウォッチング、チャンス!
床に腹這いになっていた。
廊下の表面、リノリウムの冷ややかな感触。
もう少しだ!
もう少し!
も──。
「なぁ、クニタチ」
ピタッとナツメさんの足が止まる。
計算されつくされたようにギリギリの場所でスカートはその内部を防御する。
「オメェ、その位置、覗いてんな?」
ナツメさん、振り返る。
反射的に体勢、直立す。
「な、な、そんな、恐ろしいことしないよ!」
「嘘つけ!」
ナツメさんの猛烈な眼光。
一瞬、本当に光った気がした。
睨みつける。
国立さんを。
自分ではない。
よ、よかった。
「さっさと歩け。さもねえとシゲルのトコに逝かしてやんぞ!」
「や、やめてよ、そんな縁起でもない」
2人が再び歩き出す。
貯め込んだ息が喉からせり上がる。
見えていないはずだけど、ナツメさんはなにか特別な気配を察しているのかもしれない。
……これ以上、国立さんを生命の危機にさらすわけにはいかない。
なにもしてはいけない。
そっと後をつけることにしよう。
3階に辿りつくころには、日は完全に沈んでいた。廊下は等間隔に並ぶ非常口を示す明かりだけが灯る。ぼやけた緑色の光が奥へ伸びていく。
廊下全体がまるで異界につづくトンネルのように禍々しい。
「な、な、な、ナツメちゃん! ちょ、ちょっとシャレにならないかもしれない! 電気つけよう!」
「明るいとこに霊が出てくると思うか?」
れ、霊!?
や、やはり、これは……。
国立さんの懇願に耳を貸す素振りもなくナツメさんは進む。
「それに……もう、着いた……」
立ち止まったのは、“音楽室”の前。
「先輩達がみたってのってここだろ?」
“みた”というのは一体なにを……。
ブぅォーーーーン
突然、音楽室の中から低音の管楽器の音。
「うわぁぁっ!」
廊下に尻もちをついた国立さんの悲鳴と、自分の叫び声が重なった。
「マジか? クニタチ? ウケるわぁ」
ナツメさんだけが、ゲラゲラ笑っている。
この御方の神経は大樹の幹のように太く頑丈なものに違いない。
「幽霊なんているわけねぇだろ?」
…それ……こういうシチュエーションでいちばん言ってはいけない言葉なんじゃな──。
教室扉の曇りガラスをなにか横切った。
え、いや、え!?
「な、ナツメちゃん……いま」
「あ?」
ナツメさんが教室の方を振り返る。
「なにもいねぇって!」
そのまま扉を開け中へ進んでいく。
ナツメさんの姿が教室の中へ消えたとき。
扉が勝手に閉まった。
「やっ、きゃああああああああ」
ナツメさんの叫び声!?
「な、ナツメちゃん!」
国立さんが扉を開けて中へ飛び込む。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ」
扉が再び閉ざされ、すぐさま叫び声。
間違いなくなにか異変が起こっている。
だめだ。
逃げよう!
廊下を振り返る。
「助けて!」
国立さんの叫び声がした。
まずい、本当になにかあったんだ。
助けないと、やはり、まずい。
考えてみれば自分は誰にも見えていない存在。よく考えてみれば無敵状態。
と、扉を開けて、中の様子だけでも……。
2度も閉ざされた扉に手を伸ばす──。
鼓動の高鳴りが全身に広がり、指先に痺れを感じる。引き戸の把手金具に触れる。
さっきの廊下より、ひんやりと冷たい。
そっと扉を開き中を覗き込むが、暗くてよく見えな──。
いきなり目の前にバサリと何かがぶら下がる。
逆さまになった、人間……。
目を見開いたままこちらをみている。
真っ白な顔。
し、し、シゲル……!?
「ぅ、ぅ、うわ、わああああああぁぁぁぁ!」
そのまま駆けだしていた。
振り返ると、シゲルは半回転して床に着地しそのままもの凄い勢いで追ってくる。
人間の動きじゃない。
い、いや! なにも、見えてない! 見えてない! 見えてない!
「え、あわ、えあぁええ」
息が漏れるだけで声がでない。
階段がみえた。
もう少しだ。
そ、外に逃げなきゃ──。
階段まで辿りつい──。
「ばぁ!」
壁のから、長い髪の女性、人影。
「ほくぅっ」
声でない。
挟まれた。
もう、ダメ。
下半身の力がぬける。
廊下に座り込んだ。足の付け根にぬるい風呂に浸かったときにような、しっとりしたぬくもりが広がる─。
意識が遠のく──。
しかし、目に飛び込んできた白い光が意識をつなぎとめた。
気がつくと廊下の電気が全て点灯していた。
「ハルノキだっせぇ!」
ナツメさんの声。
「ごめんねっ! ハルノキくん」
目の前の、幽霊も笑いだした……!?
「わたしだよ? わかる?」
垂れ下がった前髪の下から覗く、柔らかい微笑み。み、み、み、ミナミ先生!? の、こ、高校生バージョン……?
「へ……へっぇ?」
声がでない。
ミナミ先生は小首を傾げながら、手に持っていたプラカードのようなものをくるりと裏返す。
「あ、え、あぁぁ」
そこには、“大成功”の文字と古典的な、カタカナ4文字……。
「ど、ドッキリ……」
ウソだろ……。
現実、いやここは仮想現実内だが、実感というか意識の現実感がまったく戻ってこないうちに、周囲を4体のアバターに取り囲まれた。
「大丈夫? ハルノキくん」
「キミ、ハルノキくん? はじめまして!」
「つーかよ、クニタチ! なにビビってんの? 打ち合わせ通りだろ! マジでウケるわ」
「だ、だって、暗がりの教室ってこわいから」
「オマエいつも校舎で働いてんだろ!」
ナツメさん、国立さん、ミナミ先生……と思わしきアバターたちが目に涙をにじませながら笑っている。
安堵とともに、
さっき感じた股間のぬるい感触。
もしかすると、やっちまったかもしれない。
VIPルームでログインしたまま失禁した豊川の姿が脳裏に浮かぶ。
あの男と同じことをしてしまったこととドッキリなどという、古典的なサプライズにひっかかったことに対する恥ずかしさがこみ上げてくる。
なんだ全部仕組まれていたことか。
……良かった。
……。
まて。全て仕組まれていたということは。
己の行動が逆回転するように脳裏を通り過ぎていく。
……ナツメさんのスカート……、うなじ……、国立さんの頭を思いっきり……。
もしや、あれは全て誰かの目に見えていたということなのか……。
「ハルノキ」
「は、はい!」
見上げると視界には腕組みしたナツメさんが、そびえ立つ。
「ドッキリだいぶ気に入ってくれたようだな」
「や、ひ、ヒドイですよ。本当に心臓止まるかと思ったんですから」
「それにしちゃ臨機応変にいろいろしてたな」
「ど、どういうことでしょうか」
「まあ詳しい話は飲みながらにしようぜ。オマエ金持ってるよな?」
い、いまさら体育館の裏でいわれそうなことをナツメさんが言い出す。
「も、持ってます……」
「よし。みんな屋上に移動しようぜ! ハルノキの金で酒盛り!」
「な、ナツメちゃん、それはいくらなんでも」
国立さんが間に入ってくれる。
「クニタチも奢ってもらう権利あんだぞ? やると思ったんだよなぁ。自分は透明人間で無敵だとか思ったんだろ?」
「滅相もございません」
「わたしもあのときだけは、ちょっとハルノキくんのこと見損ないそうになったなぁ」
み、ミナミ先生もみていたのか……。
「自分なにもそんな……で、でも、もしナツメさんに失礼なことをしていたら……」
「クニタチがボコボコになってただろうな」
「え!?」
「ドッキリ中はハルノキがみえてねえ設定だから、クニタチのせいにしてクニタチをボコるしかねえだろ」
「僕はハルノキくんがそんなことするわけないと思ってるから問題ないと思ってたけどね」
「も、もちろんじゃないですか……」
よかった。
あそこで踏みとどまらなかったら、現実側でぎっぐり腰になっている国立さんを仮想世界でも痛めつけてしまうところだった。
屋上にでると、夜空に星が輝き、眼下には街の夜景が広がっていた。
星の光と街の灯りがこれほど綺麗に両立する景色を眺められるのは、仮想空間ならではの醍醐味だろう。
街並みは国立さんの研究所、つまりこの校舎が建っている臨空三都市の街並みだろうか。
高解像度の光の描写がずっと遠くまでつづいている。光もワンパターンに並んでいるだけでなく、実際の景色から丁寧に
「国立さん、さっきのドッキリ相当お金かかってますよね?」
よく考えてみれば他の利用者グループに遭遇していない。チャットルーム規模なら所有者がいて招待者のみが集う場所になるけど、フィールドほどの規模になればそこは複数の利用者グループが行き来する公共の場所。
これだけ大規模なフィールドで、手の込んだドッキリを仕掛けるには貸し切る必要があるのではないか。個人の所有なら別だが、この規模のフィールドを個人所有できるのは、よほどの金持ちか上空市民くらいのものだろう。
「そうなの? 僕、こういうの疎くて」
知らずに使っているのか。
ナツメさんから“ハルノキ、ここのフィールド料金もはらっとけ!”と凄まれるかもしれない。これほど作り込まれたフィールドの貸切料金……、破産だ。
だが今日の自分には言い逃れできない負い目が生じている。国立さんにも。
「さっき、頭、すみませんでした」
「ん? アハハあれは、痛かった」
「ですよね……」
「だけどナツメちゃんに怒られるから、必死で知らんぷりしてみたけどね」
そういいながら笑ってくれた国立さんは、まだ高校生バージョンアバターのままだ。
年下に気を遣わせているような感覚が、気まずさをより増幅させる。
「あと、腰、大丈夫ですか」
「1日寝てたらだいぶマシになったよ。
「ハルノキ、酒は?」
いつのまにかナツメさんが真後ろにいた。
「も、申し訳ありません!」
「こそこそ話てんじゃねーよ、キモチわりーな、オマエら。肉、もう準備できてんだよ」
親指で示された方をみると、屋上の中央で鉄板と網を乗せた2基のコンロが煙を上げていた。
火の周りを囲むようにイスも配置されている。
イケてる人達が好んで行うと噂に聞く“
「さっさと、酒だせ」
「は、はい! ただいま!」
即座に空中を拳で叩く。
ドンッ
ガシャン
勢いよくデリカーの瓶が落ちてくる。
「ミナミ先輩っ!」
ナツメさんが取り出し口から強奪するような勢いで瓶を取り出し、ひょいっと投げた。
「ありがとう! ナツメちゃん。あっ、ハルノキくんも!」
瓶を受け取ったミナミ先生がはにかむ。
この人になら何本デリカーを奢ってもいい。
ドンッ
ガシャン
ナツメさんが瓶を小脇にキープ。
ドンッ
ガシャン
「おらっ! クニタチ!」
国立さんは瓶を取り損ねてあわてふためく。
「オメェいいかげんアバターの操作に慣れとけよ、ハルノキ、次!」
ナツメさんに言われるまま空中を叩く。
“空中を拳で叩く”は仮想空間内でデリカーを購入する公式ジェスチャー。imaGe全体に統一するジェスチャーを展開する豊川グループの巨大さと、この場で豊川の息がかかる
「シゲル!」
この人に奢るのはなぜか釈然としない。
「おぉ。冷えてなぁ。<<ピー>>ときの<<ピー>>みてぇにギンギン!」
「え? いまなんて…おっしゃいました?」
甲高い電子音がシゲルさんの声をかき消した。
「ん? なに?」
「…ピーって聞こえたんすけど」
「あぁ。オレ喋るとたまに入んだよねぇ」
「シゲルくん、“再生禁止用語”が多いからだよたぶん……」
国立さんは諭すような口調になっていた。
「なんでそんな設定入れてんの?」
「だって、一応ここ……」
「<<ピー>>が<<ピー>>で<<ピー>>と<<ピー>>する話とか別に<<ピー>>だろ!!」
「シゲル。主語も述語も聞こえてねー」
ナツメさんがあきれたようにデリカーをこめかみに当てたまま立っている。
「野郎待ちなんだけど、早くしてくんねえかな。ミナミ先輩も待ってんだし」
「す、すみません!」
自分の分のデリカーを急いで購入した。
「おーっし! 乾杯しよ!」
ナツメさんの発声を筆頭にみんなデリカーの栓をあける。“シュコッ”と小気味よい音が鳴る。豊川の顔を浮かべると悔しいけれどこの効果音は酒を飲みたいという意欲を掻き立てる。
「乾杯!」
デリカーを掲げ、口へ運ぶ……。
『ちょっとちょっとぉ』
ひと口目のデリカーの余韻を味わう間もなく、頭上から声が降り注ぐ。
見上げると、夜空に巨大なエアロビジョンが現れた。
『アタシのこと忘れてんなし!』
「おっリっちゃん、ワリィな先に!」
『ナツメ! ちゃんと待ってろし! やっと子供寝たつーのに』
リッチャンさんは現実側から平面参加か。
『みんななに飲んでの? ハルノキ! あたしにも酒!』
「や、あの、実際には相当な距離があるので」
『ん? あぁそっか、アンタ九州だっけ?』
「リッチャンはクニタチよりも機械とか弱ぇもんなぁ」
ナツメさんの言葉にみんなが笑う。
『なんかそっち楽しそうだから、アタシも着替えてくるわ』
エアロディスプレイからリッチャンさんが消える。ナツメさんは機嫌が良さそうにデリカーを傾ける。まるで牛乳でも飲むようなフォームで。
「ナツメさん、そんなペースで飲むと“幻酔”しませんか?」
「幻酔? んなの都市伝説だろ」
「じ、自分、したことありますよ」
「ハルノキくん幻酔経験あんの? “幻射”なみにレア体験じゃんそれ!」
肩にもたれてきたシゲルさんは、すでに頬が赤らんでいる。細かい描画設定だ。
「シゲルさん。ちょっと酔ってますね」
「デリカーは酔うためにあんだろうがよぉ」
チクリンも同じような絡み方をしてきたことがある。同じ匂いというかある種のダメな人間特有の雰囲気が漂う人だ。
『お待たせ!』
リッチャンさんが戻ってくる。
「お、おい、おい! りっちゃん、そりゃマジぃだろ」
ナツメさんが慌てた声をだす。
『なにがだし!』
リッチャンさんは現実側で、高校の制服を着ていた。不謹慎を承知でいえば、妙齢を過ぎた表情にあどけない制服姿は、とてもギャップがあり、それはそれで……。
「リッチャン! いいねぇ! エロい」
シゲルさんと同調してしまった。
『シゲルに言われても嬉しくねえし』
「さっきから気になってんだけど、高校時代のナツメはやっぱ破壊力抜群だよな! オレ、数多の女と出会ってきたけど、ナツメと出会ったときの衝撃はいまだにナンバーワンだわ」
「シゲル、いまのアタシはどうなんだ?」
「…ん、お、かわいいに決まってんじゃねえか……。…………ハルノキくん、肉焼けてるぞ」
「おい」
「お、おう」
「おい」
「お。おう」
「シゲルくん、相変わらずだなぁ〜」
ミナミ先生は目を細めデリカーに口をつける。
「ていうか、リッチャンもログインしろし!」
『いや、アタシ、VRとかわかんねぇから』
「オレがじっくり教えてやるぞ! <<ピー>>を<<ピー>>したら<<ピー>>が<<ピー>>だぜ!」
『シゲル、調子に乗んなし! いまから現実側のオマエんとこいって<<ピー>>の竿、折んぞ!』
リッチャンさんとシゲルさんの再生禁止用語の応酬にナツメさんとミナミ先生が笑う。
……そういえば、国立さんはどこに……。
見渡してみると、国立さんは奥の暗がりにそっと立っている。楽しそうに全員を見渡す。しかしその表情はどこか寂しそうにみえて、DOS×KOI版“クニタチ”のキャラに重なる。
クラスの中が盛り上がれば盛り上がるほど、自分の居場所を見つけられなくなる気持ち。
なにかひと言、喋って参加してみたいけど、もしそのひと言がつまらなくてその場の空気をシラけさせてしまったら…考え過ぎて輪に入れないあの焦り……なぜか自分の高校時代のコトを思い出していた。
知り合いの大人が全員高校生の姿で現れて、学校の屋上でどんちゃん騒ぎする。現実なら絶対にありえない状況がそうさせるのか。
現実側の研究所の屋上に行くときも同じようなことをいっていた。もしかすると
「ハルノキくん? 楽しんでる?」
こちらの視線に気がついたのか、国立さんが近づいてきてくれた。
「は、はい。ちょっと、休憩を……」
「アレでしょ? みんなが盛り上がってると少し気後れするんでしょ?」
「それもあるんですけど、みなさん楽しそうなので、水を差したら悪いなと思いまして…」
「わかる。それ」
そっと夜風が吹くような笑い声がした。
「もし同じ年代で高校が一緒だったら僕、ハルノキくんとはイイ友達になれたかもしれないな。僕も輪に入れない時期があったから」
「で、でもゲームでは……」
なんだかんだ周りの仲間に囲まれているイメージが強い。現に今だってそうじゃないか。
「ハルノキくん、やっぱりDOS×KOIのこと知ってるんだよね?」
…しまった。
ここに呼ばれた理由をすっかり忘れていた。
「あっ、僕は別に問い詰めようとしてるんじゃないんだ」
ということはナツメさんは…。
「ハルノキくん。DOS×KOIはどこまでプレイしたの?」
「ストーリーはまだ、3話までしか」
「そっか、それなら間に合うかな」
「間に合う?」
「なんていうか、ゲーム版は少し
「どういうこと、ですか?」
「うん、あのね…」
国立さんが口を開きかけたとき、視界の隅に近づいてくる人影がみえた。
「なにいちゃいちゃしてんだぁ!?」
シゲルさんだ。
「クニタチ! ここの、再生禁止用語、設定かえてくれよぉ! オレ、なんにもしゃべれねえよ! ナツメとかミナミ先輩と話してえのに」
この人いったいどんな会話をしようとしているんだ。ナツメさんはともかくミナミ先生にまで。
「あ、あの」
「ン! ハルノキくん! なんだい!?」
酔ってるな、この人。
「チャットフィールドの設定変更ってそんな権限、普通の参加者は持ってないと思いますよ」
「だからクニタチに頼んでるんじゃないか」
「それはいくらなんでも……」
「ん!? 知らないんだな、さては」
「ちょ、ちょっとシゲルくん」
国立さんが慌てて立ち上がる。
「この学園チャットフィールドの所有者はクニタチなんだぞ!」
このフィールド、国立さんの個人所有なの!?
次回 2020年07月17日掲載予定
『 クニ、タチぬ 06 』へつづく
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